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<PCシチュエーションノベル(ツイン)>


よき便り

 梅雨空のある日曜日。
 矢鏡 慶一郎(やきょう・けいいちろう)は自分の借りている屋根付きガレージに、息子の小太郎(こたろう)を呼び出して、一台の赤いバイクを見せていた。
 CBX400カスタム。ホンダで発売されたスポーツタイプのバイクで、発売はもう二十年ほど前になるが、国内で八十台しか売れなかったという噂もたちこめているほどのレアバイクだ。他に人気アメリカンバイクがあった事と、シートが薄く乗り心地が悪いのが不人気の理由と言われているが、その辺りは全てレストアしているので問題はない。
「父さん、これは?」
 バイクを見せられた小太郎は、きょとんとしながら慶一郎を見る。
「コイツはお前にやる。金も出してやるからバイクの免許取れ」
 本当はこのバイクを、慶一郎は小太郎の十六歳の誕生日にプレゼントする予定だった。だが古い上にレアバイクとあって、部品がなかなか見つからず、結局十七を超えてから渡す事になってしまった。まあ、小太郎もアルバイトをしているようだし、今渡すのが丁度良かったのかも知れない。
 それを聞いた小太郎は、嬉しそうな笑顔になりながらも慶一郎にこう聞いてきた。
「えっ、いいの?これ、父さんが乗るんじゃないの?」
「……義足用に改造すれば乗れるだろうが、もう二度とバイクには乗る事はないだろうな」
「えー、どうして?」
 小太郎にとって、颯爽とバイクに乗っていた慶一郎は幼い頃からの憧れだ。子供の頃に見ていたどんなヒーローよりも、慶一郎は格好良かった。なのでバイクをもらえるというのは嬉しいのだが、もう乗らないと言う言葉に寂しさを感じたのだ。
 慶一郎は少し黙り込み、煙草に火を付ける。
「このバイクに乗ると、楽しかった時を思い出す……」
 口には出さない後悔。
 このバイクには、今は亡き妻との思い出が詰まっている。後ろに乗せてツーリングをした事や、一緒にバイクを選びに行った事。それは全て楽しい思い出でもあるのだが、だからこそ、その事を思い出すと後悔の念しか浮かばない。
 愛していたのに、何も出来なかった。
 もっと他に何かできることがあったのではないだろうか。
 それは今でも変わることなく、慶一郎の中に残り続けている。
「………」
 黙って煙草を吸う慶一郎に、小太郎も無言だった。
 亡き母の事はあまりはっきり覚えていない。優しい母だったというのは覚えているのだが、残っているのは写真だけだ。そして慶一郎は母の話をあまりしない。
 多分、慶一郎は今でも母の事を愛しているのだと思う。
 だからこそ再婚の話が出ても結婚しないまま、男手一つで小太郎を育ててくれた。そしてそんな慶一郎の事を小太郎は尊敬している。
「これ、免許取ったらすぐ乗れるの?」
 重苦しい空気を吹き飛ばすように笑って言うと、慶一郎は煙草を口から離して首を横に振った。
「いや、整備しないと無理だ。しばらく乗ってなかったし、部品も色々ガタが来てる……もしツーリング中に何かあったときに、自分で整備出来ないと困るから、今日はそれを教えてやる」
 他にもやらなければならない事は色々ある。名義変更や税金、車検のこと、中型免許取得の手続き。その辺りはこれから追々やればいいとして、自分である程度整備出来なければ困るだろう。ツーリング中にトラブルが起きて、そこが車通りの多い場所ならいいが、山の上だったりしたら頼れるのは己の腕だけだ。
「うん、分かったよ。色々教えてね」

 しばらく乗っていなかったバイクは、時々整備していたとは言え、あちこち劣化している。それらの整備も全て自分達で出来るよう、慶一郎は小太郎に色々と教えていく。
「ちゃんと見ておけよ」
 いつも他の人に丁寧に話している慶一郎は、小太郎には少し命令口調だ。端から見れば偉そうな慶一郎の横に素直な小太郎がいて、一生懸命手伝いをしているように見えなくもない。
「小太郎、14のラチェット」
 そう言われ、小太郎は工具箱の中を探す。ラチェットレンチも色々あるが、幼い頃から慶一郎が機械いじりをしているのを見ていた小太郎は、それを見つけてぽんと渡す。
「これかな?はい、父さん」
「ああ……」
 バイク弄りは久しぶりだ。二人とも汚れないようにツナギを着て、手にはしっかりと軍手をはめている。慶一郎は更に皮の整備用手袋だ。
 ラチェットでボルトを締めいてると、小太郎は手持ちぶさたになったのか自分でも緩めたボルトを締めようとしている。
「そこはまだ締めるな、こっちが先だ」
 何でも一気にやればいいというものではない。
 それに今は二人だが、バイクに乗るようになれば一人で整備をする事になる。その時に順番を覚えていなければ、最初からやり直しという事にもなりかねない。
 慶一郎の注意にも、小太郎は素直に首を縦に振った。
「うん、分かった」
 こうして二人で何かやったりするのは久しぶりだ。
 小太郎が小学生の頃は、夏休みに一緒にお風呂ブザーや、ゲルマニウムラジオの電気工作を作った事もあるし、キャンプなどに行って食べられる草を教えたり、釣りをやったりもした。
 それらは全て慶一郎が、小太郎に伝えたい技術でもある。
 それは人殺し以外の、サバイバルや機械の知識。いざというときに何があっても生きていけるよう、自分が持っている技術はなるべく教えてやりたい。
 小太郎が将来盲導犬のトレーナーになりたい事は知っている。それに戦闘技術などは必要ないし、そんな事に小太郎を巻き込みたくもない。出来れば普通に、平穏に生きていく事。これが慶一郎の願いだ。
「何だかこうやって父さんと一緒に何かするの、久しぶりだね」
「お前も高校生なんだから、親と一緒に何かするのは恥ずかしいだろ」
「ううん、そんな事ないよ」
「………」
 ああ、その言い方はよく似てきた。
 この素直な性格は自分似じゃないな。心の中で苦笑しつつ、慶一郎は小太郎に指示を出す。
「バッテリやプラグも交換するぞ。エンジンの方は元のCBX400から改良したのを乗せてるが、整備の仕方はお前がもっとバイクに慣れてからだな……最初は転けるかも知れないから、起こし方も覚えないとな」
 意地悪のつもりで言ったのに、小太郎はこくっと一つ頷く。
「そっか、やっぱり最初は転ぶかな。上手な転び方も教えてね」
 この調子なら、派手に転ぶような走り方はしないだろうが。
「……今日は、バイトないのか?」
 何となく話題がなくなったので、慶一郎は小太郎がやっているバイトの話をする。
 そこは慶一郎の友人がやっている店なので、話を聞いたりはしているのだが、働いているところにわざわざ行くのも恥ずかしいだろうと思い、様子を見に行ってないのだ。
 すると小太郎は、額の汗を軍手で拭いながらにこっと笑う。
「日曜日はお店休みだから」
「どうだ、バイトの調子は」
「うん、結構楽しいよ。お酒は作らせてもらえないけど、コーヒーの入れ方は上手くなったと思う」
「そうか……」
 仕事が仕事なので、普段から小太郎に構ってやれない。高校生になってから、小太郎は寮生活なので普段会話をする事もない。なのでせめて会ったときには、色々教えたりしてやりたいのだが、そんな事をはっきり言えるわけもなく。
 なのでどうしても、慶一郎の遊びに小太郎を無理矢理付き合わせているという感じになってしまう。だが、それでも小太郎が喜んでいるようなので良しとしよう。
「今度父さんも店に来てよ。その時は僕がコーヒー入れるから」
「父兄参観みたいで恥ずかしいから、お前がいないときにでも挨拶するさ」
「えーっ」
 実は既に挨拶済みなのだが。
 これ以上話すと色々面倒なので、慶一郎は小太郎の意識を別に逸らす事にした。
「そこのスパナ取ってくれ。あと、ボルト締める間押さえてろ」
「分かった」
 素直な小太郎に物を教えるのは楽しい。文句も言わないし、分からない事は分からないとちゃんと言う。これで口答えをするようなら、こんなに色々教えたりはしないのかも知れない。
「……私に似なくて良かったか」
「ん?父さん、何か言った?」
「いや、何でもない」

 プラグやバッテリーを交換し、通電を確認したあと、エンジンに問題がないか動かしてみて、異音やアイドリングの状態をチェックする。
「バイクに乗る前、エンジンを暖めてる間に音の具合とかは確認しろよ。ここで横着すると、トラブルが起きやすいからな」
「音をちゃんと聞けばいいんだね」
 義足でも問題なくエンジンをかける慶一郎を、小太郎は尊敬の眼差しで見つめていた。走らせてはいないが、やはりバイクに乗っている慶一郎は格好いい。それは子供の頃に見ていたのと変わりがない。
 慶一郎は色々と自分が知らない事を知っている。
 宿泊学習で炭に火をおこすときも、小太郎は慶一郎から教わっていた方法で簡単に炭をおこしてみせた。ロープワークなども色々と役に立っている。
 尊敬出来る人は、父です。
 高校の面接の時にもそう言った。それは今でも変わらない。大人になればなるほど、慶一郎の存在が大きくなっていく。
「どうした、小太郎」
 ニコニコとしながら自分を見ている小太郎にそう聞くと、小太郎は笑いながらこう返してきた。
「父さんは格好いいなって」
「……そういう事は、女の子に言え。高校生にもなって、父さん格好いいはないだろ」
「だって、本当の事だよ」
 素直なのはいいが、それは大人として多少ねじくれてしまった身には、やはり恥ずかしいもので。
 バイクのエンジンを止め、慶一郎は足下に置いてあった工具箱を指さした。これ以上小太郎と話していたら、更に恥ずかしい事を言われかねない。
「分かった分かった。それより工具箱片づけてこい…ごちゃごちゃっと入れるなよ」
「はーい」
 バイクの免許を取ったら、小太郎用の工具箱も買った方がいいだろうか。バイクから降りてそんな事を思っていると、小太郎が何か見つけて持ってきた。
 それは、ウサギのシールが貼ってある白いヘルメットだ。長い事使ってなかった割には中のクッションも全く劣化していない。
「父さん、これは?」
 そのヘルメットを見て、慶一郎の胸が痛む。
「それは母さんがつかっていたメットだ。お前にやるから、誰か……女の子を後ろに乗せる時にでも使え」
 ホワイトラビット。幸運の白ウサギ。
 そんな事を言いながら、ヘルメットにシールを貼っていたのが、まるで昨日の事のようだ。小太郎もそれに気付いたのか、ヘルメットを大事そうに両手で持つ。
「うん、そうする」
 いつか小太郎も、自分のように女の子を後ろに乗せて、何処かに出かけるようになるのだろうか。そんな事を思いながら、慶一郎は溜息をついた。
「自分のメットはバイト代で買えよ。さて、遅くなったから何処かで飯でも食って、それから車で送ってやる……その前にシャワーでも浴びてこい」

 車の助手席で、小太郎は大事そうに白いヘルメットを抱えていた。ニコニコと笑っている姿は、本当に亡き妻の面影を残している。
 寮の前につくと、慶一郎は小太郎を見送るために車を降りた。
「期末テスト頑張れよ。それが悪かったら、免許どころじゃないからな」
「大丈夫だよ。それじゃあ、またね」
 ヘルメットを抱えたまま、小太郎は玄関の方に走っていく。
 少し前まで小さくてぴーぴー泣いていたのが嘘のようだ。少し見ないうちにたくましくなったものだ。
 玄関に入るまでその姿を見送り、車に乗り込んだときだった。
「………?」
 ふわっと香る懐かしい匂い。
 それはエルメスのイリスの香り……忘れもしない。自分が買って贈った、亡き妻がずっとつけていた香水。
 慶一郎は煙草に火を付け、ふっと笑う。
「まさか……な」
 もし自分が視える人間なら、隣で頬笑んでいる妻の顔が見えたのだろうか。それとも単に自分がそう思いたくて感じた、幻の香りなのか。
 車のドアが閉まり、静かに遠ざかっていく。
 優しいアヤメの香りは、家に帰るまでずっと慶一郎の隣で香り続けていた。

fin

◆登場人物(この物語に登場した人物の一覧)◆
【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】  
6739/矢鏡・慶一郎/男性/38歳/防衛省情報本部(DHI)情報官 一等陸尉
6615/矢鏡・小太郎/男性/17歳/神聖都学園 高等部生徒

◆ライター通信◆
ありがとうございます、水月小織です。
古いバイクをレストアしながら、親子での語らいなどをという事で、このような話を書かせていただきました。調べたらバイクがレアで、驚きました。エンジンとかは変えてありそうですが、自分が乗っていた物を息子に…というのはなかなか素敵です。
香水はイリスにしてみました。イメージとして凛とした感じかなと…タイトルはそれにちなんでアヤメの花言葉です。
リテイク、ご意見は遠慮なく言って下さい。
またよろしくお願いいたします。