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<東京怪談ウェブゲーム アトラス編集部>


魔道の遺産

■オープニング

 編集長のデスク前。
 呼び出された面子は編集長から、折り入って…の話を聞かされていた。
 …珍しい事に、取材命令と言うより、調査の依頼である。

 曰く、月刊アトラスの愛読者だったと言う御主人を亡くした未亡人からの電話が朝方にあったのだと言う。その電話によると、御主人の遺品の整理をしている最中、あまりにも恐ろしくなったので藁にも縋る思いでアトラスの編集部へと連絡を付けて来たらしい。…確かに、アトラス自体は世間的には些か際物に含まれる系統の雑誌だが、その出版社である白王社は月刊アトラス以外の出版物でも充分に社会的認知度のあるそれなりのところと言える。だからこそ彼女の方も連絡を付けてみる気になったのだろう。
 ともあれ、遺品の整理中、あまりにも恐ろしくなった、と言うその理由、内容の方だが。
 …勿論、怪奇雑誌である月刊アトラスの編集部に縋りたくなるような類の話である。
 曰く、何やら御主人の遺品の中から呪物の類と見られる物が次々出て来たとの事。それも…怪しげな文字が綴られた小箱、その中に乾涸びた何かの小動物や虫の死骸。蚯蚓がのたくったような文字が書かれた、呪符の類と見られるお札に…それぞれ別の人間の物と思われる頭髪らしき物が数本。見慣れない、彼女の夫が使っていた物とは到底思えない装飾品や日用品小物の類が幾つか。
 そして、見知らぬ人が撮影された写真が数枚。男女の別も年齢も様々。それらすべての裏に彼女の夫の筆跡で、それぞれやっぱり知らない名前が書かれている。写されている人物のものと思しき名前。また、写真の人物を調査したような、確りしたプロフィールが書かれた紙まで出てきた。
 不気味ながらも、何だろうと思い彼女はその名前の相手に、連絡を取る事を試みた。
 が。
 …連絡を取った時点で、その名前の人物の殆どが、亡くなっている事が判明した。
 それも、時期は統一性も何も無いが、すべて急死で、死因は心不全――とは言え死んだ人間の最終的な死因として心臓が止まる、と言うのは至極当然の事でもあり――即ち、本当は死因不明だったと言う共通点がある。
 その時点で未亡人の彼女は恐ろしい考えに辿り付く。
 …自らの夫が呪いを用いて、彼らを殺していたのでは無いか、と言う考えに。

 夫は優しい人だった、絶対にそんな大それた事が出来るような人じゃなかったんです、と電話口では震える声だったとの事。…ちなみに仕事は特に目立つ事の無い中小企業の会社勤めだったと言う。
 自分の考えが間違っているかどうか、本当に呪いで人を殺す事は可能なのか――そうは言っていても、本心では彼女は否定して欲しくて、編集部に電話を掛けて来たらしい。

 そこまで伝えると、編集長である碇麗香は、はぁ、と溜息を吐く。
「…そんな訳で…彼女に対して否定してあげたいのは山々なんだけど、これ…詳しく聞けば聞く程『本物』みたいなのよ。となると、うちで手に負えるような話じゃなくなってくるのよね」
 しかも、事件になってない事件な訳よ。怪奇絡みの。
 ならば――取材したとしても記事に出来ない可能性の方が俄然高くなってくる。が、だからと言ってアトラスの人間である以上そう簡単に放り出すのも気が咎める類の話。内容自体もそうだが、既に死亡しているとは言え我等が親愛なる月刊アトラス愛読者様の遺した品に絡む事、その愛読者様の奥さんからのSOS、となれば。

 …但し。
 碇麗香にしてみれば、この件でそれ以上に気になる事がある。
 それは…杞憂だと言われるかもしれないとは思う話だが。
 そしてこの杞憂と言われそうな事こそ、SOSのコールをして来た奥さんに到底言える訳もない話。

「…それからここが一番気になるんだけど、遺品の中に『楓か何かのような、五つに先が分かたれた葉の形が中に描かれた円』、が記してある物もあったらしいのよ」
 そうなると、ただの…と言うのも語弊があるけど敢えてそう言う事にするわ。そう、ただの呪術による連続殺人事件――それ以上に危険な可能性が思い付かない?
 …五つに先が分かたれた葉が中に描かれた円――それはまるで、『虚無の境界』により東京二十三区全域を覆うように敷かれたと思われる――用途不明の巨大魔法陣を連想させる紋様の。
「で、それの持ち主と思しき人物は――我らが月刊アトラスの愛読者だった、って言う訳」
 …これって、私の考え過ぎだと思う?



■調査の前

 …月刊アトラス編集部室内、無言のまま自分のデスクで原稿のチェックをしている碇麗香。
 彼女のデスクの前では、小さなメモ用紙を手に――こちらもまた無言のままその文面を確認しているちょっと場違いなくらいの麗人が居る。金髪に、左右それぞれ違った色合いの青眼。…それはこのアトラス編集部には場違い上等な様々な人物が幾らでも来訪するが、そんな中でも「彼」の場合――特にその美貌で目を引く存在の一人になる。メモを見ているそのさりげない仕草にさえ、近場を通りすがる編集部員や編集部関係者の皆さん――特に異性――はいちいち目を奪われている程。
 その繊細な美貌を持つ長身痩躯の青年――蒼王海浬が何を見ているのかと言えば、藁を縋ってアトラスに辿り着いた依頼人――梶浦真理絵から碇麗香が受けた電話を元にメモした、この件に関する取り敢えずの情報や、当の彼女への連絡先のメモ。
 電話番号だけでは無く住所も取り敢えず聞いて――赴くに当たり目印になるような場所を聞いたり地図で確認してはあるらしい。
 何はともあれ、麗香はその遺品について詳しい事を調べる為にまずは人をやりますから、と言う事で依頼人との電話での話を纏めている。そしてそれを行動に移す為実際に呼んだ一人――と言うか各方面に協力を頼んで漸く捕まった内の一人がこの海浬になる。勿論麗香は行けない――当然編集部の通常業務がある。それも今はちょうど忙しい時期。更に言うならこんな調査の場合、麗香は自分が最適な人材とは思わない。…なら信頼出来る伝手に頼んだ方が良い話である――そんな伝手となり得る人材はこの編集部には結構出入りしているのだから。
 …まぁ、「人材」とは言えこの海浬は厳密には「人間」ではないのだが、取り敢えず人に見える姿形をしていて普通に話が通じる相手――人間の一般常識が通じる相手なのだから、一般人相手でも問題は無いだろう。
 ちなみに、もう一人協力を頼んだ――頼めた相手の方は人間になる。
 …「彼女」は今は、この件に協力する旨――甲斐性無しの旦那に報告に行っているのだけれど。



「――…そんな訳で武彦さん、ちょっと調べてきます」
 ぺこん、とお辞儀。
「ああ、くれぐれも気を付けろよ。虚無絡みかもしれないとなれば余計にな」
 言いながらとんとんと煙草の灰を灰皿に落とす。

 いつも通りの草間興信所。
 ただ、今日の所長――草間武彦は相変わらず煙草を吹かしつつも何やら神妙に過去の調査ファイルをめくっている。今日に限ってはただ閑古鳥が鳴いているだけとも言い切れないような状況と見て取れた。
 取り敢えず零の姿は見えないが、恐らくは何処かに出掛けているのだろう――ひょっとすると、何か調査に出ているのかもしれない。
 とにかくそんな草間興信所に、草間さんちの身内同然の事務員なお姉さん――シュライン・エマはひょっこり顔を出している。
 特別な用が無くとも日常の延長で来る場所ではあるが、今回はちょっと用事がある。
 とは言っても、碇麗香から頼まれた調査を引き受けたので出掛けてきますとの報告――だけなのだが。
 理由はと言えば他愛無い話。
 …伝えておくと何だか安心なの。
 それだけ。



■依頼人宅、梶浦家

 虚無の境界の印――と言うか魔法陣。
 それがまず気にかかると言う点では、麗香のみならず後から合流したシュラインも月刊アトラス編集部室内で待っていた海浬も意見が一致した。故人がたまたまオカルト的な魔法陣として知っていただけか、虚無の境界と知っていたのか。知っていたのならどういう立場で知っていたのか――その関わりの程度によってはかなり話が変わってくる訳で。
 今の時点で話を聞く限りでは…呪いを用いて人を殺したと受け止められても不思議はない内容。だが何か理由があり呪術的な事件を調査していたのかもしれないしその他の理由があるのかもしれない、と海浬。少なくともプロとして専門に扱っていたのなら、死亡したと言っても夫人の手に届く場所、表沙汰になりかねない場所に呪物の類がこんなに多く残っているのは疑問が残る、と続けられる――それもそうだ。これだけ証拠が揃って出てくるなんて、プロの仕事とするには何だかお粗末である。…けれど本格的に術を修めたプロと言う訳では無く素人で、捨て駒のような扱いでそれら呪殺をやらされていた事も考えられはしないか――とも麗香。虚無の境界が絡むなら考えられなくもない。
 まぁ、電話で聞いた話やメモ書きだけを頼りにああだこうだ言っていても始まらない。取り敢えず先入観を持たずに調査するだけしてみようと、麗香に見送られ彼ら二人はひとまず依頼人宅へと赴く事にした。
 表札には「梶浦」とある。
 押したインターホンから返って来た返事は当の依頼人、梶浦真理絵のもの。
 二人は居間へ通された。

 淡いベージュを基調に揃えられている室内。形は洋間であり――ソファとテーブルが中央に配置され、花の活けられていない花瓶が上に置かれた多目的の棚に、テレビやAV機器が壁際その周辺に配置されている――特に変哲は無い室内。シュラインと海浬の二人はソファに着く事を進められたが、その前に、とまず亡夫への御挨拶をする事にした。…お線香の一本でも。その申し出に、依頼人の未亡人は有難う御座いますとぺこり。
 居間の隣の和室に置かれた仏壇で、亡夫――梶浦祐作の写真を見る事が出来た。
 優しげな容貌が微笑んでいる。
 挨拶を終わらせ、改めて居間にお邪魔する。ソファを借りた直後に、どうぞ、と季節を考慮してか冷えた麦茶が出される。すみません、お構いなく。そう返された事に頷きつつ、依頼人はテーブルを挟んだ向かい側に着く――結構落ち着いている。
 聞けば彼女の夫である梶浦祐作が亡くなってからは半年程経つらしく、漸く遺品の整理もしようかと言う気になった――そんな気になれたところ、なのだと言う。そこで件の遺品を見つけ、月刊アトラス編集部に助けを求めてきた、と言う事の次第になるらしい。
 ふと目に止めてしまった何も入っていない花瓶。それも――半年前から今に至るまで生の花を飾るまでの余裕が無かったから、らしい。…水足し、水替えを忘れて枯らして放置してしまうよりましだと。…実際夫が死んだ時からそこに活けてある花の事など忘れ、枯らしたまま長々放置してしまっていた事に随分後になってから気付いたのだと話を聞いた。…それを片付けたのがつい最近であるとも。
 他にも話を聞く。梶浦祐作の死因について――出来たらその前後の状況も詳しく聞かせて欲しい旨、海浬が付け加える。
 ――…曰く、外回りの営業に出ている最中、交通事故で撥ねられ即死。横断歩道側が青点滅の時に渡っていて飛び込んで来たバイクに撥ねられたのだと言う。急ブレーキの制動とハンドル操作の誤りによってその撥ねた方になるバイクの運転手も車体から放り出されこちらも即死。…恐らく前方不注意だったのではと推察されているらしい。
 ただ一つ引っ掛かる事として、梶浦祐作は青点滅にも拘らず、いきなり横断歩道の途中で立ち止まっていたのだと言う複数目撃者の証言があるらしい。何か気付いた事でもあったのか忘れ物でもしたのか理由はわからないが、ある時点から急に足が動かなくなっていたとか。そしてその立ち止まった直後にバイクに撥ねられている。
 けれどそれはあくまで、悪い方に運が合ってしまったような状況で。それ以上、特に際立って不審な点――少なくとも死因が事故以外の何かである可能性は無かったと警察からも聞いている。
 …そしてそんな突然の死に方だったからこそ、まさか今更になってこんな得体の知れない気持ち悪い――事によっては「死」そのものにすら関連がありそうな物が夫の遺品として出てくるなんて思わない。
 そして、何より。
 青点滅の横断歩道の途中で夫が立ち止まった理由を思わず考えてしまった。それは――その時、心室細動か心臓麻痺か何かを起こしていたのでは――即ち心不全になりかけていたのではと。…遺品を見て、連絡を取ってみたプロフィールの人たちの死因を聞いて、実は同じ事が夫の身に起きていたのではないのかとさえ考えてしまった。
 …人を呪えば呪った当人に同じ事が返って来ると聞いた事がある。
 だからこそ余計に、半年も経った今更になって、不安になったのだと。
 依頼人の真理絵は二人にそう伝えている。…シュラインが亡夫の死因を訊いた理由――彼女当人には黙っていようと思った逆凪の可能性をも先に指摘されてしまった。
 この真理絵、そのくらいの情報は持っている人物なのだと改めて頭に置いておく。…死因については取り敢えず聞くだけ聞いて同意はしない。消極的だが反応しない事でその話題を自然に流す。

 …梶浦祐作の書斎を見せてもらう事にする。
 そもそも今回気にかかった当の物、呪物と思しき遺品もそこで見付けたものらしく書斎にそのまま置いてあるとの事。ある程度物品の確認はしたが、気持ちが悪かったので結局殆ど触っていないまま、元々入っていたダンボール箱の中に入れっぱなしなのだとか。
 整理している途中なので散らかっていますがと案内されたそこは、六畳間の洋室、と言うか殆ど物置のような惨状――殆ど本棚で埋め尽くされている部屋だった。平成十五年春号から平成十八年十二月…半年前までの月刊アトラスが一冊も欠ける事無くずらりと並んでいる棚がある。手に取らせてもらいぱらぱらと見る――付箋が付いていたりアンダーラインが引いてあると言う事もない。他にもオカルト系と思しき本は幾つか棚に見えた。アトラスと同業他社の雑誌も時々置いてある――特集によりその時々で買い求めているような感じになる。『失われた大陸』、『フォトンベルト』、『悪魔は実在するか』、『オーパーツ』。…何だか統一性が無い。少なくとも今回の件とはかなり方向性が違う気がするラインナップ。…広く浅くの興味だったんだろうか。
 傾倒して行った時期は遺された月刊アトラスを基準に考える限り四年前――が、その旨訊いてみたら、それ以前の月刊アトラスは図書館で読んでいたとか――図書館の雑誌コーナーに月刊アトラスが入っているのかと軽く驚きもするがそれはさておき。…ともあれそんな事を夫人が普通に知っている事からしてこの手の話も夫婦間で気軽に話されていた話題であると察しが付く訳で…それで夫人が何の違和感も持っていないと言う事はオカルトに傾倒してから結構年期が入っていると見るべきだともすぐに察しが付く。
 そんな状態だが、別の棚に目をやればビジネス系の本もまた多い。英語中国語の日常会話や辞書、パソコン関連のリテラシー本もある。ガーデニング関係。ドキュメンタリー系やエンターテイメント系小説もちらほら。
 となると、ややオカルト系の書籍の割合が多いが――まだ充分、普通の範疇になる。…それはこんなところから『本当に』呪物と思しき品々が見付かれば動転するのもわからなくはない。
 机も拝見する。仕事関係と思しき書類やカタログの類が抽斗や紙袋にどっさり入っている…特に呪術を研究していたような跡は無い。ノートパソコンも置いてある。…こちらの中はどうだか知らないが。
 件の呪物らしき遺品が入ったダンボール箱は、その机のすぐ脇に置かれていた。乾涸びた小動物や虫の死骸が入っていると言う小箱。クリアファイルに纏められた書類――ぱらぱら見てみるとそれがプロフィールが書いてあると言う紙と写真に、達筆過ぎて読めない崩し字の漢字が描かれた日本か中国の物と思しきお札数枚。髪の毛や装飾品、日用品小物の類はそれぞれチャックの付いた小さなビニールパックに入っている。
 手に取って見ても構いませんか? 訊いた上で承諾を得てから、海浬がそれらを手に取り直に確かめる。シュラインがそれらを様々な角度から写真に撮る。クリアファイルを預り、その中身もまた写真に撮って情報を確保する。…奥様の目の前で色々検証しない方がいいかもと思ったから、である。
 一通りダンボール箱の中身を手に取って見てから、海浬はふとダンボール箱の蓋を引っ繰り返し表側を確認した。…梱包用ガムテープを剥がした跡だけで無く何か宛名でも剥がしたような痕跡もある。それらを見てから、これらの遺品はこのダンボールに元々入っていた物と仰ってましたよねと真理絵に再確認。肯定。曰く、書類の詰まった他のダンボール箱に紛れてこのダンボール箱もあったとか。
 海浬の意図を察し、シュラインも真理絵もふと黙る。
 …つまりはこのダンボール箱ごとこの中身は元々、亡夫こと梶浦祐作へ何者からか送られて来た物ではないのかと。だとしたら宛名まで丁寧に剥がしてあるのは誰から送られて来たのかわからないようにする為、とも考えられそうな。駄目元で机の脇にあるごみ箱を確かめる――宛名らしき物は捨てられていない。真理絵にごみ箱の中身について訊いてみる――片付けた時には気付きませんでした、と。
 まぁ、仕方無い。
 だがその事で、真理絵の一番の不安は――かなりの部分、払拭された。
 そして――この呪物を使っていた当人であるなら、少なくともお札をクリアファイルに入れて他の書類と一緒に整理しておくような事はしないと思いますよ、と駄目押しの如く続けられたシュラインの科白も、そう思わせる手伝いになっている。
 …この遺品の残され方から考える限り、使っていたと言うより調べる材料として持っていた、と見る方が自然だ。勿論、言い切れはしないにしても。

 最後に、少し違った角度から改めて話を聞いた。…念の為。
 まず、依頼人である当の真理絵に、何か病気にかかったり記憶が曖昧な事はあるか。それから、御主人が蘇生関連の術に興味を持っていた事は無いか。本棚を見回した限りでは特に蘇生関連に興味、と言う風はないが、奥様の方でそうと気付く――気付けるような事柄が何かあったのなら、また話は違ってくる。…杞憂だとは思うがお身内に何かがとの危惧も出てくる。
 が。
 どちらも、特に思い当たらないと言う話。
 ただ、お身内に何かが、とシュラインの方で漏らした事で、生前の梶浦祐作が――会社でとても世話になったと言う先輩が突然亡くなった事に酷くショックを受けている様子があったのだと言う話を聞く事が出来た。
 身内に何かが、と聞いたところで出てくるその先輩の存在。…つまりはその先輩と言うのは祐作からすれば身内に匹敵するくらい近しい存在だったと推察できる。…それは何と言う名前のどんな人か。そこまで突っ込んで訊いてみたら――そう言えばその方のお名前は――「しんざき」さんとしか、音でしか知りませんと真理絵。
 シュライン、ふと停止。
 …まさか、と思う。
 良くある名字だ。読みだけならば。…そうは思うが一応、頭の隅に置いておく。その漢字表記が『真咲』、である可能性――その場合に出てくるもう一つの可能性。
 どういう方なのかと言うのは夫が事ある毎に話していたのでよく聞いているんですが、とシュラインの様子に気付かないまま話を続ける真理絵。…ちょっとした趣味や好みに、日常起きる小さな事件など他愛無い事は祐作経由で色々詳しく聞いている。だがその「しんざき」さんの名の漢字表記も知らず、彼が――真理絵が何度か直接受けた事のある電話の声からして男である事だけは確からしい――家に来訪した事もない。…真理絵は姿を見た事はないらしい。
 そしてその「しんざき」さんの死因は文字通り突然死だったとか。過労によるもので労災が下りたらしいとか言う込み入った話まで真理絵は祐作から聞いていたが、今この場で改めて訊かれた事で顔色が変わる。過労による突然死――それも結局、心不全になるのでは、と思い至る。その「しんざき」さんが亡くなった事と夫が亡くなった事に何か関係があるのでしょうかと真理絵が恐る恐る訊いてくる。…とは言えそれは、まだわかりませんとしか返せない。
 蘇生関連の術と仰いましたよね、と真理絵。ええと頷くシュラインに、もし本当にそんな事が出来るのならば私がしています、とぽつり。
 …確かにそうか。この依頼人、完全にオカルト音痴と言う訳でも無く、ある程度知ってはいて、取り敢えずエンターテイメントの材料として程度に肯定的に受け入れている人間と見て取れる。…まぁ、だからこそ目の前で色々検証するのは躊躇われたのだが。目の前で検証を始めたら、色々と知らない方がいい事が出て来てしまった場合――こちらで何も言わずともその事まで気付いてしまいそうな可能性がある。この真理絵、何か説得力のある一押しをすればすんなりこちらの世界に足を踏み入れてしまいそうにも見えるから。
 亡夫の祐作は月刊アトラス愛読者であると言う事で当然オカルトに興味はあるようだったが――本を見る程度でそのオカルト的興味は満たされていたと見て良さそうだ。いや、もっと言うなら――それらを材料に小説か何かを書いている節もあったらしい。時々会社の先輩――ちなみにこれもその「しんざき」さんだとか――に見せたり、雑誌に投稿もしていたとか。
 真理絵はあくまでその程度の趣味だと思っていたし、実際にこの遺品以外にそれらしき『本物』めいた物品は見当たらない。
 そこまで聞いて、その書いていた小説、を見せて頂く事は出来ないでしょうかとシュラインは訊いてみる。と、真理絵は緩く首を振った。曰く、恐らく夫の書いていた物はこのノートパソコンの中に入っていると思いますが――パスワードがわからなくて開く事が出来ないんです、との事らしい。
 まぁ、無理は言えない。
 取り敢えず遺品の確認はそこまでにして、書斎を後にする。
 それで、シュラインと海浬は一旦梶浦家から辞す事にした。
 呪物と思しき遺品については粗方わかりましたので、後はこちらにお任せ下さい、関連等細かく調査してみます――と残して。



■後を継ぐ/虚無の影

 …上杉聖治、江波瑠維、坂城辰比古、佐保菖蒲、神前啓次、米沢千晴、拝島義、春野優二郎。
 プロフィールと写真があったのは以上八人。内、一番初めに挙げた二人、上杉聖治と江波瑠維の二人だけが存命、坂城辰比古以下、後の六名が死亡の確認が取れたと言う人間になる。
 梶浦家を後にし、取り敢えず情報を纏めよう、とすぐ近所のネットカフェに入ってからの事。適度にガラガラの店内、取り敢えず着いたその席で――少し気になる事があるんだが、とまず海浬が口を開く。
 曰く、六人いる死亡者の中の一人が、件の遺品入りダンボール箱を梶浦祐作に送った当人らしいのだと言う。海浬がいちいち遺品に触れていたのは――呪物の類が実際に使われたものか、使われたものだとしたら誰が使ったものか――能力を用いて過去を見る為。その過去の中で――その死亡者の中の一人がこの遺品をダンボール箱に詰めて梱包している時と、梶浦祐作がダンボール箱を開いている時と両方が見えたのだと言う。
 その「死亡者の中の一人」とは誰かと言えば――神前啓次。
 シュラインはふと思い立ち、遺品を撮ったデジタルカメラの表示を該当人物のプロフィールを撮ったものにまで切り替え拡大表示。その名の読み仮名を確認する。
 ――…「かんざきけいじ」。
 ――…読もうと思えば読める気はするが、取り敢えず「しんざき」ではない。そもそも「しんざき」さんとやらは梶浦祐作にとって会社の先輩なのだと言っていた。梶浦祐作の勤務先とこの神前啓次の勤務先とは会社の名前も全然違うし業種も違う。考え過ぎかと思いつつ海浬に話の先を促す――と、勘が良いなと海浬からぽつり。
 話の先。まず、と海浬が予め注釈を付けたのは、そのダンボール箱を送ったのが神前啓次であっても、彼がダンボール箱の中身を使い呪術を行った訳ではないと言う事。むしろ彼こそがその中身を入手し調べていた――呪術によるプロフィールの人物の殺害を止めようとしていたようで、遺品の過去からは呪物とその関連の品を入手するまでのその過程まで見えたと言う。…梶浦祐作はダンボール箱が送られて来てから、彼の後を継いでこの件を調べていたような節がある――神前啓次の死後になって、このダンボール箱が梶浦祐作の元に届いていたらしい。梶浦祐作が写真の裏に被写体の名前を書きとめていたのも、後を継いで調査するその過程での事。
 …その時点で依頼人の梶浦真理絵へと良い形で報告をする事は可能だが、海浬はまだ梶浦家に居る内にそう言い出していない。
 何故なら。
 今シュラインが思った通り、梶浦祐作が「しんざき」さんと呼んでいた人物は、その神前啓次の事であるとも偶然見えたから。
 ならば字面からして考え難いが祐作の思い込みで読み間違えていたのか――それにしては神前当人からの訂正が一切無いのがおかしい。お互い話す時もそのままで通じているのが海浬には見えていたらしい。
 そこまで聞いて、シュラインは梶浦家に居る内に海浬が何も言い出さなかった理由を察する。海浬の能力で過去を見る限り梶浦祐作と神前啓次に明らかな接点があるのに、プロフィールとして確り残されている書面の内容や、夫人である依頼人の認識から照らすと何処にも接点が無い。
 接点になりそうな部分は、上手い具合に避けられているような。そんな印象。
 そして何より――『その神前啓次も、梶浦祐作が死ぬより前に死んでいる』。神前啓次が呪物を入手した時点で呪術が阻止されているのなら、何故その神前啓次が他の死亡者と同じ――であると思われる不審な――死因で死ななければならないのか。
 もしそこに何かがあるとしたら――その『何か』の中身が判明してから、依頼人への報告を考えた方が安全だろう。事によっては気付いていないだけで依頼人当人が未だ危険の渦中に居る可能性すら考えられる――それでも半年の間何事も無かったと言うのなら、取り敢えず依頼人をそっとしておき下手な動きをさせないようにした方がまだ安全で居られそうだとも思う。…もうこの遺品と人の死が何らかの形で絡んでいる事だけは確実に言えるのだから。
「そうなってくると…本当にその『神前』って人、『真咲』さんって事もあるのかも」
「…何か心当たりがあるみたいだな?」
「漢字では真実に花が咲くって書いて真咲。IO2にはそんな名字の人が結構居るって聞いた事あるの。…私が直接面識あるのは現役じゃない人二人だけだけど」
「IO2か…だとしたら自然とも言えるか」
「何かそれらしい事が見えたの?」
「まぁな。一般人だとしたらとんでもないが…IO2の工作員とでも考えるなら自然だろうと思える行動が見えた」
 そう、どうやら神前啓次は只者ではなかったらしい。
 まず当の呪者の元から呪物を密かに盗み出している――盗み出せているだけの手腕まであったよう。その上ですかさず呪者に術を返している――それだけの事が可能な知識や実践力も持っていたらしい。
 …ちなみにその呪者こそがこの呪物の作り手で本来の持ち主であり、虚無の境界関係者らしく――呪殺を行っていた当人だとか。…手際を見る限り、呪者としてはプロレベルで呪物の管理もそれなりに確りしていたらしい――盗んだ方が上手と見るしかないような手腕。
 そして虚無の境界と言う心霊テロ教団の呪術者に対してそこまでの事が可能となると――確かに一般人だとしたらとんでもなさ過ぎる。が、IO2の工作員であるなら――そのくらいの事をやってのけてもおかしくはないだろうと思える訳で。
 遺品の過去からはその呪者が一人の男と接触している姿まで見えた。背の高い男性――二十代か三十代か、いまいち年頃はわからない。ただそのラフな風体や醸す印象、呪者の元に姿を見せた時間帯からして、少なくとも勤め人では無さそうに思えたと言う――呪者はその男の指示で、動いているようだったとも。
 ともあれ、虚無の境界による何らかの活動に使われたのが件の遺品であり、それが使われた結果、六人の人間が死んでいると言う事だけは確かなようだった。

 シュラインは梶浦祐作の勤務先と神前啓次の勤務先を調べてみる事を考える。そこも確かめた方がいいなと海浬も同意。まずは自分たちに話を持ってきた当の碇麗香に連絡を取りオカルト関連の噂が無いかどうか二つの企業名を伝える。…幾ら本業で忙しいとは言え、麗香なら調べるまでもなく妙な事に詳しいのでソラで知っている可能性もあるかと思い。すぐに心当たりは無いらしかったが、一応、調べてみるわとは返答を貰った。
 一方のシュラインは草間武彦と、自分も面識のある「真咲」さんの一人こと怪奇系始末屋をしている真咲誠名にも協力――麗香に頼んだのと同じ事を頼む事にした。特に誠名の方には神前啓次の名と神前啓次の勤務先の名前に心当たりは無いかと。…この人が真咲姓の誰かである可能性。もしそうなら、誠名からならはっきり確認を取れる筈。
 と、名前だけではどうやらすぐには出て来ないようだったが、その代わりに本人が写っている写真があるなら送って欲しい旨頼まれた。すぐに該当の写真を携帯に取り込み誠名宛てで送信する――と。
 恭児だ、と今度はすぐに返答が来た。当たり。…真咲恭児。曰く、荒事より地味な工作活動に秀でている人物で、潜入任務に就いている事が多かったとの事。ちょっとした異能力を持ってもいるらしく、人から自分に向けられる意識を逸らす事が得意なのだと言う。そんな訳で彼についてのプロフィールの中身は明らかに偽装――但し偽装とは言えその住所や企業が実在しているかいないか、実際その身分通りの行動を取っているかいないかは――その時々によるから詳しくは調べないとわからない、らしい。
 奴が死んだ事教えてくれて有難うよと電話口で誠名。他の件も当たってみようとの返答もくれる――勿論シュラインは自分でも当たっては見る。まずは普通に会社のホームページを探す――二つの企業どちらとも、無難な会社案内が載っている。住所は地図、電話番号は番号案内や電話帳と照らし合わせて確認。存在する。表の情報では何の問題も無い――と思ったら、名前も職種も全然違うがこの二つ、明らかに関連企業でリンクにお互いの企業名が入っている。となると神前啓次――否、真咲恭児が梶浦祐作にとって会社の先輩である、と言う話もまるっきりの嘘ではなくなるのかもしれない。検索して関連のページも幾つか確認。特に引っ掛かる事は見付からない。
 …今度はアングラ系のサイトを渡り歩き情報を掻き集める。この手のサイトで会社の話題が出されている場合は大抵イニシャルが使われるから――二つの企業それぞれと共通のイニシャルの企業に、その近所と思しき地名や特徴のある建造物等が説明されている話は無いかと探す。…噂からは真実が垣間見えるもの。取り敢えずゴーストネットも確かめた。
 テーブル上に地図を広げる。デジカメで撮って来たプロフィールから抜き出し、写真対象の住所や死亡場所――大まかながら遺族に直接確認を取った――を地図上で探し線で結んでみる。呪術的文様が出るかどうかの確認。…そういう訳では無いらしい。取り敢えず法則性は見出せない。
 と、なると。
 写真対象の共通点は――選ばれた理由は何か。
 プロフィールと写真をそれぞれ首っ引きにして考える。職種や学校に共通点はない。住所も同様。外見も全然違う。老若男女の別も様々。IO2の人間まで居た。…共通点と言えば死因くらいになってしまう。皆、突然死――心不全。梶浦真理絵の話からすると、ひょっとすると梶浦祐作も「そうなる直前」に本当に偶然事故に遭っていただけの可能性がある。
 ふと時計を確認。…存命者の二人に会う約束の時間まではもう少し。先程死亡者の遺族の方に死亡場所について教えてもらう為連絡を取った時、存命者である上杉聖治と江波瑠維の二人にも連絡を取っている――二人の無事を確認した上で、直接お会いする事は出来ないでしょうかとアトラスの名を出して頼んでもある。
 …直に会えば何か共通点が見付かる可能性はないだろうかと考えて。
 多少強引かとも思ったが、意外にも拒否はされず――承諾の返事はどちらからも頂けた。
 まずは、上杉聖治との約束になっている。



 …人当たりの良い初老の男性。
 それが上杉聖治と会ってみての印象だった。細々と自然食品を販売している自営業者で、殺される――狙われるような理由は何処にも無さそうな。
 次に会った江波瑠維は雑貨屋でアルバイトをしている成人一歩手前の女性で服飾関係の専門学校生。
 彼女は上杉聖治とは逆に人当たりがややキツめではあったが、だからと言って――さすがに調べ尽くされ命を狙われる程の事も無さそうに思える。
 ただ、彼ら二人と直接顔を合わせて話してみた結果――シュラインも海浬も少し引っ掛かるものを感じた。二人とも、両方に。それも同じ意味で。
 …何と言うか、話していて妙にガードが固い印象があるのだ。
 例えば、何か隠し事がありそれを完全に隠し貫いているような何処か謎めいた印象。しかもその『隠し事』、草間興信所や月刊アトラス編集部のような場所に出入りする者にしてみれば良く見掛ける――経験からして薄々見当が付く類の『隠し事』。
 存命者の二人と別れてからの道々で、シュラインと海浬はどちらからともなくその件について口を開く。
「あれって何となく…能力者特有なガードの固さ、のような気がするんだけど」
「だな。…草間興信所や月刊アトラス編集部のような異能が普通に語られる場所に、半信半疑の状態で初めて顔を出した時の能力者――それもそれまで相談する相手も無く一人悩み隠し通して来たような来客と――感じが近い」
 となると――素直に考えるなら神前啓次こと真咲恭児の場合、潜入工作の優秀さから他との繋がりが完全に見えなかったから、今回の件の数に入ったと言う事になるだろうか――いや、自ら囮になっていたと言う可能性すら考えられるかもしれない。…彼もまた、ちょっとした能力者と言う話なのだろう? そう見なすなら、全然共通点が見出せなかった八人の内――少なくとも三人に漸く共通点が見出せた事になる。
 なら他の五人にも――と、そう続ける海浬の語尾に重なるように、ぴろぴろと携帯電話の着信音が鳴り出した。…シュラインの物。着信表示を確かめる――相手は草間武彦。
 出てみると要件は、梶浦祐作と神前啓次それぞれの勤務先について。両方が関連企業らしいと言うのはシュライン側でも確認出来ていたが、もう一つ――実際にIO2との関係もあるらしい企業だと知らせて来た。
 とは言え末端までIO2の名が浸透しているような首までどっぷり浸かっている企業、と言う訳でもないらしく、IO2ダミー会社の取り引き相手になる一般企業、と言ったところらしい。IO2の名を知った上で取り引きしているのかどうかまでは不明、ひょっとすると責任者や事務、営業の一部は名前くらい知っているかもしれないが――その意味までを理解して取り引きを行っているかどうかはまた別の話になる、との事。
 が、依頼人の亡夫こと梶浦祐作は営業職、そして仲が良かったらしい会社の先輩と言う人物の正体はIO2の工作員、その名を呼ぶ時に祐作は「神前」ではなく「しんざき」としていた事実からすると。
 …梶浦祐作はIO2と言う名の持つ意味を、それなりに知っていたと考える方が、自然ではなかろうか。
 そこまで電話で話していたところで、海浬が小声でシュラインの名を呼ぶ。鋭い声――何かを気付かせようとする声で。声を掛けつつ海浬がさりげなくシュラインを庇うよう位置を移動している――と、その庇った先になる方向から、軽く両手を挙げ、ジェスチャーだけ見るなら降参の形を取っている人物の姿がゆっくりと現れた。
 けれどその表情にはどう見ても降参の意味は見出せず、何が楽しいのか不敵な笑みを浮かべている。
 ラフな風体の、二十代とも三十代とも思える程度の、背の高い――海浬とは種類が違うが、ちょっとびっくりするような美貌の青年――海浬が遺品の過去の中で見た男。
 ――…呪者に、呪殺を指示していた男。即ち呪者より上の立場になるだろう、虚無の境界構成員と思しき男。
 その男は海浬の姿を見、にやり。
「俺の接近に気付くなりその反応って事は――粗方調べは付いてるって事だよねぇ? 普通の意味でもそうじゃない意味でも」
「…だとしたらどうする?」
「情報の補完は要らないかなって思ってね?」
「…虚無自ら聞かせてくれると言うのなら有難い限りだが?」
「んじゃ利害は一致だな。…まず、お前らが思った通り共通点が『能力を隠し通してる能力者』ってのは当たり。実験の為には適度な抵抗力のある能力者――それも一匹狼で何処にも繋がらない奴を選んだ方が表沙汰になり難いから適してるんだよね。まぁ何にしろ、実験対象が必要だったからそれらしい奴を適当にピックアップしただけの事になる。
 つまり今回のこれは簡単な実験に過ぎないんだよね? ちょっといじってみた新型蠱術が実用に耐えるかどうかの。…ま、実験対象を選ぶ段階で神前啓次がIO2だったってのに気付かなかったのはあいつのミスになるかな。それで蠱術制御の実験は途中で破綻した」
「嘘があるな」
「何処に?」
「殺害対象を指示したのは呪者ではなくお前だったが?」
 俺の『見た』限りでは。
 そしてお前は――ミスをした訳では無い。
「…イエス。そこまで承知でいて欲しかった。嬉しいから本当に全部話そう。
 今回の実験対象にそうとは見えないIO2の人間を混ぜたのは、呪者の蠱術をわざわざ途中で破綻させる為でね。連中が噛めばまず術を返してくる。…その返りの風が欲しかった。呪者がいじって仕上げた繊細で強力な蠱術――蛇蠱と鼠蠱になってたっけね――をそのまま当の呪者にぶつけたくてね。そうなれば――奴の霊力も高かったんでね、何も知らないまま術と奴とで『食い合う』事になる訳だ。
 そうすれば更に強力な蠱毒がまた生まれるって寸法になる」
 即ち、人蠱がね。
「つっても人蠱は雑念が多過ぎるから幾ら強力でも制御が難しいってのがある。だからその制御が何処まで保つかの実験もした――この件は呪者『が』行う新型蠱術の制御と呪者『で』作った人蠱の制御、の二段構えの実験だった訳なんだよね。まぁ、奴が呪者として蠱術で殺した人数と同様、三人殺した段階で人蠱の術としては限界だったんだけど。
 四人目――いやこの件全体を意識して言うなら七人目、と言った方が良いのかな。とにかく梶浦祐作は人蠱が暴走した結果勝手に殺した人間だよ。きっと人蠱と化す前の記憶と混乱したんだろうな――梶浦祐作の事を『呪物を盗み出し自分の蠱術を破綻させた神前啓次』だと思い込んだんだろう。肝心の神前啓次は人蠱と化してすぐ、一番初めに自らの手で殺しているのにそんな事は忘れ果ててね?」
 梶浦の旦那も可哀想に。…大人しく神前から呪物を預っているだけなら良かったのに、死んだ神前の為と思って調査まで始めてしまうから…そんなとばっちりを食う事になる。
 彼は能力者みたいな抵抗力も全然無かった訳だから、ひとたまりも無い。
 …以上、おしまい。
 梶浦祐作以降にこの件絡みで死んでる人間は居ないって事になる。
 そこまで話し、男は言葉を切りつつ挙げていた手を降ろす。
 海浬の様子は変わらない――警戒しているのかいないのか、平静そのものの佇まい。
「…何故そんな事を俺たちに話す?」
「アトラスの使いに無意味な事をさせるのが気の毒でね」
 そう、この件はもう終わってる事だから安心していいよ。呪物の本来の持ち主――人蠱は暴走した時点で処理してあるから今は存在しないし?
 実験自体が終わってるから、さっきの二人にも今更手を出す必要無くなってるし。…アトラスの使いに名前がバレてる以上、今後共に実験に使える対象じゃなくなった訳だしね。
 実験したのが新型蠱術って言っても、いじってあるのは奉り方だけで蠱毒にする為の材料作るまでは結構普通の方法だから、これ以上呪物を調べても、何か出て来る訳でもない。
 ――…ほらもうこれ以上手を出すところが無い。
 それより早く梶浦さんの奥さん安心させてあげる事を勧めるよ。
 ほら彼女、旦那さんが蠱術使って人殺ししてたんじゃないかって不安になってるんでしょ?
 にこり。
 あっさり笑いかけて来、それからその男はくるりと踵を返す。
 背中を向けたそのままで話を続けた。
「そりゃ、後の事考えて虚無の境界関係者は片っ端から潰しとくとか言うんなら、俺がここに居る時点でまだ手を出す余地はあるだろーけど…おにいさん今そこまでする気ある? ちなみに俺は無いけど――まぁどうしてもってんなら勿論抵抗するけどね。
 …たださ、テロリストに正当防衛の口実なんか与えたくないとは思わない?」
 ねぇ、シュラインの姐さんもさ?
 と。
 続けられたその科白に、何も言えないでいたシュラインが目を見張る。
 名前を呼ばれた。
 それは――シュラインにしてみれば現れた男のその姿が、その存在の固有の音が――記憶に無い訳では無いけれど。その存在が虚無の境界と関係があるとそんな話を聞きかじった事が――無くも無かったのだけれど。
 それでも。
 印象が違い過ぎて咄嗟に信じられない、と言う部分が大きくて。
 今、目の前に現れ頼まれもしないのに今回の事件の顛末を語ってのけた男は――海浬曰く呪者に指示を与えていた今回の黒幕らしい男は。

 ――…シュラインの視覚と聴覚を信じる限り、鬼・湖藍灰としか思えなかった。



■最終報告

 あの後、結局何事も起こる事なく虚無の境界構成員の男――湖藍灰はあっさりと姿を消し、シュラインと海浬は取り敢えず月刊アトラス編集部に帰還した。
 本当にただ、今回の件の情報を話しただけで湖藍灰は去っている。
 結果として一番の疑問を持ったのは海浬。…それは今回の件で今になって虚無の境界が手を出して来はしないだろうと言う事は遺品から元々読み取れていた為、湖藍灰と言うその男が何もしないで去った事に対しての疑問は全くないのだが――自分が遺品の過去から読み取った中に居た、恐らくは今回調べた呪殺事件の黒幕と思しき虚無の境界構成員の男である彼と、草間興信所の身内であるシュライン・エマがどういった経緯で知り合いなのか――それもシュラインの面食らった様子からしてどちらかと言うと好意的日常的な、少なくとも敵対関係ではないような人間関係があるようなのかがわからない。
 …それは能力を以って『見て』しまえば海浬にはすぐさまわかる事だが、必要と決め特定の事を確かめる時を除き、極力他者の過去や記憶に土足で踏み込むような真似をする気は無い訳で。
 ここは当然、本人に訊く事を選ぶ。
 と、新年の餃子パーティーに呼ばれた事があって、と来た。
 それから、彼の事は麗香さんも…三下くんも知ってる筈だと。
 …曰く、湖藍灰は月刊アトラスに寄稿している某霊能ライターの師父である仙人で、月刊アトラス編集部自体にも顔を出したりあろう事か記事のネタ提供をしていたりする事もあるのだとか。何やら虚無の境界関係者としての活動とその某ライターの師父と言う立場は完全に分けているとの事で、その話はアトラスの面子にも結構あっさりぶちまけられているらしい。
 …だが。
 そうは言っていても、目の当たりにしなければ易々信じられないものではある。
 普段某ライターの師父として見せているおちゃらけた変人振りを見ていれば尚更、別の貌として心霊テロリストをしているなどとは――簡単に信じられない。むしろ単なる冗談、軽口のように聞こえてしまうのが人情で。
「つまり…話に聞いた事はあっても今までは湖藍灰さんの虚無の境界らしい面は全然見た事無かった訳で」
 それでさっきは…どう反応するべきかわからなくなって驚いてしまった、と言うか。
「…なら、その辺が理由で奴はこちらに対してやる気が無かった、って事もあるのかもしれないな?」
 俺たちの事をアトラスの使いとはっきり言っていたしな。
「かも知れないわね。…湖藍灰なら、弟子がこっち側に居る限り虚無としてこちらに手は出して来ないでしょ」
「言い切れるか?」
「ええ。…そうなると梶浦さんがうちに相談して来たのは正しい判断だった事になるのかもしれないわ」
 …幾ら終わっている事だと言っても意味が無いとは言っても――その事を探りまわる者をうるさいと思う可能性はある――と言うかむしろその可能性は高かろう。虚無の境界、と考えるならその辺の判断は余計に過激な筈だ。もし湖藍灰と何の縁もゆかりもない相手が今回アトラスに持ち込まれたのと同じ調査をしていたのなら――そのうるさい羽虫をあっさり潰していた可能性は否定できない。
 そう考えると、梶浦真理絵は偶然にも一番の安全策を取っていた事になる。
「にしても…どう報告したものかしらね」
 梶浦真理絵に頼まれた事柄。
 取り敢えず、亡夫・梶浦祐作が呪術で殺人を犯していた訳ではない事だけはそのまま言っていい。
 ただ、「どう調査してその結論に至ったか」の説明が難しい。
「安心させる形で報告するのが一番良いだろうとは思うがな。…本当の事をそのまま話しては夫人の方がどう判断してどんな行動を取るかわからないと言う部分がある」
「…そうね。彼女はそれなりにオカルト知識を噛み砕いて持っているようだから――この件の伝え方によっては一線を超える最後の一押しになってしまう事だってあるかもしれない」
「私も二人と同感だけど…でも少し骨だわね…」
 これだけがっちり『虚無の境界』に『呪殺』が噛んでおり、IO2の名まで――それも夫人の夫こと梶浦祐作すらもひょっとしたらIO2に絡んでいるのでは――更には呪殺が梶浦祐作の死因にまで繋がってしまうとなれば、安心させる形で話を捏造するのもちと難しい。

 編集長のデスクにて、三人で顔突き合わせて依頼人の梶浦真理絵に調査結果をどう伝えるべきか考え込んでみる。
 …どう伝えたら一番良い形に収まるだろうか?



 ――…梶浦祐作さんの残された、呪物と思われる遺品についてですが。
 当月刊アトラス編集部の使いが撮影した写真を細心の注意を払い専門家の手で調査した結果、実際に効力のある呪物ではないだろうと言う事が判明しました。
 八名分残された人物調査の内、六名もの方が亡くなっていたのは、不運な偶然だったのだろうと。
 恐らくは梶浦祐作さんも貴方同様に、この呪物らしき物品と六名の死に何か因果関係があるのではと疑って調査なさっていたのだと思われます。
 勿論、梶浦祐作さんの死とこの呪物に何の因果関係も見出せなかったそうです。

 けれど本物の呪物ではないとは言え、明らかに蠱毒の術を意識しそれと模倣しようとした形…人の暗い念がこもった物品である事に変わりはないとの事。
 当月刊アトラス編集部では前に挙げました通りこういった術の専門家との伝手もありますので、これらの呪物や関連の遺品はきちんと御供養した上で、処分させて頂く事も出来ます。
 どうぞお気軽に御相談下さい。

 …以上。
 この話、怪奇雑誌編集部の言らしく、少し胡散臭く聞こえてくれれば、より好都合。
 その方が、呪術が実在するかもと言う不安など撥ね退け、より安心できる事になるだろうから。

【了】


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    登場人物(この物語に登場した人物の一覧)
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 ■整理番号/PC名
 性別/年齢/職業

 ■0086/シュライン・エマ
 女/26歳/翻訳家&幽霊作家+草間興信所事務員

 ■4345/蒼王・海浬(そうおう・かいり)
 男/25歳/マネージャー 来訪者

 ※表記は発注の順番になってます

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 …以下、登場NPC(□→公式/■→手前)

 ■梶浦・真理絵/依頼人の未亡人
 ■梶浦・祐作/依頼人の亡夫

 ■上杉・聖治/遺された写真に写っていた人(存命)
 ■江波・瑠維/〃
 ■坂城・辰比古/遺された写真に写っていた人(死亡)
 ■佐保・菖蒲/〃
 ■神前・啓次(真咲・恭児)/〃
 ■米沢・千晴/〃
 ■拝島・義/〃
 ■春野・優二郎/〃

 □碇・麗香/オープニングより登場。
 □草間・武彦/御指名あったが故に登場。
 ■真咲・誠名/御指名あったが故に登場(登録NPC)

 ■湖藍灰(鬼・湖藍灰)/虚無の境界構成員(登録NPC)

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          ライター通信
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 いつも御世話になっております。今回は発注有難う御座いました。
 今回の話は…実は私の頭の中の状況と皆様のプレイングのちょっとした加減で、結末が…依頼人の亡夫や写真・プロフィールに残されていた人物が何者だったのかの真相がころっと変わっていたりします。よって、同タイトルのノベルでも同時参加になっている方以外のノベルの場合、話の展開が全然違う事になってたりします。
 そんな訳で、こちらの二名様が参加されましたこのノベルでの真相は、どちらかと言うとIO2寄りの善玉路線(?)になっております。そして二名様とも共通の文章になっています。

 …募集直前に当方で納品していた某依頼系ノベルの影響か(実際導入部分の内容が微妙に似てる気が、と今更気付きました/汗)、はたまた最近の私が書いている依頼系全般の傾向を見て下さっていてか(最近依頼系ではどシリアス一辺倒&何かとタチの悪い内容及び結末が多い気が/汗)、色々と予防線張って頂いたりもしたようですが…このタイトルのノベルは元々、割とさらっと流すつもりでおりました。
 ただ、虚無の境界とかIO2とかその他裏の世界な怪しい人々の暗躍がちょこっと垣間見えると言う程度で、麗香さんに調査依頼を頼まれた皆様の方にはあまり危険は無いような感じに…と。

 蒼王海浬様の「遺品が残されていた事」自体についての冷静な指摘と、シュライン・エマ様に亡夫の会社が実はIO2関連だったならと可能性が出された事から、今回のノベルではこんな風に話が転がってしまいました。…結果として妙に複雑怪奇な話になってしまったような気がしてはいます(汗)

 少なくとも対価分は満足して頂ければ宜しいのですが。
 では、また機会がありましたらその時は。

 深海残月 拝