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<PCシチュエーションノベル(ツイン)>


円い世界


 ある日突然、笠置・優(かさぎ ゆう)の通う中学校に転向してきた伍宮・春華(いつみや はるか)は、何かが違っていた。
 何の前触れもなく現れた転校生だから、というのもある。はたまた、黒髪に赤の瞳という外観だから、というのも。しかし、それだけでは説明のつかない空気のようなものが優には感じられた。
 担任に紹介されて現れた春華は、好奇心いっぱいのクラスメイト達に向かって、にっこりと人懐っこい笑みを浮かべた。それだけで、クラスメイト達が春華に対して好意を持った事は一目瞭然だった。クラス中が、興味から歓迎へと一瞬にして変わったのだ。
「よろしくな!」
 笑顔を絶やすことなく、席に着く際に周りへ声をかける。周りもそんな春華に「おう」だとか「よろしくね」だとか、進んで声をかける。
――人懐っこい、転校生だな。
 それが、優の最初の感想だった。にこにこと笑う春華は楽しそうで、周りの好意にしっかり返していて、あっという間にクラスメイトに溶け込んでいるように見えた。
(え)
 春華から目線を外そうとした瞬間、ふと優は気付いてしまったのだ。
 それは、ほんの一瞬。相変わらず春華は笑っていたし、周りも笑っていたのだけれど。クラスメイトの輪にしっかり溶け込んでいるようだったのだけれど。
 春華は、戸惑っているような感情を抱いていた。
 優には、変わった特技がある。特技、と呼んでいいのかどうかは分からない。ただ一つはっきりしているのは、人の心の機微に敏感だという事だ。表面上どんなに笑っていたとしても、心の中で泣いていたり怒っていたりする。
 だからこそ、春華が気にかかった。
 クラスメイトと楽しそうに話をしているにも拘らず、春華の心は戸惑っている。最初は転校初日だからと思ったが、どうもそうではないと優は感じられた。
 どうしていいのか分からない、迷子のような戸惑い。人と触れ合う事が楽しそうなのに、どこかぎこちないような心の揺れ。近づこうとしているのに、その反面距離を置こうとしているようにも見える。
(おせっかい、かな)
 どくん、と心臓が撥ねる。だが、気付いてしまったのだから仕方が無い。
(おせっかいかもしれない、けど)
「伍宮さん。ええと……良ければ、学校を案内しようか?」
 恐る恐る尋ねる優に、春華はにっこりと笑って頷いた。


 学校を案内していく間、春華はずっと笑っていた。人懐っこい笑みを浮かべ、優の説明に「へぇ」だとか「うんうん」だとか、ちゃんと返事をしてくれた。だが、相変わらず距離を置こうとしている様子は常にあった。優はそれを気にしつつ、最後の案内場所へとたどり着く。
「で、ここが屋上」
 扉を開けると、ぶわ、と風が吹き抜けていった。春華は目を輝かせ、屋上へと飛び込む。
「うわ、気持ちいい!」
 見上げれば青空が広がっており、風も心地よく体を通り抜ける。春華はベランダの柵から身を乗り出し、広がる景色を見つめた。
「そんなに身を乗り出すと、危ないですよ」
「大丈夫大丈夫。俺、羽があるから」
 春華の言葉に、優はきょとんとする。思わず「え?」と聞き返すと、春華はにっと笑って返した。続いて、口元に指を当て「内緒な?」と言って。
(冗談、かな)
 優は自分の中で納得する。それと同時に、本当に羽でも生えそうだな、と。
「そういえば、この学校に来る時に自転車と歩きの人がいたけど、自転車で来てもいいのか?」
「ううん。自転車通学は、自宅がこの学校から遠い人だけです」
「何で?」
 逆に問われ、優は戸惑う。自転車通学については別に珍しい事ではない。何故駄目なのか、というのは中学校に入学する際に教えられるはずである。
 だが、春華は本心から知らないと言っているようだ。自転車通学が認められる地区と認められない地区があるというのは、春華にとっては初耳のように。
「ええと……本来、自転車通学は認められていないんです」
「あ、なるほど。家が遠かったら、毎日通うのに大変だから特別に認められているってことか」
 瞬時に納得した春華に、優は目を見開く。頭の回転が、速い。通常知っていてもおかしくない事を尋ねてくるのに、答えを知れば全てを悟る。
 春華は他にも、普通の中学生ならば知っていて当然のことを優に尋ねて来た。そのたびに優が説明すると、春華は一言で納得して的確な答えを出す。
(なんだろう)
 とくん、と優の胸が震えた。きょとんと不思議な顔をして様々な事を尋ねてくるのに、説明をしたらすぐに納得する頭の回転の速さ。
(もっと、話したい)
「あ、そうそう。俺の事は、春華、でいいからさ」
 にっと笑う春華に、気付けば優はこっくりと頷いていた。そんな優を見て、春華は嬉しそうに笑って「よろしくな、優」と手を差し出す。
「うん」
 優も春華の手を、握り返していた。


 それからというもの、優は機を見て春華に話しかけるようになった。移動教室の時だとか、休憩の時だとか。そのたびに春華は「ん?」と答えた。また、逆に春華の方から優に尋ねてくる事も多々あった。
 そうして春華と付き合ううち、優は気付いた。
 春華は、分からない事があれば分からないと素直に告げる。相手が優だけに留まらず、クラスメイトであっても教師であっても、分からない事は分からないという。答えをもらえれば、頭を動かして納得する。納得できない事は納得できるまで教わる。
 簡単なようだが、これはとても難しい事だ。まずは、自分が分からない事を自覚し、自分なりに分かるように納得できるに至る答えを整理しなくてはならないのだから。
 また、春華は好意や感謝の言葉もまっすぐに口にする。中学生と言えば、ちょうど思春期。普通ならば照れてしまい、口に出すことも態度に出すことも出来ないような言葉でさえ、春華ははっきりと口にするのだ。
 その反面、自分に好意や感謝が返ってくるのは苦手のようだ。
 先日、優と春華が話している時に、春華にお礼を言いに来たクラスメイトが居た。なんでも、大事な写真を落として困っていたら、見つかるまで一緒に探してくれたのだとか。改めてのお礼と感謝のクッキーを持ってきたその女性とに、春華は顔を赤くしながら「別に」と答えていた。隣に居た優は、悪いと思いつつもそっと笑ってしまった。
(幼いんだな)
 優は思う。決して、悪い意味ではない。幼いとはつまり、純粋だという事だ。自分の抱く感情は素直に口に出来るのに、自分に向けられた好意や感謝には照れてしまう。それでいて、ちょっとだけ嬉しそうにしている。
「どうしたんだ?」
 優はその声に、はっとして前を見る。気付けば、考えていた対象である春華が立っていた。
「いや、別に」
 春華の事を考えていただなんて言えるはずもなく、優は答える。春華は「ふーん」とだけ答え、にやりと笑う。
「なぁ、優。甘いもんが欲しくない?」
「甘いもの?」
「はい、口開けて。あーん」
 訳も分からず、優は春華に言われるがままに口を開ける。すると、ひょい、と何かが口の中に入ってきた。ころころと転がる甘い玉、飴だ。甘酸っぱい梅の飴。
「どうしたの? これ」
 優が尋ねると、春華の後ろから「こら、伍宮」と声がかかる。担任の教師だ。
「お前、勝手に飴を取って行っただろう?」
「え、ええ?」
「やべ、ばれた!」
 春華はそういうと、何が起こったのか分からない優の手をとり、走り出した。後ろでは「こらー」という声が聞こえる。
「この飴、先生から取ってきたの?」
「たまたま職員室にあったら、置いてあったから」
 春華はそう言い、悪戯っぽく笑う。優は思わず肩をすくめる。
「そういうことをしたら、神様に怒られちゃうよ?」
「神様だって、甘いものを摂取したくてたまらない行動には大目に見てくれるって」
 きっぱりと言い放つ春華の言葉に、優は、ころ、と口の中で飴を転がす。甘酸っぱい梅の香りが、鼻へと抜けてくる。
 ふと怒っていた教師の方を振り返ると、教師が笑っているのに気付いた。逃げる春華と優を見るクラスメイト達も笑っている。一緒に逃げる優の姿に、ちょっとだけ驚いてはいるようだが。
(……大目に見てくれるかも)
 優は思う。人のものを勝手に盗る事は悪い事だ。置いてあったから、欲しくなったからと言って許されるものではない。
 だけど、盗られた被害者である教師は笑っている。回りのクラスメイト達だって、笑っている。
 何より、春華が楽しそうにしていた。口の中の甘酸っぱい梅の飴も美味しい。
「あーそれにしてもうまいな、この飴」
 飴を食べながら笑う春華に、優は「うん」と答える。
「美味しいね、飴」
 優の言葉に、春華は嬉しそうに「だろ?」と笑った。誇らしそうに、それでもって満開の笑顔で。


 飴泥棒事件以来、優と春華はクラスメイトにすっかり溶け込んでいた。転校生であった春華はもちろんの事、優しいけれど真面目すぎた為にちょっと浮いた存在であった優も。
 真面目だと思っていた笠置も、悪戯に加担することもあるんだな、というのがクラスメイトの感想であった。
「僕、春華が転校してきてくれてよかったな」
 屋上で紙パックのジュースを飲みながら、優が言った。春華も同じくジュースを飲んでいたが、ぶっと思わず噴出しそうになる。
「なっ……いきなりなんだよ? 優」
 相変わらず、人からの感謝には苦手なようだ。優は笑いながら、言葉を続ける。
「春華がいてくれて、僕は少しだけ変われた気がする」
 優の言葉を聞いたが、今度は噴出さなかった。変わりに「うん」と頷く。
「俺も、良かった。この学校に入って、良かった」
 春華はそう言い、ぐいっとジュースを飲み干す。
 二人が飲んでいるのは、担任と紙飛行機を飛ばす飛距離の勝負をして、勝ち取った勝利のジュースだ。春華の発案で勝負を持ちかけ、優が担任を説得して、担任の作った紙飛行機と飛距離を競ったのだ。クラス全員で紙飛行機を作り、一人でも担任に勝ったら全員にジュースをおごる。春華と優の口車に乗せられた担任は、結局この勝負を受けてしまった訳で。
「脅してまで入って、本当に良かった!」
「うん……って、ええ?」
 突然出てきた言葉に、思わず優は聞き返す。春華は紙パックを潰しながら、にっと笑う。
 優はまだ知らない。春華がこうして誰かと関わったのは、初めてだという事を。平安の頃、自分以外の物の怪と出会う事が無かったという事を。
 だから、最初は戸惑っていた。好奇心の赴くままに保護者を脅して学校に入ったものの、現代社会にも人付き合いにも慣れていなかったから。
 だけど、優はそれに気付いて優しく接してくれた。詳しく事情を話したりはしてないけれど、優は春華の戸惑いを感じ取ってくれたのだ。
「勝利のジュースは、最後までうまいな」
 ずずず、と最後に残っていた水滴を吸いながら、春華は言う。優は「うん」と答えながらも笑った。
 既に、優はクラスの浮いた存在ではなく、春華にあった微妙な距離感はもうない。
 二人のいる屋上に、びゅう、と心地よい風が駆け抜けていった。


<二人は円い輪の中に入り・了>