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遙見邸書斎にて・消失書籍の創作依頼
その日の来客を、七罪は依頼人ととるべきか、それとも純粋な遭難者ととるべきなのか、彼女は本気で考え込んでしまった。
「し、失礼……本の創作を、い、依頼したいのです、が……」
息も絶え絶えに言われても、言われたほうが困る。
来生一義と名乗ったその中年の男は、どう見てもボロボロだった。とりあえず応対を考えて――。
「あ、あの……大丈夫ですか?」
結局そんな言葉しか浮かばなかった。
「いや、申し訳ない……生来の方向音痴のため、一週間もかかってしまい……」
一週間も放浪していたというのだろうか。
「……えっと、とりあえず飲み物と食べ物を用意しますので……あ、お風呂もはいられたほうが良いですね……苦怨さま、多分そのままでお会いになると怒りますから」
「面目ない……」
しかし、と七罪は思う。
郊外とはいえ、国道にさえ面しているこの屋敷に辿り着くのに、一体どうすれば一週間も放浪できるのだろうか。
飢えてはいたようだが、それでも根っからの紳士らしい。七罪が用意した食事を、落ち着いてゆっくりと咀嚼している。
「婦人の前ではしたない姿を見せるわけにはいきませんので」
見ているほうが感心するような食事の合間に、来生はそんなことを呟いていた。
「いや、まったく申し訳ない。食事の代金はお支払いします」
「いいんですよー。お金なら余ってるんです。気にしないで大丈――ひあああっ!」
七罪が妙な声をあげた。背後でかなり大きい手が彼女の頭をわしづかみにしている。
「く、苦怨さま……」
「七罪。確かにお前には財布を預けているが、あくまで仮だと忘れるな。そういうことは主人である俺に一言断るのが当然だろうが?」
「ふええ、ごめんな――いた、いたあーいっ」
何度か締め付けてから満足したのか、背の高い眼鏡の男――遙見苦怨は、手を離した。その後七罪の頭をさすってやる辺り、よくわからない人柄である。
「来生といったか。食事はこちらで持たせてもらおう。気にするな。そもそも仕事の報酬をもらうしな、それでフィフティだ」
「……了解しました。では、仕事の話なのですが」
来生の目が細まる。かなり真剣な話のようなので、苦怨の目もいつにもまして凶悪になった。
――場違いなのは、一人ぐすぐすと泣いている七罪だったが。
「ふむ。なるほどな。父親の遺稿か――良いだろう。引き受けた」
「は……」
あっさりと承諾したので、逆に来生のほうが拍子抜けしてしまった。
「あの……よろしいのですか。知人からこちらの話をうかがったのですが、家主は気難しく、適当な依頼は受けてもらえないと――」
「ハ。確かにな。最近は魔道書を求める小娘や、兵器の情報を欲しがる理系女などろくな客が来ないが――まあ、俺がそもそもこの商売をはじめた理由は、あんたみたいな客が対象でな。大昔の古文書の復元より、この世に一つしかなかった手書きのものを再生するためだったんだ」
「では……私は、ある意味で一番目的に適した客である、と
?」
「そういうことだ」
苦怨の表情はまだ硬い。しかしどうもこの人物は、表情から思っていることを読み取る事ができないようである。
「三日待ってくれ。その内に完成させてしまおう。世話は七罪にさせる。ここに滞在してゆっくりしていてくれ」
「は――滞在、ですか」
「ああ、決まりでな。出かけるのは自由だが、夕食までには帰ってきて欲しい。必要なものはそろえる。以上だ」
言うだけ言って、苦怨はさっさと食堂を出て行ってしまった。後に残った七罪はにこりと笑って、食事の後片付けを始める。
上手く行きすぎて、呆然としてしまう来生であった。
来生は、本の整理をしていた。
滞在中、暇だったのである。お礼を兼ねて地下書庫の掃除と整理を申し出たら、七罪は大喜びであった。苦怨は部屋にこもって出てこない。どうも徹夜で執筆しているらしい。
「いや……しかし、これは」
お手伝いしますと言った七罪とともに地下室に下りると――そこには。
「壮絶、ですな」
さすがの来生も呆然としてた。
「あ、あはははは」
七罪も笑うしかないようだった。
まず、本が本棚に入っていない。地面に無造作に置かれた本は分厚く、中にはタワーと化している場所もあった。もちろんタワーが崩れているような場所もあり、下手にそこに触れれば本の雪崩が起きるだろう。
「では――始めるとしましょう」
「え、ほ、本気で」
「もちろんです。なに、体力に自信はありませんが、几帳面だけがとりえなのでして。きっちりとやらせていただきましょう」
眼鏡を直す来生。はじめが遭難者一歩手前の状態だっただけに、今の彼はやり手のビジネスマンに見えて、七罪には頼もしく思えた。
夕刻までに、全ての本を棚に納める来生の技量は素晴らしかった。七罪など、本の埃をふき取って彼に渡しただけである。来生はまるでマシンガンかなにかのように棚に本を収めていた。
「ふう、やれやれ、一仕事終わりましたね。お疲れ様です七罪さん」
「い、いえ、来生さんも……」
素晴らしい仕事ぶりを見せ付けられて、メイドとしての自分の存在意義にちょっと疑問を感じてしまう七罪であった。
(もし、来生さんをこのまま雇ったら……)
エプロン姿で屋敷の掃除をする来生。
(…………似合ってる)
その完璧っぷりに、思わず一人で頷く七罪であった。
「――――ようやく終わったようだな」
低い声。見れば、いつのまにか苦怨が地下書庫に入って来ていた。目の下にクマが出来ていて、頬も少々こけているが――仕事後はいつもこうなので、問題はない。
「あれ、苦怨さま。いつもよりちょっと早いんじゃ……?」
「ああ、あと半日かかる。だが――少し、読ませておきたくなってな」
苦怨がもっていたのは、よくある鍵のついた日記帳であった。作り直しであるので、苦怨の本は原本と装丁も異なる。おそらく彼が内容に相応しいものを選んだのだろう。
「来生。お父上の草稿だが――余白に、君と君の弟に宛てた文章があった。たぶん研究の合間に書いたんだろう。先に読ませておきたくなってな。まだ完全ではないが、もってきた。その部分だけ読んでしまえ」
「は、はあ。ですが私は明日でも」
「いいから読め」
有無を言わせず、該当する場所を指し示す。来生は黙々と読んでいた。かなり長い文章であるらしい。
もちろん、七罪には一体なにが書いてあるのかはわからない。
だが――しばらくして、来生はその瞳から細い涙が流れたのを、七罪は見逃さなかった。
来生は、久遠に何度も礼を言ってから、遙見邸を去った。
彼があの草稿をどう扱うのかはわからない。書いてあるのは、どうも遺伝子操作の生物の観察記録らしい。
しかし、もはやその生物はどこにもいないらしい。研究を目に見える形まで昇華するのは難しいだろうな、と苦怨も言っていた。
「むしろヤツにとっては手紙のほうが大事だろう。死んだ親の遺したメッセージだ。どんな形であれ嬉しいし哀しいに違いないさ」
「そ、そうですね」
「久しぶりに良い仕事をした。あれを扱うのはもうヤツ次第だ」
苦怨はしかめ面を崩さない。
彼の仕事は終わった。もう関わるべきではないと、苦怨の瞳が雄弁に語っていた――。
<了>
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■ 登場人物
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【3179/来生・一義/男性/23歳/弟の守護霊(?)兼幽霊社員】
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■ ライター通信
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わーい再びご依頼ありがとうございますー。ライターのめたでございます。アイテムを追加しておきましたので、別のノベルでもどうぞご活用くださいませ。リピーターは貴重ですー。
来生さまはどうも苦怨に嫌われない珍しいタイプです(笑) 七罪との相性もよろしいようですし、よければまた遙見邸にまでどうぞ。いつでも歓迎する準備はできております。
ではでは。ご依頼、ありがとうございました。
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