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<東京怪談ノベル(シングル)>


シュプレヒコールに耳を塞いで

 自分はどこに向かって歩いているのだろう。
 月も星も見えない中、菊坂 静(きっさか・しずか)はどこへ行くでもなく、ただ街の中を一人でふらふらと彷徨っていた。少し蒸し暑く、雨の匂いがするが、今日はやけに静かな夜。
 雑踏の中、すれ違い様に肩がぶつかっても、静は顔を上げない。一言も声を出さない。
「………」
 声を出すと、何かが壊れてしまうような気がした。自分の中に抱えているもの、不安に思っていること……それが一気に潰れてしまいそうで、喉の奥に塊が詰まってしまったように息苦しい。
 早く、あの場所に行かなくちゃ。
 そのつもりで静は家を出た。最後に時計を見たのは夕方ぐらいだった。初夏の日は長く、夕日が地面に長い影を落としていたはずだ。
 今、何時だろう。
 行かなければならないのに、足が向かない。もし行って、そこに何もなかったら……跡形もなくなくなってしまったら。そう思うと怖くてどうしても行けない。
 街が騒がしい。
 何がそんなに楽しいのか、笑い声や歓声、話し声。それが一つの波になって静に襲いかかるような気がする。
「………!」
 それに耳を塞ぎ、静は走り出した。
 右手にはストラップがかかっている。そして握られた手には……携帯電話。

 恋死なん 後の煙にそれと知れ ついにもらさぬ胸の思いを

 少し前に新聞を賑わせていた、汚職事件に関わった政治家達が次々と焼死する怪事件。
 静はその真相を追っていた。それを追うことになったきっかけはほんの些細なことで、ただ焼死などという苦しくて恐ろしい死に方をした人たちの、成仏を手助けしたいと思っていたからだ。関わった人たちは汚職に関わっていたのだろうが、だからといって死んでもいいという道理はない。
 そして……そこで静は、大きなものが事件の裏に関わっていることを知った。
 人体発火事件の前に必ず聞こえるという鳥の声、赤い瞳と赤い髪の毛をショートカットにした女。鳥繋がりの名を持つ者達と、研究所という言葉。
 結局、静は彼女を助けられなかった。
 彼女が目の前で自分の力を暴走させ、己の身を焼いたのに、どうすることも出来なかった。ただ炎の中で崩れ落ちていくのを、見ていることしかできなかった。
 そしてその女が最後に言葉が、静の耳に今でも残っている。
「ヨ……タカ……」
 忘れていた。
 鳥の名前。鳥繋がりと言われたときに気付くべきだった。
 ヨタカ……ナイトホーク。それは、蒼月亭にいるマスターの名前。
 彼女はその言葉と、地面に残した「恋死なん…」の歌だけを遺して死んだ。どうして彼女が、死ななければならなかったのかは分からない。でも、あの歌を遺していた意味だけは、何となく静には分かっていた。
 彼女は、ナイトホークに何かを伝えたかったのではないだろうか。
「ナイトホークさんには、教えなきゃ……」
 そう思っているのに、電話が出来ない。蒼月亭に行くことも出来ない。
 彼女がナイトホークの何だったのかは分からない。恋人だったのかも知れないし、ただの知り合いだっただけかも知れない。でも自分は彼女の目の前にいたのに、助けられなかった事だけは事実だ。
 それに静は恐れていることがあった。
「もし、この事を知って、ナイトホークさんがいなくなってしまったら……」
 蒼月亭に行ったとき、もしあの場所に看板や灯りがなかったら。それは死ぬ次ぐらいに怖い。心を許せる人や場所、それが不意に消えてしまう。そうなったとき、自分は自分を許せるのだろうか。
 だから……静はメールをした。
 メールだったら、少しは話せるだろうから。

 静は俺に謝ってるけど、それは多分あいつが選んだ方法の一つだったんだと思う。

 それは、ナイトホークから来たメールの返事の一部。
 ぎゅっ。右手に持った携帯を、静は強く握る。
「今度蒼月亭でこの事を話しても良いですか?話したい事があるんです」
 そんな静のメールに、ナイトホークは自分のことを責めもせず、「静が来るの待ってるよ」と返事をくれた。いっそ責められたら、もっと楽だったのかも知れない。こんな苦しさも、言いようのない思いを抱えることもなかったのかも知れない。
「………」
 人気のない路地裏で、静はぼうっと空を見た。
 分厚い雲がかかっていて、空には星も月も見えない。真っ暗で、足先も見えないような闇。
 ぽつ…。
 雨の滴が顔に落ちる。それがまるで涙のように静の顔を伝い、地面に落ちる。

「雨、本降りになってきたな」
 煙草をくわえ、ナイトホークは入り口の外を見て呟いた。今日は土曜日なのに、どうも客足が鈍い。梅雨前の蒸し暑さが悪いのか、それとも単にそんな日なだけなのか。
 時計を見ると閉店まで三十分を切っている。今から客が来たところで、ラストオーダーまで大した時間がない。それに誰かが来るという予定もない。
「早じまいするか」
 入り口のプレートを「Closed」にしようと、ナイトホークは入り口に近づいていく。するとドアから白い人影が見えた。
「………?」
 少し店から離れたところにぼうっと立っている姿。ナイトホークはドアを開け、雨の降る道路に飛び出す。
「おい、静。どうした!」
「あ……」
 彷徨っているうちに、いつの間にかふらふらと蒼月亭の前に来てしまっていたらしい。雨の中飛び出してくるナイトホークを見て、静は一生懸命笑おうとする。だが、上手く笑えない。
 雨の中を歩いていたのか、静は体中濡れていた。右手首に食い込んだストラップと、握りしめられた携帯電話がやけに目立つ。
「ナイトホークさん……」
 自分の方へ走り寄ってきたナイトホークの心配そうな顔を見た途端、今まで我慢していた感情が一気にあふれ出した。それが涙になって頬を伝い、思わずナイトホークにしがみつく。
「ごめ……ごめんなさい……」
「それはいいから、取りあえず俺ん家行って着替えよう。話はそれからだ」
 そんな静を抱き留めて、ナイトホークは少しだけ溜息をついた。

 静が案内されたのは、蒼月亭のキッチンの逆側の、廊下の突き当たりから行ける半地下の部屋だった。小さなソファーとガラステーブル、そして奥の方にある大きなベッド。ナイトホークの部屋なのだろうか……だが、それにしては生活感が全くない。
「俺の服しかないけど取りあえず着替えろ。つか、俺もだな」
「あの、お店は……」
「店なんか後でも片づけられるし、早じまいする気だったんだ。それに、今は静の方が大事だ」
 白い大きなタオルで頭を拭き、静は右手に握っていた携帯電話をそっと開いた。雨に濡れてしまったが壊れている様子はなく、メールを見るとナイトホークからの返事がちゃんと表示される。
 ふと振り返ると、シャツを脱いだナイトホークの背筋に沿って、メスを入れられたような傷跡があるのが見えた。そのまま黙っていると、同じように振り返ったナイトホークが背中を指さしながらくすっと笑う。
「これ、気になるか?」
「い、いえ……」
「ケガの痕は残らない体質なんだけど、これだけどうしても消えなくてな……にしても、ここに人入れるの久しぶりだ。ほら、俺のシャツ貸すからこれ着ろ」
「………」
 そう言われ、静はナイトホークのシャツを着た。長身のナイトホークのシャツは静が着ると手が長く、それをまくって所在なさげに床に座る。
「ソファーに座りゃいいのに」
 しばらくすると、ナイトホークが湯気の立つカップを持ってやってきた。苦笑しながらそれをテーブルに置くと、今度は冷蔵庫から酒を出し自分のグラスに入れ、静の隣に座る。
「それ、『ホット・ブランデー・エッグノッグ』体温まるから飲めよ。俺は、イエーガーマイスター……最近好きなんだよな、これ」
 コト……と、シガレットケースがテーブルに置かれる。そしてナイトホークは、まだ湿っぽい静の頭を撫でた。
「何か、辛い思いさせちまったみたいだな」
「いえ……ナイトホークさん、僕の話を聞いてもらえますか?」
「ん、いいよ」
 ここに来たからには、全部話さなければ。
 静はあの時起こったことを、淡々とナイトホークに話し始めた。遺された歌、最後に「ヨタカ」と言ったこと、そして研究所と皆が言っていたこと。
 落ち着いているように見せつつ、静は罪悪感で一杯だった。目の前にいたのに何も出来なかった、助けられなかった。
 もっと、あの人の話を聞いてあげれば良かった……。
「………」
 ナイトホークは煙草を吸いながら、静の話を聞いている。そして話が一度途切れたとき、ふぅと大きく溜息をついた。
「研究所、か……」
 びくっ。その言葉に静が肩を震わせた。テーブルの上に置いてあったカップが音を立て、ナイトホークが煙草を灰皿の上に置く。
「そんなに怯えなくてもいいよ。どっちにしろ、いつかどうにかしなきゃならなかったんだ」
 怯える……。そう言われ、静がテーブルに目を落とす。
 ナイトホークの言う通りだ。この事を話すことで、ナイトホークや蒼月亭がなくなってしまうのではないかと思っていた。自分にはよく分からないが、鳥繋がりの名前と研究所の間には何かがあるのだろう。そして、ナイトホークにも。
「あの人が言った『ヨタカ』って……」
「ん、多分俺のことだよ。研究所でつけられた俺の名前。今はナイトホークって名乗ってるけど、あそこではヨタカって呼ばれてた」
「……ナイトホークさんの恋人か何かだったんですか?」
 ナイトホークは黙って首を横に振る。
「いや、どっちかというと嫌われてたんじゃないのかな。仲悪かったし」
 違う。
 彼女は多分、ナイトホークのことが好きだった。だから最後に名前を呼んだ。あの時「葉隠を読んでいたのは、たった一人しかいない。貴方達もよく知っている鳥だけが」と聞いた……それが多分ナイトホークだ。
 その事を言うと、ナイトホークは煙草をふかし何処か遠い目をする。
「そうだったとしても、昔の話だよ」
「………」
 黙ってカップを持ち、温かいカクテルを飲む。ナイトホークもグラスに入っていた酒を飲み、静を見て少し目を伏せた。
「あいつさ、自分の力が嫌だって言ってたんだ。だから、研究所から解放されるためには、多分ああするしかなかったんだよ。だから静が罪悪感持つことない、あれがあいつの選んだ方法だったんだ」
「でも、僕は……」
「罪悪感持つなら、あそこから運良く逃げ出せて、それを忘れようとしてた俺も同じだ。助けてやることも出来たのに、俺は何も見ようとしなかった」
 一瞬、ナイトホークが泣いているんじゃないかと思った。だが、泣いていたのは静の方だった。そんな静の頭をくしゃっと撫で、ナイトホークは寂しそうに笑う。
「俺の代わりに泣いてくれてありがとな」
「違……っ」
 そうじゃない。
 泣いているのは……静はナイトホークにしがみつく。
「なく……ならないで……。いなくならないで下さい……」
 ここから、ナイトホークがいなくなることが怖かった。心を許せる場所、人がいなくなることは死ぬ次ぐらいに怖い。ここに、なかなか来ることが出来なかったのもそのせいだ。会って話をすることで、ナイトホークがいなくなってしまいそうな気がしたからだ。
 そんな静を抱きしめ、ナイトホークはぽんぽんと背中を叩く。
「いなくならないよ」
「でも……」
「メールにもいなくならないって書いただろ。それにここから逃げたら、多分また同じ事の繰り返しだ。『恋死なん 後の煙にそれと知れ ついにもらさぬ中の思いを』って、そんなの悲しすぎる」
 ぎゅっ……静が腕に力を入れる。
「本当に、いなくなりませんよね」
 返事の代わりに、ナイトホークも同じように抱きしめ返す。
「本当だよ」

 耳が痛くなりそうなほどの静寂の中、静はゆっくりとベッドの上で天井を見た。
「………」
 あんなに泣いたのは久しぶりだった。子供のように泣いて、そのうちに「風呂入って寝るぞ」と言われ、ナイトホークの背中にある傷が研究所で付けられた傷だということを教えてもらった。
 もしかしたら、まだナイトホークは自分に隠していることが、たくさんあるのかも知れない。それを聞けばきっと教えてくれるだろうが、今は聞かなくてもいい。ここからいなくならないのなら、いつでも聞くことは出来る。それに、自分もナイトホークに話していないことはたくさんある。
「ナイトホークさん」
 自分の右手首を押さえながら、静はナイトホークの名前を呼んだ。すると隣で眠っていたナイトホークがごそっと寝返りを打つ。
「どうした?」
「いえ……ちゃんといるか呼んでみただけです」
 本当はソファーで寝ると言ったナイトホークに、静は「側にいないと今は怖い」と言って、隣にいてもらったのだ。
 闇の中なのに、ナイトホークは静の右手をそっと握った。
「いなくならないから安心しろって。静は心配性だな」
「心配性なんです」
 その温かい手の感触と静寂に、静は安心して目を閉じた。

fin

◆ライター通信◆
ありがとうございます、水月小織です。
「恋死なん…」の後日談で、交流メールも絡めてということでこのような話を書かせて頂きました。目の前にいたのに助けられなかったという罪悪感や、いなくなってしまうかも知れないという怯えを、ナイトホークが払拭できたらと思ってます。
今回は、蒼月亭内にあるナイトホークの自室に案内してます。これからも色々と鳥絡みの話はあるのでしょうが、この場所で立ち向かわなければならないという、きっかけにもなりました。
リテイク、ご意見は遠慮なく言ってください。
また機会がありましたら、よろしくお願いいたします。