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<東京怪談ウェブゲーム 界鏡現象〜異界〜>


−君去りし後−


 ある晴れた日。
 あんまりいい天気だったから、買い物途中だったシュライン・エマは、ちょっと高いところに上って空を見ながら休憩でもしてみようと思った。いつも別段そんな気にもならないのに、よく晴れた日というものは不思議なものだ。なんだか心が軽くなってくる。
 今なら空も飛べそうだ、と思って慌てて辺りを見回したのはここだけの話し。何故そんな笑えない考えが頭を過ぎったのかは我ながら謎だ。実にテンションが上がっている。笑えないとは思ったが、自然と口の端が上がる。
 雑居ビルの屋上へはすんなりと入れた。最上階まではエレベータを使い、そこから普通に階段を上がって、屋上への扉は鍵がかかっていなかった。
 ドアノブは薄汚れていて直接触れるのを少し躊躇ったが、我慢して開けるとギィィという錆びた音が立った。
 屋上に出ると心地良い風と温かさが体全体を包む。
 しかしそれに似つかわしくない大きな音もついでに包んでくれた。ヘリコプターだ。側面に民放テレビ局の名前が書いてあったから、ワイドショーとか、そういった番組でやる天気予報の背景にでも使うのかもしれない。そのせいが風か強くなったので、髪が少し鬱陶しい。そろそろアップにした方がいい季節になってきた。
 屋上は狭かったが、さすがに開放感はよく、眺めも良い。
 一伸びした時に、先客が居たのが目に入った。
 後姿だから顔立ちは判らないが、スーツ姿の背の高い男性だという事だけは判った。
 なんとなしにその先客を眺めていたら、ふいにその男が手摺を乗り越えようと、手と足をかけた。
 「ちょ、ちょっと!!なにやってるんですか!!」
 咄嗟に男に後ろから飛びついて屋上に引き戻す。
 男も油断でもしていたのか、驚いてこちらを見て力が抜けたように手摺から手を離した。そして屋上の地面に落ちる。
 やっている、というのもちょっとおかしい。しかし今はそれどころじゃあない。
 「何で止めたんですか!!」
 「当たり前でしょう!」
 男はこちらを非難した後、前触れも無く泣き出した。それも号泣。
 「死なせて下さい、もう生きていても何の張り合いも無いんです!意味だって無いんです!彼女の居ない世界に生きていたって、仕方ないんです・・・・・・」
 最後まで言い切ると、嗚咽しながら床に突っ伏した。
 ああどうしよう、と知らす知らずの内にため息をついていた。先程までの晴れやかな気分は台無しだ。
 助けてしまった手前、ここで見捨てるわけにも行かないし、見捨てたらこの男、また飛び降りようとするだろう。それはかなり後味が悪い。
 
 取りあえずどこかへ移ろう。
 そう決めて、男の近くに行く。
 青く澄んだきれいな空が、何故か今はとても憎らしかった。




 今何をするべきか。
 発作的に飛び降りしないように注意しつつ、号泣とまではいかないものの、まだ涙の止まらない男の背中を、シュラインは優しく撫でた。泣いている時は、大抵、誰かに触れられていると何処となく心が落ち着くものだ。
 徐々に泣き方が収まり、嗚咽だけが聞えるようになった頃合を見計らい、シュラインは声をかけた。
 「彼女の事、聞かせてくれる?」
 男は声も出さずに頷く。
 「ああ、でも、大切な彼女の事を聞かせてもらうのに、ここだと味気無いわよね。うーん・・・・・・。そうだわ、彼女の好きな飲物でも飲みながら、話しましょ?」
 シュラインが男と同年輩の女性である事が、男を安心させるのに一役買ったのかもしれない。男は小さな声で、
 「彼女は・・・・・・さゆりは、紅茶が好きでした。眠る前にも必ず飲んでました」
 「そうなの?それで眠れていたの?」
 「はい、慣れているせいなのか、カフェインそのものに強いのかはわからないんですけど。紅茶なら何でも好きでした。水出しとかティーパックとかの拘りもなかったんです」
 「そう・・・・・・」
 男が、ほんの少しだけ笑ったように見えた。シュラインが差し出したハンカチを使って涙を拭う。その間にシュラインは草間にメールを送る。事情説明と、“窓鍵は全部厳重に閉めておいて!”と入れておいた。通常なら窓鍵ぐらい、と気をつけない男だが、今回は大丈夫だろう。
 「落ち着ける場所があるから。そこに行きましょう。屋上じゃあ、暑いし身体も痛くなるし。ね?」
 「・・・・・・はぁ」
 優しく腕を取り、男を立たせる。手摺の方は視界に入らない様にドアまで誘導する。
 頭の中で、ここから興信所までの地図を開く。徒歩でいける距離だし、危険と思われる箇所は普通の歩道のみだ。歩道橋も無いから、高い所に上ったから突発的に飛び降りたくなるという事もないだろう。
 ここから降りる時もエレベータを使おう。
 階段と言っても、10段もあるかどうか判らないものだが、打ち所が悪かったら大変である。いや、相手に問題があるとは限らないのだが、そういう事なのだ。
 幸いととるべきか、男はさして抵抗もせずシュラインの誘導に従い、大人しく階段を下り、エレベータに乗る。
 一階のボタンを押し、ゆるゆると閉まる扉を無言で二人は眺める。古いタイプだからかそれとも点検を怠っているのか、スムースで無い音が聞こえる。
 まさか落ちたりしないわよね・・・・・・。
 シュラインはふとそんな思いに駆られた。
 上る時はこんな音は聞こえなかったと思うのは気のせいだろうか。ちらりと隣を見ると、男は床を見つめている。まだ少しグズっている。
 外でいきなり泣き出したらどうしよう。私が泣かしたと思われるのかしら?
 それだけは勘弁してもらいたい、とそんな想像をしてしまったシュラインは、ちょっと哀しくなった。
 
 
 
 歩きながら話した事はそれほど多くはなかった。
 詳しい事は興信所でと言ったし、やはり歩きながらではお互いどうにも落ち着かない。
 取りあえず名前が判らなければ不便という事で、名乗り合ったことくらいだろうか。
 男の名前は、松本・直樹というらしい。恋人の名前は藤本・さゆり。年齢は二十七歳。
 簡潔極まりない自己紹介をゆっくりした後、興信所のある雑居ピルの前に辿り着く。
 「ここよ」
 「はぁ・・・・・・それで、ここは一体・・・・・・」
 「興信所よ。平たく言えば探偵事務所。私、ここで事務員しているの」
 「えぇ!?」
 松本は相当驚いている。“草間興信所”と書かれているプレートとシュラインの上品で端正な顔を何度も何度も見比べている。確かにシュラインはおよそ興信所職員なんて胡散臭い職業には見えない。
 「大丈夫。お客様はそんな来ないし、来たとしても殆どが顔見知りだから」
 「は、はい・・・・・・」
 ベルも鳴らさずに入るシュラインの背中を見て、松本は職員という事を納得したらしい。それでも挙動不審気味にかばんを抱えて、シュラインから少し距離を取って、後ろを歩いていく。
 「よぅ。お帰り」
 「ただいま、武彦さん。こちらが松本さん」
 くわえ煙草の草間が二人を出迎える。男二人は簡単に挨拶をして、会釈をして、それだけ。
 簡潔なのか、素っ気無さ過ぎるのかがいまいち判りづらい。草間はこの通り変に気取りる所があるし、松本も警戒しいてるのだろう。仕方がないかもしれない。
 シュラインは松本に席を勧めてから、台所へと向かう。草間がもれなく付いて来る。
 「一応、零がそれっぽいのを揃えたよ。しかしあれだな、なんか雰囲気が暗いよな」
 「仕方ないでしょ」
 零が揃えたという紅茶は、様々だった。葉っぱのもあったしティーパックのもある。松本はお客様なのだから、葉っぱの方がいいだろう。
 「なんか、音楽とかかけるか。それともバラエティ番組とか・・・・・・」
 居心地が悪いらしい草間は、煙草の灰をトントンと灰皿に落としている。煙草は既にフィルタ近くまで吸われている。
 珍しく気を使っている様子の草間に、シュラインは首を振る。
 「こういうときは、思い切り落ち込んだ方がいいわよ。もう、グテングテンになるくらいに」
 「そうか?」
 言外に、それじゃ酔っ払いじゃねぇか、とでも言いたげだ。
 「そうよ。無理して明るい音楽とか聴いても、なんだか腹が立つものでしょう?挙句に幸せな曲とか聴いたら、もう絶望的よ。だから失恋した時に、失恋ソングばかり歌うのよ」
 「あ。なるほどね・・・・・」
 長い間謎に包まれていた女性心理の一端を知り、草間は納得した。

 
 程よい温度の紅茶を淹れて、シュラインは席に戻る。
 「どうぞ、召し上がって下さい」
 「ありがとうございます・・・・・・」
 気分が落ち着いたらしい松本が、一口啜る。
 「・・・・・・美味しい、です」
 僅かながらでも笑顔を見せた事に、シュラインは安堵した。
 「・・・・・・さゆりは、こんなに美味しく淹れることなんて出来ませんでした」
 「そうなの?」
 「ええ、根っからの不器用者で。自分でも色々と研究していたみたいなんですけどね」
 「そう・・・・・・でも努力家なのね。研究なさっていたのですもの」
 研究と言っても、本格的な物ではない事はシュラインも判っている。今は相槌を丁寧にするのがいいだろう。思っている事を口に出すのには大変なエネルギーが要るが、出してしまえば気持ちの整理も付くし、自分の考えもより判る。
 「彼女・・・・・・いつまで経っても料理とかが下手で。でも作るのは大好きだったんです。弁当とかもよく作ってくれましたよ」
 松本は言っているうちに寂しくなってきたのか、また俯いて弱々しい声だった。
 「よく俺も料理教室とかに付き合わされました。行った事ってありますか?」
 「ええ、私は何度か。あの人は全然行かないんだけどね」
 最後の部分は小声にして、松本に気を使っているのかどうなのか、台所で煙草を吸っている草間をチラリと見て、シュラインは優しく微笑んだ。
 「お優しいのね。きっと一緒に行ってくれたから、喜んでらしたと思う。料理教室って女性が殆どでしょう?」
 「でしたね。たまに男もいますよ。退職して、ヒマを持て余している方とからしいですけど」
 遠い目をして、松本は語り続けた。まるで、失った時間を現実に作り出すかの様に。
 「でも結局、俺の方が巧くなるのが早くて。悔しがられましたよ」
 そしてまた紅茶を一口。
 カップを握り締めたまま、俯いて顔を上げなくなってしまった。
 紅茶のなかに、一粒の水が落ちた。続いて、二つ、三つと、静かに水が落ちた。
 「今でもお料理はなさるの?」
 「・・・・・・ええ。何だか、癖になってしまって」
 目元を拭い、そしてそのまま頭を抱える。
 「そこに、さゆりさんがいるのね」
 「え!?」
 「だって貴方が料理をするのは、さゆりさんの影響でしょう?貴方が何かを作っている間、そこにはきっと」
 彼女がいなければ、それは松本にとって何の意味も成さないのかも知れない。
 それは思ったが、しかしそういう些細なところにこそ、さゆりは確かに存在しているのではないだろうか、そうも思える。
 「私は、そう思う。そういう所に、彼女は残っているんじゃないかな」
 涙は零れていないが、松本はまだ頭を上げない。
 「二人で一緒に何かをしていたっていう経験が助けてくれるわ」
 「・・・・・・助け、ですか?」
 ほんの少しだけ、松本が顔を上げる。
 シュラインは真摯に、強くならない程度に相手を見つめる。
 「死んでしまったら最後というわけではないと思う。貴方がさゆりさんと作り上げた世界が消えるわけがないもの。貴方の中で、今までの事は全部生きてる」
 しなやかな指で、松本の胸ー心臓の辺りを示す。
 「ちゃんとその中に。確かにさゆりさんはは亡くなってしまったけれど、だからといってそれが彼女が居なくなった世界なのではなく、二人で作り上げた世界は確かに存在しているのではないかしら。そしてそれこそが、さゆりが松本の一部になったのではないかしら」
 目が合う。
 やはり松本の目はまだどこか虚ろだった。
 しかし。
 「私はそう思う。彼女は居なくなってなんかいないわ」
 「・・・・・・本当に、そう思いますか」
 「ええ」
 確認をして、松本はシュラインをじっと見つめた。
 「・・・・・・俺は・・・・・・」
 一言だけ発して、松本は最早紅茶にも口を付けずにただずっと、僅かにさやさやと動く琥珀色の液体にのみ視線をやっていた。

 辺りが夕焼け色に染まる頃、松本が「帰ります」とだけ言い、来た時よりもしっかりとした足取りで興信所を後にした。
 「大丈夫かね、あいつ」
 古い窓から外を見下ろし、草間が煙草に火をつけながらポツリと零した。
 「大丈夫じゃないかしら」
 「そうか?」
 「なんとなく、だけど」
 松本は“帰ります”と言った。だから、大丈夫だと、シュラインはそう思った。



 
 後日。
 一月ほど経った頃、松本がやって来た。それも三段重を抱えて。
 「これ、良ければ皆さんで召し上がって下さい」
 少し照れくさそうに笑いながら、重量感のあるそれをシュラインに手渡した。
 「ありがとうございます。・・・・・・でもどうなさったんですか、これ?」
 「作りました」
 「松本さんが?」
 「貴方に言われて、家に帰って・・・・・・腹が減りました。仕方がないからーあの時はそう思ってー食事の用意をしていて、食べた時に。判ったと言うか思ったというか」
 一月前よりもずっと、意思のある目をしている。
 「思い出が無くなるわけではないんですよね。それに、巧くは言えないんですけど。俺があの時本当に後を追っていたら、俺の知っているさゆりが居なくなってしまうと思って」
 「松本さん」
 「俺だけが知っているさゆりが居る以上、俺は後を追えないって。そう思ったんです」
 これきそれを気付かせてくれたお礼です。
 そう言って、爽やかに笑った。
 「本当にありがとうございました。やっぱりまだ辛い事が多いです。それでも、たまに楽しい事や嬉しいことがありました。さゆりとの良い思い出も、思い返す事が出来て嬉しい事もありました」
 シュラインもつられてか、自然と笑った。
 ほんの少しだけ談笑して、松本は丁寧に辞した。
 お重は綺麗にちょっと高級そうな風呂敷に包まれていた。折角なので風呂敷包みを開けて蓋を開けると、少し大雑把に入っていたが、焼き魚・玉子焼き・蒲鉾等が入っていた。
 卵焼きを一口食べると、程よい甘さが口の中に広がる。良い感じのふわふわ感。
 「ん、美味しい」
 素直に一言が出た。
 これが生きているという事の一端だろう。
 そんな風にも思う。
 チラリと草間のデスクを見やる。珍しく彼は仕事で出かけている。
 草間に何かがあっても、多分自分は後を追ったりしないだろう。
 別にそれは愛情が欠けている訳じゃない。
 相手との思い出が存在する限り、それを無くしたくはないから。
 亡くなった相手の事を思う時は確かに哀しい。けれど、それだけでは無い。
 人は思い出があるから生きていける、と誰かが言っていた。
 亡くした相手の事を忘れないでいる間はその相手と繋がっていられると信じているからだろうか。
 ふと、そんな風に思って、シュラインは笑った。
 このお弁当は今日のお昼にしよう。きっと草間は驚くだろう。
 お弁当を見たときの草間の反応を想像して、シュラインは楽しくなった。
 空を見たら、今日も良く晴れそうな良い天気だった。
 
 それだけで嬉しい気持ちになる自分は、とても幸せ者なんだと思い、シュラインはまた笑った。
 
 
 
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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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【0086 / シュライン・エマ / 女性 / 26歳 / 翻訳家&幽霊作家+草間興信所事務員】



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■         ライター通信          ■
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 こんにちは、いつもお世話になっております。
 この度のご参加、誠にありがとうございました。
 優しいプレイング、感動致しました。シュライン様の優しさが少しでも伝わっていれば良いのですが!
 またいつかお会いできる日を祈っております