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<東京怪談ノベル(シングル)>


掌をすり抜けて

「それで? 捕まえたらなにするの?」
 初夏の屋上は暑い。
 強い日差しが絶えずコンクリートに当たり、そこは人間を焼くフライパンのようだ。漫画やアニメーションの世界で主人公達がする昼寝がよもやこの上で行われていると思うとぞっとする。
「何をするかって?」
 手首の自由が利かない、足はある程度、動く。首も上下にほんの少しならばなんとかなる。けれど両腕を自分よりも体格の良い男子生徒に掴まれた状態で屋上に寝転ぶ、これもまたどうしたものか。
(どうでもいいよね。 きっと)
 なるようになるだろう。いつもは暑い屋上も雨上がりの本日は窪んだフライパンの上に水が溜まり制服を濡らしていく。
 下に居るのは自分なのに。金髪が水を吸い込んで黄土色に変色する中、相手の配慮の無さに気分が萎えた。美しい蝶を捕まえた少年のような目をする男子生徒は相手も同じ生徒である事を全く理解しようとしていない。いや、する気も全く無いだろう。

「どうしようか?」
 相談する気も無い癖に。近づいてくる顔の近さに案外悪い見目でもないのだなと真紅に染まった瞳の意識は羽ばたく様に空へと上る。



 時を遡るともう数ヶ月前になるだろうか。東京内の高校に一人の転校生がやってきた。
 都会の高校ともなると転校生の一人や二人さして珍しいものではない、転勤族や一人暮らし。最近と呼ばれる所謂平成時代に生まれた高校生はまるで大人のような生活をしているのだから。逆に大人の幼稚化が問われる社会になってくるのだろう。
 さておき、深緑色の黒板に白いチョークで書かれた名前。普段見ているようで全く見ていない転校生の名前を今日、この日だけはクラス全員が凝視する事になった。
「えぇーっと、深紅月・暁(みくづき・あき)です。 よろしくねー」
 金の糸が束になって光輝いている。そこから覗く白い肌に女性とも男性ともつかぬ体躯、真紅に輝く瞳。ただでさえ完全な金色の髪など色素を抜いて痛みと共にでなければ手に入らないというのに。クーラーの無い教室の窓から入る風がそれは本物の黄金であると主張しているのだから驚きである。
「ねぇねぇ、彼の席どこかしら?」
 これではまるで青春ドラマの一場面だ。それぞれの感想を述べる生徒達は彼らなりに聞こえないように喋っているつもりだろうが暁や紹介した担任の教師には完全に聞こえてい。
「あー、とりあえずだ。 深紅月は窓側の一番後ろの席に座れ、以上。 授業だぞー」
 はい、とここは静かに返事だけをして暁の向かった席は隣に誰も居ない特等席。窓は上手い具合に開いていて風通しも良く、何より無駄な噂が横から流れてこないのは最高だった。

(なーんてね、少しは楽しめるものがあれば良いんだけど。 すぐ飽きちゃうからなぁ、俺)
 自分は飽き性だ。暁は自らをそう認識している。
 それが過去の事故や自らに流れる血のせいかは分からない、もし分かる手段があったとしても暁はそんな事を深追いする事は無いだろう。
 いつも楽しい事だけ、そう思い始めてからいつも風に舞う蝶の如く、いや自身の身を蝶にさせつつも数回転校を繰り返していた。
 白香蝶、自らの名を暁では無く蝶に変えて。

 そうしてまた数ヶ月の内に何かが変わり始めた。暁の身になのか、それは残念ながら違う。
「最近サァ、蝶々がうちに入り込んでるワケ」
「えぇー! それってちょーキモくない?」
 楽しみを求めていた暁に変化が訪れる事は無く、何が訪れたかと言えばそんな噂話だ。学校、はたまたここの生徒のよく通う場所に白く輝く美しい蝶が迷い込んでくる。
「キモくないよー! すっごく綺麗だったの!」
 何人もの生徒がその蝶の話をしては騒ぎ、捕まえたのかと噂する。だが。
(結局俺じゃん)
 秘密が漏れ、広がるのは水溜りと同じだ。いつも勝手に広がるくせに飽きればその隅から順に干からびていく。中央が何処だったか、それすら誰にも分かる事は無い。
「女子が噂してるアレ、聞いたか?」
「んー。 まぁ聞いたけど、もしかして信じてる」
 女子生徒というのは元来お喋りに出来ているものだから男子生徒は余程、その中に好きな異性が居ない限りは話の中には入らない。一部入りたがる者はいても大抵、最後にはのけ者にされるのがオチなのだ。
「深紅月はよく女子とも話してっからねー、聞いてはいるだろ」
 女に輪があるならば男にも輪は存在する。黒髪や茶髪に染めた男子生徒達が集まる集会は淡白で面白くは無かったが、蝶の話で盛り上がる別の輪を遠巻きに見るその姿は一興かもしれない。
「おまえらが話に入ってないだけだろ? ん、まぁ俺は信じないけどねー」
 美しい蝶の話。それは幽霊話より優美に、幻惑的にこの学校中を駆け回る暁の姿。自らを否定するこの楽しさ、虚無感を紅玉の瞳は動揺すら見せずに口ずさむ。
「えー、暁くんが信じてくれないのってなんか寂しいー!」
 女の輪に居る一人が暁の言葉に気付き、反応する。彼女もまた、暁の楽しみを見つける材料となった一人だっただろうか。
「だってよ? 女共は深紅月ばっか見やがるし」
「そういう問題じゃないだろ」
 以前はこのクラスのリーダー的存在だったのであろう、茶髪の少年は暁に人気を取られてしまったと何かと突っかかってくる。他の男子生徒はと言うと。
「俺も、ちょっと信じてるかな。 居たらなんかスゲーってか…うん」
 息を呑むようにその男子生徒は言葉を紡ぐ。窓の外を不意に眺める深い琥珀の色が暁には珍しい。
「なんだよ、言葉になってない」
 笑ってやれば奴もすぐに戻ってくるだろう、そう言葉にしたというのにその琥珀色は少しだけ暁を見ると悪戯好きの子供のように口の端を上げて高らかに笑った。
「いや、暁がそういうなら俺が捕まえて見せるよ?」
「おいおい、本気かよ」
 本気。と男子生徒の輪の中で始めて女子生徒の輪のような声が上がり始める。
「へぇ…捕まえてどうすんの?」
 暁としては捕まる気は無い。けれどこうして一つの騒ぎとなってしまったのだから乗ってみるのも一興だろうか。机に頬杖を付き、椅子をぐら付かせて紅玉の瞳を捕まえると豪語する生徒へ奇異の眼差しを向けた。
「信じてない暁に見せてやるよ」
「なに? 女子に見せた方が絶対いいって。 ありがたーく、待ってるけどね」
 前者は普段女子生徒に見せる深紅月暁の言葉、後者は捕まえてみろというちょっとした遊び心。
(あー、でも捕まった方がいいのかなー)
 白香蝶とは言われていないものの、白い蝶の噂は都会だからか、どんどんと波紋を呼び暁がどこかに行く度に、次の日にはその噂で持ちきりになっている。ここまで来ると一種の怪奇現象だと彼ら一般の生徒は思うだろう。
「ああ、待ってろよ。 結構こーゆーの得意なんだぜ、俺」
 ああ、うん。と今度は生返事。
 捕まるとしたら、誰が良いだろう。何処で、そしてどう逃げてしまおう。すり抜けるように舞う白香蝶はそうやって過ごしてきた、いや、過ごしていくのだ。こうして噂が広まった以上どうにかして簡潔に納めなければ。
「まー適当に、頑張ってくれよ? 俺待つのってあんま好きじゃないしね」
 蝶を捕まえるのなら早く。片目を瞑ってそう囁けば、女生徒からだけではなく男子生徒の小さな歓声が上がった。
 白い蝶を捕まえる、そう言ったあの生徒へと。



 唇が触れる、そんな一瞬だった。雨に濡れた屋上で倒れこむ二人、握られる手首が軋むように、痛い。
「言っただろ? お前に見せる、って」
 長年の告白のようだと心中で笑って、暁は男子生徒の顔を見た。昨日は雨、でも本日は曇りだと言うのに彼の瞳が濡れて見えるのは何故だろう。
「見えてないよ」
 蝶は自分だから。白香蝶、その儚さを称えるようにして握られた手が痛い。すぐにもすり抜ける、そんな自分を見透かされてしまうのが怖い。だから暁の目に蝶が映る事は無いのだ。
「鏡でも持ってくる?」
 手首の締め付けが緩んだ。血管に血が流れ、指先に温もりを灯して分かる、生きているという事。
「ばっか、そしたら俺逃げちゃうよ?」
 自然と歪む口元は笑いながら彼を見上げた。途端、片腕だけが外されもう片腕はまた強い戒めにあう。両極端という言葉が相応しい逃げる行為を拒む相手の強さ。
「逃げられない…逃げさせない」
「ばーか」
 真剣な声に暁の方がただ笑ってしまう。高校なんていう場所、すぐに変わってしまうのに。白香蝶が姿を現すという事はつまりそれをも意味するというのに。

(それでも、まー、少しだけ良かったかな)

 この高校に来て、蝶となり飛び回った日々は決して暁を自分という名の鎖に繋ぎとめる事は出来なかった。
 すぐに消えてしまう自我、それと共にひらひらと舞う空と同年代の少年達が騒ぐ声に耳を傾け自嘲した日々、そして珍しくその蝶は人間に捕まったのだから。
「でも――…バイバイ」
 自由な足が軽く男子生徒の腹を蹴り上げた。
「っつ! あき…!」
 華奢な身体とはいえ白香蝶である暁の蹴りは華麗ながらも強く相手の内臓を押し上げる。これでも十分に手加減した方なのだから。先に回復され、腕を掴まれる前に走り出した足は水を含み矢張り、いつもよりは重い。屋上のフェンスに手を掛け、そこから飛び降りようとする自分に相手の悲痛な叫びが届く。
「はは、死なないって」
 ここから飛び降りても暁は死なない。通常の人間ならば重症か酷ければ死亡の三階建は自分にとっては掠り傷一つにすらならない。
「俺飛べるからさ、全然平気だし」
 蝶になって、また消える。その繰り返しだけれど今、心配という声を出してくれただけ、それが暁の心に小さな温もりを灯す。

 本当に、ばいばい。



 俺は静かな霧になってガッコの空、見下ろしてる。
 なんていうか、ちょっと勿体無かったなーって感じでこのガッコ、結構可愛い女子多かったんだよね皆良い感じで話しかけてくれるし?
 やっぱ、この能力駄目なのかなって思ったりする。だからって変えられるわけじゃないけどね、俺が俺って証拠全然無いし、見つけられないし。寄ってきてくれるのは嬉しいけどなんでだろ、これ以上居られないって分かってるから次のガッコも決めて、手続きして。

 また面白い事でも探すかなー、勿論誰にもヒミツでさ。皆の楽しい場所とかちょーっとお邪魔すんの。覗きじゃなくてさ、もしそれが俺に繋がる鎖になったら――…。



 数日後、都内の高校には一人の少年の姿があった。
 濃緑の黒板ではない、ホワイトボードを使用した都会的な教室に新品の椅子や机。その室内を流れるブレザー制服の人の山。
「それじゃあ紹介しますね、転校生の」
 いつもの風景に女性教師が微笑みかける。一瞬、暁も微笑んで身を乗り出した。
「深紅月暁です、宜しくー」
 自らホワイトボードに名前を記す、その間集まる視線に暖かく冷たい笑みを浮かべて。白い蝶はまた一つ、騒がしくも静かな日々を手に入れたのである。

 自らの身を、蝶にする事によってあの学校であった事件を終わらせて。