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【江戸艇】きつね小僧初陣!
■Opening■
時間と空間の狭間をうつろう謎の時空艇−江戸。
彼らの行く先はわからない。
彼らの目的もわからない。
彼らの存在理由どころか存在価値さえわからない。
だけど彼らは時間も空間も越えて放浪する。
■きつね小僧参上■
夕焼けが空を茜色に染めていた。
一羽のカラスがカァと鳴いて、沈む陽に向かって飛んでいく。それをぼんやり目で追って、天波慎霰はその立て札の前で足を止めた。草書体でさらさらと書かれた文句は達筆すぎて殆ど読めない。けれどねずみ小僧の事が書かれているのだけはわかった。
昼間、この界隈を散策している時、平太にねずみ小僧の話を聞いてみた。
昔は盗むだけで、盗んだものは貧しい人にばら撒くだけだったのに、今は殺しもやる大悪党。最近は盗んだものをばら撒かなくなった、と彼は困惑気味に吐き出した。たぶんそれが、今の江戸庶民の胸の内なのだろう。平太が柊の正体を知ったのはついさっきの話しである。彼自身、それを持て余しているようだった。柊も自分から自分の正体を触れ回るような真似はしてなかったのだろう。きっとそれは自分の保身よりも周りの事を考えてに違いない。知られてしまったら、盗人を匿った罪で彼らにまでお上の手が伸びてしまうのだから。
それが、咄嗟の事とはいえ口走ってしまったのは、それだけ切羽詰っていたという事だろう。
みんなのヒーローだった義賊が名を貶められているのも気に食わなくて、慎霰は立て札に背を向けると柊との待ち合わせ場所へと歩き出した。
ねずみ小僧次郎吉といえば、東京でもちょっと名の知れた盗人だ。義賊――ねずみ小僧。実際の次郎吉は徒党を組まず大名屋敷ばかりを襲っていた事で、いつも威張り散らしている連中が慌てふためく姿にしてやったりと、町人たちから絶大な人気を誇っていたが、彼は盗んだものを貧しい人々に分け与えていたわけではなかった。そもそも、彼が大名屋敷ばかりを狙っていたのは、大名連中をぎゃふんと言わせるためではなく、単に警備が手薄だったからに過ぎないのだ。つまり彼は義賊でもなんでもなかったのである。
そしてその次郎吉が獄門台に送られた頃、一人のねずみの面を付けた盗人が現れた。義賊ねずみ小僧の誕生というやつだ。恐らくは、小柄で小さな隙間にも潜りこみ、どんな蔵にも忍び込んだとされた次郎吉のあだ名にあやかったのだろう。
柊は話した。殺しはやらない。徒党は組まない。必要以上の盗みはしない。だからねずみ小僧は晩秋に一度、どこかの蔵を襲うのだ。貧乏人たちの宵越しのための盗みをする。
だがある日、毎年、晩秋に一度きりだったはずのねずみ小僧が、秋でもないのに蔵を襲った。蔵番が殺され千両箱は持ち去られ、そうして皆殺しの強盗が始まったのだという。
柊は汚名返上にすぐに動いた。
奴の盗みは三日と日を開けないかと思ったら、一ヶ月も開いたりとまちまちだったが、夜を徹しての見張りの末、やっと奴に出くわした。
その時初めて柊は、奴が奴らだという事を知ったのだという。
直接対決は、多勢に無勢。それでも柊はかろうじて一命を取りとめた。
いや違う。
彼らは柊を生かしたのだ。晩秋、彼をねずみ小僧として奉行所に突き出す為に。柊自ら奉行所に、あれは偽ねずみ小僧だとは言いに行けない。本物を知っていなければ、偽者と判じれないのだから。そこまで計算した上で生かしたのだ。
どこまでも悪どい。
慎霰は無意識に拳を握っていた。
だが、奴らは一つミスを犯した。
慎霰のいる角屋を襲ってしまったのだ。天狗に喧嘩を売ったのが奴らの運の尽き。
だいたい天狗が吹き矢如きで倒された、なんて妖かしの連中に知れ渡ったりでもしたら、いい笑い者にされてしまう。今後の人妖間のトラブル仲裁にも支障が出かねない。
だからこの借りは、必ず返してやる。
江戸の町で捕物真っ最中に迷子になってもシャレにならないと、小路を歩き回っていた慎霰は、やがて待ち合わせの大店に辿り着いた。
裏手に回ると、木戸の傍で柊が手を振っている。そこは、次に奴らが襲うだろうと思われる大店だった。
きっと奴らは日を置かず動く。角屋での失敗を取り返すために。
◆
陽は完全に落ち、空には弓のように細い月がかかっていた。
夜陰に紛れて柿渋色の装束をまとい、ねずみ面を付けた男が三人、大店の裏手にある勝手口の前へ訪れた。一人が壁際に膝を付く。そこへ一人が軽く走りこんでその膝の上に置かれている両手を踏み台に飛んだ。膝を付いた男もそれを補助するようにタイミングよく両手を高々とあげる。まるで軽業師のように飛んだ男は壁の向こう側へ音もなく降り立った。
人が争う物音。程なくしてガチャリという金属音。中から勝手口が開かれる。
その時、廊下をはばかりに向かって歩いていたその店の丁稚が異変に気付いた。
「誰だ?」
声をかけてくる丁稚にねずみ面を付けた男が一人、篝火の前に姿を現した。
「お前は、ねずみ小僧!? ねずみ小僧が出たぞ!!」
丁稚が声を張り上げ、瞬く間に屋敷は騒然となった。
ねずみ面を付けた男が無言で懐刀を抜くと逃げるように背を向けた丁稚の背を袈裟切りにした。
丁稚の断末魔の叫びにいくつもの足音が重なる。
一人が中へと切り込む間に残りの二人は蔵の鍵を開けに走った。南京錠は一本の金属製の串のようなもので簡単にはずされ、その扉は開かれた。
屋敷の者たちを全員斬り伏せて戻ってきた一人と合流すると、三人はそれぞれが持てるだけの千両箱を手に蔵の外へ出る。
そこで、一番前を走っていた男が足を止めた。
「おかしい……」
呟く男に後ろの男が眉を顰める。
「どうした?」
「ここに死体がない」
「なに?」
「勝手口の鍵を開けるとき、ここで番をしてた奴だ。背後から喉を切った」
そう言って男は辺りを舐めるようにゆっくりと見渡した。
「…………」
何かの気配に男が小刀を投げる。
一羽のカラスがカァと鳴いて屋根から飛び立った。
勝手口の向こう側に死体を見つけて、後ろの男が言った。
「気のせいじゃないのか?」
「…………」
男は不審そうに首を傾げている。
業を煮やしたように後ろの男が急かした。
「早くずらかそうぜ」
「…………」
「いちいちそんな細かい事に気付くなよ」
それらを屋根の上で見守っていた慎霰は、駆けていく三人の背中を見送りながら額の汗を拭った。
「勘のいい奴らだぜ」
静まり返った大店の屋敷を振り返る。彼らは全員、今も夢の中にいることだろう。偽ねずみ小僧に押し入られた事も知らないままで。
◆
神社は寺社奉行の管轄で町奉行が立ち入る事は出来ない。
そんな神社へと向かう雑木林の中、一人のねずみ面の男がふと足を止めて空を仰いだ。怪訝に他の二人も足を止め、頭上を見上げる。
月夜を覆い隠す黒。
「カラスだと!? 何て数だ!?」
「小刀なんか投げるから!」
後ろの男が舌打ちして前の男を睨んだが、それも束の間、襲い来るカラスの大群に三人は千両箱を落とすと、それらを追い払うように懐刀を振り回すのに手一杯になった。
だが斬っても斬っても手応えはなく溢れ出て、そのくちばしや鉤爪で彼らを引っかいた。彼らはねずみ面が落ちたのも気にせず闇雲に懐刀を振りまして走りだした。するとカラスは一斉に飛び立ち、代わりに、彼らの足下に落ちていた千両箱が蓋を開けて小判が飛び出した。
半ば呆気に取られ、半ば慌てて小判を追い掛け回す三人をあざ笑うかのように小判は彼らの周りを駆け巡り、やがて木の葉になって竜巻のように三人を取り囲んだ。
三人は何が何だかわからない顔で、突風と木の葉に顔を覆う。その隙間から、一人の右目の下に泣きぼくろのある男がかろうじて薄く目を開けた。
木の葉の嵐の向こうにきつねの面を付けた少年の姿が見える。
「き…きつねだと……ふざけるな!」
ほくろの男は竜巻をまるで一刀両断でもするかのようになぎ払った。
竜巻が消え木の葉が地面に落ちると、そこにはきつね面の少年が右手にきつね火のようなものを浮かび上がらせて立っていた。
面をつけているからその表情はわからなかったが、薄く嗤ったきつね面のように、嘲笑しているようにも見える。
「きつねには眉唾だな」
頬に傷のある男が舐めた指で眉をなぞる。
「そんな呪いで化かされなくなるのか?」
「残念ながら油揚げは持ってないんでな」
言うが早いか傷の男は地面を蹴る。
何かを仕掛けようとした男に慎霰は右手に握っていた忌火丸の刀身から発せられる金色の炎『天狗火』を掲げ、最大火力でそれ炊きあげた。天狗火が強い閃光となって、男どもの目を焼く。視覚を奪われた男は目測を誤り、吹き矢の矢は明後日へと飛んでいった。
「そう何度も同じ手が通用するかっての」
慎霰は面の下で舌を出して彼らとの間合いを詰めると軽やかに飛び上がった。
空中で一転。目を押さえる男の横っ面に回し蹴りを叩き込む。
その音に反応したように一人の男が懐刀を振るった。見事な連携というべきか。目が見えていない状態で慎霰の胴体を真っ二つに切り捨てにくる。恐ろしく手練というべいか。だが、その手が止まった。何かが引っかかって振り切れなかったのだ。
男の腕に縄が絡み付いている。縄の先にはそれをしっかと握った柊が立っていた。
「こっちも一人じゃないんだよ」
面の中でウィンクなどしてみたりして、慎霰は男の手首に手刀を叩き込む。男が懐刀を落とした。
「慎霰!!」
柊の切迫したような声が飛んだ。
もう一人残っている。泣きぼくろの、三人の中で一番頭のキレる男は、何の気配も感じさせないほどの動きで、慎霰の元へ走っていた。
反射的に慎霰は後ろに転がった。彼のいた場所を白刃が切り裂く。既に視力を回復しているのか。いや、男は目を閉じている。
「あー、びっくりした」
慎霰は本気で呟いた。懐刀の刃が月光を跳ね返していなければ気付けなかったかもしれない。
「やるのぉ、若いの」
自分の若さは東京の棚の上に置き忘れて、慎霰はおどけたように言ってみせた。しかし男の表情はぴくりとも動かない。突っ込みのないボケほど寂しいものもないが、柊も沈黙したままなので、慎霰は内心でペロリと舌を出した。
「俺も結構、頭にきてるんだよね」
おどけてみせているけれど、自分の目がそれほど笑っていない自覚はある。自分の感情に反応するように、掲げられた天狗火が強く熱を帯びた。
刃と刃が交わる甲高い金属音。
赤い小さな玉が、土の上にポタリ、ポタリと落ちる。
男の構えていた懐刀の刃がポタリポタリと解け落ちる。
「!?」
軽くなった刀に男が驚いたように目を開けた。
柄だけになった得物を投げ付ける。それを慎霰は蹴飛ばした。
男が慎霰との間合いを詰めようと走りだす。
「!?」
低くなった男の視線に合わせるように慎霰はしゃがみこむと満足げに笑って言った。
「やっぱこういうのにかかってくれると気分がいいよな」
しみじみと。
天狗の力でおちょくりまくってから倒すのもいいが、たまにはこういうイタズラも悪くない。
「まさか、本当にかかるとは思わなかったよ」
どこか呆れた口調で柊が笑った。
落とし穴の底で尻もちついている男が口惜しそうに慎霰と柊を睨みあげていた。
ねずみ小僧の噂に江戸へやって来た彼らは、一年江戸で荒稼ぎをして、京へ逃げる予定だったらしい。本物のねずみ小僧は捕まっても捕まらなくても、自分たちには追っ手がかからないように、目撃者は皆殺しにした。三人組である事を隠す目的もある。後で捕まったねずみ小僧が一人だったら仲間を捜して追っ手が伸びるかもしれない。
捕らえた三人を前に奉行所へ突き出そうと柊は言ったが、慎霰は首を振った。
「ちゃーんとねずみ小僧の汚名を払拭してもらってから、な」
◆
明け六つの鐘が鳴ると同時に、江戸の町を三人の男のパレードが始まった。
「俺たち偽のねずみ小僧。きつね小僧に成敗された偽のねずみ小僧」
妙な節回しでそんな歌を歌いながら踊り歩く。人々は何事かと顔をあげ、顔を見合わせ遠巻きに、その歌の方を見やって、それから腹を抱えて笑いあった。
「俺たち偽のねずみ小僧。きつね小僧に成敗された偽のねずみ小僧」
ふんどしにねずみの面を付けた男どもが馬鹿みたいに自分の悪事を並べ立てながら踊り歩いているのだ。
瞬く間にギャラリーは増え、衆人環視の中、男どもは歌い続けた。
これで江戸の庶民たちに、ねずみ小僧に対する疑心はなくなった筈だ。
平太も指をさして笑っていた。股間に付けたねずみ面が可笑しくたまらないらしい。
「他人のふんどしで相撲をとった罰だ」
慎霰は腕組み、当然のような、そしてどこか笑いを堪えるような顔で言った。
柊がやれやれと肩を竦めている。
男たちの行進は騒ぎを聞きつけた町奉行の同心たちが駆けつけても続いた。
昼時の鐘が鳴り、暮れ六つの鐘が鳴る。やがて江戸中を歩き回った彼らが疲れ果てた頃、町奉行の同心たちが彼らを連行していった。
そして―――。
「こんなのでいいのかい?」
きつねとねずみをあしらった根付を掲げて柊が尋ねた。
「うん。いい。やった。世界に一つしかないキーホルダーだ」
根付を受け取って目の前で揺らしてみる。
「キーホルダー?」
柊が怪訝に首をかしげた。当たり前だ。このご時勢にキーホルダーもない。
「ああ、えぇっと……何て言うか飾りだな、飾り。サンキュ……じゃなくて、ありがと」
「いや、お礼を言うのはこっちだ。ありがとう。慎霰のおかげだ」
「まぁ、確かにな」
なんて冗談っぽく、照れ隠しに得意げな顔を作って笑ってみせる。もしかしたら、このまま東京に戻れなかったら、もう暫くお世話になるかもしれない、なんて内心で舌を出してる時だった。
視界の全てが突然白く光輝いた。
あの光だ。
目を開けていられないほどの強い光。
空腹を刺激する匂いに目を開けた。
夕食がテーブルの上に並んでいる。
確か、椅子に座ろうとしているところだった、とは既に記憶の彼方にあった。
「いてっ!!」
ひいた椅子の角に足をぶつけてうずくまる。
拍子に、柊から貰った根付がフローリングの床に転がった。
拾い上げる。
「何かあったら、また呼べよ」
夢か現か現が夢か。
時間と空間の狭間をうつろう謎の時空艇。
彼らの行く先はわからない。
彼らの目的もわからない。
彼らの存在理由どころか存在価値さえわからない。
だけど彼らは時間を越え、空間をも越え放浪する。
たまたま偶然そこを歩いていた一部の東京人を、何の脈絡もなく巻き込みながら。
■完■
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■ 登場人物(この物語に登場した人物の一覧) ■
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【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】
【1928/天波・慎霰/男/15/天狗・高校生】
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■ ライター通信 ■
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ありがとうございました、斎藤晃です。
楽しんでいただけていれば幸いです。
ご意見、ご感想などあればお聞かせ下さい。
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