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Night Bird -蒼月亭奇譚-
ここ最近、一気に夏が来たかのような晴天が続いている。
それでも風は爽やかで、シュライン・エマは日差しに目を細めながら大通りの角を曲がる。そこから少し住宅街に入りしばらく歩いていると、蔦の絡まる建物と木の看板が見えてきた。
蒼月亭。昼間はカフェで、夜はバーになる店。
シュラインがドアを開けると、カランというドアベルの音と共にカウンターから声が掛けられる。
「いらっしゃいませ、蒼月亭へようこそ」
「こんにちは。最近暑いわね」
カウンターの中ではマスターのナイトホークがコーヒーミルの手入れをしていて、従業員の立花 香里亜(たちばな・かりあ)はシュラインの目の前にレモンの香りがする水の入ったコップを差し出した。
「そうですね。北海道と違って湿度が高くて、大変です。今日はお仕事の途中ですか?」
くすっ。
シュラインは水を一口飲むと、香里亜に向かって頬笑んでみせる。
「今日は香里亜ちゃんのデザートを食べに来たの。何かお勧めあるかしら」
「そうなんですか?ありがとうございます。今日は『レモンのタルト』と、『苺のムースケーキ』に、『グレープフルーツシャーベット』がお勧めですよ」
どれも今日のような暑い日にぴったりの爽やかなデザートだ。少し考えてシュラインはレモンのタルトと、水出しのアイスコーヒーを頼むことにした。最近ナイトホークは本格的なダッチコーヒーの機器を買ったらしく、カウンターの奥で一滴ずつ水が落とされいてるのが見える。
「ナっちゃん王子さんのメールで楽しみにしてたのよね。水出しコーヒー」
「本当?まずは一口ブラックで飲んでみてよ。ほのかに豆の甘味が分かるから」
グラスに氷が入れられ、コーヒーが注がれる。アイスコーヒーはゆっくり冷やすと色が濁ってしまうことがあるが、水出しコーヒーならそんな事もない。
「お待たせいたしました。当店自慢の水出しアイスコーヒーです」
「ありがとう。頂くわね」
ストローで氷をかき混ぜ、まずは一口。
苦みが爽やかで、その後のほのかに感じる甘味。コーヒーなのに、日本茶を感じさせるような深みのある味。
「美味しいわ。今度武彦さんにも教えてあげないと」
きっと、コーヒー好きの武彦なら喜ぶだろう。これはガムシロップやミルクを加えずに、ブラックで味わいたい。
そうしているうちに香里亜がレモンタルトを乗せた皿を差し出した。横には小さなアイスクリームが添えてある。
「お待たせいたしました、レモンタルトのアイス添えです。今日はメレンゲに上手く焼き目が付いたので、自信作なんです」
白いメレンゲと、レモンのクリーム。添えられているミントの緑が鮮やかだ。口に入れるとレモンの優しい酸味が口に広がり、思わず笑ってしまう。
「ふふ、美味しいわ。甘い物って食べてると何だか顔が緩んじゃうわよね」
やっぱり今日はここに来て正解だ。
頬に手をあて喜ぶシュラインに、香里亜も嬉しそうに頬笑む。
「そうですね。私もデザート食べるときはニコニコしちゃいます」
そんな話をしているときだった。
シュラインの携帯からメール着信音が鳴る。
「あら、誰かしら?」
携帯を開きボタンを押すと、それは篁 雅隆(たかむら・まさたか)からのメールだった。どうやら暇なのか『今何してるのー?僕は今会社で暇してるー』というような事が書いてある。
「仕事先?」
シガレットケースを出しながら聞くナイトホークに、シュラインは首を横に振った。
「ううん、ドクターから。何だか暇みたい」
すると香里亜もポケットから携帯を出す。
「あ、私の所にも来てます」
雅隆は暇なときに、一体どのくらいの人数にメールを送っているのだろう。
何だか微笑ましい気持ちになりながら、シュラインはデザートの写真を撮り返事を出すことにした。
「ふふっ、どんな返事が来るかしら」
そう思いながらデザートの続きを食べていると、またメールの着信音が鳴る。携帯のメールを打つ速度に自信があると言っていたが、どうやらそれは本当らしい。
ケーキ美味しそう。
食べたいけど、今会社からお外出られにゃい。僕のぶんまで味わって…ぐふっ。
少し前に会議から脱走した罰で、どうやら雅隆は研究所ではなく会社で謹慎中らしい。その時シュラインの方にもメールが来たので、よほどの事態だったようだ。
「事務所に戻る前に、ドクターにケーキの差し入れしてこようかしら。レモンタルト持ち帰り分ある?」
「大丈夫ですよ。今日はたくさん作りましたから」
なら雅隆のぶんと、事務所にいる武彦達へのお土産を買って帰ろう。きっと雅隆のことだから、今頃「レモンタルト食べたい」とか言っているに違いない。
「ごちそうさま、美味しかったわ」
保冷剤の入ったケーキの箱を持つと、シュラインはまた夏の日差しの下に出て行った。
篁(たかむら)コーポレーションのビルは、蒼月亭と草間興信所の中間ぐらいにある。
敷地は広く、ビルの前には去年クリスマスマーケットをやった広場があり、何だかゆったりとした感じだ。
本社の方に向かって歩いていると、目の前からスーツ姿のサラリーマンが歩いてくる。
「……あら?」
外見は何の変哲もない平凡な感じ。日差しにネクタイを緩め、スーツの上着は手に掛けている。だが足音を聞くと、それは訓練された玄人だ。慎重に一歩ずつ歩く音がシュラインにはちゃんと聞こえるし、分かる。しかも靴の裏には何か仕込んでそうな音。
「………」
すれ違ったときにそれは確信に変わった。
顔には出さないながらも妙な引っかかりを覚えつつ、シュラインは本社ビルへと入っていく。
「ドクターに会うなら、受付で聞いた方がいいのかしら。さっきのことも気になるし」
そう思っていると、エレベーターから見慣れた顔の青年が出てきた。
篁コーポレーションの社長である篁 雅輝(たかむら・まさき)の秘書の冬夜(とうや)だ。冬夜の方もシュラインに気付いたのか、真っ直ぐやって来て挨拶をしてきた。
「こんにちは、シュラインさん。今日はどうなさいましたか?」
今日も冬夜はダークスーツにサングラスだ。きっとここに来た理由を言ったら嫌がるだろうなと内心少々面白く思いつつも、シュラインは笑顔で自分が持っていた袋を少し上げた。
「こんにちは、冬夜さん。今日はドクターに差し入れを持ってきたの。会社で謹慎中だって聞いたから」
ドクター、とシュラインが言った瞬間、冬夜は眉間に少しだけ皺を寄せる。普段は感情を見せなそうなのだが、どうも雅隆に関しては感情をあらわにするらしい。
「アレにですか。エサを与えると天まで高くつけあがりますよ」
アレ。
冬夜は雅隆のことをそう呼ぶ。どうしても名前やドクターとは呼びたくないらしい。その徹底振りは、ある意味感心する。
「私がメールでケーキの写真を送ったの。だからドクターは悪くないのよ」
「そういうことにしておきます。そろそろ謹慎を解いて研究所に戻らせると雅輝さんが言ってましたので、それまで少しお待ち下さい」
そう言いながら、冬夜は奥にある応接スペースへとシュラインを案内する。その毅然とした仕事ぶりに、シュラインは思わず声を掛けた。
「太蘭(たいらん)さんが、冬夜さんは仕事好きみたいって何だか嬉しそうに言ってたけど、見てると納得しちゃうわ」
すると、冬夜の纏っていた空気が少しだけ緩む。
「仕事が好きというわけではなく、雅輝さんの秘書だから仕事をしていると言うのが正しいです。俺は兄のように悠々自適に暮らすには向いていないので」
おそらくそれを指して太蘭は「仕事好き」と言ったのだろう。雅輝の秘書だから仕事をしているなんて、かなりの忠誠心だ。なかなか言えるものではない。まあその忠誠心のかけらほども、雅隆には持ってないということなのだが。
「篁さんの事が大事なんですね」
「ええ。あの人の下でなら、俺は自分の力を使ってもいいと思っていますから」
その時シュラインは、初めて冬夜が頬笑むところを見た。それはやはり太蘭にとてもよく似ていると同時に、こんな表情をすることもあるんだという気にさせる。
そんな事を話しながら、シュラインはさりげなく冬夜にこう聞いた。
「冬夜さんは、日本語以外にも何か話せるのかしら。太蘭さんから日本生まれじゃないって聞いてたから」
「そうですね。中国、及びアジア圏の言葉なら会話は」
ならネパール語なら大丈夫だろうか。
シュラインは小さな声で先ほど見た男の事を冬夜に教えることにした。何かあるわけではないが、最近篁コーポレーションの回りでは不穏なことが多いと言うし、言っておいて悪いことはないだろう。もしかして近くに仲間がいたら嫌なので、稀少言語を選ぶ為に会話のことを聞いたのだ。
『さっき、靴の裏に何か仕込んでそうな人とすれ違ったわ。何もなければいいんだけど、一応お教えしておこうと思って』
『そうですか。どのような人相だったか、思い出していただけませんか?こちらで視ますから』
どうやらネパール語で通じるらしい。見たばかりの男の特徴などを思い浮かべると、冬夜は少しだけサングラスをずらし、また元に戻した。
『……ありがとうございます。男の特徴以外は視ていないので、ご安心下さい』
『そんな事をしない人だって分かるから大丈夫よ』
太蘭の名前が「Eyes Tyrant」……邪眼という所から取ったというのは知っているが、おそらく冬夜も同じなのだろう。だが、視ようと思えば何も言わずに視られたはずだ。そこまで踏み込んでこないことは、ちゃんと分かっている。
冬夜は社内電話で何か話すと、シュラインに向かって礼をした。
「もう少しでアレが来ますので、お待ち下さい。俺はシュラインさんが見たという男を追うので、失礼させていただきます」
「何もなければいいわね。お疲れ様」
もう一度礼をして冬夜が去っていく。それからさほど経たないうちに、上下とも太い横縞の服を着た雅隆が、エレベーターからぽてぽてと駆け出してきた。手に手錠モチーフのバングルをしているところをみると、どうやら囚人服のつもりらしい。
「シュラインさーん。やっと謹慎解けたよぅ」
よほど嬉しかったのか、にぱっと笑いながらシュラインの側にやってくる。その無邪気な笑みに釣られて、シュラインも頬笑んでしまう。
「謹慎解けて良かったわね。ケーキ持ってきたんだけど、もしかしたらこれから研究所なのかしら?」
「うん。お迎えが来てるから、研究所行って菌のお世話するー」
だったら今持っているケーキは、全部雅隆に渡しても良いだろう。本当は事務所に持って行こうと思っていたのだが、また蒼月亭に寄ればいいだけの話だ。
「レモンタルトと苺のムースケーキ持ってきたから、研究所の皆で食べてちょうだい。ドクターも謹慎お疲れ様。もう抜け出して皆を心配させちゃダメよ」
「あうー、シュラインさんにも言われたー。でも、何か大変みたいだからそうするね。本当はもっとゆっくりお話ししたいけど、またメールするー」
ケーキの箱を大事そうに抱えた雅隆に、シュラインは笑いながら手を振る。今度来るメールは、いったいどんな話題なのだろうか……。
「いらっしゃいませ、蒼月亭へようこそ」
もう一度お土産を買いに蒼月亭に行くと、草間 武彦(くさま・たけひこ)がカウンターでアイスコーヒーを飲んでいた。
「あら、武彦さん」
「おう。水出しコーヒー飲みたくて、こっちまで足伸ばしてきた」
横に座って、シュラインは武彦の顔を見る。
「どう?美味しい?」
「不味かったらこんなに飲んでない。シュラインも何か頼むか?」
「ううん、零ちゃん達にお土産買って帰ろうと思って。水出しコーヒーは一足お先に頂いちゃったの」
悪戯っぽく笑ってみせると、カウンターの中にいる香里亜がケーキの箱を組み立てながらにっこり笑う。
「ケーキはさっきと同じでいいですか?今バナナシフォンもあるんですけど」
「じゃあ、それも一緒にお願い……っと、ごめんなさい。ちょっとメールだわ」
携帯を開くとそれは冬夜からのメールだった。
どうやらシュラインがすれ違った男は社内の様子などを、靴に仕込んだカメラなどで撮っていたらしい。無事捕まえたという事と、情報提供への感謝の言葉が画面に映る。
色々なことが上手く重なると、気分がいい。
今日は美味しいデザートとコーヒーも味わえたし、冬夜と話が出来て何かが起こる前に未然に防げたし、元気そうな雅隆の顔も見られた。
そして蒼月亭に戻ったら、偶然武彦と会えて……。
「コーヒー飲んだら一緒に帰りましょ。さっきレモンタルト食べたけど、すごく美味しかったから零ちゃん喜ぶと思うわ」
「そうだな。何か偶然外で会うと、いつも会ってるのに嬉しいって不思議な感じだ」
それは私も同じよ。
口には出さずにシュラインは、煙草を吸っている武彦の横顔を嬉しそうに眺めていた。
fin
◆登場人物(この物語に登場した人物の一覧)◆
【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】
0086/シュライン・エマ/女性/26歳/翻訳家&幽霊作家+草間興信所事務員
◆ライター通信◆
いつもありがとうございます、水月小織です。
蒼月亭から始まって、また蒼月亭に戻る間に色々と……というプレイングから話を書かせていただきました。NPC達がシュラインさんとメールのやりとりなどをしているので、何かあるとメールで連絡…という関係が出来ているのがいい感じです。
雅隆の謹慎話はNPCメールから繋がっています。こうやって広がっていく話を楽しんでいただけたらと思っています。
リテイク、ご意見は遠慮なく言って下さい。
またよろしくお願いします。
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