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−君去りし後−
実際飛べるし飛べない。
ササキビ・クミノは障気を纏って“飛んで”いた。
障気で身体を支えるのは主に大地や構造物や海原で、滑空だけならともかく空気だけを叩いて飛ぶのは隠密性と省力性を損なうため、本来なら多様はしない。因みにステルス装備で不可視可している。
ともあれ通常であれば取らない手段を用いているのは、まさしく気まぐれとしか言いようがない。
滅多に外に出ようとしないクミノがふらりと外に出たくらい、今日は素晴らしい快晴なのだ。不思議なもので、なんだか心が軽くなる。
今なら空も飛べそうだ、と思ったのは何故だろう?街を歩いていて、ふと空を見上げたら、種類は判らなかったが、一羽の鳥が自由に、そして軽やかに飛んでいたのを見たからだろうか。
障気を纏っていても多少風を感じることは出来る。涼しく穏やかの風を感じつつ、傍からはそう見えなくても、クミノはなかなかにご機嫌に、宙を移動していた。
心地良い風と温かさが体全体を包む。
しかしこの良さ似つかわしくない大きな音もついでに包んでくれた。ヘリコプターだ。側面に民放テレビ局の名前が書いてあったから、ワイドショーとか、そういった番組でやる天気予報の背景にでも使うのかもしれない。ステルス状態なので向こうからクミノは見えないが、クミノには鬱陶しい。そのせいが風か強くなったので、髪が少し鬱陶しくなった。
そんななか、ふと下方向に目をやると、ビルの屋上と思しき場所の手摺に手足をかけている男を見つけた。スーツ姿の背の高い男性に見える。
何をしているのだろう、と疑問に思い、間近に迫る。ステルス機能の賜物で男はクミノに気づきもしない。
音も出さずに手摺に着地する。男は陰気そうな声と、しかしどこか嬉しそうな表情で何事か呟いていた。「すぐ側に行くよ」とか何とか言っている。
クミノの目から見ても、正常な状態には見えなかった。
「何しているの」
クミノは声をかける。
男は突如かけられた声に動きを止めた。辺りを見回しているが、ステルス状態のクミノが肉眼で確認できる訳もなく、幻聴だと解釈したようで、また手に力を入れ改めて手摺りを乗り越えようとした。
「だから、何をしているの」
先程よりも強い調子で言う。やはり無反応な男に苛つきを覚え、障気を使って手摺りから引き剥がし、屋上の地面に叩きつける。一応怪我はしないようにしてやった。
男は驚愕し、慌てて身体を起こして周囲を見回す。が、勿論見えるわけがない。
クミノはやっとステルスを解く。ステルス状態だったのを忘れていたわけではない。断じて無い。
「何って・・・・・・死のうと、してんだけど」
当然かもしれないが、突然現れた(と思っている)少女に、不審そうに答えた。
長い髪と白いコートが風にはためき、登場の仕方も相まって、人間ではないと思ったのかもしれない。
「何故そんな事をするの。そんなことに、私は意義を見出せない」
「君には関係ない・・・・・・」
放っておいてくれ、と付け加えたそうな口調だったが、意志の強い鋭い視線に見つめられて、男は言葉を飲み込んだ。
「・・・・・・彼女の居ない世界に生きていたって、仕方ないんだ」
「彼女?」
「恋人・・・・・・婚約者さ。急な病で逝ってしまった。俺をおいて。それ以来何をしても味気ないし興味を持つことすらできない。息をする事すら苦痛だ。それならばいっそ彼女を追っていく事が最良なのだと思ってね」
何を超越した様な、もしくは全てを捨て去った様な、そんな表情で男は淡々と話した。
クミノが思うに―
「その女は鬼か悪魔」
「・・・・・・は?」
「人間を死に誘う限り、話しの如何に関わらず結論として悪霊まがいの大悪女」
本当に死にたいのか、とまでは言わなかった。
男の方は唖然としてクミノを見上げている。何を言っているんだ、この子は。そう目が語っている。
(口の悪い姿無き脅迫者。そう、要求しよう。病院で臓器提供カードを書き速やかな摘出を計る為システムの詳細説明を受けさせねばならない)
言葉には出さずとも、クミノは堅く決心をした。
「行きましょう」
「は?!」
男の腕をつかみ、引き上げる。そしてそのまま障気を纏い、再び空へと舞い上がる。
「あ、ちょっ、なんなのこれぇぇぇぇぇぇ!!」
男の絶叫が大空へ響き渡ったが、勿論通行人には届かないし、クミノに受け入れられる訳も無いのだ。
降り立った場所は国立病院。広大な敷地内には緑も豊かだ。
辺りの目を憚ってかステルス迷彩は解いていない。今度は障気を少し濃くして、会話が外に漏れないようアレンジした。
クミノは男の袖口をつかみ、そのまま律動的にさくさくと歩き出す。男は引っ張られるように早足でついていく。
クミノはなにも語らなかったし、男も何も喋らなかった。あえて語ることは無かったし、かといって無理に話題を作るほどの関係でもない。
待合室は込んでいたし、受付も立て込んでいるようだ。
たまに人とぶつかったが、患者たちには二人の姿は見えないので、首をかしげている。男は習性からかぶつかる度に「すいません」と言っている。しかし声は届いていない。
クミノは迷うことなく足を進める。
「どこへ行くんだ?」
男の問いにクミノは答えない。
何度か足を止めたが、それは掲示板で行き先を確かめているようだ。
男も掲示板を見たが、それによると移植科のようだ。進むにつれて車椅子を使っている患者ばかりになり、しかしそれすら殆ど見えない。看護師ばかりだ。
どことなくシリアスで重苦しい雰囲気に飲み込まれながらも、クミノが袖口を離さないから結局逃げ出すことも出来なかった。
何で自分はこんな所に居るんだろう。
男は亡くなった恋人を思い出す。思い出の殆どが笑顔の彼女だ。いつも笑っていたという事は、自分と居て幸せだったのだろうか。
料理が好きだったのに全然上達しなかった。一緒に料理教室に通った(通わされたとも言う)が、自分の方がずっと巧くなった。
ふ、と思わず声が漏れる。それにクミノが気付いて男を見上げたが、彼はその視線には気付いていないようだ。
「ここ」
クミノが示したところは、“移植科 受付”というプレートがある事務所だった。
そして無造作に黄色のカードを取り出し、男に突きつける。男はそのカードを受け取り、じっと書かれたメッセージを見つめる。
「死にたければ、この位はしなさい。そうすれば、貴方の代わりに、生きたい人間が何人も助かるのだから」
鋭い視線。抗う事を許されないような、逃げることすら認めないほどの。
「彼女は貴方にとって大事な存在かもしれない。きっと彼女も貴方を大事に想っていた。でも。そんな大事な人を死に至らしめる結果を導き出させる人は、やはり悪魔のような人」
「・・・・・・!」
正論である。哀しくなるほど、しかし現実に引き戻すには十分な、正論。
「このまま私と居ると、結局障気であと22時間あまりで死に至る。そんな事になったらきっと誰かの命を救うことなんて出来ない。どうするの?何もせずに死ぬか、それとも誰かの命の為に死ぬか」
男は無言のまま、ただカードを見つめている。何の変化も無く、言葉も無い。
長い長い沈黙の後、やっと男が口を開く。
「第三の選択もあるよ。死なないという」
クミノが眉をピクリと上げる。そして何かを言いかけ、止めた。男が涙を流したからだ。絶望から来るものでもなく、ただ本人の意思とは関係の無い所で滾々と流れているように見えた。
「彼女がね・・・・・・生前これを持っていたんだ。死因は内臓疾患ではなかったからさ」
涙に気付いた男が、手の平で無造作に涙を拭う。
「だからきっと、彼女の一部は誰かのなかで生きているんだ。今、そう気付いたよ。・・・・・・っていうか、そう思える」
男が笑う。
どこか寂しそうだが、嬉しそうにも見えた。
「何で笑うの?」
「さあ・・・・・・何でかな。この世界のどこかで、彼女のおかげで生きていてそれをきっと感謝しているかもしれないことがいるかと想うとね。命は、続いているのかなって。死んだ時にそう思ったことを思い出したんだよ」
遠い目をして、男は呟いた。
「死なない気?」
「少なくとも、今はね。君のおかげだよ」
寂しそうに笑ったまま、男はクミノの頭を優しくなでた。
「ありがとう、大事なことを思い出させてくれて」
暫くクミノは男を見つめた。そしておもむろに障気を解く。
「なら、いいの」
「あ、ちょっ・・・・・・!」
くるりと踵を返して、前よりも律動的に、さくさくと歩いて去っていった。
男は立ち尽くしていたが、慌ててクミノを追いかけた。
だが既に何処にも、クミノの姿は見えなかった。
それからしばらくの後、道を歩いていたクミノは、見覚えのある男を見つけた。
道路の反対側を歩いていて、時計を見ながら携帯電話で話をしている男だ。仕事中らしい。
あのときの男だとすぐに判った。
生きているのか。
それが判ったから、自ら死ぬよりはずっといい、とほんの少し、クミノは無意識のうちに口の端をあげた。
空を見上げると、あの日のようによく澄んだ青い空がビルの合間を縫って広がっていた。
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■ 登場人物(この物語に登場した人物の一覧) ■
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【1166 / ササキビ・クミノ / 女性 / 13歳 / 殺し屋じゃない、殺し屋では断じてない。】
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■ ライター通信 ■
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こんにちは、お世話になっております、八雲 志信です。
はっきりとした意見をお持ちで、クミノさんの意志の強さを感じるプレイングでした。
お年はお若いのに、カッコイイです。
クミノさんのこれからのご活躍を、心からお祈り申し上げます。
この度はご参加頂き、どうもありがとうございました。
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