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<東京怪談・PCゲームノベル>


逆鱗

 顔を出した彼女は、にっこり微笑んだ。
「焼き立ての匂いだ」
「スフレプディングです。あと、温かいカフェオレも」
 みなもは、手に提げたバスケットを見せる。
「わあ、みなもちゃんの手作りだ。早く食べたいな」
「味は、保証出来ませんよ」
「大丈夫。みなもちゃんはお料理上手だから」
 沼から上がった彼女は、バスケットに顔を近付けて漂う匂いを嗅いでいる。それを見て、みなもの顔も綻んだ。
 可愛い半人半龍の少女に喜んでほしいと作ったものだ。この反応は嬉しい。
 バスケットに手を伸ばす龍神に、みなもは首を傾げる。
「しずくさん、今日は龍神様をお預かりしなくて良いんですか」
「ああ、今日は良いよ」
 今まではずっと、半分龍神様を預かっていた。それがどうして今日は良いのだろう。その日の気分と云うのがあるのだろうか。
 そんなみなもにはお構い無く、しずくはバスケットを受け取って腰を下ろす。特に理由も無いのだろうと思い直し、みなもも彼女の隣に座った。バスケットからスフレ型に入ったスフレプディングとスプーン、水筒とコップを取り出す。
「どうぞ」
「いただきまーす!」
 一口頬張って、しずくはとろけそうな表情を浮かべた。
「おいしい。最高!」
「ありがとうございます」
「みなもちゃん、良いお嫁さんになるよ」
「そんな」
 はにかむみなもに、しずくは力説する。
「いや、わたしがお嫁さんにしたいよ」
 そんな他愛もない会話をしながらプディングを食べ終えた頃、しずくが訊いた。
「今日は、何をお勉強しに来たの」
「あ、はい」
 流石、全てを見通す龍神様である。何も云わなくても、みなもが何をしに来たかは判っていた様だ。何から話そうかと少し考えて、みなもは口を開く。
「水には、色んなものが含まれていますよね。この間は、神気や邪気が水に溶けるのを知りました。それと同じに、魔素や霊子も水に含まれているんじゃないかと」
「魔素、霊子?」
「魔力や霊力で干渉する物質の事です。現代科学では公式に認められていませんけれど、それらが存在するのは現実です。見付かっていないのは、素粒子かそれ以下の大きさか、現状では認識出来ないから、と云うだけなんです」
 しずくは黙って話を聴いている。みなもは続けた。
「でも、全てを見通す力があれば、それを見付ける事が出来ると思うんです。認識出来れば制御も出来ます。だから、力を貸してもらえないかと」
 しずくはぽかんとみなもを見ていた。
「ええと、つまり、水に含まれる物質を認識して、それを制御出来る様になりたいん、ですけど」
「あ、ああ、そう云う事だよね。判ってるよ」
 本当に判ったのだろうか。取り繕う様にしずくは笑う。
「でも、そんな難しい言葉、良く知ってるね」
「お父さんが、そんな話をしてくれた事があるんです」
 ふうん、と相槌を打って、しずくは沼に視線を投げた。そのまま言葉を発しなくなった彼女に、みなもは怪訝な顔をする。
「あたし、何か気に障る事云いましたか」
 我に返ったしずくは、慌てて首を振った。
「違うよ。みなもちゃんは何もしてない。ただね」
 珍しく云い淀む彼女に、みなもは軽い不安を覚える。もしかして、今回のお願いは無理な事だったのだろうか。
 随分と長く沈黙が続いた後、しずくはようやく再び口を開いた。
「ただ、見えないって事には、ちゃんと意味があるんだよ。見えないのは、見る必要が無いからなの。見えない方が、良い事だってあるんだよ」
「それは判ってます。でも、あたしは出来るだけ色々な事が出来る様になりたいんです」
 みなもの強い語調に、しずくは顔を上げる。
「それで、大事な人を護りたいんだよね」
「はい」
 みなもは頷いた。それを見て、しずくは仕方無いなあと頬を緩める。
「それじゃあ、わたしの鱗をあげる」
 そう云うと、しずくはおもむろに自分の喉元に生える鱗を一枚、引き剥がした。それは二センチ程の大きさで、まるで硝子細工の様にきらきらと光り、水晶の様に透き通っていた。
 ただ、それを剥がした喉からは、赤い液体が流れ出している。
「大丈夫ですか」
「平気だよ。さあ、目を閉じて」
 云われるがまま、みなもが目を閉じると、しずくは鱗をその左瞼に置いた。皮膚に溶けて行く鱗は、目薬が瞳に行き渡るのに似ている。
「もう良いよ。目を開けて」
 恐る恐る目を開けてみた。しかし、そこに映るのは、以前と変わらない景色だ。これで、今まで見えなかったものが見える様になるのだろうか。
「慣れるのにちょっと時間がかかるかも知れないけど、これで水の見分けが付く筈だよ。ただ、しばらくは沢山水のある処に近付かないで。それから、水を見る時は左目を瞑ってね」
 みなもが頷くのを確認して、しずくも頷いて喉元を拭う。
「と云う訳で、今日はお終い。ケーキありがとう、美味しかったよ。また作って来てね」
「あ、はい。こちらこそ、ありがとうございました」
 何となく釈然としないまま、みなもは沼を後にした。
 彼女が大丈夫だと云うから気にしていなかったが、鱗を剥がす時に付いた傷からは、帰る時も血が流れ続けていた気がする。本当に大丈夫だったのだろうか。
 こんなに不安な思いをするなら、血が止まるまで沼に居れば良かった。
 足取り重く道を歩いていると、小さな川に出た。コンクリートに覆われた、水量の少ない川だ。
 小さな橋を渡りながらその流れに視線をやって、みなもは眉をひそめる。川辺に下りて水面を覗き込み、息を呑んだ。
 透明な筈の水に、様々な透き通った色の塊が見える。まるで、水に溶けた虹だ。水に浮かぶ油とは明らかに違う。しかも、必ずしも水の流れに沿って動いている訳でもない。
 水の中に指を入れると、色の群れは指に絡み付いたり反発して離れたり、生きているかの様に動いた。
 どうやら、色によって性質も決まっているらしい。それはまだ、みなもに判別の付くものではなかったが。
「もしかしてこれが、水に含まれる物質なんでしょうか」
 水が無色なのは、そこに含まれるものに色が吸収されて、目に届いていないからだ。理屈では解っていても、見える力が無ければ実感は出来なかっただろう。
 指先に戯れる色の群れを、みなもは夢中で見ていた。
 不意に、その指に負荷がかかる。
 何だろうと思う間も無い。強い力に引かれて、みなもの身体は川の中に引きずり込まれた。
 しかし、彼女は普通の人間とは違う。水を得た魚に、なる筈だった。
「ゴボッ」
 どうしてだろう。いつもならなれる人魚の姿に、変身出来ない。
 みなもは必死に水面を目指すが、色の群れがとりもちの様に四肢に絡み付いて、もがけばもがく程動きを鈍らせる。パニックになりながら、頭の片隅で思い出した。
 しばらく沢山水がある処には近付かないで。
 何が起こったのか判らないが、その言葉を忘れて水に近付いたのだから、自業自得だ。
 もう一つは、水を見る時は左目を瞑って、だった。
 今更事態を打開出来るとも思えないが、思い切って目を閉じる。すると、動きの取れなかった四肢が軽くなった。
 同時に、何か温かいものが周りを包む感触がして、そこでみなもの意識は途切れた。

「……ちゃん、みなもちゃん」
 呼びかけに目を覚ますと、目の前にはしずくが居た。
「しずく、さん」
 徐々にはっきりして行く意識の中で、みなもは心底彼女に申し訳無い気持ちになった。まともに目を合わせられないまま半身を起こすと、呟く。
「ごめんなさい。ちゃんと注意してって云ってくれたのに、守らなくて」
「良いんだよ。みなもちゃんが、無事なら」
 優しい言葉だ。その言葉に、今までどれだけ甘えて来ただろう。どれだけ、迷惑をかけて来ただろう。
 目に涙が滲むのが判った。
「ごめんなさい」
「そんなに謝らないで。でも、良かった。みなもちゃんにゲキリンをあげて。そうじゃなかったら、助けられなかった」
 矢張り、みなもを川から引き上げてくれたのは彼女だったらしい。普通なら見通すだけで干渉は出来ないのを、ゲキリンと云う特別な鱗をみなもの左目に授けたお陰で、干渉する事が出来たのだろう。
 ただ、彼女の息が、やけに乱れてはいないか。
 顔を上げると、しずくは喉元を押さえていた。鱗を剥がした時に出来たのだろう傷からは、まだ血が流れ続けている。
 みなもは、ゲキリンの意味に思い至った。
 龍の喉に逆さに生えた鱗。触れると痛みで龍が大暴れする事から、逆鱗に触れると云う故事になった。そして、それを剥がすと、龍は死んでしまう。
「どうして、あたしに逆鱗をくれたりしたんですか!」
「大丈夫だよ。逆鱗はね、四十九枚あるの。一枚位、大した事無いよ」
「でも!」
「みなもちゃんを助けるのに、思ったより力を使っちゃったからね。時間があれば、ちゃんと治るよ」
 ただ、としずくは浅く息を吐いた。
「少しの間、逢えなくなるかな。でも、心配しないでね。その鱗に見る力がある内は、わたしはちゃんと、生きてるからね」
 その姿が揺らぐ。
「しずくさんッ!」
 慌てて述べたみなもの手は、彼女を捉える事が出来なかった。
 そこは、住宅街の一角だった。
 溢れる涙を拭ったみなもは、その雫に見える色の欠片を、そっと胸に抱いた。

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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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【1252/海原・みなも/女性/13歳/中学生】

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■         ライター通信          ■
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海原・みなも様

こんばんは。毎度ご発注ありがとうございます!
少し趣旨がずれた気もしますが、いかがでしたでしょうか。
楽しんで頂けましたら幸いです。不備等あれば仰って下さいね。
では、またお逢い出来ます様祈りつつ。

やまかわくみ、拝