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歪みの館
大切なモノは目に見えない。
大切なモノは目に見えるものだけ。
真実は、果たしてどちらだろう。
唄うような声が聞こえた気がして、デリクは足を止めた。
天から落ちて来るのは霧雨に近い雨で、この程度なら傘も必要ないだろうと歩いて来たが、やはり雨は雨。少しずつ衣服を濡らし、水気を吸った布が肌に纏わりついてくる。
不意に前髪から雫が滴り、瞳に落ちた。反射的に目を閉じ、長い指ですっと擦る。
一瞬の出来事。次に瞼を持ち上げると、そこには見知らぬ景色が広がっていた。
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「いらっしゃいませ、デリク・オーロフ様。館共々、貴方様をお待ちしていました」
霧の向こう、館の扉を守るように小さなトランプがあった。掌に収まるほどのカードで、表にはスペードの9、裏は解読不能な文字が浮かんでは消える。
「オヤ、じつに興味深い場所ですネ。……歓迎してもらえると、嬉しいデス」
細い雨、歪んだ館、不気味なカード。全ては予め決められていた未来のようだと、一片の疑問も持たず、ただ運命を受け入れるが如くデリクは理解した。世界の真実を構成する一欠けらが、今その姿を現したのだと。
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本の起源は古く、木の葉や竹札、動物の皮に文字を記した時代もあったという。文字のなかった頃は生きた人間が本の役割を果たし、一族の歴史や伝承を口で伝えていた。
「永く生きた老人が死ぬと、大きな図書館が焼けたとして嘆かれるとか」
トランプの案内で訪れた書斎は文字通り本の山だった。書かれた時代、ジャンル、作者を問わず様々な本が揃えられている。その中でもデリクは、世界の暗部について書かれた魔術書に目を留めた。
「……これは。また興味深い本ですネ」
本棚に並べられていたなら、すぐにでも手に取っただろう。しかし黒い背表紙をしたその本は、床に倒れている人影の手にしっかりと握られていた。
「……、……」
「……、……」
ローブ姿の男は床へうつ伏せに倒れていて、起きる気配がない。そもそも眠っているかどうかもわからず、困った末にデリクは男に近付いてみる事にした。すると何か聞こえる。ぶつぶつと小声で何か呟いているようだ。
「赤が道を行けば、星夜の煌きに惑い堕ち。青が行けば、異国の船に唄が沈む。……楽園への扉は繰り返し、定められた黒に開かれる」
呪文のように紡がれる言葉にデリクは眉を寄せた。意味不明にして理解不能。押し殺したようなそれでいて囁くような声は酷く不気味で、長く聞くには耐えられない。
「世界の真理を求める余り、自らが生み出した妄想に囚われた男にございます。……この本をご所望でしたか。少々お待ちを」
それまでデリクの肩に留まっていたトランプは床に飛び、男の背中を伝わって耳元に降り立った。
「聞け、同胞よ」
しかし男は尚も続けた。
「遊戯盤で踊る騎士は檻の中、賢者の水へ夢を浮かべる。石の輝きは巡り、やがて……」
「 」
トランプが最後に何を言ったのか、結局それはわからなかった。しかし男はぴくりと小さく痙攣した後、強く強く握り締めた本からそっと指を外した。
「どうぞ、デリク様。あれの持つ饒舌という名の無口。言葉を散りばめ心を晒さず、そのような気風は少しだけ……貴方様と似ている気が致します」
そう言ってトランプは、黒い本を差し出した。
■
男が持っていたのは期待していた通りの魔術書だった。どこを探しても著者は書かれていなかったが、高度な魔法理論と四大精霊についてまた新しい知を得る事ができた。並の魔術師ならばほんの数ページで投げ出してしまうところ、僅か数分で読破した辺り、デリクが持つ素養の高さが垣間見える。
「サテ、少し庭を散歩してみましょうカ」
二人が次に扉を開けた先には、色鮮やかな花々が咲き誇っていた。
「華麗な一輪咲きも素敵ですが、美味しい実をつける植物も好きデスねェ」
来訪者に気付いたか、機械的な動きで温室内を行き来していた影がゆっくりと近付いてくる。一応人間らしい輪郭だが、顔には目も鼻も口もない。異形の姿だった。
「オヤ、これはこれは。初めマシテ。温室の世話係ですカ?」
ゆるりと形の良い会釈をしてみる。きょとんと首を傾げていた影だったが、慌てた様子で頭を下げてきた。
「申し訳ありません。まだお客様の接待に慣れぬ輩ゆえ……」
「イエ。構いませんヨ」
トランプが謝罪を乗せるがデリクは微笑んで返す。やり取りを見ていた影が、何か思い立ったように走り出した。向かう先は温室の奥のようだ。
「少し中をご案内致しましょう。……此方はランを中心に。あちらで花を咲かせているのは……」
「カトレア、ですネ。花の女王と呼ばれる程に美しいと」
「その通り、本当に博識でいらっしゃる」
草の緑、花の赤、木々の茶色。たくさんの色が来訪者を歓迎する。
「ハーブ類の知識も多少はありマスよ」
ちょうど薬草が群集する一角で立ち止まり、屈んで草の表面を指先で撫でてみる。動かず喋らず、自らの意思すら存在しないかと思われる緑も、しかし生物の一つとして確かに存在していた。
「デリク様」
そうして緑や花弁の柔らかな感触を楽しんでいると、トランプが声をかけてきた。
「どうかしましたカ。……ン?」
何かと振り返ってみると、先程の影だ。大きな体躯に似合わず、恐る恐る何かを差し出してくる。宝物を見せる子供のように、気に入ってくれるだろうかと不安げな様子だ。
「月読草の実です。何十年に一度花を咲かせ、たった一つだけ実をつける珍しい種。……先程デリク様が「美味しい実をつける植物も好き」だと仰ったので、贈り物にと思ったのでしょう」
深い瑠璃色が、影の掌に乗せられている。
「お土産にどうぞ。……きっと、微力ながらお力になるはず」
大きな掌から硝子玉を受け取る。酷く嬉しそうに、影が笑った気がした。
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「人は誰しも歪みを抱えております」
温室を後にし、歩き始めた二人。デリクの肩に乗ったトランプがぼそりと言った。
「どうやら大きな力をお持ちのご様子。……世界のそして心の歪みに飲み込まれぬように、どうぞお気をつけくださいませ。しかしながら、」
やってきた時と同じ、館の入り口が見える。口調を幾らか柔らかくして続けた。
「貴方様にあられましては、そんな心配も無用のご様子」
トン、とデリクの肩から下り、トランプがゆるりと礼をする。
「またいつか何処かでお会いできるのを、愉しみにしております。……ああ、雨も上がったようですな」
トランプが何事か唱えると、それに応えて空間に扉が創り出された。向こう側、雲の隙間から暖かな太陽の光が差している。まるで天使の階段だ。
「では、再会と追憶と再開ヲ。……世界と私がマダ尽きていなければ、再び縁交じり合うコトを願って」
掌に刻まれた魔方陣が甘く疼く。
青色の瞳をすっと細め芝居掛かった礼をすると、デリクは現実への扉へ踏み出した。
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■ 登場人物(この物語に登場した人物の一覧) ■
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【3432/デリク・オーロフ/男/31歳】
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■ ライター通信 ■
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「歪みの館」ご参加ありがとうございました。
またのご縁がありますことを祈りつつ……。
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