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<東京怪談ノベル(シングル)>


心の休養に効く薬

 いつもと変わらぬ昼下がり。
 郵便物を出しに行っていたシュライン・エマが草間興信所に帰ってくると、いつも煙草の香りでいっぱいの事務所が、甘酸っぱく瑞々しい果実の香りに包まれていた。シュラインに気付いた所長の草間 武彦が、その気配に顔を上げる。
「お帰り、早かったな」
「ええ、郵便局すいてたから。ところでどうしたの、これ?」
 その瑞々しい香りの主は、シュラインの机に上に置かれている完熟マンゴーだった。黄色いペリカンマンゴーと、真っ赤なアップルマンゴー。それがカゴの中に行儀良く収まっている。
 すると武彦は煙草をくわえたまま、シュラインの側までやって来た。
「『いつもお世話になってるから、ちょっと早いお中元』って、シュラインに。俺も煙草カートンで貰ったから、文句言えないけど」
「気を使わなくてもいいのに」
 カゴの中には『また何かあったらよろしく』と書かれたメッセージカードが入っている。
 これを送ってきた主は、興信所によく仕事を持ち込んできてくれる、いわゆる「お得意様」なのだが、調査費用を払ってもらっている上に、わざわざこういう物を送り届けてくれる辺りが律儀な感じだ。
「今度会ったときに、何かお礼しなくちゃね」
 とは言うものの、目の前に熟れ熟れのマンゴーがあるとうっとりしてしまう。幸いマンゴーでかぶれる体質ではないので、後で武彦と一緒に味見をしようか。
「それにしても、ずいぶんたくさんのマンゴーなんて、どうしたのかしら」
「なんか職場柄、果物とか扱うことも多いって言ってたよ。ほら、お供え物とかで。で、もらったはいいけど自分で食わないから、シュラインに持ってきたって」
「ふーん、じゃあありがたく頂かなくちゃね」
 これだけたくさんあれば、生で食べるだけでなく色々な物が作れそうだ。マンゴープリンに、今の時期ならゼリーやシャーベット。凍らせてスムージーにするのも良いし、唐辛子などと一緒に漬けて調味料も面白いかも知れない。
「やっぱり果実酒は作らないと……」
 そういえば八百屋の店先で、青梅が売られていた。スーパーの酒屋コーナーにもホワイトリカーや氷砂糖があったのを見た。夏ならではのお酒をつくれば、完成したときにお返し出来る。
「でも、家には置き場がないのよね」
 自然とシュラインの目が台所の方へ向いた。果実酒作りに凝りすぎて、シュラインの自宅にはもう果実酒を保管できるスペースがない。マンションには物置としても使える地下室があるのだが、そこの棚にも果実酒がいっぱいだ。
 同じ梅酒などでも、長く熟成されたものと新しい物は味が違う。それに氷砂糖で作ったのと黒砂糖で作ったものもあるし、果実酒などは少量で作っても果実のエキスがあまり出ない。ご飯と同じで、ある程度の量がないとうま味が出ないのだ。
 なので興信所の台所方面にも侵食しているのだが……。
「あ、果実酒で思い出したわ」
 メールで、苺酒と紅茶酒を分けて欲しいと言われていたのだった。今のうちに少し確保しておかなければ。シュラインは立ち上がり、シンクの下にある戸を開けた。調理道具や食器などは上の方の棚と食器棚で済むぐらいしかないので、武彦に頼んでここを果実酒の避難所にしているのだ。
 だが、埃除けに被せてある布を少し避けたときだった。
「あら?」
 苺酒と紅茶酒はちゃんとあったが、前に見たときより妙に減っている瓶がある。ベリー類で作ったお酒と、チェリーで作ったお酒。他にも色々減っているようだ。
「確か写真に撮ってメールで送って、その時からあんまり日が経ってないのよね」
 ポケットから携帯を取りだし、長い指でボタンを押しデータフォルダを確認する。そこに写っている写真と日付から考えると、飲んだにしてはずいぶん量が過ぎるような気がする。
「別に全部飲んでもいいからここに持ってきたんだけど、私に内緒で酒盛りでもしたのかしら」
 疑問に思ったことは聞いてしまうに限る。
 しゃがんでいた姿勢から少し伸びをして、シュラインは台所から顔を出した。
「武彦さん、最近ここで宴会でもしたの?」
「いや。そんな暇以前に金がない。どうした?」
「果実酒がずいぶん減ってるのよ。事務所に来る皆が飲んだりしたのかしらと思って」
 それを聞き、武彦も不審そうにシンクの下を覗いた。確かにずいぶん減っているような気がする。シュラインが「メールで見せてあげたくて」と写真を撮ったときに、武彦は一緒に見ているが、それから比べても異常な速度だ。
「確かにソーダとかで割って飲んでたりもしたけど、それは小瓶に分けて冷蔵庫に入れてあるところから出したし、直でそこからグラスには入れないだろ」
「そうよね……」
 果実酒用の小さなレードルがあるなら別だが、わざわざ大きな保存瓶から出さなくてもいいように小分けにしてある。それに冷蔵庫の方はほとんど減っていない。
 二人で考えても、来訪者も該当者も思い浮かばない。シュラインは首を捻りつつも瓶をぺたぺた触ったり、奥の方を覗き込んだりしている。考えたくもないが、チャバネのあれが飲んでいたりしたら焼き払いたいほど恐ろしい。
「考えるのは後にしようかしら。レードルと漏斗は持ってきたし、残りがあるって分かっていればいいんだし」
 もしかしたら何か潜んでいるかも知れないので、注意だけはしておこう。ひとまずシュラインは二人分のコーヒーを入れ、少し考えながら椅子に座る。するとそれに気付いた武彦が、灰皿を持って椅子を寄せてきた。
「どうした?何か悩み事とか考え事とかあるなら、話聞くけど」
 さらっと自然に言われたが、それが何だか嬉しくてシュラインは肩をすくめる。
「隠し事をしようとしてもすぐ分かっちゃうのね」
「何年一緒にいると思ってるんだ」
 呆れたような、それでいて少し恥ずかしいような複雑な表情で武彦が笑う。
「実は、アトラス編集部で関わっている事件のことなんだけど……」
 電脳アミューズメントやゲームを使って、人の体を乗っ取ろうとした話。DVDを使って情報によるテロを起こそうとしたり、汚職に関わった政治家達が次々と焼死した事件。それら全てにある研究所が関わり、そして鳥の名を持つ者達がいる。
 その事に関して何か知っている事があれば……と思ったのだが、武彦は渋い顔でそれを聞きながら煙草を吸っている。
「そういや鳥の名前に妙に縁があるな。そんな事情があったのか」
 武彦とシュラインの共通の知り合いも、鳥の名前を持っている。
 そこにもきっと関わっているのだろう。二人の間の沈黙に、コーヒーと煙草の香りが重なる。
「色々因縁ついちゃったから、今後関連情報が入った際は教えてね」
「分かった。俺も全く無関係って訳じゃないし、そういうのは怪奇事件以前に、人として協力しないとな」
 良かった。
 武彦ならそう言ってくれるとは思っていたが、皆が皆そういうわけではない。厄介事を嫌い、関わり合いになりたくないと思う人だっているだろう。それをシュラインは否定する気はないが、少し寂しいと思う。
 人として協力しないと。
 その言葉を心の中で反芻し、シュラインはコーヒーを飲みながら苦笑した。
「自分にとって大事なモノはっきりしてるぶん、仕事は仕事と割り切ってる筈なのに、一旦情が沸いちゃうともう駄目ね。これもライターの性なのかしら」
 アトラス編集部などの仕事なら、危険になればいつでも一抜け出来る。しかし、そうしたら真相は永遠に闇の中で、自分が大事に思っている場所や人がなくなってしまうかも知れない。それはやはり辛い。
 煙草を灰皿に置き、武彦もシュラインと同じようにコーヒーを飲む。
「いや、それはシュラインの性格だろ。でも、多分俺がシュラインと同じ立場でも、そうしてるだろうな。負の連鎖は何処かで断ち切らないと、悲しすぎる」
「そうね、悲しすぎるわ」
 生身の体を欲しがった少年。ヒバリの体に入り、心だけが生き続けている少女。祖父の代から伝わる名前を持つ青年。己の半身を見つけるために研究所から離れられない少女や、己の力を暴走させて炎の中に優れ落ちていった女。
 そして、蒼い月のある場所でずっと生き続けている「彼」……。
 それら全てがある研究所という所に繋がって、縛り付けられている。そしておそらくまた向こうは何か仕掛けてくるだろう。目的が何かは分からないけれど。
 少し息をついてコーヒーカップを両手で持つと、その仕草に気付いた武彦が少し息をついて目を伏せた。
「でも、ある意味これもチャンスだと思わないとな」
 えっ?
 少し驚いたように顔を上げると、同じタイミングで顔を上げた武彦と目が合う。
「ずっと隠れられたままならどうにも出来ないだろうけど、わざわざ顔を出してるならこっちにも反撃の機会はある。見えない鎖は切れないけれど、見えるなら俺達にも力になれることが絶対あるさ」
「武彦さん……」
 その通りだ。何も知らなかったときは、どうすることも出来なかったけれど、今は手がかりがある。そこからきっと光りは差す。
「やっぱり武彦さんに話して良かったわ。何かあったときは私から調査を頼むかも知れないけど、その時はよろしくね」
「ああ。社員割引で調査するから。煙草が報酬でもいい」
「もう、そんな事言って」
 二人で笑って、シュラインは急に安心した。それを追おうとしているのも、きっと自分一人じゃない。だから、この闇もいつか払うことが出来る。
「またコーヒーでも飲みに行こう。俺達も協力するから、どっかに消えられないように言っとかないとな」
 そう武彦が言ったときだった。
 しゅる……。床を這うような微かな音。それは自分だけにしか聞こえないほどの小さな音で、耳を澄ますとそれは台所の方から聞こえてくる。
「武彦さん、台所」
 武彦の耳元だけで聞こえるように、シュラインがそう言いながら台所を指さした。チャバネのアレが歩く音ではない。もっと長い物が這うような、そんな音。
 武彦はそっと立ち上がり、台所の方へと忍び足で向かう。
「蛇よりももっと軽い音だわ」
 もしかしたら、それが果実酒を飲んでいた「何か」なのかも知れない。シュラインも武彦の後を付いていく。
 整頓された台所。シンクの下の棚は少しだけ戸が開いている。
 そこでシュラインと武彦はとんでもない物を見た。
「何、アレ?」
「俺に聞くな……」
 瓶に被せていた布から蔓が出て、それが器用に瓶の蓋を開けている。今まで気にしていなかったが、かけていたのは写実的な葡萄と蔓柄が描かれている布で、どこで手に入れたのかも分からない。
「なあ、あの布って、シュラインが持ってきたやつか?」
 そう言われ、シュラインはむっと武彦を見上げる。
「違うわよ。写真撮ったときに下の棚に置いておくだけだと埃が溜まるって言ったら、武彦さんが事務所の何処かから持ってきたんじゃない」
「そうだっけか」
 なにぶん『怪奇探偵』等というありがたくない通り名を持っているせいで、武彦の元には曰く付きの何かが持ち込まれることも多い。本当ならそういうのは神社や寺の仕事のはずなのだが、金を払うから引き取ってくれと言われると、万年赤字の方が多い武彦としては、特に命に危険がなければつい受け取ってしまうのだ。なので時々、夜中に盆踊りを踊るぬいぐるみや、ご飯を盛れと催促する丼などがあったりする。
 どうやらこれもその類のようで、すっかり曰く付きのことを忘れていたのだろう。
「ブドウって事は、ギリシャ神話のバッカスとかから来たのかしら。食材とかは無事なのよね?」
「食料がなくなってたら、もっと大騒ぎだ……インスタントラーメンは貧乏人の生命線だぞ」
 確かにその通りか。というか、次来るときは野菜も買ってこよう。
 様子を見ていると、武彦がずいっと一歩踏み出した。それに気付いた蔓が、驚いたように布へと戻っていく。
「こら、飲んだくれ。勝手にシュラインが作った酒飲みやがって」
 様子を見ていると、人に危害を与えるわけではないらしい。蔓が布に戻っていってしまったのを見て、武彦はずるずるとそれを引きずり出した。
「こいつが犯人だ。どうするシュライン、燃やすか?」
 びくっ、と布が怯えたような気がする。その様子に小さく溜息をつき、シュラインは武彦が持っていた布を手に取った。
「お酒が好きなのかしら。まさにバッカスな感じね……燃やしたりしないから安心して頂戴。『ワインを飲んでいる時間を無駄な時間だと思うな。その時間にあなたの心は休養しているのだから』……何処かの国のことわざだけど、もしかしたら休養したくなったのかも知れないし」
 少し大きめの布を折りたたみ、最後にぽんと手で叩く。
「でも、盗み飲みは駄目よ。お酒は適量が一番だし、決めたぶんだけは飲ませてあげるから」
 入手先も謎だし、いったい中に何が入っているのかが分からない。盗み飲みをする以外何をするかというのは、シュラインと武彦では調べられないので誰か別の人に頼むしかない。
「大丈夫か、それ」
「多分ね。今度果実酒持って行く時にでも、誰か分かりそうな人に当たってみるわ。それまでは私が預かっておくから」
 これで家にある果実酒が少し減れば、マンゴー酒を置く場所も作れるだろう。畳んだ布をマンゴーが入ったカゴの側に置き、悪戯っぽく武彦の方へ振り返る。
「さてマンゴーでも味見しましょ。武彦さんはかぶれたりしないわよね」
「かぶれないけど、今はいい。というか、俺が心の休養欲しい」
 まだ日も高いし、それは遠慮して貰おう。布の事は誰かに聞けばいいだろう。それが分かる人はたくさんいるのだから。シュラインはくすっと笑い、赤いアップルマンゴーを一つ持つ。
「そういえばこのマンゴー、高い奴だと五千円ぐらいするって話よ。頂いちゃうわね」
「ちょっと待った。なんだそのブルジョワな果物。自分じゃ絶対買わないな……やっぱ俺にも分けて」
 こんな現実的なのも武彦の良いところ。
 ひとまず研究所のことや謎の布のことは置いといて、シュラインは笑いながら台所へ向かっていった。

fin

◆ライター通信◆
いつもありがとうございます、水月小織です。
何故か減っていくお手製の果実酒の謎と平行に、前々から繋がっている話を雑談と共に草間氏に話すという感じで書かせて頂きました。あまりやっていないように思ってましたが、地味に鳥の名前シリーズやってましたね…。
布の話はまた別に繋がるとのことなので、ここでは「酒好きの妙な布」という感じで留めておきました。たくさんのマンゴーをどう使うのでしょう。それも密かに楽しみです。
リテイク、ご意見は遠慮なく言って下さい。
またよろしくお願いいたします