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◆朱夏流転・弐 〜小満〜◆
さる屋敷の中で物憂げに佇む、クラシカルなメイド服を纏った黒髪の女性。それは屋敷のメイド長、篠原美沙姫だった。
(コウ様……)
ほう、と深い溜息。『あの日』以来、美沙姫はずっとこんな調子だった。
彼女が考えるのは、先日ほんの一時を共有した男性――コウのことだ。
始めから終わりまで、意識は失うしお姫様抱っこをされてうろたえるしで、なんだかみっともないところばかり見せてしまい恥ずかしい思いを散々したが、一方で嬉しく思う自分がいることに戸惑う。
気づけば頬を染めてしまっていて、はしたないと我に返るもまたしばらくすれば同じことの繰り返し。
ぼんやりしてしまっていると自分でも分かっている。仕事はきちんとこなしているが――その仕事の合間などは、声をかけられても気づかないようなことがしばしばあった。
その度に「あの彼のこと考えてたんですか?」などと楽しそうに配下のメイドや使用人にからかわれる。メイド長としてそれはどうかと思うのだけれど、どうしようもない。事実であるし。
……ふとしたときに、あの鮮やかな赤が脳裏に蘇る。
小一時間にも満たない邂逅だった。
美沙姫が彼について知っているのは、ほんの些細なことだけだ。
『コウ』という名前と、『封印解除』と呼ばれるものをしていること。
精霊を視認する能力はなくとも存在を感じることが出来て、……精霊たちが、何故か彼を恐れていること。
決して屈強とは言えない体つきであったのに、軽々と美沙姫を抱え上げる力を持つこと――。
(…っこ、これは関係ありませんね)
うっかり腕の感触まで思い出してしまって、頬を赤らめうろたえる。今は周囲に誰もいないからいいものの、他人から見れば不審者も同然だ。
落ち着かなくては、と静かに深呼吸し――気づく。
精霊たちが、ざわめいている。
このざわめき方には覚えがある。コウと会ったときの精霊たちも、こんな風にざわめいていた。
(『解除』……?)
直感する。同時に美沙姫は精霊に先導を指示していた。
コウに会えるかもしれない――…そう考えると心が逸る。
まだ明確な名前をつけられないコウへの感情。けれど、とにかく会いたかった。会って、言葉を交わして――少しでも、彼を知りたいと。
◆
精霊の先導で辿り着いたのは、人気の無い路地だった。
薄暗いそこに在るのはひとつの人影。それは、間違いなくコウだった。
コウの結界は知覚することが出来ない。けれど精霊が結界の位置を示してくれたので、結界外に留まることが出来た。
この間のように結界内に入ってしまえば、恐らくまた意識を失う。そうなってはコウの手を煩わせてしまうだろう。それは避けたかった。
「廻り、巡る季節――『朱夏』の弐」
コウが紡いだ言葉が微かに耳に届く。
見える景色が一瞬、揺らいだ。――結界が、揺らいだのだ。何らかの『力』に。
「刻まれし『小満』の封印を、式の封破士たる我、コウが解かん」
結界の作用なのだろうか。前回のように周囲が赤く染まることもなく、あの不可解な気配も感じられない。じっと結界内を見ていた美沙姫は、ふと気づいた。
(精霊が――いない?)
コウを中心として、ある一定の範囲にだけ精霊がいないのだ。恐らくそれが結界なのだろうが――前回は結界内にも精霊が居た。精霊は全てに宿るものだ。どこにだっているのが当然のはず。
何故、と考えを巡らせようとし――今は『封印解除』の様子を観察するのが先だと思い直す。
「――…『解除』」
瞬間、コウを包むように地面から炎が上がった。驚きに美沙姫は息を呑む。しかし炎はコウを傷つけることなくすぐに消え去った。それにほっと息をつく。
美沙姫の側からではよく見えないが、コウが軽く手を払うような動作をする。と、空気が変わった。結界が解かれたのだと何となく理解する。
結界を解いたということは『解除』も終わったのだろうと判断し、声をかけることにした。
「こんにちは、コウ様」
さほど大きくはないが確実に届く声量で呼びかければ、コウは美沙姫を振り向く。警戒のない様子からすると、存在には気づいていたのかもしれない。
「あー…、篠原さん、だったか。こんにちは。ここに来たのが偶然……ってわけでもなさそうだな。何で来た? こないだのこと忘れたわけじゃねぇだろ。フツー怖ぇとか思わねぇ?」
「それは、その……お礼を」
「は?」
コウは虚をつかれたように、どこか間抜けた声を漏らす。
「送って頂いたお礼も言えないままだったので…どうしてもコウ様に会いたくて」
「…ったく、ああもう、どうしてこうなるんだよ」
呟く言葉は聞き取れなかったが、コウの雰囲気から会いに来たのは迷惑だったのかも知れないと思った美沙姫は眉根を寄せる。それに気づいたらしいコウが、困ったような顔をしながら口を開いた。
「ンな顔すんなよ。……別に迷惑だってわけじゃない。別に礼なんて気にしなくてもよかったってのに――元々はこっちが悪かったんだし」
そんな顔、とはどんな顔なのか自分でも分からなかったが、迷惑でないのなら良かった。美沙姫は気を取り直してコウに向き直る。
「では改めて――先日はどうもありがとうございました。ご迷惑をおかけして申し訳ありませんでした」
「いや、だから気にすんなって…律儀だな、ホント」
頬を染めつつ告げた美沙姫に、諦めたように溜息を吐いたコウの口元はしかし、僅かに笑んでいた。
それがなんだか嬉しくて、美沙姫は勇気を出して続ける。
「あの、もしよろしければ、少しお話でも…」
「ん? まあいいけど。解除終わったらやることもねぇし。そうだな、近くに公園あったろ。こないだのとこ。そこでいいか?」
「構いません」
話が出来るならどこでもいい。そう思って返せば、コウは笑った。
「んじゃ行くか。――ほら」
「え…」
何気ない動作で手をとられて狼狽する美沙姫をよそに、コウは迷いのない足取りで歩き出した。
◆
そうして幾許も経たない内に公園に着く。その間もずっと手は繋がれたままで――。
「あ…あの、コウ様」
「ん?」
「手、を――その、放していただけますか」
「あ。……悪ぃ。つい癖で。嫌だったろ」
言うなりパッと放されて少し名残惜しい気もしつつ、『癖』という言葉に引っかかりを覚える。しかしそれを問う前にとりあえず。
「いえ、嫌……というわけでは」
そこは否定しておく。言うのは少し恥ずかしかったが。
「『癖』というのは?」
お互いベンチに座りつつ尋ねてみると、コウは淡く――懐かしむように、哀しそうに、笑った。
「『妹』が、いるんだよ。……周りは俺たちを利用しようとするやつらばっかりで、頼れるのも縋れるのもお互いだけだったから自然と手ぇ繋いでることが多くてさ。だから癖。つっても最近じゃねぇけど」
笑って言うような内容には思えないのに、コウは笑っている。それに美沙姫は胸を締め付けられる心地がした。
(利用……それは『封印解除』に関わることなのでしょうか。あれはいい感じがしませんし……)
精霊の反応を見てもそれは明らかだ。そして今日は、明らかに精霊たちがコウを恐れている。おびえている、と言っても過言ではない。
「……なんか聞きたそうだな? ま、大体予想はつくけどよ」
そういってコウは口元を歪める。前に見た自嘲の笑みとよく似ていた。
「『解除』についてだろ」
確認するように言われて、否定しようと思ったけれども――結局首を縦に振った。嘘は吐きたくない。
「そうだな……まぁ話したってそう問題はねぇと思うんだが――まだ、諦めらんねぇのかもな、俺は」
息を吐いて、コウは続ける。
「ほら、言霊信仰ってあるだろ? 言葉にしたら、本当になっちまうんじゃねぇかって。いや、本当にならねぇと困るんだけどな。そのために、俺は――」
炎のような金の瞳。自分よりも少しだけ赤みがかったそれが、遠くを見る。その横顔が儚くて、精霊たちのおびえが――不安をあおる。
「コウ、さま?」
自分でも驚くくらい頼りない声で呼びかけると、コウは視線を戻す。
「はは、悪い。意味わかんねぇよな。……あー、今更ンなこと考えても意味ねぇってのに。どうしようも、ねぇのに――」
そう呟くコウは笑っていたけれど――美沙姫には、泣いている様に思えた。
かける言葉が見つからない。コウについては知らないことばかりだから当たり前だけれど、それがもどかしい。
沈黙が、落ちる。
不意に、コウが立ち上がった。
「変なこと言って悪かった。何も知らない奴と話すの久しぶりで――ってこれはどうでもいいか。とにかく、気にしなくていいから。酔っ払いの戯言みてぇなもんだし。酔っ払いじゃねぇけど」
そして笑う。笑うのだ。何かを隠すように。
「んじゃ俺帰るから。まだ陽ィ高いから大丈夫だろうが、気をつけろよ」
言って、――コウは消えた。音もなく、空気に溶けるように。
残された美沙姫は、目を伏せて呟く。
「コウ様……」
彼は何を抱えているのか、何を恐れているのか、――何をしようとしているのか。
何も分からない。たった2度だけの邂逅で分かるはずもない。けれどそれが暗く重いことだけは、感じられた。
それでも、自分は。
彼を知りたいと、彼に近づきたいと、そう思うのだ――。
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■ 登場人物(この物語に登場した人物の一覧) ■
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【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】
【4607/篠原・美沙姫(ささはら・みさき)/女性/22歳/宮小路家メイド長/『使い人』】
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■ ライター通信 ■
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こんにちは、篠原さま。ライターの遊月です。
お届けが大幅に遅れてしまって申し訳ありませんでした。
ともかくも、「朱夏流転」への2度目のご参加ありがとうございます。
立ち入った話は控える、と言うことでしたが、ライターもびっくりなことにコウから話し出す展開に。とは言えまだまだ分からないことだらけですが。というか肝心なところは全然話してないですね。でもコウの弱さが垣間見えたことかと。
そして篠原さまのプレイングがあまりに微笑ましく、ついうっかりやり過ぎた感が…。すいません、でも楽しかったです。乙女…!
イメージと違う!などありましたら、リテイク等お気軽に。
ご満足いただける作品になっていましたら幸いです。
それでは、本当にありがとうございました。
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