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<東京怪談・PCゲームノベル>


過去の労働の記憶は甘美なり

「学会面倒だよぅ、行きたくないよぅ」
 ここは篁(たかむら)コーポレーションの研究室。
 今は近日に迫った学会準備で研究員だけでなく、この研究所の事務兼、研究室長の篁 雅隆(たかむら・まさたか)の秘書代わりのような事もやっているデュナス・ベルファーも大忙しだった。
 といっても、発表をする当の本人である雅隆は、キャスター付きの椅子に座って忙しく立ち回る皆の邪魔をしているのだが。
「ドクター、皆さんスライド準備などで忙しいですから、大人しく椅子に座ってお菓子でも食べて下さい」
「だって退屈なんだもん……あー、雨で中止にならないかなぁ、学会」
「……運動会ですか」
 雅隆は一言で言うと「変人」だ。
 今日も白衣の下にはノースリーブの黒いジャケットに金具の飾りがあるネクタイ。袖代わりのアームカバー……と、どこのライブに行くのかというような格好だ。無駄にファスナーがついている長いパンツも、デュナスにとっては謎満載である。
 お茶と一緒に頂き物の練り切りを出しながら、デュナスは溜息をつく。
「と言うか、ドクター。発表するのはドクターなのに、のんびりしてていいんですか?」
「あー、内容はもう頭に入っちゃってるからねぇ。それにスライドとか作るの僕の仕事じゃないもん……あー、行くのめんどくさいなー。誰か僕の代理で出てよぅ」
 無茶な事を言う。
 こう見えても雅隆はその道で知られた天才だ。天性の運の良さと頭の回転で、有益な菌を見つけたり新しい理論を打ち立てたりしている。
 今回の学会も、その有益な菌(説明されてもよく分からなかった)についての発表なのだが、研究室で実験や培養などをするのは好きなくせに、学会とかのかしこまった場は嫌いらしい。
「脱走しちゃダメかな」
 黒文字で練り切りを切りながら、雅隆が喋る。
「ドクター。次に脱走したら、本っ当に檻に入れられますよ。それに今回は私もご一緒しますから」
「むーぅ。この前脱走してから、監視の目が厳しくなってるよぅ」
 半月ほど前、雅隆は本社で行われる大事な会議から脱走した。その時は「捜索メール」が色々な人に送られ、たまたまその日休日だったデュナスも捕獲にかり出された程の騒ぎになった。結局その後「お仕置き」と称して、ひらがなの練習帳(雅隆の日本語は暗号レベルで読めない)をやらされたという逸話があるのだが、今回はそれとはレベルが違う。
 日本だけでなく、他の国からの研究者もやって来る学会を抜け出したら、多分色々大変な事になる。それを知っているからこそ、雅隆の弟で篁コーポレーションの社長でもある雅輝(まさき)は、デュナスを今回のお目付役に任命したのだ。
 ぷぅと頬をふくらます雅隆に、デュナスは溜息混じりに二杯目のお茶を入れる。
「発表が終われば観光も出来ますから。とにかく、今は大人しくしていて下さいね」
 ことっ。
 音を立てて置かれた湯飲みを持つデュナスの手を、雅隆はじっと見る。
「どうかしましたか?」
 特におかしい所はないはずだ。紙を扱う事が多いので、袖に黒の腕ぬきをしているのが今時変と言われれば変であるが、その事で雅隆に何か言われた事もない。というか、そもそも腕ぬきはここで事務をし始めた当初からやっているわけで。
「デュナス君。学会用の服作りに行くから、今から着いてこーい」
 何をいきなり。
 この大忙しなときに何を言い出すのやら……と思いながら背後の気配に振り返ると、スライドや書類を作成している研究員達がボディランゲージでこう言っている。
『ドクター邪魔なので、しばらく連れ出して下さい』
『というか、本人いない方が仕事進みます』
 いつもの事だが、雅隆も雅隆だが、所員も所員だ。他の研究所に関して、デュナスは全く知らないのだが、ここではお互いに遠慮がない。それもなさすぎるにも程があるぐらいだ。
「じゃあ、ドクターにお付き合いしましょうか。帰りにお茶もしましょうね」
 この様子だと、帰りは遅い方がいいのだろう。
 まあデュナスはこうやって雅隆に振り回されるのは嫌ではないし、むしろ楽しんでいる所もある。
 ……とか油断していると、大抵とんでもない目に遭うのだが。

 テーラー『CROCOS(クロコス)』
 雅隆がデュナスを伴ってやって来たのは、街中にある小さなテーラーだった。ここは糸永 大騎(いとなが・たいき)が一人でこなしている知る人ぞ知る名店で、デュナスも少し前に「ブライダルファッションショー」なるものに参加したとき世話になった。
「やっぱり学会ともなると、ドクターもちゃんとした服を作るんですね……」
 普段ゴシック系というか、コスプレのような格好をしている雅隆も、公式のパーティーや学会では普通の服を着る。その辺の線引きはちゃんとしているので、普段着が多少変でも大目に見てもらっているのか。
 デュナスの先を歩いている雅隆は、ドアを開けるといつものように右手を挙げて挨拶をした。
「いょーう、糸永さんこんにちはー。お久しぶりー」
「お邪魔します」
 外から入ってくる二人に、大騎は作業の手を止め顔を上げる。
「いらっしゃいませ。今日は何を?」
 オーダーメイドのテーラーは、フランスにいたときに少しだけ見た事があるが、日本に来てからはさっぱりだ。色々良い生地が揃っているなと思いながら、デュナスが他人事のようによそ見をしていると、雅隆はその辺にあった古い木の椅子に座り、デュナスをひょいと指さす。
「今日はねぇー、デュナス君によく似合うスーツと、あとワイシャツも何着か仕立てて欲しくて来たのぅ」
「は……?」
 今、何か聞き違えたような気がする。
 思わずデュナスが振り返ると、雅隆は大騎を見て、もう一度デュナスを指さす。
「ドクターじゃなくて、そちらの方の仕立てという事でいいのか?」
「そだよー」
 待て。待て待て待て。
 そんな話は聞いてない。てっきり雅隆が服を仕立てるのかと思っていたデュナスは、大あわてで首を横に振った。
「ちょっと待って下さい。ドクターが仕立てるって言ったから、私が着いてきたんですよね?」
「お金は僕が出すよ?」
「そういう話じゃありません」
 仕事がなくなりそうな所を事務として拾ってもらったあげく、こんな高級そうなテーラーで服まで仕立ててもらったら天罰が下る。すると椅子に座っている雅隆が、きっぱりとこう言った。
「デュナス君、普段ワイシャツとか既製品の買ってるでしょ」
「ええ、まあ」
「最初はスーツの袖を汚さないようにってしてた腕ぬき、夏になったら腕の長さが微妙に合わないのを隠すためにしてるでしょ」
「何故それをっ!」
 日本は便利な国である。
 身長に合わせたスーツやワイシャツが、安く簡単に手に入るのだ。最初研究室の事務をするときに、スーツなどは別の場所で仕立ててもらったのだが、夏が近くなってきてから、ワイシャツは毎日着るものだからと自分で買い足した。だが、肩幅に合わせると確かに少し袖が短い。
 どうせ書類も扱うのだから、ボタンを外して腕ぬきでいいかと思っていたのだが、流石雅隆。しっかり見抜いていたようだ。
「今回はデュナス君も一緒に着いてくるんだから、ちゃんとして服着てないとダメなの。つか、お供なんだから僕が買った服着るのー。それに『学会用の服作りに行く』って言ったけど、誰のって言ってないもん」
「でも、スーツだけじゃなくてシャツまで仕立ててもらうのは……」
 じたばた。
 雅隆がだだっ子のように足をバタバタさせ、頬をふくらます。
「じゃ、スーツじゃなくて僕の趣味に合わせて、ゴシックな服作にする?それ着て学会で一緒にねりねり練り歩いても……」
「是非普通のスーツでお願いします」
 流石に、それは勘弁願いたい。それにそんな服で学会に出たと雅輝にばれたら……多分何も言わないと思うが、その沈黙を考えると恐ろしい。
「話は済んだか?」
 普段からよく雅隆に無茶な服の注文を受けている大騎は、これぐらいでは驚かない。既にメジャーや用紙を出しながら、寸法を測る準備をしている。
 覚悟を決めるしかないだろう。
 デュナスは礼儀正しく頭を下げる。
「……よろしくお願いします」

 上着を脱いだ肩幅や腕の長さ、胸回りなどを大騎に測られながら、デュナスは落ち着かなそうに目線を動かしていた。トルソーやミシンなど、普段見慣れない物が奥の部屋にある。
「確かにドクターの言う通り、ワイシャツが短めのようだな」
「すみません……」
「日本人とフランス人ではそもそもの骨格が違うから、既製品は合わないだろう」
 確かにそうなのであるが、根が貧乏性なのでワイシャツを仕立てる事に抵抗がある。売っている物なら、二枚でお手頃なお値段だったりするのだ。
「夏だから涼しげな生地で、色も薄い青とかいいよね。白だとデュナス君眩しいし」
「眩しいって、ドクター……」
 光を操ったりする能力があるので、そう言われると大変困ってしまう。色も白いし目や髪も金色なので、確かにその通りではあるのだが。
 大騎は手を止めずに、雅隆の方を見る。
「そうだな。薄いグリーンや少しピンクがかった生地なども入ってきているから、その辺りはドクターの感性で選ぶといい。物を見る目は確かだ」
「うーい。それにデュナス君に『どれがいーい?』って聞くと多分値段から見るから、選択肢は与えにゃい」
 全くもってそのつもりだったのだが。
 困ったようにデュナスが溜息をつくと、それを見ていた大騎がふっと笑う。
「その通りだったか?」
「はい……。今回は全てお任せします」
「一度正しい寸法を測れば、後は手頃な値段でもオーダーは出来る。それに合わない袖に窮屈な思いをするよりは、合った物を着るべきだ」
 その方が良いのだろう。
 この調子では今度既製品を着ていても雅隆にばれるだろうし、やはりちゃんとした服は良いものだ。自分に合った物を大切に長く着れば、そのぶん長持ちもするわけで。
「……そんな事、忘れてました」
 フランスにいた頃は先祖代々住んでいた場所で、父が使っていた物などを譲られたりしていたのだが、日本に来てそれを少し忘れていたのかも知れない。今デュナスが居候させてもらっている家だって、昔からある物を大事に使っている。
「また季節が変わるときは、シャツを仕立ててもらいに来ます」
 恥ずかしそうにそう呟くと、大騎はその表情に気付かぬ振りをし、今度は足の長さなどを測るためにメジャーを伸ばす。
「それがいいだろう。ドクターにはごまかしがきかないからな」
 ちらと二人で目を向けると、雅隆は自分が見立てた生地を引っ張り出して台に置き、今度はスーツの形を選ぶためにデザインを見ている。
「それがいい所なんですよね……」
 そうは分かっていても、今日のような事があると心臓に大変悪いのだが。

 結局スーツだけではなく、シャツなどのデザインも雅隆が決めたあげく「ネクタイも合わせたい」とか言い出して、デュナスが全く口を出さない(出せない)うちに、何もかも終わってしまっていた。
「お疲れ様」
 大騎が出してくれた紅茶とケーキに、デュナスはほっと息をつく。
「ドクター、今日はありがとうございます。スーツが出来上がったら大事に着ますね」
「んにゃ?僕は一緒に歩く人が、一万円セールのスーツ着てるのが嫌なだけだもん。あー、学会行きたくないなー。デュナス君かわりに発表してくんない?」
「無理です」
 好きな事だけ言うと、ぱくぱくと雅隆はケーキを頬張り、紅茶を飲んで大騎を見た。
「あ、そう言えば、デュナス君にすごい事教えたげる」
「何でしょう?」
「実は僕ねぇ、糸永さんと同級生なの」
 ………。
 その言葉を理解するのに、デュナスはややしばらくかかった。隣でケーキの屑を口の端につけたゴシック服の年齢不詳(二十歳前後と言われても違和感がない)の雅隆と、目の前で静かに紅茶を飲んでいる、金髪に眼鏡を掛けたベスト姿の大騎が同じ年齢?
 カップを持ったまま、デュナスは二人の顔を見比べる。
「えっ?失礼ですが、糸永さんっておいくつですか?」
「三十六歳だが」
 確かに聞いた歳よりは若く見えるが、自分の隣にいる雅隆は……。
「ドクターって、もしかして私と干支一回り違うんですか?」
「デュナス君、フランス人なのに干支とか言うにゃー。急に年寄りになった気になるじゃん、ねー」
「いや、ドクターはもう少し落ち着いた方が良い。ネクタイにクリームが落ちてる」
「ありー?」
 何か、何というか、人は見た目云々以前に雅隆がよく分からなくなってきた。間をごまかすようにデュナスが紅茶をすすると、雅隆はネクタイに付いたクリームを指ですくって舐めている。 
「まあ細かい事は気にすんなー」
 自分からその話題を振ったはずだが。
「それよりスーツ出来るの楽しみだねー。学会に間に合うように作ってね」
「ああ、仮縫いから本仕立てまで最優先で進める」
 楽しみなような、不安なような。
 そんな二人のやりとりを聞きながら、デュナスは甘いケーキを口に入れ、もう一度二人を交互に見た。

fin

◆登場人物(この物語に登場した人物の一覧)◆
【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】
6392/デュナス・ベルファー/男性/24歳/探偵

◆ライター通信◆
いつもありがとうございます、水月小織です。
学会に行く雅隆の仕立てについていったら、何故か自分のスーツを作られて……と言う事で、こんな話を書かせて頂きましたがいかがでしたでしょうか?
共有させて頂いている糸永氏のお店ですが、ワイシャツの袖が合わないなど見破られています。そしてひっそり同じ歳…とは言っても雅隆は図体のでかい子供なのですが。
仕立てたばかりのスーツで学会や、お仕事などに頑張るのでしょう。
リテイク、ご意見は遠慮なく言って下さい。
またよろしくお願いいたします。