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<PCシチュエーションノベル(ツイン)>


ラブ・カーニバル


 紗名が『母の日にカーネーション』というベタな事をしたくなったのは、バイト先の店長に『親孝行してやれよ』と言われたからだった。
 それでなくてもこの時期は、犬も歩けば棒にあたる――確立より、カーネーションにあたる確率のほうが高いんじゃないかというくらい、ディスプレイもバーゲンも、母の日にかこつけたものばかりだ。
 だから花屋がいつもより少し遅くまで開いていても不思議はなかったし、そこを通りかかった自分が花を一輪買ったところで、誰も奇妙には思わなかっただろう。
 もちろん、自分だってこの日常が変わるなどとは、少しも思っていなかった。
「……まぁ、あれだ。気持ってもんだよなぁ、うんうん」
 可愛く、リボンと透明フィルムでラッピングされたカーネーション一輪を手にして、どこか自分に言い聞かせるように口にする。
 本当は花束でもつくってやれば喜ぶということは分かっているが、哀しいかな、それをするには金がない。
 ふと過ぎった『貧乏』の二文字に切なげに頭を振って単語を散らし、紗名はいつもと変わりない、あの1Kのアパートへと帰ろうと、した。
 ――そこまでは、何も変わらない日常だった。

 リボンのついたワンピースに身を包んだ、少女。まれかが、彼の前に現れなければ。

「あのねっ、まれか、まれかって言う名前なの」
 バイト帰りの夜道、子供一人がうろつくには危ないという時間。
 子供が被害者の事件も多いというこの昨今に、女の子が一人眼前に飛び出してきて、しかもあろうことかいきなり自己紹介を始めたのだ。
「は?」
 これで、戸惑わないほうが可笑しい。
 何事かと眉を寄せて少女を見れば、まれかはニコニコと花のような笑顔を浮かべながら紗名に視線を向けている。それどころか、小さく首を傾げて「名前、なんていうの?」などと問う始末。
「さ、紗名、だけど」
 わけのわからない展開に面食らって、紗名は思わず自分の名を口にした。
 それが、最後。
「……えへへ。サナ、かぁ」
 嬉しそうに笑ったまれかが、次の瞬間抱きついて――というよりは、飛びついて、に近い。むしろタックルか。攻撃か。
「ぐはぁッッ!?」
 腹部に頭突きに近い勢いで飛びつかれ、紗名は呻いた。ぐりぐりと、まれかが頭を押し付ける。
「サナぁ! まれか、サナのことだーい好きぃ!!」

 劇的な出会いにも限度ってものがあるだろう。
 夢か。これは夢なのか。

 思わず真顔でその辺の通行人を捕まえて、自分の頬をしたたか殴りつけてもらいたい気分になりながら、気がつけば一週間――。
 なんということか、まれかは押しかけ女房となっていた。

 ◇

 いい加減に家に帰れ! と怒鳴りつければ泣いてぐずり、慌てて慰めれば「サナぁ、だーい好きぃ!」と抱きつかれる始末。
 かといって、迷惑だからと、どこから来たのか分からない少女を一人ポーンと放り出すわけにもいかず、結局は一緒に暮らして一週間経った、というのが正しいのかもしれないが。
 しかし、幼女誘拐とかで通報されるのも時間の問題じゃないのか、と。
 紗名はコンビニ袋を片手にトボトボとバイト帰りの夜道を歩きながら、思わず溜息をついていた。
 行きつけのコンビニの店員に、そろそろ疑い始められている。
 どこにだってついてくるまれかは、もちろんそのコンビニにもしょっちゅう足を運んでいた。
 そりゃあ、いつもやってくる客が、いきなり――しかも可愛らしい少女を毎日のように連れてきたら、不審がられても仕方がない。
 なんとなく妙な目で見られているのは肌で感じていたから、紗名はある日、訝しげな視線を送ってきた店員に「や、コレ妹だから! べ、別に変なアレじゃないから!!!」――などと、うっかり気が焦ってそんなことを口走ってしまったのだった。

 怪しいことこの上ない。

 それでも、この一週間であいつが甘いものが好きらしいことを知って、律儀にプリンを買っていってやるこの俺の優しさよ。
 金もないのに。
 倒置法。

「……ただいまー」
 ぼんやりとそんなことを思いながら、妙に疲れ果てた様子で扉を開くと、まれかが「おかえりなさぁい!」と新妻よろしく声をかけた。
「ほらよ、土産買ってきてやっ……た……」
「えへへぇ、サナ、驚いたぁ?」
 コンビニ袋を差し出す紗名の表情が呆然としたものになったことに気がつき、まれかが嬉しそうに顔をほころばせる。
 必要最低限の物しか置いていない部屋に、ココしばらく見たこともない、いわゆる『家庭の晩御飯』がデーンと鎮座していた。
「どうしたんだ、これ」
 まじまじとテーブルの上を眺める紗名の姿にまれかはますます気を良くして、嬉しさに頬を紅潮させる。紗名に擦り寄り、えへへ、と笑う姿は、十人いれば十人とも『愛らしい』と表現するだろう、そんな姿だった。
「だってまれかはサナのお嫁さんだもん!」
 ――ね、だから早く食べよ?
 紗名の服を小さく引っ張りながら、早く早くとせがむ少女に、紗名は呆れたようにパカーンと開いた口のまま視線を向ける。
「……まれか」
「なぁに?」
「この食事、どうしたんだ」
「? ……だからぁ、まれかがぁ、サナの為に作ったの!」
 笑みを零す少女に、紗名は言い方を、変えた。
「……材料は、どうしたんだ」
「??? もちろん、そこのスーパーで」
「その材料費はどこから……」
「うんっ、あのね、そこの引き出しの中にあったからっ!」

 買い物に出かける直前でも思い出しているのだろう。
 唇に人差し指を当てて可愛らしく小首をかしげるまれかに、紗名は固まった。
 そのまま倒れんばかりの勢いで項垂れ、その場に両手両膝を着いてガッシとしゃがみこむ。四つん這いに。
 
「それは俺のもしもの為の大事な金だ……ッ!!」

 文字にするなら、通常の五倍くらいの大きさにでもしたかもしれない。
 叫びにも悲しみにも似た色を持った声が、紗名の口から飛び出し――脱力。
 彼の『大事な金』は食卓の夕飯へと見事に化けていた。

 ◇

 夕飯を食べてしまった後、紗名はというと風呂に入っていた。
 一人になってしまった部屋の中で、まれかはプリンを頬張っている。
 口にしたそれは見事にまれか好みのもので、それだけで、彼女は嬉しくなってしまう。
 彼が自分を見ていてくれたんだと、足元がふわふわと浮いてしまいそうになるのだ。羽でも生えて、飛んでいけそうなくらいに。

 あの日彼が買ったカーネーション。
 それに『憑いていた』のが、彼女。まれかだ。
 要するに彼女は『人』ではなく――いうなれば『花の子』というものにでもなるのだろう。

 ――紗名が買ったカーネーションは、彼が触れるたびにジワリと優しさが浸透したから。

 憑いていたまれかは、そんな紗名の優しさに直接触れ、そうして一目惚れしてしまった。
 人じゃなくたって、恋ぐらいするのだ。
 大人じゃなくたって、誰かを好きになったりするのだ。
「……美味しい」
 口の中に広がる柔らかい甘さに、まれかは表情を緩める。

 プリンって、なんだかサナみたい。

 ほんのり甘いのに、カラメルでわざとちょっと苦さを出して。
 でも、結局、甘いの。
「おい、まれか。お前風呂入れよ」
 ガシガシと頭を拭きながら、いつの間にか風呂から上がってきていた紗名に言われ、まれかは「はぁい!」と片手を挙げた。
 彼のジャージを借り、いつものように風呂場へと向かう。はた、と思いついて、少女は振り返る。髪が、揺れる。
「サナぁ、あのねっ、の、覗いちゃダメなの」
「覗くかッ!!!」
 間髪いれずに返ってくる紗名の言葉に、まれかは楽しげに笑った。

 こういうやり取りも、だーい好き。
 ……でもサナには、ナイショ、ね。

 プリンの柔らかい甘さを、まだ僅かに記憶の中に残したまま、まれかは風呂へと消えていく。
 後に残るのは――やはり。
 脱力した紗名、一人。

 ◇

 視線の先は窓の外。月明かりだけが辺りを照らしている。
「ん、サナぁ……」
 小さく、どこか甘くも感じる少女の声が聴こえてきて、紗名は下へと視線を移した。
 まれかが紗名のジャージに身を包み、すやすやと眠りについている。
 そこで、呼ばれたのではなく寝言だったのだと気がついて――紗名は、頭を抱えた。そりゃもう思いっきり抱えた。抱え込んだ。
「なんで、こんなことになってんだっけ……」
 思わず呟く。まれかの愛らしい寝顔を見つめながら。
 この顔と愛嬌がいかん、と――紗名は一週間前から今この瞬間までを思い出して、溜息をつく。

 いきなり懐かれ、住み込まれ。コンビニの店員には怪しまれ、金は使われ――押しかけ女房だというなら、もうちょっと『亭主』の為になるような事はできないのか。
「いや。飯は上手かったし美味かったけど」
 非難めいた事を心中で呟きながらも、つい口にしたのはそれだ。
 結局、文句を言いながらも、今日の夕飯も全部平らげてしまった。
「――……なんなんだよ、お前は」
 視線の先に眠る少女に問いかけてしまう。

 実は、気になっていることがある。
 彼女が泣くと花が萎れ、喜ぶと花が生気を取り戻す。
 そんな光景を、この一週間で何度か目にしていた。
 この街は、人事とは思えない事件も多い。
 もしや彼女の存在も、それに近いものなんじゃないか、なんて思っているところもある。
 それを確認できないのは、紗名が小心であるが故だったけれど。

 しかし、まれかが人であろうとなかろうと、結局はこの状態は変わらない気も、する。

「人んちに上がりこんで、飯作ったりしてさぁ。あげく嫁気取りかよ……」
 眠るまれかの額にかかる髪を、緩く撫でて、それから紗名はハッと我に返る。
 ――俺はロリコンじゃない!!
 慌てて額から手を離し、ガク、と頭を下げた。

 人であろうとなかろうと、変わらない可愛らしさだから、困るのだ。
 そう思ってしまう自分の心が、曲者なのだ。

「ロリコンじゃないんだ……やましい気持もないんだ……」
 誰に言い訳するともなく、ぽつりと口にする。
 夜の静かな部屋に、その声は哀しく響き――まれかが、また、『サナぁ』と甘えるような寝言を呟いた。


 紗名の苦労はまだ、始まったばかりだった。



- 了 -