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<東京怪談ノベル(シングル)>


オス! 影中道場その五


 妙に機嫌が良い黒・冥月に、疑問と恐怖を覚えながら、小太郎はいつものように影の中にある道場にやってきた。
 軽く準備体操を終えたあと、冥月が小太郎に向かって言う。
「さて、組み手から行くか。手加減はいらんぞ」
「手加減っつーか……俺、右手壊れてるんだけど」
 ギプスで固められた腕ではどうにも組み手なんて出来そうにも無さそうだが……
「あ? 怪我? それがどうした。甘えるんじゃない。その怪我は自業自得、修行をサボる理由にはならん」
「サボるっつーか、普通、こういう時には気ぃ聞かせて修行とかしないモンじゃね?」
「甘えるなと言ってるだろう。大体、そんな事言って六ヶ月も何もしないつもりか? そんな事で大事な人を守る、とか抜かすのか?」
「……っぐ」
 確かに、修行を怠ればその分身体が鈍る。そうなると、小太郎の目標も達成できはしまい。
 小太郎は自分の右手をじっと睨みつけ、しばらく黙った後、一つ頷く。
「わ、わかった。やってみる」
「それで良い。戦闘中に右腕が使えなくなったらどう動くか、あまりシミュレートする機会もないからな。これはチャンスだぞ」
「俺もそこまでポジティブな発想が出来ればいいんだがね」
 今の所、これをチャンスとは思えない。寧ろ、師匠に虐げられる僕、というタイトルで原稿用紙二枚ぐらいは埋められそうだ。
「まぁ、いつまでもグダグダと言い訳をつけてサボろうものなら、興信所から追い出すつもりだったがな」
 小太郎はそんな冥月の呟きを聞かない振りする事にした。

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 さて、そんなわけで向かい合う冥月と小太郎。
 しばらく睨みあっていたのだが、いつものように小太郎からしかける事は、どうやら無さそうである。
 ただでさえ冥月に及ばぬ技量、それに加えて右手が使えない枷もかけられては、守りに徹するのが良作、と考えたのか。
 いや、もしかしたらただ単に、前回の事件で『戦う事』に対し、無意識の内に抵抗が出来てるのかもしれない。
 どっちにしろ、猪突猛進の小僧には似合わない行動である。
 このまま黙っていても埒が明かないので、冥月はちょっとつついてみる事にした。

 微妙に開いていた二人の間を、ジリジリと詰める。
 小太郎も向かってくる冥月に対し、後退して距離を保とうとはしていない。どうやら戦意が衰えているわけではないらしい。
 冥月の間合いに入った途端、その左拳が小太郎の顔面目掛けて飛ぶ。
 軽いジャブ。距離と調子を量るための一撃だったが、それは軽く小太郎の左手に弾かれた。
 小太郎は冥月の拳を外へ弾くと、すぐに右足で足元を狙って蹴りを繰り出す。
 冥月はそれを軽く退いて躱し、続いて小太郎が放ったミドルキックを更に引いて躱す。
 いつもならこの後も、小太郎は身軽さを生かして跳ね回りながら蹴り中心に連撃を組んで来るのだが、今日はその場で足を止め、また防御体勢を取る。
 少し慎重すぎるところが無いでもないが、とりあえず戦う事自体にトラウマを持ったわけでは無さそうだ。
 ……というか、この小僧がそこまで繊細な思考はしていまい。
 冥月は一つため息をついて、再び仕掛ける。

 足元を狙うのは悪い。小太郎の足をフットワークに集中させて封じてしまえば、相手の攻撃手段は左腕のみ。
 となれば、一応庇っているつもりらしい、小太郎の右腕がクセで出てしまうかもしれない。
 だが、あまり上半身に攻撃を集中しても、今度は防御に右腕が出てくるかもしれない。
 配分は少し考えなければならないだろうか。
 まずはまたジャブから。
 先程のように弾かれはしたが、今度は小太郎に反撃のタイミングをやらず、重ねて右拳を突き出す。
 慌てた小太郎の右腕が少し動いたが、どうやら痛みを感じたのか、一瞬顔をゆがめた小太郎はすぐに回避に移った。
 バックステップを踏んだ小太郎。それを逃がさないように冥月も追いかけるように前へ出る。
 そして左手を開いて首をつかもうと手を伸ばすと、小太郎はそれを防ぐために冥月の左手首をつかんだ。
 次の瞬間に、小太郎は右手で反撃を企てたようだが、当然、痛みによってそれも失敗に終わる。
 諦めた小太郎はすぐに冥月の手を放し、足を使って距離を取った。
 やはり、今まで使っていたものが突然使えなくなると戸惑うだろう。
 目の時もかなり不便さ、というか恐怖を覚えていたようだし、これは仕方ないか。

 空けられた距離を、すぐに詰める。
 右手の使えない小太郎に、今回は攻撃よりも足を使った回避の向上させたほうが良いだろう。
 防御が追いつかないように攻めれば、どうやら緊急回避に逃げるようなので、そこを利用すればあのベタ足を床から離すことも出来るはずだ。
 守りがおろそかな小僧には、もう少し防御を鍛えてやった方が良いとはいつも思っていたこと。
 足を生かすのもそれなりに覚えている小太郎なら防御を固めさせるよりも、回避を考えさせた方がいいかもしれない。
 軽く足元を狙ってローキック。小太郎は躱すために足を引いた。
 その足が床に着く前に、裏蹴りで腹部を狙う。慌てた小太郎はそのままバックステップに移る。
 こういう咄嗟の反応はいつもどおりだ。バランスも目に見えて崩れてはいない。
 更に追い討ちをかけるように、冥月は裏蹴りの足を床につけて一歩踏み出して右パンチ。
 それは小太郎の左腕に弾かれてしまった。だがそこで攻撃の手は止めず、弾かれた反動を生かして左ローキック。
 それを躱されたのを見て、そのまま身体を回転させ、右裏拳。
 これは小太郎としては右腕で防ぎたい所だろうが、それも出来ないだろう。
 代わりに小太郎は上半身をそらして裏拳をやり過ごした。
 そしてそのすぐ後、そのまま上半身を後ろに倒して床に左手を着いてバック転する。
 回避と同時に反撃で蹴りを狙っているのだろう。だが、冥月はそれを易々と躱し、体勢を立て直した小太郎にすぐに襲い掛かる。
 左ジャブ、右ロー。上下に打ち分けられた攻撃を、小太郎は何とか回避する。
 しかし、その後に待っていた、顔面を狙った右パンチは躱しきれなかったらしく、ほぼクリーンヒットした。
「がっ!」
「おっと」
 当てるつもりは無かったが、良い感じに入ってしまった。
 少しテンポを速めすぎたか。

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「いてて……」
 顔を抑えながら小太郎が起き上がる。
 鼻は赤くなっているが、別に折れてるわけでもなし、鼻血が出てるわけでもなし、まぁ大丈夫だろう。
「少し休憩するか。右腕を庇いながらというのも疲れるだろう」
「……お、オス」
 小太郎は冥月を怪訝そうな瞳で見上げながら頷いた。
「……なんだ、その顔は?」
「いや、……俺はてっきり、こないだの事を怒られて、もっとボコボコにされるのかと思ってた」
 こないだの事、というのはやはり、符の回収から始まった一連の事件の事だろう。
 あの時の失態を自分でも理解している小太郎は、今回の特訓でこってり絞られると思っていたらしい。
「それは我らが所長様の小言を十分聞かされたようだしな。アレで勘弁してやる。それに、自分でやってしまった事の重さもわかってるんだろう?」
「……わかってるつもりだ」
「なら良い。今後はそんな風に後悔しないよう、今より精進することだな」
「オス」
 頷いた小太郎の隣に、冥月も腰を下ろす。
「稽古の間は嫌なことを忘れられたか?」
「……忘れちゃいけないんだろうけどな。しっかり戒めとして覚えておかないと、いつか同じことを繰り返しちまうかもしれない。……でも、やっぱり身体を動かしてるとそれだけに集中できるよ」
「そうか。……まぁ、あまり考え込むのはお前らしくないからな」
 小太郎もそれがわかっているらしく、自嘲気味に少し笑った。
 そんな小僧らしくない顔をされるとなんとも調子が狂う。
 冥月は一つため息をついて静かに語り始めた。
「私は……アイツを泣かすなとは言わん」
 アイツ、というのはおそらく、前回の事件でボロ泣きしたあの少女のことだろう。小太郎もすぐに理解する。
「あれは彼女の問題だ。お前が抱え込んでもどうにもなるまい。だが、泣いてしまった理由は覚えておけ」
「……ああ、わかった」
 小太郎が少し難しい顔をし始めた。どうやら泣いた理由がはっきりとわかってない、とかそういう理由だろう。
 そういうところはいつも通りだが……それがわかってないのだとしたら今まで何を悩んでいたというのだろう、この小僧。
「泣いた理由ってのは……知らないヤツに連れてかれて怖かったから、か」
「まぁ、無いとも言いきれんが、大部分はそこじゃないだろう、アホめ」
 いつも通りのアホっぷりに冥月もため息をつくしかなかった。
 あまりシリアスな空気でもない。最近、例の彼女にも話した事は、ちょっとぼかして話すことにしよう。
「私は、愛する者を殺されて、身を滅ぼしかけたヤツを知っている。お前にはそんな風にはなってほしくないし、あの娘にもなって欲しくない」
「……それと俺がどう関係あるんだ?」
「ああ……お前にはまだ早すぎた話だったかもな」
 もう話すのも疲れ、冥月は自分から離すのを諦めた。
「前から気になっていたんだが、お前、良く『人のためになりたい』とか『人を助けたい』みたいなことを言ってるが、何故それにこだわるんだ? きっかけはなんだ」
 冥月に尋ねられ、小太郎は目をそらす。
「話さなきゃダメかよ?」
「その内容によっては今後、お前の師匠を続けるかどうか、考える事になる。今のままのお前では、強くなったとしても自分を傷つけるだけだ。心の鍛錬が出来てないようでは周囲にも迷惑をかける」
「……なんだよそれ」
 そう言って小太郎は黙ってしまった。
 どうやら話し難いことなのだろう。だが気になるものは気になる。話してくれないものか、冥月は少し待つことにした。
 しばらくして小太郎が口を開く。
「別に、大した事じゃない。俺の恩人、尊敬する人がそんな生き方をしてたってだけだよ」
 かなりぼやかした上に少し嘘が混じっているようだった。小太郎の言葉に切れが無い。
 嘘をつくと大部分が表面に出て来る小僧だ。そんな嘘を見切るのも楽である。
 だが、どうやら話したくない事らしい。これ以上聞き出すのは良くないだろうか。
 冥月も小太郎に話していない事は多々ある。弟子に隠し事されるのは多少癪に障るが、これ以上聞くのはやめよう。
「……そうか。良し、そろそろ休憩も終わりだ。訓練に移るぞ」
「お、オス」
 小太郎は気持ちを切り替えて立ち上がる。冥月も小太郎の頭をグシャグシャ掻き回して少し距離を取って向かい合う。
「今度は顔面に食らうような無様なことはするなよ」
「わかってるよ! お、お願いします!」
 小太郎の礼を合図に、訓練が再開された。