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<東京怪談ノベル(シングル)>


過去の日と明日の希望

 病院のロビー。事件が一段落ついたのだが、聞こえてくるユリの泣き声は止まりそうになかった。
 黒・冥月はそんな痛々しい少女の姿を遠巻きに眺め、ため息を一つついてユリに近づいた。
「ユリ。いつまで泣いてるんだ」
「……冥月さん……。ほっといてください」
 チラリと顔を上げたユリは、とても酷い顔をしていた。
 目は赤くはれ、涙で濡れた顔はグシャグシャだった。
 だがそんな様子でもしっかりと返答できるようだ。震えた声ながら、しっかりと拒否を示していた。
「酷い顔してるぞ。顔を洗って来たらどうだ」
「……ほっといてください」
「ちょっと外へ出よう。消毒液臭い空気ばっかり吸ってると、気分も落ち込む」
「……ほっといてください!」
 少し語気を強めた拒否。どうやら妙に頑なになっているようだ。
 冥月は多少強引ながら、ユリの腕をつかんで洗面所に連れて行くことにした。
「……あっ! ちょっと、冥月さん! やめてください!」
「うるさい。ここは私の言う事を聞け」
 グイグイ引っ張って洗面所の鏡にユリの顔を映してやった。
 その顔を見て、ユリは『うっ』と口篭っていた。どうやら自分でも酷いと思ったようだ。
「そんな顔じゃ、小僧にも嫌われるぞ」
「……っひ」
 小僧という言葉に、ユリは小さく悲鳴のような声を漏らした。
 肩を震わせ、怯えた表情が鏡に写った。……今回の件はユリの心に傷を残したようだ。
「大丈夫か、ユリ?」
「……は、はい。大丈夫です……」
 そう答えるユリに声にも、先程よりも震えが感じられる。
 これは相当重症のようだ。
 ユリは誤魔化すようにザブザブと顔に水をかけた。また少し、泣いたのかもしれない。
「さぁ、顔を洗い終わったら外に出よう。外の空気を吸えば、気分も変わるだろう」
「……はい」
 冥月の誘いに静かに答えたユリは、その足取りにも生気を感じられなかった。

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 冥月が連れて来たのはケーキ屋。テイクアウトだけでなく、ここで食べる事もできる。
「浮かない気分の時は甘いモノと相場が決まってる。高級品だし、美味いぞ」
「……はぁ、そうですか」
 気の無い返事を返すユリだが、黙って席に座る辺り、そこそこ乗り気なようだ。
 冥月はショーケースから適当にケーキを注文し、それをトレイに載せてユリの正面に座った。
「どれでも好きなのを食べるといい。ここは私のおごりだ」
「……はい。ありがとうございます」
 ユリはたくさんあるケーキの中から、シンプルなイチゴのショートケーキを取り、自分の前に置いた。
 フォークをフラフラさせ、乗っかってるイチゴから食べようか、それともスポンジから食べようか、迷っているようだった。
「迷い箸……って言うか、迷いフォーク。行儀が悪いぞ」
「……あ、はい」
 冥月に言われて、ユリはイチゴを突き刺し、それを口に持っていくが……どうにも口の中に入れることは出来なかったようで、イチゴを貫いたフォークを皿に置いた。
「どうした? 食べないのか?」
「……すみません。そんな気分じゃなくて」
 冥月は手近にあったチーズケーキを手元に寄せ、フォークで一欠け取ってそれを指揮棒のように宙に躍らせた。
「……ヤツの暴走を聞いたとき、昔の私の事を思い出したよ」
 静かに話し始めた冥月に、ユリは俯かせていた視線を向けた。
 ユリが興味を持ったのを見て、冥月はチーズケーキを口に運ばないまま話を続ける。
「私は昔、ある組織にいてな。彼とはそこで出会った」
 彼、と言う言葉が指すのが、冥月の恋人である事を、ユリはすぐに察した。
 以前、そんな話を聞いた覚えがあったからだ。
「異能のない彼は私より弱かったんだが……あの人の前では、私は素の自分、女である自分でいられた」
 冥月は無意識の内に顔を歪ませ、空いている左手を首から下がるロケットに伸ばしていた。
 グニャリ、とフォークが曲がる。
「その時やっていた仕事が、また汚いものでな。その仕事が嫌になった私と彼は、正式な手順を踏んで組織から抜け出す事にしたんだ」
「……正式な手順?」
「食事中にはそぐわない話だ。裏社会から逃げようとすると、当然『ケジメ』ってのが必要になるんだよ」
 指を詰めるとか爪剥ぎはまぁ、有名な方だろうか。冥月の場合はもっと別の方法だったが。
「……ちゃんと抜けられたんですか?」
「ああ、最初はそう思っていた。組織も義理は果たす連中だと思っていたよ」
 冥月は自嘲気味に笑う。だが、次に瞼を開けたとき、その瞳の奥には恐ろしく深い影が存在しているの気付き、ユリは息を呑んだ。
「私より弱いとは言え、そこそこ腕が立つ彼と、汎用性の高い能力を持った私を野放しにしておくのは、心許なかったんだろうさ。組織はすぐに裏切り、私たちに銃を向けた。最初に撃たれたのは彼だった」
 身体を貫く銃弾を、その過去の映像を、今冥月は脳裏に描いただろうか?
 穏やかだったケーキ屋の甘い空気が、一瞬にして凍る。ユリはザワリ、と背筋に虫が走ったような幻覚を感じた。
 だが、そんな張り詰めた空気は一瞬で取り払われた。改めて見た冥月は悲しそうな顔をしていた。
「その時の事はあまり覚えていないんだが、気がつくとその場にいた連中を一人残らず殺していた。奴らの血が彼にかかるのが嫌だったから、全部影に閉じ込めてから殺した。簡単だったよ。本当に赤ん坊の腕を捻るようにな」
 冥月は初めてチーズケーキを口に運んだ。咀嚼してみても味は感じられなかった。
「跡に残ったのは虚無と絶望だけ。全く、あの時ほど自分のしていた行為の意味を感じられなかった事はない」
 視界に捕らえたユリが、少し怯えたような表情を見せているのに気付き、冥月はふと笑って見せた。
「スマンな。脅かすつもりじゃなかったんだが……」
「……あ、いえ……」
「……小僧の暴走も、もしかしたらその時の私に近いのかもしれない。あの衝動は頑なな信念から来る物だろう。だが、あまりそれにしがみつきすぎると心が食われる。アイツが生き方を変えない限り、またあるだろうな」
 その言葉を聞いて、ユリはまた俯いてしまった。
 また、あんな怖い思いをするとなると、やはり怯えずにはいられないだろう。
「だがな、ユリ。それでも泣くな。怖がるな。アイツの事を否定せず、信じて傍に居てやれ。いつものように話しかけ、笑いかけてやればいい」
「……そんな簡単なものでしょうか」
「それだけじゃない。アイツに心配されないように強くなれ。そして、危なっかしいアイツを支えてやれ。それが出来てこそ『イイ女』ってヤツだ」
「……イイ女、ですか?」
「そうだよ。……あれだけ怖い思いをしても、アイツの事が好きなんだろ?」
 その問いかけには、ユリは答えず、赤い顔を俯かせるだけだった。
 少女らしい反応に冥月は微笑み、曲がったフォークを元に戻して、チーズケーキを突き刺した。
「だったら、お前が惚れてるだけじゃなく、アイツにも惚れさせろ! そうするにはイイ女になればいい。口で言うのは簡単だが、そう易々とできるものでもないがな」
「……が、ガンバリマス」
「それで良い。まぁ、その未来も遠からず訪れそうだがな」
 チーズケーキを一口で頬張った冥月に、ユリは首をかしげて疑問を含んだ視線を向けた。
 ケーキを飲み込んだあと、冥月はニヤリと笑って言ってやる。
「アイツが暴走したのだって、お前がとびきり大切だったからだろうって事だ」
「……はい」
 最後の言葉に、やっと普段の笑顔を取り戻したユリは、イチゴを口の中へ放った。