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<東京怪談ウェブゲーム アトラス編集部>


魔道の遺産

■オープニング

 編集長のデスク前。
 呼び出された面子は編集長から、折り入って…の話を聞かされていた。
 …珍しい事に、取材命令と言うより、調査の依頼である。

 曰く、月刊アトラスの愛読者だったと言う御主人を亡くした未亡人からの電話が朝方にあったのだと言う。その電話によると、御主人の遺品の整理をしている最中、あまりにも恐ろしくなったので藁にも縋る思いでアトラスの編集部へと連絡を付けて来たらしい。…確かに、アトラス自体は世間的には些か際物に含まれる系統の雑誌だが、その出版社である白王社は月刊アトラス以外の出版物でも充分に社会的認知度のあるそれなりのところと言える。だからこそ彼女の方も連絡を付けてみる気になったのだろう。
 ともあれ、遺品の整理中、あまりにも恐ろしくなった、と言うその理由、内容の方だが。
 …勿論、怪奇雑誌である月刊アトラスの編集部に縋りたくなるような類の話である。
 曰く、何やら御主人の遺品の中から呪物の類と見られる物が次々出て来たとの事。それも…怪しげな文字が綴られた小箱、その中に乾涸びた何かの小動物や虫の死骸。蚯蚓がのたくったような文字が書かれた、呪符の類と見られるお札に…それぞれ別の人間の物と思われる頭髪らしき物が数本。見慣れない、彼女の夫が使っていた物とは到底思えない装飾品や日用品小物の類が幾つか。
 そして、見知らぬ人が撮影された写真が数枚。男女の別も年齢も様々。それらすべての裏に彼女の夫の筆跡で、それぞれやっぱり知らない名前が書かれている。写されている人物のものと思しき名前。また、写真の人物を調査したような、確りしたプロフィールが書かれた紙まで出てきた。
 不気味ながらも、何だろうと思い彼女はその名前の相手に、連絡を取る事を試みた。
 が。
 …連絡を取った時点で、その名前の人物の殆どが、亡くなっている事が判明した。
 それも、時期は統一性も何も無いが、すべて急死で、死因は心不全――とは言え死んだ人間の最終的な死因として心臓が止まる、と言うのは至極当然の事でもあり――即ち、本当は死因不明だったと言う共通点がある。
 その時点で未亡人の彼女は恐ろしい考えに辿り付く。
 …自らの夫が呪いを用いて、彼らを殺していたのでは無いか、と言う考えに。

 夫は優しい人だった、絶対にそんな大それた事が出来るような人じゃなかったんです、と電話口では震える声だったとの事。…ちなみに仕事は特に目立つ事の無い中小企業の会社勤めだったと言う。
 自分の考えが間違っているかどうか、本当に呪いで人を殺す事は可能なのか――そうは言っていても、本心では彼女は否定して欲しくて、編集部に電話を掛けて来たらしい。

 そこまで伝えると、編集長である碇麗香は、はぁ、と溜息を吐く。
「…そんな訳で…彼女に対して否定してあげたいのは山々なんだけど、これ…詳しく聞けば聞く程『本物』みたいなのよ。となると、うちで手に負えるような話じゃなくなってくるのよね」
 しかも、事件になってない事件な訳よ。怪奇絡みの。
 ならば――取材したとしても記事に出来ない可能性の方が俄然高くなってくる。が、だからと言ってアトラスの人間である以上そう簡単に放り出すのも気が咎める類の話。内容自体もそうだが、既に死亡しているとは言え我等が親愛なる月刊アトラス愛読者様の遺した品に絡む事、その愛読者様の奥さんからのSOS、となれば。

 …但し。
 碇麗香にしてみれば、この件でそれ以上に気になる事がある。
 それは…杞憂だと言われるかもしれないとは思う話だが。
 そしてこの杞憂と言われそうな事こそ、SOSのコールをして来た奥さんに到底言える訳もない話。

「…それからここが一番気になるんだけど、遺品の中に『楓か何かのような、五つに先が分かたれた葉の形が中に描かれた円』、が記してある物もあったらしいのよ」
 そうなると、ただの…と言うのも語弊があるけど敢えてそう言う事にするわ。そう、ただの呪術による連続殺人事件――それ以上に危険な可能性が思い付かない?
 …五つに先が分かたれた葉が中に描かれた円――それはまるで、『虚無の境界』により東京二十三区全域を覆うように敷かれたと思われる――用途不明の巨大魔法陣を連想させる紋様の。
「で、それの持ち主と思しき人物は――我らが月刊アトラスの愛読者だった、って言う訳」
 …これって、私の考え過ぎだと思う?



■舞い込む依頼

 …持っていた電話の受話器を置いた。
 チン、と通話が切られる音が控え目に響く。
 セレスティ・カーニンガムの日本に於ける屋敷、書斎。その場の主が掛かって来た電話を受け話をしていた――その話が終わったところ。
 通話の相手は月刊アトラス編集長、碇麗香。曰く、取材にはならないだろう話なのだが誰か調査に協力してくれる人は居ないだろうか、と言う――雑誌アトラスに直結する取材命な彼女にしてはちょっと珍しい依頼の話である。そんな訳で、駄目元ながら自分で連絡が取れる伝手を片っ端から当たって見ているところであるとの事。
 それで今、リンスター総帥であるセレスティのところまで話が回って来た。

 …亡夫の遺品の中から呪物と思しき物が出て来た事に、不安を訴える未亡人の事。
 …呪物と思しき遺品と共に残されていた、詳細なプロフィール。そしてそこに記されていた人物の殆どが同じ死因――心不全、詳しく言うなら原因不明の死を遂げていた事。亡夫の物とは思えない髪の毛や日用品、小物の類が呪物と思しき物品と一緒に残されていた事。
 …未亡人の不安の内容。それは――もしやまさか亡夫が呪殺を行って彼らを殺したのではないかと言う恐ろしい考え。きっと彼女は、そんな事は無いと否定して欲しくてアトラスに連絡を取って来た。曰く亡夫が月刊アトラスの愛読者だったらしいから、恐らくは雑誌の奥付でも見、藁にも縋る思いで頼って来たのだろう、と言う事。
 …だが、遺品の話を電話で聞く限り、碇麗香にはその残された呪物とやら、本物のように思えるらしく。
 …更には、どうやら遺品の中に虚無の境界を連想させる魔法陣が描かれたものまであるらしいと言う事。
 …その時点でまた別の懸念が出てくる事。
 …取材にはならない気がするのだが、依頼人がわざわざアトラスの編集部を名指しで頼って来た訳でもあり――放り出すのは躊躇われる事。
 …だからこそ、今セレスティに電話を掛けているように、碇麗香は思い当たった伝手に片っ端から協力を求めている事。

 一通り話を聞いて、セレスティは電話口で少し沈思する。とは言ってもその時点で麗香の依頼を断る気は全く無く、麗香の話す内容について思う事があった為考えている訳で。
 少しして、依頼人の御主人の死因が気になるところですね、とぽつり。呪術を行ったと思われる時期と、御主人のお亡くなりになった時期を調べれば、その呪物を使用しての呪殺を御主人が行ったのかどうかを推測する事は出来ると思うのです、とも続ける。受けてくれるのねと声が明るくなる麗香に、お引き受けするのは全然構わないのですが、この一件は慎重に扱う必要がある気がしてなりません、とセレスティ。
 …遺品の話を聞いての印象だが、何か嫌な感じがする。それは呪物――呪殺に使われる道具らしいと言う時点で嫌な感じはするものだろうが、それだけでは無くて他に何か。
 少し沈黙を置いてから、セレスティは早々に調査に赴きたい旨麗香に伝える。依頼人だと言う未亡人の名前に住所に電話番号を聞いて、ひとまず早々に通話を切り上げた。

 それで、セレスティ自ら依頼人の未亡人に――梶浦真理絵に、連絡を入れてみる。



■依頼人宅、梶浦家

 少し、驚かれた。
 …それはいかにも要人付きの運転手らしき黒服の男が運転席に乗っている超高級車が何処にでもありそうな一般家庭家屋の前に当然の如く乗り付けたから――それもその超高級車の後部座席から下りて来た黒服の主人らしき存在が、絶世の美貌を持つ銀髪の麗人だったからなのかも知れないが。
 まぁ、事前に梶浦真理絵の元に連絡を入れておいてはある。アトラスから話を聞いた者である旨を告げ、まず御主人へのお悔やみを――そして件の遺品を借り受けたい事、そして御主人について、何故亡くなられたのか詳しい話を聞かせて頂きたい事を伝えておいた。
 それで訪問の許可を得てから、早々にセレスティは彼女の元へと訪れている。

 訪れるとひとまず、居間へ通される。ベージュ系の色合いで統一された室内。特に澱んでいると言う訳でも無いのだが、心持ち、空気に寂しげな悲しげな違和感がある――何処か虚ろ、空っぽな感触がある。通されるままソファに着いたところで、時節柄か冷えた麦茶などを出された。…心遣いは有難いが御主人を亡くされている訳だしそれ程気を遣わずとも、とも思う。室内の空気に感じた違和感も、恐らくは依頼人の心情故なのだろうから。
 薄い化粧で隠してはいるようだが、少し、やつれているように見受けられる。まだ御主人が亡くなってからそれ程時が経っていないのか――はたまた悲しみが深く時が経っても変わらないのか。
 依頼人の御主人――梶浦祐作は、会社での残業を終えての帰宅途中に亡くなったのだと言う。所謂突然死――心不全だったらしい。時期は今年の四月――統計でも突然死が多くなる月になる。…そして今はまだ二ヶ月と少ししか経過していない。
 突然死と来られると、不審と言えば不審だ。実際、梶浦祐作の場合定期的な健康診断からしていきなり心臓発作が起きるような感じではなかったらしく、死に至った詳しい原因は不明。納得は行かないが、さりとて調べても同じ結果しか出て来ない状況でもあったらしい。…それは何らかの外的要因があれば全くの健常者でも突然心停止を起こす可能性は無い訳でもないが、この梶浦祐作の場合その外的要因らしいものが全く見付からなかったのだと言う。結局、幾つか考えられる可能性を挙げられはしたが、どれも決定的では無く原因としてはいまいち弱いまま今に至っている。
 同じ死に方を超常の世界の視点で考えるなら、また別に原因を探る余地があるとセレスティは思う。何者かに殺されたと言う可能性も充分にあるし、偶然霊的な何かの影響を受けてしまった可能性もある。何らかの術を行い、それが失敗したり返されたりしても似たような結果を招く事になるだろう。
 御主人の死因を聞くと、セレスティは連れている部下の黒服にさりげなく合図。…ここに来る前から示し合わせてある通り、依頼人の身辺を注意して――ここ周辺を注意して見回っておく事を依頼人に気付かれないように頼む。…もし御主人の死に不審な点が僅かでもあるのなら――依頼人の彼女もまた、危険な状況に陥っている懸念があるから。…念の為。
 依頼人――梶浦真理絵が座るソファの横、底が抜けたり破損しないようにか二重に重ねてあると思しき大きな手提げの紙袋が置かれている。曰くその中に入れてあるのが件の遺品であり、真理絵が見付けた時には書斎に置いてある机の引出しの奥に大切そうに仕舞ってあった物なのだと言う。
 書斎から持ち出したそれらをセレスティに渡す為、袋に入れて用意しておいたとの事。一応、とセレスティに見える形に依頼人が簡単に中を改め始める。一つ一つ取り出され見せられるそれらは確かに呪物を連想させる――それも小箱に記されている文字や幾つかある御札からして漢字圏内のものと察しは付いた。日本か中国か台湾か。その辺りの呪術。
 依頼人からその紙袋を託されると、セレスティは依頼人を安心させるよう微笑み掛ける。では暫くお借り致します、と伝え、部下の黒服に紙袋を車へと運ばせる。
 それからすぐ、梶浦家を辞する事にした。
 あまり、長居をしても迷惑だろう。…見ず知らずの相手なら、余計。
 そうも思うから。



■意外な『友人』

 カーニンガム邸、セレスティの書斎。
 帰還して、改めて調査を開始する。まず気になったのは虚無の境界の印――八名分のプロフィールが書かれた紙と一緒に、誰が作った意匠なのか綺麗にその形が紙の中央に印刷されている一枚があった。依頼人から電話口で話に聞くだけではただ『それっぽい』で済んでも、実物を見てしまえば全く『それそのもの』としか思えない魔法陣。セレスティは特殊な撮影法で衛星から撮られた写真を自分のコンピュータから呼び出してみる――当の魔法陣が敷かれた状態で確りと写っている東京二十三区上空の写真を画面に表示させる。まず間違いはないと思うが紙に印刷されて残されていた魔法陣の方と比較。
 同じものであるのか――もしくは一見同じように見えても細かい部分に違うところはあるのかどうかを確かめる――違う部分があるのなら、その部分に何かがあるのかもしれない。が、曲りなりとも『魔法陣』である事からして、コンピュータに取り込んで機械に比較させるのは躊躇う――取り込んだ時点で、重ねてみた時点で何かの魔術が発動する可能性も否定できない。思い、セレスティは画面の魔法陣と紙の上に記された魔法陣両方に触れ、自分の能力と感覚を以って、自分の中でだけ二つの魔法陣を重ね合わせて比較する。
 …まず、同じもの。
 二つの魔法陣が同じものだと確かめてから、セレスティは写真上――実際の場所として魔法陣内の楓の葉の先が指す部分は何処に当たるか確かめる。楓の葉先は下向き――南向き。少しずつ拡大し、地図と照らして何処になるのか細かい場所を確認する。…都内南方の区に存在する、併設されている施設まである大きな公園。いや、むしろ公園そのものより併設されているその施設――水族館の方が位置的に当て嵌まるか。
 …その場所で、何か事件が起きた形跡は無いかが気になった。
 それも、遺品の中にプロフィールが記されていた人物、特に亡くなっていた方々に関係するものが。いや、事件らしい事件が無くても何か彼らと関係する事柄が無いか。
 依頼人からは、プロフィールに残されている八名中、六名が亡くなっていると聞いている。信じない訳ではないが、セレスティは改めて自分でも確認してみる事にした。医療機関や公共機関の情報を辿る。…依頼人が恐る恐る遺族に確かめた情報と齟齬は無いよう。調べた結果、依頼人経由で聞いていたのより詳しい死の状況まで辿り着く。
 坂城辰比古、佐保菖蒲、神前啓次、米沢千晴、拝島義、春野優二郎。…プロフィールに残されていた八名中亡くなっていたのはその六名。彼らそれぞれが亡くなった時期は、まだ梶浦祐作が存命している頃になる。…ならば彼が手を下した可能性はある。
 死亡場所、位置関係を辿る。…葉先が指す位置が特に死亡場所と言う訳ではないらしい。取り敢えず同区内での死亡は一件。他は別区や別市内が死亡場所になる――現場が隣の県だった場合すらある。…亡くなった方々の死亡場所と葉先の指す位置は関係無いらしい。
 亡くなっていた方々それぞれについて詳細を調べてみる。まずは残されていたプロフィールを元に表向きの方から検証。…在住地、勤務地。行動半径。交友関係。何らかの形でこの場所と関係するかどうか――三名程該当した。…とは言え内一名は単に在住地が近く通勤時、同区内葉先の指す位置の近所にある駅を利用している事になるだけで、その一名と他のもう二名は当の場所を訪れた事があるだけ。…ちなみに訪れた時期はそれぞれ三年前、十二年前、四年前とバラバラ。家族連れ、団体旅行で、デートでと理由も様々。当の施設が水族館である以上、訪れるだけでは別に何の問題もない訳であり――はっきり言ってこれだけでは偶然でも有り得る程度の一致としか思えない。
 結局、表向きには特にこれと該当しそうな事は見付からない。では亡くなった方々の『裏』の方で何か無いかも調べてみる――『虚無の境界』に『呪殺』、と『本物』であるなら裏の世界とそれなりに関係しているとしか考えられない物が出て来ている――そして依頼人の御主人が月刊アトラスと言う実は密かに『本物』にも詳しい機関の雑誌を愛読していたと言う時点で、むしろ裏向きの貌を重視して調べた方がいいかもしれないとさえ思う。
 …アトラスを購読する事で何か調べていた可能性。それも記事の内容を参考にしていた等の表面的な話ではなく、アトラス自体を調べていたような――その材料の一つに使われていた可能性。そこまで行くとしたら。
 考えて考え過ぎと言う事もあるまい。伝手も部下も使って彼ら亡くなっていた六名の『表』側の調査結果から空白になる時間帯や行動は無いか探し始める。空白。…良くわからないところがあれば、そこで『何か』をしている可能性がある。秘密がある可能性。それは他愛無い秘密であるなら単にプライバシーの問題で当人たちの勝手だろうが、万が一と言う事がある。…勿論、空白らしい空白が無ければ問題は無かろうが。
 ――…空白は、存在した。
 六名共に、何をしているのかわからない時間帯がある。後を追えない行動をしている時がある。勿論その先も追ってはみるがそれですぐに調査結果が出て来る訳でもない。そこまで調べるには少し時間がかかる――セレスティの情報力組織力を以ってして少し時間がかかると言う訳で、彼らの『空白』の中身はそれなりに厳重に隠されている事もわかった。
 ともあれ、共通点が一つ見付かった事は見付かった。空白の存在――六名共に何か秘密を持っている。セレスティは改めて六名の調査結果を見直してみる。この調査結果から他に何か見出せる事は無いだろうかと暫くそのまま漠然と眺めていてみる。…書斎の扉からノックの音。入室を許可すると部下から紅茶が饗された。それを機に調査は一旦置き、そちらに口を付け少し休む事にする。…一度考えをリセットした方が頭が働くかもしれない。
 少し休んでから、今度は遺品に直接当たってみる事にする。危険でない範囲で直に触れ、能力を以って対象物の情報を読み取る事を試みる。これで読み取れるのは御主人こと梶浦祐作氏の事になるだろう。この呪物をどうしたのか、自分で作成したのか、誰かから預っていただけか。所持していたと言うだけなら色々可能性がある――それらの可能性の内、どれが正しいのかを確認する為にセレスティは情報を辿ってみる…――。

 ――…辿ってみて。
 困惑した。
 何故か、セレスティの記憶にある人物が出て来た。容貌立ち居振舞いに関しては何処にでも居そうな、目立たないサラリーマン風のスーツを着た男――だが決してそんな見た目通りではない男。あまりに唐突な事だったので、その存在が記憶にありつつも具体的にどんな名の何者だったか一瞬出て来ない。
 一拍置いて、思い出す。
 確か、スティングと呼ばれていた。
 …草間興信所で、ダリアと言うあの少年に。
 けれど、遺品に残る情報の中ではその男はスティングとは一度も呼ばれていない――梶浦祐作と話す中で名前を呼ばれるような場面は一度もない。梶浦祐作はスティングからこれらの物品を少しずつ入手している――『貴方の盾となり矛となる守護者を呼ぶ為の物』。そんな風に手提げの紙袋に入れた小箱が渡されたのが得られた情報としては一番初め。だが二人の様子を察するに、それ以前にも面識はあったよう。蚯蚓がのたくったような異様な文字が書かれた小箱を見ても梶浦祐作が動じている様子はなかった。それどころか中身を改めた上で、嬉しそうにスティングに礼まで言っていた。
 …何処で彼らに面識が出来たのか。遺品に残る情報からは辿れない。ただ、これら物品の受け渡しをしている時は、気心知れた風ではあった。紙袋入りの小箱の次には封筒に入った御札、そして同じように封筒に入れ御札だけを渡している時が何度か続いた。貴方の事が心配なのでとそんな理由で何度か。それと世間話――何かの悩み相談をして別れているような感じ。
 悩みの内容。遺品に残る情報を総合してみると、梶浦祐作は何者かにずっと監視されているような気がしていたらしい。それも自分を狙う凶暴な何かに。で、まずはスティングはその話を否定せず黙って聞くだけ。話が終わると一緒になってその悩みについて本気で考える。自分が付いていると励まして、最後に遺品として残されている物を渡している。…きっと気が楽になりますから、薬みたいな物ですよと。
 …現状を考えると、この時点で梶浦祐作が本当に何者かに監視されていた、と言う可能性も高い。が、ここの情報だけから見る限り、ただの強迫神経症である可能性も否定できない。そしてスティングが彼に対してしている事は後者と考え単に梶浦祐作の悩みを聞いている――カウンセリングをしている、と言う事のような気がする。
 そして薬の代わりに、呪物を渡しているような。
 日付はまちまちだが、場所はいつも同じ場所――色鮮やかな魚の泳ぐ大きな水槽の側、簡易ベンチと自販機が置かれた一角。恐らく何らかの施設の内部――と言うか素直に考えていい気がする。…ここは件の『楓の葉先が指す位置』にある水族館ではないだろうか。直接行って、この情報と同じ場所があるかどうか確かめる必要があるだろう。
 ――…物品の受け渡しの場所はそれまでと同じ。けれど毛髪や小物と、プロフィール及び虚無の境界の魔法陣が記された紙束が梶浦祐作に手渡された時は、少し様子が違っている。
 …話を聞いてもらってとても気が楽になった事、救われた事に礼を言う明るい貌の梶浦祐作。が、反面深刻そうな貌で黙ったままでいるスティング。どうなさいましたと祐作。スティングはちらりとその顔を見、微かに笑う。けれどそれは束の間で、すぐに深刻そうな貌に戻ってしまう。放って置けない。何があったのか――勢い込んで訊くが、答えない。何も言わない。以前自分へと渡されたような紙袋をスティングが持っている事に祐作は気付く。これは? と問う。一瞬躊躇ってから、何でもありませんとスティング。そしてこの水族館が好きかどうかを祐作にいきなり訊いてくる。その上で私は好きですと続け――でも、と何かを言いかけそこで言葉を切る。紙袋を手に取り立ち上がる。去ろうとしているのだろうと察しが付く。祐作がそんなスティングを見る。スティングは何かを否定するように首を振る。それから、貴方に頼る訳には行きませんと祐作にぽつり。それを聞き、祐作はスティングが提げている紙袋に手を伸ばした。少し驚いたようなスティングの貌。手が伸ばされ指先から力が抜ける。代わりに祐作が紙袋を持っている――奪い取られるように紙袋は祐作の手に渡る。スティングは紙袋を取り返そうとはしなかった。
 最後まで、具体的な言葉はどちらからも何もなかった。
 けれどそれで、帰宅の後――梶浦祐作は呪殺を実行した…のだろう。最後に渡された紙袋の中に入っていた明らかに複数人物の物と思える毛髪や小物を手に取り、その本来の持ち主の死を願った。自分を助けてくれた存在を悩ませる者を消したいと強く思った。…そういう事なのだとわかっていた。言葉も何もなくとも。
 が、祐作はそれだけでは心許無いと思ったか、改めてプロフィールに記されていた人物を探し、写真だけを手に直に見に行った。そしてその上で――もう一度その対象の、死を、願った。一人、二人、三人と、時間が出来た時、時間を作っては探して直接見に行った。毛髪や彼らの使っていた品に念じるだけでは実感が少ない。それだけで消えたとは思えない。その存在が居る事を自分が実感として知る事が肝要、知った上で本気で念じて初めて『守護者』は動いてくれると考えた。
 ――…それで、六人。
 これが呪術だと言うのなら、呪術を行ったのは梶浦祐作当人。でもこれは、明らかに――スティングが居なければ、起こらなかった事。スティングから渡された『物』が、梶浦祐作の手に寄って少しずつ呪的な力を増していた。これは恐らく、初めの小箱が――その中身が『神体』で、次から渡された御札をその『神体』に捧げる事――小箱と一緒に置いておく事が『祭祀』の手段。それで『神体』の力が増していた――それがいいかげん高まったところで、最後に標的が知らされる。梶浦祐作はそれを自ら望んで消していた。自分を救ってくれた友人の心を煩わせるものとして。…スティングが彼に対しやけに友好的であったのはこの布石であろうかとさえ勘繰りたくなる。
 虚無の境界は何処で関係するのか――そこまで考えて、セレスティは先程自分自身が考え実行した事なのだと閃く。魔法陣の中、楓の葉先が示す位置。それが梶浦祐作がスティングと会っていた水族館であるなら――梶浦祐作もそう思ったのなら、繋がる。
 セレスティがそこまで思考した時点で、部下から連絡が入る。亡くなっていた六人の裏側――簡単には辿れなかった空白内での動きについての調査報告。…虚無の境界の構成員やそこに近い場所にいる協力者である可能性。どちらにしろ虚無関係者である可能性が濃厚らしい。実際に、彼らに秘密裏に消されている能力者も数多く居たようだ。
 …ならば、梶浦祐作は虚無の境界関係者を選んで殺していた――殺せていた事になるのか? あの『破壊者』ダリアの従者なのだろうスティングが何故そう動く? 何故わざわざ梶浦祐作と言う一人の人間を選んでそうするように促す必要がある?
 いまいち、よくわからない。



■ニアミス/最終報告

 ――…何故ここで梶浦祐作はスティングと会っていたのか。遺品の情報から見るに梶浦祐作がここを訪れている時期も時間もまちまち、なのに、特に約束をしていた訳でもないのに梶浦祐作がその場所を訪れる時には必ずスティングが現れている。それも、梶浦祐作に渡すべきものを持って、ここで会う事が必然であるように。
 今、セレスティは楓の葉先が指す位置にある水族館を訪れていた。…直接見て確認したい事があるから実際に訪れてみた。それは、彼らが会っていたと思しき場所は何処かと言う事。それがわかれば今度はそこから何か掴めるかとも思ったから。…遺品の中から読み取れたその場所の情報は、簡易ベンチと自動販売機、すぐ側の水槽の形、その内側で泳いでいた魚の種類。
 他の来館者と紛れつつ、セレスティはさりげなく該当しそうな場所を探してみる。無機物から読み取った情報をそのまま他者に伝える事は出来ない為、探すのは実際に自分でするしかない。長丁場になりそうなので電動車椅子を館内の移動に使う事にする。付き添い、介助人として部下の黒服一人。…あまり目立つ事はしない方がいいだろうと思った為、何人も引き連れて行くような事はしない。…それに場所が水族館。もしもの時にも自分にとっての『武器』の調達は容易かろうと考える。
 基本的に館内は飲食禁止。ただ、自販機と簡易ベンチが置いてある場所だけは例外のような形で、小休止用にか施設内の幾つかの場所に置いてあった。自販機と簡易ベンチ、水槽との位置関係。遺品から読み取れた光景と同じ場所なのかどうかを判断するには――側にある水槽の中を泳ぐ魚の種類が判断基準になるだろうか。
 セレスティは普通の目的の来館者同様、一通り魚を観賞して――遺品から読み取った光景の中に居たのと同じ種類の魚が居る水槽を探す。暫く車椅子で館内を巡った後、見付けた。ならばすぐ側に自販機と簡易ベンチがあるか…あった。
 そこだと思ったところで、セレスティは水槽に、壁に、簡易ベンチに触れて情報を辿れるか確かめる。何か関わりそうな情報がないかどうか探してみる。彼らはここに来ていた――思った通り、やはり情報の中にあったのはこの水族館で間違いなかった。
 何故彼らがここに来ていたのか考える。…施設としての目的通り、魚を観賞に来たと言うのがまず初めだったのだろうと思う。梶浦祐作に悩みがあったと言うのなら、その慰めに一人で何となく訪れていたのかもしれない。けれど『いつまでそうだった』のかは、何とも言い切れない。
 スティングと会って話をする事こそがいつからか目的になっていた、ように見えた。梶浦祐作は順路にある他の水槽に目もくれず、真っ直ぐこの場所に訪れている時があった。場所が特にここだったのは、このすぐ側の水槽の中を泳ぐ魚が気になっていたのか――それも可能性の一つとして考えてみる。水槽の前に書かれたガイドを確認するに『共生水槽』と銘打ってある水槽――全く違う生態を持つ同士が共に生きる姿に何か見出していたのか。…それとも水槽の中の光景に意味を求めるのは勘繰り過ぎで、水槽の中の魚の種類と、彼らがここに居た事に特に関係は無いのか。
 梶浦祐作とスティングは特に会う約束をしていた訳ではなかった――ここで会う事は偶然である事を強調したかったのかもしれないとさえ思う。いつも話を聞いてくれる人に『偶然』遭遇する。いつも『偶然』話を聞いてもらえる――『偶然』助けてもらえる。スティングは何も求める事は無く、ただ梶浦祐作の話を聞くだけ。聞いて本気で相談に答えて、少し雑談、また別れる。そしてまた暫くして、この場所で同様に『偶然』遭遇する。…そんな時期が長く続いた。この様子では、梶浦祐作がスティングを信用し切ってしまうまでにそれ程時間は掛からなかったかもしれない。
 スティングが梶浦祐作に呪物を渡すようになったのは、お互い話をするようになって結構経ってからの事になる。…渡すようになるまでに、『本題の話』の後の雑談、『気安い世間話』の範疇で呪物関連と思しき話をしている事が何度かあった。…それまでの話を聞いて、スティングは『守護者の家』なるお守りを祐作に提供したくなった事を告げている。ただ、祐作はこの『お守り』を見たらきっと気味が悪いと思うだろう事も同時に告げている。が、気味が悪く見えそうなお守りと言う時点で、その『お守り』は何かの呪術――本格的な術式に見える呪物って事ですかと祐作からはすんなり返ってくる――スティングは意外そうな貌で肯定。そういうお話は嫌じゃないですか? と恐る恐る続けて訊いても来る。嫌じゃないですよ、恥ずかしながらその手の雑誌を購読している事もあるくらいですし、と祐作。でしたら、今度来る時に持参しますので宜しければ受け取って下さい、きっと心安らかになりますから、とスティング。結果、二人が次に遇った時に、件の紙袋が梶浦祐作の手に渡っている。
 ――…梶浦祐作が呪物を入手した経緯は、わかった。

 セレスティは場から情報を辿るのを止めた後も暫くそこに留まってみる。
 何か、他にこの件に関係しそうな事。一応、他愛無いものまで情報を辿っては見た。事前の調査でここに訪れていたと判明した亡くなっていた内の三人についても探ったが、読み取れた情報の中では本当にただ普通に来館しているだけとしか見えない。…ダリアとスティングが単なる親子連れのように訪れている時もあったが、これも普通に水族館を水族館として楽しんでいるようにしか見えなかった。何か険呑な他意があるようには見えない――まぁ、彼の場合は簡単に言い切れるものでもないのだが。
 スティングが一人だけで訪れている時もある。スティングと遇う前、梶浦祐作が一人で訪れていた時もある。どちらも特に不審な様子は無い。強いて言うなら一人で訪れていた頃の梶浦祐作の様子は、酷く沈んで見えていた事、くらいか。
 …この場所自体が直結して事件と関わっている訳では無いのだろうか。
 けれど。
 どうしても、引っ掛かる。
 …プロフィールの紙と共にあったあの紙の一枚の――中央に印刷されたあの精細な魔法陣を見てしまえば。
 梶浦祐作があの魔法陣を見て、私と同じように思ったのだとすれば。
 亡くなっていた人物は、虚無の境界と何らかの形で関わりのある人物である事は判明している。
 そして、それを発したのが彼である限り信用出来る発言かどうか――本心からそう言ったのかどうかは全く別の話になってしまうが、それでも『この場所が好きです』と言うスティングの言葉が情報の中から読み取れている事は――梶浦祐作の目の前でそう発言した事は確かになる。

 ならば――虚無の境界の何らかの企みがこの場所にあって、
 スティングは――延いては梶浦祐作は、その企みを破ろうと考えたのではと思うのは、飛躍だろうか。



 …併設されているレストランに寄る事にした。
 屋敷に居る時ならちょうどティータイムにしている時間帯である上に、涼しげな外観に惹かれちょっとした興味も湧いた為。施設を本当に後にする前に、少し情報を整理したいと思ったからでもある。
 平日だと言うのに案外人の数は多い。それは決して混雑と言う程では無いが、それなりに人の数は見える店内。セレスティは付き添いの部下も同じ席に着かせ、アイスティーにケーキセットとオーダーを入れる。
 入手した情報とそれらから導き出した考えと思い付きを整理する為、再び思考を巡らせた。
 それから少し後。ふと、記憶にあるような気配が近付いて来た。とは言っても今回の件に関係するスティングの気配でもダリアの気配でも無く、また別人。セレスティにしてみればもっと身近な人物の気配。…アトラスだけではなく向こう――草間興信所でもこの場所に関係する事件が何か舞い込んでいるのだろうか? そう思う。
 近付いて来たその気配は、草間武彦。

 ――だと、思った。

 思い、一声掛けようと振り返ったが。
 すぐ後ろのテーブル、セレスティと背中合わせになる席に草間武彦と酷似する気配を持つその存在が無造作に腰掛けたその時。
 振り返り、その存在に決定的な違和感を感じた時。
 漸く、別人と気付いた。
 気付いたそこで、声が掛けられる。
 草間武彦とは明らかに別人である声が。

 ――…『リンスターの総帥が何故首を突っ込んでくる?』、と。

 それを耳にした途端、即座にセレスティの部下が懐に手を入れつつ――恐らく銃でも呑んでいる――、腰を浮かせ立ち上がろうとする。が、殆ど同時にセレスティが部下の行動を止めるよう片手を翳した。それで一応、止められる通りに再び椅子に腰を下ろす。が、セレスティの背後に当たる席に陣取った白いロングコートの男からは、目を離そうとしない。事あらばいつでも飛び掛かろうと言う心積もりで警戒している。
 セレスティは背後の男に静かに話し掛けた。
「今ここで、騒ぎを起こす気は――私をどうこうする気は無いのでしょう?」
「その気なら話しかける前に撃ってるさ。コートの中で銃口はそっちに向いてる。…リンスター財閥総帥のセレスティ・カーニンガムがここまで無防備だとは思わなかった」
「どうもとんでもない勘違いをしてしまったようで、無防備だったのはそのせいですよ。…何故か君を友人と間違えてしまいましてね」
「…草間武彦か」
「御存知ですか。では血縁なり親交なり…何か御関係がおありの方なので?」
「いや。…だがそういう反応は奴を知る奴の周囲の存在からしか無いんでな。俺も不思議だがまぁそんな事は今はいい。それより何故今リンスターの総帥が梶浦祐作の女房に接触したのかと思ってな。
 単刀直入に訊く。…梶浦祐作の後ろに居たのは、お前か?」
「…。君は、虚無の境界に関係する方ですか?」
「だとしたら?」
「私の疑問を解いて頂ける可能性があるかと思っただけですよ。…私も単刀直入に伺います。梶浦祐作氏は何をした事になるんでしょうか?」
「我らの同志を殺した。それだけだ。…おかげでこちらは色々と予定が狂ってね」
「…虚無の思惑が崩されるならば我々にとっては好都合となりますが?」
「…奴の後ろに居たのがリンスターでないのならもうお前に用は無い」
「後ろの方とやらに心当たりがあると言ったら?」
「それを虚無には伝えまい?」
「…まぁその通りですが。君も無理矢理聞き出す気は無いと見ました」
「我々のみならず『お前ら』にとっても友好関係は存在しないプレイヤー。その時点で可能性は絞れるだろう。…後は一つ一つ潰していけばいい。それだけの話だ」
「…。…もう一つ宜しいですか」
「何だ」
「…梶浦祐作氏を殺したのは君なんでしょうか」
「それがどうした?」
「いえ。…先程から君のお話を伺っているに、梶浦祐作氏のした事に対して報復でも行っていると言う事なのかな、と思いましてね。ですがその割には、梶浦祐作氏御本人の事は完全に無視していらっしゃる。確かに今現在梶浦祐作氏が亡くなっている事は亡くなっています。けれど死因は呪的な手段を取られたとも考えられる不審死。報復であるならば、その手で死を与える事に固執しはしませんか。なのに彼の不審死をそうもあっさり流してしまうのなら、彼に死を与えたのは君もしくは君側の存在だろうと考えられます」
「梶浦祐作の女房にでも知らせるか? それでどうなる? …あの女も消す事になるだけだが?」
「そんな事はさせませんよ」
「お前が知らせなければ今はそれで済む。…まぁ釘を刺さずともお前は知らせんとは思うがな。あれは旦那が人殺しをしてその報復で殺されたなんて事を知って耐えられるタマじゃなさそうだ。…知らせた時点であの女を殺すも同じだろうよ?」
「梶浦祐作氏を――実行者を早々に殺してしまっては裏に誰が居たかを辿れないのも当然だと思うんですが。となると、君には何か彼を早々に殺してしまう必要がおありだったようですね」
「…思いたいように思えばいい。否定も肯定もしない。リンスターに流す情報は無い」
 と。
 セレスティの背後に座る男が告げた直後、お待たせしましたー、と明るいウェイトレスの声が響き渡る。セレスティの着いているテーブルまでオーダーの品を持ってきたところ。今の遣り取りを聞いていた風は全く無く、アイスティーにケーキセットをテーブル上に並べて行く。
 ごゆっくりどうぞと声を掛け、ウェイトレスがテーブルから離れた時には――セレスティの背後に居た男の姿は見えなくなっていた。

 付き添いに同行して来た部下の黒服が、今はセレスティの横に控えるようにして立っている。今し方の出来事――セレスティの背中合わせに座った白いロングコートの男との険呑な遣り取りがあった以上、黒服の行動に寄り目立つ目立たないの話は強制的に棚上げ、主人の安全を第一に、すぐ脇で護衛に専念する事にした訳である。セレスティも部下の気持ちを汲むと止めさせる訳にも行かない。まぁ、さっきの場合で実際銃が向けられていたのだとしても、ここは水上レストランと言う事で場所柄水は豊富にある訳で――実際の条件としては五分五分でいられていた事になる訳で、しかもあの男はそれを承知してもいた気がするので――本気でそれ程危険だった訳でも無いのだが。
 白いロングコートの男が再び現れる様子はない。あれで話は済んだと言う事か。…彼はセレスティが梶浦祐作の裏に居たのかどうかを確認する為だけに接触して来た。そして話をしはしたが、本当のところは言葉ではなく言葉に伴う態度で反応で、自分の確かめたい事柄について信用出来るかどうかも見極めた、のだろう。
 …思いたいように思えばいい。
 ならば折角もらった情報も含め、考えてみよう。
 彼が、梶浦祐作を早々に殺した理由。
 …早々に、同志を殺すのを止めさせる為。
 早く殺さなければ逆に殺される。
 …そんな心配の方が、勝ったと言う事か?
 プロフィールの八人を思い出す。
 亡くなっている――殺されているのは六人。二人、残っている。
 …この八人全員を殺されたら、何か困る事が起きると言う事もあるか?
 いや、そもそも。
 あの男は何故ここに居た。
 私を尾けてきた可能性はないと断言できる。少なくともあの男当人が尾けてきた事だけは有り得ない。同志とやらの誰かもしくは使い魔か何かが居た可能性ならあるが、だからと言ってこの場にセレスティが居るこのタイミングでここに当人が現れる為には――元々ごく近隣に居る必要がある筈だ。
 ましてや場所が水族館。受付の者と相対し、チケットを買う必要がある――即ち、『記録が残ってしまう』場所になる。そんな場所で虚無の境界が正体晒してわざわざ接触してくるか? 初めから尾けて来ていたのなら尚更不自然ではなかろうか。接触するなら外に出てから、もっと人の少ない場所でした方が余程自然だ。
 そこに来て、再び場所への疑問が浮上する。
 …やはり『この場所』に、何かがある可能性。
 何となく店内を見渡す。
 人の姿は少し減った。時間をズラしての昼食を摂っているような人、セレスティ同様卒無くティータイム中の人。買い込んだオリジナルグッズを広げている子供連れ、歩き疲れたか席に着くなりへばってる人、珈琲を飲みつつ何か雑誌を読んでいる人。
 ――!?
 今、誰かが居た。
 改めて見直す。昼食の人、ティータイムの人、テーブルの上に一身上広げてる人、へばってる人、雑誌を読む人――珈琲を飲んでいる、その人。
 気付くなり、微笑みと会釈を返された。
 …スティングだった。

 静かに雑誌を閉じると、スティングは席を立ち近付いてくる。セレスティの部下の黒服は即座に気付き警戒、遮るように前に出ようとする――が、セレスティはそれをやんわりと制止。セレスティは逆にスティングに自分の正面の席を勧め出す。
 スティングは素直に座り、穏やかに挨拶を投げてくる。置かれた雑誌。…見ていたのはこの水族館が特集されているタウン誌らしい。
「初めまして、と言うべきでしょうか」
「実際にお会いするのは、初めましてですね」
「…そうなりますね。あの時貴方は感覚で私たちの存在を確かめていた訳ですから、面識らしい面識は今回が初めてとなりますね」
「あれからもダリア君には何度か御世話になっていますが」
「存じ上げております。今日こちらに参りましたのも、彼に言われたからになりますので」
「今回の件も、ダリア君と関係があるのですか?」
「間接的にはなりますが。むしろ今回の場合は――私の我侭と言った方がより正しいかと」
「では――『この場所』に何か思い入れでもおありで?」
「好きな場所であるだけです。それに、ダリアもこの施設を潰すのは嫌だと言ってくれました。梶浦さんも私と同じだったようです。差し上げた『お守り』を使って作り出した『守護者』で、ここを潰そうとした方々――虚無の境界に打撃を与える事までして下さった」
「それは、手間暇掛けて君自身が梶浦祐作氏にやらせた事にはなりませんか」
「…そうですね。でも、私はそうしてくれと頼んだ事は一度もありませんよ。梶浦さんが彼自身の意志で、私を助けてくれたんです」
「…何故、梶浦祐作氏だったんです?」
「辛そうだったからですよ。この水族館に一人来館していた姿を何度かお見掛けしました。酷く思いつめていた様子で気になっていたんです――ある時思い切って、話し掛けてみました。それから、私でお役に立てるならと何度か話を伺いました。…けれど解決には至らないのです。何度か話をする内に楽になったとお礼を言っては下さったのですが、それが本当の解決になっていない事は私にはわかっていました。それでダリアに相談したんですよ。彼の『監視者』をどうにかする事は出来ないだろうかと。彼が己を守る良い術は何か無いだろうかと。それでダリアが調べて教えてくれたのが、『守護者』を作り出す呪術です」
 私が持っている間は『お守り』の効能はゼロですが、ダリアの教えてくれたあのやり方なら梶浦さん御本人で『守護者』を作り出し、力を強める事が出来ますので。
 …『守護者』は彼を監視するものたちを追い払ってくれるでしょう。
 きっとこの『守護者』が、彼の心の平安を妨げるものを無くしてくれる筈と信じて差し上げました。
 事実、この『お守り』を差し上げてからは、彼の様子は目に見えて回復しまして。私もほっとしました。
 彼の方の問題は、解決しました。
 …ですが今度は、私の方に問題が起きました。この場所が――この水族館が虚無の境界の標的の一つになっていると言う事を偶然知ってしまったんですよ。ダリアからの情報です。特定の術を使う為、虚無の境界の魔法陣内にある楓の葉の、五つある葉先の一つ一つ全ての場所にある施設を破壊する。その術式を行う予定の実行者は誰なのかもダリアから知らされました。…ダリアは私がこの水族館を気に入っていてよく訪れている事を憶えていたんですよ。そして自分もあの場所は嫌いじゃないとも言ってくれました。…ですが直接彼が動く気にまではなれなかったそうです。それを知って、私がどう動くかの方にダリアは興味を持ったようでした。
 実行者の名前と簡単な情報はダリアが拾ってくれました。そこから先を調べたのは私です。何とか止める事は出来ないかと思いましてね。何か端緒が見付かればと。
 それで――こないだの梶浦さんに相談してみたらと、ある時ダリアが言ったんです。それはあの時彼は悩んでいて私に相談を持ち掛けました。けれど…『守護者』を持つ今の彼にこの事を相談するなら、明らかにその力を利用する形になってしまうでしょう。悩みましたよ。ですが、彼に頼む事が出来たなら。彼も私と同じように思ってくれたなら。…そう希望を持ってしまったら、『守護者』の道標に成り得る物も集めてしまいました。それが実行者の毛髪や、装飾品や日用品と言った持ち物です。
 ただ、集めはしましたが、梶浦さんに渡すまでにはまた迷いました。…渡せませんでした。言い出す事すら出来ませんでした。…けれど梶浦さんは、察してしまいました。私も、止めさせはしませんでした。
 恐らくは梶浦さんの『守護者』によって、六人、死にました。
 ですがそれから、程無く。
 梶浦さんも、亡くなってしまいました。
 それも、恐らくは――呪殺の類で。『守護者』でも守り切れなかった力が働いたのだと思いました。並の力が相手なら『守護者』は負ける訳がありません。
 虚無の境界から強力な異能者の刺客でも送り込まれたのかも知れません。
 本当に、申し訳無い事をしてしまいました。

 …今回の件は、これで全てになると思います。
 私は奥方の前に顔を出すような事はできませんし、私を知る貴方が話に噛んでいる以上、それを望みもしないでしょうから。
 ですからどうぞ奥方に遺品調査の依頼を受けた貴方から、奥方にこの事を伝えて頂きたいのです。



 そんな訳で結局スティングからは、セレスティの判断で奥方に伝えて欲しいと、事の顛末全てを託された。
 …何だか色々と困った話である。
 どうやら『守護者』とやらが消滅する事は余程の事が無いと有り得ないと言う話も聞いたから、余計。
 曰くスティングがダリアに教わって梶浦祐作に渡した『守護者』の『お守り』は、変形の『蠱術』だと。
 蠱術とは小動物や虫の類を一つところに閉じ込め餓えさせて互いを食い合わせ、最後に生き残った一番強い蟲を秘術を以って奉り上げ、使い魔とする…とされる東洋の黒魔術である。…この術は、憑き物筋などとも関係する。
 …スティングと別れ屋敷に戻った後、セレスティは碇麗香へと電話を入れた。
 調査の結果を依頼人へどう伝えるべきか、碇麗香と相談を始める。

 確かに、見方を変えれば蠱術の蠱は術者を守り通すものだとも言える。
 蠱術の力とは、術者に危害を加える外敵を攻撃する、と言う事にもなるのだから。
 けれどそれでも、術の形が――手を出してはならない暗黒側面になる負の術である。力の元が『怨み』や『念』そのものである。蠱術は蠱『毒』と言う。…毒などとこんな字が使われる時点でいいものである訳が無いだろう。
 蠱術は呪殺や対象を苦しめる事を目的とするのが本来である。
 それを、初めから対象を守護するものとして展開する時点で充分おかしいのだが、ダリアが噛んでいる以上その辺りの常識は通じないだろう。あの少年は素で善悪や正邪の区別を持っていないし持とうともしていない。それでいて様々な術式に興味を持ってもいる。ならば正邪が逆転しているような…渾然一体となっているような、奇矯な術を作り出す可能性もまたあるだろう。…この『守護者』も恐らくその手の改変をされた術。
 梶浦祐作はそんな『守護者』を偶然にも得た上で、自分の悩みを聞いてくれた大切な友を助けたいと思ったからこそ、その友の気を煩わす六名分の呪殺を行ってしまったのだろう事。
 それが切っ掛けで、『守護者』も敵わないだろう『何か』に梶浦祐作は殺されてしまったらしい事――この件についてはセレスティは虚無の境界関係者らしい謎の白いロングコートの人物にも直に聞いている。具体的な手段までは聞いていないが、手を下したのが虚無の境界である事だけは確か。それも話をした彼当人が手を下したような言い方をしてもいた。あの彼があの場に居たのは、あの場所が何か虚無の境界にとって重要拠点だったからなのかもしれない。スティングの話によれば何らかの術の為の破壊対象。白いロングコートの男の、色々と予定が狂ったとの発言。…セレスティが梶浦祐作の裏に居たのではと確かめに来た事。何故か、スティングやダリアの事に気付いていない様子である事。
 この場所に纏わる状況を考えると――虚無の境界のこれからの動きを警戒しておく必要もある。…まぁここに関しては、IO2辺りにに情報を丸投げしておいても良いかもしれないが。

 それから何より、スティングから『お守り』を譲り受け梶浦祐作が作り出した『守護者』自体はまだ存在するらしい事には一番、困った。
 曰く、『守護者』は作り出した者の一族を守護するものだから、きっと今は依頼人当人の守護をしている筈であると。
 …こんな置き土産が残ってしまえば、依頼人にとっては何も終わった事にならない。
 それは他の点に関しては、月刊アトラス編集部――特に編集長の力を以ってすれば何とでも捏造可能だろう。幾らでも美談に持ち込めるし、胡散臭い文面を持ち出して呪術など嘘と思わせる事も容易い。
 だが。
 今まで呪術と少しも関わる事の無かっただろう依頼人に、本当に『守護者』が存在し依頼人自身を守護していると言う事とその取り扱いに関しての注意点を、どう伝えるべきかとなると――どうしても難しい。
 困った。

【了】


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    登場人物(この物語に登場した人物の一覧)
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 ■整理番号/PC名
 性別/年齢/職業

 ■1883/セレスティ・カーニンガム
 男/725歳/財閥総帥・占い師・水霊使い

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 …以下、登場NPC(□→公式/■→手前)

 ■梶浦・真理絵/依頼人の未亡人
 ■梶浦・祐作/依頼人の亡夫

 ■坂城・辰比古/遺された写真に写っていた人(死亡)
 ■佐保・菖蒲/〃
 ■神前・啓次/〃
 ■米沢・千晴/〃
 ■拝島・義/〃
 ■春野・優二郎/〃

 □碇・麗香/オープニングより登場。

 ■スティング/亡夫の「友人(教唆者)」、ダリアの従者(登録NPC)
 ■ダリア/破壊者、名前と存在のみ登場(登録NPC)
 □草間・武彦/名前のみ登場。

 ■白いロングコートの男(天藍)/虚無の境界構成員(登録NPC)

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          ライター通信
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 いつも御世話になっております。今回は発注有難う御座いました。日付的には納期ぎりぎりと言うか時間的には過ぎてますと言うかそんな感じです(汗)。大変お待たせ致しました(礼)

 今回の話は…実は私の頭の中の状況と皆様のプレイングのちょっとした加減で、結末が…依頼人の亡夫や写真・プロフィールに残されていた人物が何者だったのかの真相がころっと変わっていたりします。よって、同タイトルのノベルでも同時参加になっている方以外のノベルの場合、話の展開が全然違う事になってたりします。
 そんな訳で、セレスティ様個別になりましたこのノベルでの真相は…離れ業気味に虚無の境界に矛先が向いている、と言ったところになります。
 魔法陣の中にある葉の先の位置関係を気にかけてらっしゃったプレイングを拝見していたら、何故か私の頭の中の方ではこんな風に転がりまして…。相変わらず素直じゃない事をしている感じです。…て言うか終わってるのか終わってないのかすら微妙にわからない終わり方になっている気も…(汗)

 少なくとも対価分は満足して頂ければ宜しいのですが。
 では、また機会がありましたらその時は。

 深海残月 拝