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<東京怪談ウェブゲーム 界鏡現象〜異界〜>


歪みの館

 夏の優しい雨が鎖姫の頬を濡らす。
 傘も差さずに歩いてきたものだから、頬に限らず首筋や腕も雨粒で濡れ、肌を伝って地面に落ちる。艶やかな黒い髪はしっとりと水気を含み、猫が身震いにも似た仕草で頭を振ると、毛先から水滴が零れた。
 夕刻、昼と夜の狭間にあるこの時間。もう少しすれば、仕事を終えた勤め人や買い物帰りの主婦でそれなりに道も賑やかになるが、今はまだ――静か。
 踏みしめていた灰色のコンクリートが、不意に柔らかな土へ変わった。記憶によれば、帰路はずっと舗装された道。そうでなくても今時剥き出しの土の道など、都会では見たくても見られない。
 霧かがった視界の向こう側に大きな屋敷が見える。そこで鎖姫は足を止めた。屋根も扉も上下逆さまに付いていて、椅子やテーブルといった家具は奇妙に湾曲している。誘われるようにして古い扉を開けると、まるで長い間待っていたかのような、そんな響きの声が聞こえた。

「ようこそ、歪みの館へ」




「面白そうなところじゃない。好きな部屋に行っていいの?」
 案内役に現れた小さな青いトランプを肩に乗せ、鎖姫は尋ねる。
「はい、鎖姫様。館が貴方様を招いたのであれば、私(わたくし)はその役目を果たすだけでございます。どうぞお楽しみください」
 突如として現れた館にも大して驚くことなく、寧ろ玩具を前にした子供のように嬉々とした色を滲ませて頷く。退屈凌ぎにはなるだろうと密やかな笑みを零し、鎖姫はさっそく探索の第一歩を踏み出した。

 トランプを伴い最初にやってきたのは書斎だ。
 扉を開けると中の空気が鼻先を掠める。古い紙、少しだけ誇りっぽい匂い。
「ん?」
 書架の向こう、黒いローブの端が見える。人間らしい足がはみ出しているが、問題なのはその姿が立っているのではなく床に横たわっているという点だ。此処は書斎であって寝室ではない。しかも唸っている。地の底から響くような、恨み哀しみ怒り嘆き、そんな負の感情が交じり合った、正直長く聞いていたくない声だ。
「人は誰しも歪みを抱えております」
 肩の上のトランプが静かな声で告げる。
「あれは歪みに取り憑かれ、飲み込まれてしまったモノ。……世界とは自分とは、そんな果てのない疑問と疑惑に目が眩み、殻の内側に篭っては……あのように自らが作り出した妄想を見ているのでございます」
 ふぅんと大した興味も引かれぬ様子で鎖姫が零す。書斎は思ったより広く、世界各地から様々な本が集められている。邪魔にならないならと人影は放置する事にして、幾らかの時間を読書に費やした。
「此方は古代文明の生贄と儀式について、右隣にあるのが薬草の種類や活用方法を記したもの。現代語に訳を致しましょうか」
「いや、この程度なら読めるよ。ありがとう」
 どちらも今は使われていない古い文字が並んでいたが、永き時を生きた身にとって解読など容易いこと。好きな本を好きなだけ読み知識欲を満足させると、来た時と同じように足音もなく書斎を後にした。



 書斎を出て廊下を伝って行くと、大広間に辿りついた。
 中央に子供の背丈程もある大きな瓶があり、縁ギリギリまで水が湛えられている。壁には人物画、風景画といった絵画が飾られており、ダンスパーティーでも楽しむのにぴったりの場所だ。
「へぇ……悪くないね」
「ありがとうございます。……見る人間を選ぶものを私は芸術とは認めません。そして、見る芸術を選ぶものを私は人間と認めません。鎖姫様は豊かな感性をお持ちのようですね」

「ここは別名、大鏡の間と呼ばれております」
 絵画の解説を一通り終えてしまうと、トランプが言った。
「鏡なんてどこにもないけど」
 ぐるりと辺りを見回してみるが、鏡らしいものは見当たらない。
「あちらをご覧ください、鎖姫様。……水を入れた器へ、少し近付いて頂けますか」
 蟠る疑問に僅か眉を寄せ、警戒しながらも部屋の中央に歩いて行く。やはり見た目通り普通の水瓶……ではなかった。
 器の表面は灰色で触れてみると冷たい。中を覗いた鎖姫にトランプが声をかける。
「強く願えば、自らの死の瞬間を見ることができる「大鏡」と。如何なさいますか」
 水面は波一つなく、覗き込んでみても自分の顔は映らない。拳を作り持ち上げようとするが、やがてそっと握った手を開く。壊せるかもわからないし、物理的な法則が通用する保障などどこにもない。最悪引き込まれてしまう可能性もある。
「遠慮しておくよ。まだ、当分先になるだろうし。……それに、会いたい人もいるから」
 藍一色の水面を一瞥し、ゆるりと首を振る。見てみたい気がした、見たくない気がした。本当はどちらだろう。全く興味がないといえば嘘になる。少しの後悔を抱きつつ、しかし大鏡に背中を向けた。
「畏まりました。まったく、知らぬ方が良いとはこの事。……さて、次はどちらに参りましょうか」


 
 花と緑の匂い。
 二人がやってきた温室はそんな空気に包まれていた。外より少し気温は高いが、普通の温室より湿度が低く設定されているようだ。肌に纏わり付く不快感はなかった。
 不思議なことに咲き誇っているはずの花が一つ残らず切り落とされている。どれも鋭利な刃物でも使ったように、切り口が綺麗で引き千切った様子はない。地面に落ちた花のいくつかは無残にも枯れており、美しい色を失っている。
「此処は館の敷地内でも一、二を争う危険地帯。どうぞお気をつけて」
 そうそう、と天気の話でもするような気軽さでトランプがさらりと囁く。既に扉を開けてしまった。美しい花々と安全を天秤にかけるが、結局踏み出した足を前に進めることにする。
「……」
 やはり何者かの気配がする。肌がざわりと騒ぎ、何か落ち着かない気分。けれど誰の姿も見えない。
「元庭師。草花や枝を切り落とすのでは飽き足らず、ついに人間の首を求めるようになってしまった。哀れで残忍な輩でございます」
「随分と悪趣味だね」
 すっと目を閉じる。視覚が役に立たないのなら、他の感覚で動きを読むしかない。空気の流れを肌で感じ取り、衣擦れの音も逃さぬように耳を澄ませる。

「……ッ」

 それは、いた。
 半透明な身体に巨大な鋏を振り翳して、今まさに鎖姫の首を狩ろうとしていた。

「花かぁ……あぁ、あの子も花が好きだったな」
 ぴんっと張った糸のような緊張感の中、似合わぬ穏やかさで鎖姫が呟く。次の瞬間、男の身体は鋏ごと「停止」していた。そして「分解」。ぱちんと指を弾くと、男を構成していたモノが繋ぎ目を失い、さらさらと白い灰になって崩れ落ちる。
「本当に、容赦のない方でいらっしゃる」
 感心半分畏れ半分といった様子で呟かれたトランプの言葉に、鎖姫は少し笑った。



「つまらぬ物ですが、此方をご用意させて頂きました」
 ふわりと宙に浮いたのは、白い紙で包まれた花束だ。
「先程温室で。これだけが落とされずに咲いていたものですから。……お探しになっている花かどうかわからませんが、どうぞお持ちください」
 藤色の小さな花が風に揺れる。懸命に、まるで何かを伝えようとしているように。

「……ところで、コレってどうやって帰るのかなぁ? ねぇ、トランプさん?」
 温室を出たところで、結構な時間を過ごしているのに気付いた。
 花束を片手に持ち、肩のトランプに問いかける。
「ご安心を。私が力をお貸しするまでもなく、鎖姫様は最初から帰る手段をお持ちでございます」

「――あぁ」
 掌に握った鍵を唇に寄せ、口付ける。
 一度だけ頷いて、また少し笑った。そろそろ探索も飽いてきたところだ。現実世界とやらに戻ることにしようかと。 
「そうだったね」

 肩から下りたトランプは、はいと丁寧に返し、別れの挨拶を言葉に紡ぐ。
「……この館で過ごされた時を、どうか心の隅にでも。それだけが私の、ささやかな願い事にございます」
 何もない空間に鍵を差し込むと、鎖姫の意思に従い扉が創られる。開かれた向こう側は雨だった。ひらりと片手を振り、肯定とも否定とも取れる返事をすると、鎖姫は現実世界への扉へと吸い込まれていった。


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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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【2562/屍月・鎖姫/男/920歳】

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■         ライター通信          ■
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 「歪みの館」ご参加ありがとうございました。
 またのご縁がありますことを祈りつつ……。