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<PCシチュエーションノベル(ツイン)>


子守唄







 遠く、虫の鳴いている声がする。
 料亭の離れ、同じ敷地内にある建物とはいえ、円と灯が住まう家は閑寂な環境の中に建っている。
 裏手には禁足の地と伝えられる古い森があり、夜ともなれば梢が大きくうねって見る者の心を惑わせるのだ。
 ひたひたと降る夜の雨が軒先を伝い庭の敷石に落ちた。小さな水音をたてて跳ねたその音ですら、ひっそりと静まり返った家の中にあっては驚くほどに強く響く。
 少しばかり蒸して寝辛い夜だった。
 寝室として使っている和室の真ん中に布団を一組敷いて、その中に母と子がふたり並んで眠る。
 円は、稚い灯の寝顔を見守りながら、聴くとはなしに雨と虫の声とに耳を寄せていた。
 せめて風邪をひかぬように、灯の小さな腹の上に薄手の肌掛けをかけてやる。そうして団扇を静かに揺らし、娘の額をタオルで拭いた。
 すうすうと整った寝息を立てて眠る灯。その眦に、薄い涙の線がついていた。
 円は稚い娘が小さく嗚咽しながら眠りについたのを思い出し、円は目を眇めて唇を噛む。
「……かんにんなぁ」
 小さな呟きは娘に向けたものなのか、あるいは他の何かに向けたものなのか――
 それは他ならぬ円自身にすらも解らなかった。


 ◇


 北に玄武、富士と駿河台。南に朱雀、江戸奏。東に青龍、これは平川に隅田川。そうして西に白虎、東海道。
 そもそも江戸とは四神相応によって守護のなされた土地であり、繁栄の確約された目出度い場所であったのだ。
 さらに言えば江戸は四神に係わる家によって守護されていた。彼らは闇黒の底より沸き出でる怪がもたらす悪意を鎮め、影ながら江戸を護っていたのだ。
 内のひとつ、南の守護を担うのが赤羽根家。円を巫女として立て、その地を京都に置いた、聖なる炎を司る家だ。表向きは料亭を構えてはいるものの、その実、長い歴史をひっそりと息づき続けた異能の家系である。
 さらに付言するならば、四神のそれぞれを担う家は暗黙の内に、互いに不可侵であるのを良しとしてきた。必要最低限の連結を持つより他に超えてはならぬ境を築いてきたのだ。

「おまえは踏み越えてはならんもんを越えてしもうたんや」
 祖母は忌々しげに眉をしかめながら言う。
「外の血ぃで赤羽根を穢しただけと違う。おまえは白虎の跡継ぎの子ぉを産みよった。朱雀と白虎が交わった、その証が灯や。灯は産まれてはいけん子やったんや」
 言いながら忌々しげに灯を見据え、気後れしつつも祖母を慕い小さな手を伸べた灯を払い除ける。
「汚らしい忌み子や。せいぜいうちらの目に触れんようにしときや」
 言い捨て、祖母は踵を返して去っていった。
 祖母に払い除けられた拍子に転げた灯が、すりむけた膝を抱えて泣いていた。


 ◇


「ママ、なんでばばさまはあかりをいじめるん」
 灯の膝の絆創膏を新しいものに換えていた円は、娘の頑是無い疑問を受けてはたりと手を止めた。
「きたならしいいみこって、あかりのこと?」
 俯きがちに問う灯に、円は下唇を噛み締める。
「灯、よう聞き」
 零れ落ちそうになる嘆きを無理矢理に押し込めて、円は娘の腕をしっかりと包んだ。
「ママとパパはあんたが産まれてくるのを本当に楽しみにしとったの。宝物や、わかるか?」
 一言一言を言いきかせるように、ゆっくりと告げていく。
 灯は目の下を腫らし、今にも泣き出しそうな顔を持ち上げて円を見た。
 円は娘の目を真っ直ぐに見つめて笑みを浮かべる。
「他の誰がなにを言っても、いつでもこれだけはちゃあんと憶えとき。ママもパパも、あんたを本当に好いとうよ。あんたがいなかったらうちらもこうしてはおれん。だから誰が灯を悪う言っても、そんなん右から左に流しとけばええのんよ」
「……でもパパはあかりのとこにいてくれてへんやんか」
「パパはお仕事が忙しいん。忙しないひとやからね。でもいっつもあかりを大事に思っとるんよ」
 そう返して灯の頭をやわらかく撫でた。
 灯はしばらくの間母の手の温もりに目を細めていたが、やがて力強くうなずき、
「おともだちんとこにいってくる」
 言って元気に駆けていった。
 円は娘の背を見つめながら数歩ばかり追いかける。
「裏の森へは行かんようにしときや」
「はぁい」
 灯は小さな手をいっぱいに振って、そうして友達が待つ近くの公園へと走っていった。
 その背に微笑みを向けて、円はそっと首を傾ぐ。

 確かに、自分達が出した結果はそれぞれの一族に対する忌諱であったのだろう。それが産みだした答え、すなわち灯というかけがえのない娘の小さな背に背負いきれないだけの罪科を与えてしまったのも事実だ。
 けれど、それはたぶん互いに理解し、納得した上での結論だった。
 円も、灯の父――つまりは円が選んだ唯一の男も、そういった忌諱を乗り越えた場所に希望を求めた。
 その希望が形を得て生まれ来たのが灯。
 灯が胎内に宿ったのを知ったとき、円はまだ成人に満たない年頃だった。不安がなかったといえば嘘になる。母親になるだけの自信も、子を育てていけるだけの自信もまるでなかった。
 しかし、確かに脈打つ新たな命を、円は確かに愛しく思った。きっと大切に抱きしめるのだと、男とふたり、約束を交わしもした。
 けれども、その約束は結果的に反故になった。
 赤羽根の家を護るため、円は灯を連れて実家に戻らねばならなくなったのだ。
 未だ歩く事すらままならない赤ん坊だった灯を彼から遠ざけてしまうのは、彼にも娘にも申し訳なく思えた。
 しかし、打ちひしがれる円に、祖母は宥めるような口調で告げたのだ。
「朱雀は夏で、白虎は秋、決して出会わない季節が出会ってしまった。……それだけの事や。早う忘れときや」



 ◇


 ひたひたと落ちる雨音に目を醒ましたのか、灯が眠たげに目をこすりながら身を動かした。
「ママ?」
 未だ夢の内にあるような、細い小さな声だった。
 円は娘の声に、団扇を動かしていた手をはたりと止める。
「灯、起きたん? まだ寝とかなあかんよ」
 言った円に娘はうんと小さくうなずき、それからもぞもぞと円の手に触れて口を開けた。
「あんな、あかり、パパのゆめみてん」
「パパの?」
 灯は眠たげに目をこすりながら、ひとつひとつ落とすように言葉を告げる。
「うん。パパなぁ、あかりがおおきくなって『すざく』になれたら、あたまいいこいいこしてくれるって、やくそくしてくれてんねんで」
 言って嬉しそうに頬を緩める娘に、円は内心どきりとした。

 灯が父である男と離れたのは、灯が物心つくよりもずっと前の事だった。以来、当然ながら面識を得た事もなければ写真を見せた事もない。(これは、赤羽根の人間達が男の写真や記録をことごとくに捨ててしまったためでもあるのだが)
 そうして、灯が祖母らに疎まれている原因のひとつに、灯が『赤羽根の巫女』として本来生まれ持つべきものであるはずの朱雀の炎を宿していない事が含まれている。
 生まれ落ちた灯に朱雀の兆候が見られない事に、赤羽根の人間達はことごとくに戦いたのだ。次いでそれを罵った。祝福されるべき円をなじり、目も開かない赤ん坊を罵倒したのだった。
 白虎などと交わるから忌み子が生まれてしまったのだと。
 それを見返すためには、――灯が円の後継となるためには、灯が朱雀の焔を目覚め起こすより他にない。
 まさか、頑是無い子供がそれを己から察したとでも言うのだろうか。
 あるいは誰かがそれを吹聴しでもしたのかもしれない。

「そうやなあ、灯。パパは灯がおおきゅうなっていい子しとったら、きっと会いに来てくれはるよ」
 円譲りの、すとんと伸びた黒髪。灯のそれを優しく撫でてやってから、円は再び団扇を仰ぐ。
「さ、眠り。よう寝とかんと、こわぁい森からこわぁいこわいオバケが出てくるかもしれんよ」
「うん」
 うなずき、灯はふと窓の外に顔を向けた。
 雨はまだ降っている。石を叩く音響が闇を静かに震わせていた。
 灯はひとしきりそうして夜を見た後に、再び母の側に顔を向けて目を閉じる。
 円は灯の頬を撫でてやり、小さく小さく子守唄を唄う。

「おやすみ、灯。……ママもパパもおまえをちゃあんと護っているからね」






Thank you for an order.
Moreover, I am waiting for the day which can meet.

2007 June 25
MR