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奏でられた涙
「オルゴールに泣かされるんです。助けてください!」
そう言って草間興信所に駆け込んできたのは、佐々木という大学生の男だった。
木で出来た小箱形のオルゴールを持ち、必死に頼み込むその目は赤く腫れぼったくなっている。
――話を聞いてみると、こうだ。
恋人から貰ったオルゴールの蓋を開くと、音楽が流れ出す。
そこまではなんら普通のそれと変わらないが、やがて何故か哀しくなって涙が止まらなくなってしまうのだという。
さすがに気味が悪くなって恋人に内緒で手放してみたが――なぜか手元に戻ってきてしまう上に、そんなつもりはないのに一日一度は蓋を開けずにはいられなくなってしまった。
しかも最近は蓋の内側にある鏡に見覚えのない女の姿が映る様になり、『一緒に来てほしい』と声が聴こえて――
「全くわけがわからないんです!」
叫ぶように告げる男の必死な形相に、所長は――草間武彦は、腹の底から溜息をついた。あのなぁ、と呆れたような声が出てしまうのは、もう仕方がない。
『怪奇ノ類 禁止!!』
そんな張り紙の存在さえ懐かしく思えてしまうほど、いい加減こういう依頼が多すぎる。
「そんなの、俺にだってわけがわからんよ。
大体……うちが何やってるかぐらいは確認してきたんだろう?
ここはれっきとした興信所で、俺は単なる探偵で……」
「知ってます、草間さんって怪奇探偵なんでしょ!? お願いです、なんとかしてください!
恋人も、自分のせいじゃないかって思いつめてるみたいで……。やってくれるまで……蓋を開け続けますから!!」
嫌そうな顔に「跳ねつけられては堪らない!」と思ったのだろう。佐々木は、言うが早いかオルゴールの蓋を開いた。
当然のごとく、柔らかく美しい旋律が事務所を満たしていき、そして――
◇
嫌味ですか、草間さん……。
いくら感情が表に出ないからと言って、まったく無いわけではない。
草間から呼び出しを食らった直後、内心そう呟いたのは他でもない、楷巽、その人だった。
オルゴールを何とかしてほしいとか、とにかくシュラインは調査に出てて、とか。
かなり端的に情報を聞かされた後、トドメは「無表情なおまえならなんとかできる!」ときたものだ。
大体『蓋を開けると涙が出るオルゴール』だなんて……負の感情が詰まってる以外に何が考えられるというのだ。それに対抗するのに無表情が良いという話は、いくら精神科医の卵だとしても聞いたこともないものだった。
とはいえ、草間が自分を呼び出すのなら、それなりの理由があるかもしれない――と。腰を上げたのが、三十分程前。
楷は、草間興信所の扉をゆっくりと開いた。
部屋の中を覗くと、男が二人、オルゴールをはさんで向かい合わせに座っていた。一人がこちらに気付き、
「楷。良かった、来てくれたか」
そう、声をかけながら近寄ってくる。
「良かったもなにも、呼び出したのはあなたじゃないですか。草間さん」
「そりゃそうだが……」
ははは、と苦笑いを零す自称ハードボイルドの男に向かって小さく呆れた息を吐く。むろん、それこそ草間の言うように『無表情』なわけだから、呆れていると気付かれはしなかったかもしれないが。
ふとソファに視線を向けると、そこに座るもう一人の男がペコリと一度頭を下げた。
「……彼が?」
電話口で言っていた男だろうと、楷は小さく苦笑いを零していた草間に尋ねる。ああ、と彼が頷いた。
「凄い威力だ、あのオルゴール」
「草間さんも泣いたんですか?」
「……」
「……」
「……さて、そろそろシュラインが帰ってくる頃かな」
強引に話を変える草間に、やはりそうなのかとほんの少しだけ目を細める。
別に彼を馬鹿にしたいわけではなかった。
ただ、どれほどの威力なのか知りたかっただけだ。
――周りを巻き込むほどの、負の感情。
もうこの時点で、大体察しはついている。
男――佐々木という、この男に、覚えがあろうとなかろうと、多分。
多分、オルゴールの女性は、自分のことを知ってほしいのだろう。
悲しみを、分かってほしいのだろう。
彼の恋人――三波、というらしい――がどういう経緯で、このオルゴールを佐々木に贈ったのかは分からない。その辺りは、調査結果を聞くとして――。
「……とにかく、その女性と話してみなければならないでしょうね」
オルゴールの女性と。
楷の言葉に、草間があからさまに嫌そうな顔を見せた。
話してみるということは、つまり、オルゴールの蓋を開けるということだ。
また泣くハメになるのか――と。草間の寄せられた眉が、言わずともそう語っていた。
◇
オルゴールを前に男三人で話をしていると、どれくらい経ったのか、やがて事務所の扉が開いた。
視線の先に、エマ――シュライン・エマが立ち、調査から帰ってきたのだと分かる。
軽い挨拶の後、調査結果はすぐに報告された。
佐々木が以前文化祭で、このオルゴールを、ある女性に売ったのだということ。
その『女性』が三波の友人だということ。
――問題は、その友人である彼女がその後どうなったか、だった。
「……三波さんのお友達ね。一年前に事故で亡くなったの。
そのオルゴール、ずっと大事にしてて……だから、三波さん。せめて佐々木さんに持っていてほしかったって。泣いてたわ」
エマの言葉に、佐々木はただ困惑しているように見えた。
だから楷は、彼がその『友人』のことをまったく覚えていないのだろうとすぐに気がついた。
その友人がどれほど佐々木を想っていても、彼にとっては取るに足らない出来事だったに違いない。
覚えていないのだ、彼はきっと。
以前、その三波の友人に告白され、断ったことを。
知らないのだ、彼はきっと。
彼から買ったオルゴールだから、大事にしていたのだということを。
「――好きだったのよ。好きで、仕方なかった。
だから、佐々木さんの手から買ったオルゴールを大事にしていた。
……三波さんは、その友人が亡くなった後に付き合うことになって……随分、悩んだんだそうよ。
結果、彼女の形見として持っていたオルゴールを渡すことで――せめて、その友人の想いを少しでも叶えてあげられたらと思ったみたいね」
そうだとしたら、エマの言葉通りなのだとしたら。
この視線の先にある、オルゴールに囚われた女性は、一体どれほどの悲しみの中にいるのだろう。
一緒に来てほしいとか、そんなことが問題じゃないはずだ。
ただ――。
ただ、彼女は――。
「開けてみましょう」
調査結果に大よその事情を悟った楷は、淡々と告げる。
草間の隣に腰を下ろしていたエマが頷いてから、楷はゆっくりとオルゴールの蓋を開いた。
美しく、どこか哀しい旋律が、事務所の中を満たしていく。
――哀しい。悔しい。切ない。
負の感情がその場にいる全ての人間を取り込む。
涙が、零れる。
哀しいという感情は、こんなにも胸を締め付けるものだったのだろうか。
感情を失ったほうが幸せだったのか、それともこんなに辛い感情でも取り戻したほうが幸せだったのか。
どちらが正しいのかは分からない。
けれど、これで痛みが分かるというのなら――他の誰かと、共有できるものがあるのなら、悲しみだって知っておいたほうがいいと今は思う。
やがて、ぼんやりと鏡に映る女性が小さく口を開いた。『一緒に、来てほしいの』と囁く女性に、楷はゆるく首を振る。
頬を滑り落ちる涙は止まることを知らなかったが、けれどそれがこの女性の想いなのだと感じれば、それさえも受け入れられるような気がした。
なぜなら、
「残念ながら、佐々木さんはまだ現世の方ですから……貴女の元へ行くわけにはいかないのですよ」
――なぜなら、彼女の気持が、僅かでも分かるからだ。
ただ、彼女は――。
覚えていてほしい、だけだ。
「佐々木さん」
ぽつりと彼の耳元で囁くと、男が驚いたように目を瞬かせる。そうして、オルゴールに視線を向けた。
口を、開く。
「……覚えてるよ、ちゃんと」
佐々木の声が、音色の間を縫うように、静かに響く。
「覚えてるよ、君の事。
あの日、バザーで買ってくれたよね。俺のこと、好きだって言ってくれた。
――覚えてるよ、ちゃんと。悲しまなくても……俺は、君のことを覚えてる」
結局、彼がそう告げることでしかオルゴールの女性は救われないのだと。
楷も――そうして女性であるエマも。
声にせずとも、分かっていたに違いなかった。
◇
悲しみの音色は、佐々木の声に満足したのか、いつしか心穏やかな美しい旋律へと変わっていた。
佐々木は事態の終息に僅かばかり戸惑ったような顔をしていたが、それでもオルゴールを大事に手にし、これから三波に逢いにいくと事務所を後にした。
それを追うように楷も足を踏み出したところで、見送りにと草間が近寄ってきたから、彼はほんの少しだけ目を細めた。
「……草間さん、分かってたんじゃないですか?」
エマのいないところで、静かに問う。
「何がだ?」
「こうなることですよ。……彼の記憶や……生活に関することじゃないかって」
無表情だからといってどうにかなるような話じゃなかったのは、草間が一番分かっているはずだった。
それでもそう言って自分を呼び出したということは――漠然と、負の感情を読み取るのに長けた人間が必要だと思ったのかもしれない。
草間がどれだけ自分のことを知っているのかなど分からないが、それでも彼だって探偵の端くれだ。
人の機微にまったく疎いというわけでもないだろう。
誤魔化すように「さて、どうだかな」と笑う草間に、楷は、もうそれ以上何も言わなかった。
ぱたんと閉まる扉を一瞥し、興信所を後にした。
「良かったんでしょうか」
途中まで、と一緒に歩いていた佐々木が、道が分かれるだろうというところで静かに口にした。楷は、緩やかに顔を上げる。
「……嘘をついたことが、ですか?」
「俺は、何も覚えちゃいなかった。
彼女のことなんて、何も。今も、思い出してない」
オルゴールの彼女に佐々木が告げた言葉は、嘘だ。エマの調査結果をなぞらえて、咄嗟に彼がついた嘘だった。
そうするように告げたのは、楷だったけれど。
「佐々木さん。記憶、というのは厄介です」
穏やかに流れる風に髪を押さえながら、楷はゆっくりと口を開く。
「忘れたくないことは忘れるし、忘れたいことは忘れられない。
特に後者は、それが自分の人生に衝撃を与えたものならば、より強くその傾向にあります」
そう告げながら楷の脳裏を過ぎるのは、佐々木でもオルゴールの彼女でもなく、他の誰でもない、自分のことだった。
チラリと目の裏に移った光景を誤魔化すように緩く首を振り、乱れた髪を軽く後ろへと掻き上げる。
そうして、しっかりと佐々木へと視線を返した。
「……彼女はただ、貴方に覚えていてほしかっただけです。
死してもなお忘れられない想いを、ほんの少しでもいいから覚えていてほしかった。
――覚えていないと正直に言っても、あの場ではどうにもなりません。同じことが続くだけです」
不意に視線を足元に落とした佐々木に、つられる様に自分もそうすると、夕暮れ時の光が二人分の長い影を作っている。
「彼女の願いを叶えて満たしてあげることが、あの場合は最善の策でした。
俺で出来ることならば代わりに叶えてあげたかった。でも、彼女の願いはそうじゃない。
……他の誰でもない、貴方の一言が必要だったんです」
長く伸びた影を見ながら楷はゆっくりと声にした。
やがて佐々木の影が去り、一人分の影だけが、しばらくの間、何をするでもなくそこに残っていた。
「……記憶なんてものは、本当に、厄介で仕方ない」
だから、そう呟いた楷の言葉は――ただ彼の影だけが、知っていることだった。
- 了 -
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■ 登場人物(この物語に登場した人物の一覧) ■
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【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】
0086 / シュライン・エマ / 女 / 26 / 翻訳家&幽霊作家+草間興信所事務員
2793 / 楷・巽 / 男 / 27 / 精神科研修医
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■ ライター通信 ■
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楷・巽さま、ご参加いただき有難うございました。
執筆がすっかり遅くなってしまい、なおかつプレイングをなかなか反映できていないなど、本当に申し訳ない事だらけなのですが……!
シナリオは楽しんでいただけましたでしょうか。
頂きましたプレイングの調査部分を、シナリオ内容からシュラインさまにお任せするという形を取りましたので、負の感情に対しての姿勢とその後のフォローの部分を、楷さまにはお願いすることにいたしました。
記憶に関しての部分等、設定をほんの少しでも絡めることが出来たらと思いながら執筆いたしましたが、いかがでしょうか。
ちなみに今回のシナリオは、視点を変えての納品となっておりますので、興味がありましたら別の角度から見たオルゴール事件? も読んでいただければ幸いです。
今後もOMCにてのろのろペースですが活動していこうと思っております。
またご縁がありましたら、よろしくお願いいたします。
それでは、この度は本当に有難うございました!
了英聡
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