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<東京怪談ノベル(シングル)>


真夜中のぱんだ。

「もうこんな時間か……」
 そう呟きながら矢鏡 慶一郎(やきょう・けいいちろう)は、パソコンの画面を見ながら伸びをした。時間は既に24:00を過ぎている。自衛隊で言うところの「フタヨンマルマル」だ。
 慶一郎が、こんな時間に防衛省のオフィスにいるのは理由がある。
 心霊テロやオカルト兵器、妖怪、妖魔等の情報収集などを目的としたこの組織では、定期的に出さなければならない邪魔な書類がある。
 普通の公務員であればマニュアルなどもあるのだろうが、如何せん秘密部隊に近い身だ。それを片づけてくれる部下などがいるわけでもなく、結局自分でやらなければならない。これで残業代が出るならいいのだが、公務員にそんなものはないので、当直のついでに片づける事にしたのだ。
「取りあえず、一段落か」
 パソコンを止めて立ち上がり、慶一郎は一階の自動販売機のコーナーへ行く。
 この時間に起きてる者は誰もおらず、廊下に足音がやけに響くような気がした。夜の23:00を過ぎれば、訓練や警衛(入り口門番)でもなければ仮眠時間になるのだが、書類をやっつけていたらそれも過ぎていた。
「どうしてここのコーヒーは、あんなに不味く出来るんだか」
 コーヒーメーカーはオフィスにちゃんと用意されているのだが、そこのコーヒーは一言で言うと不味い。慶一郎はミルク入りのコーヒーが好きなのだが、置いてあるコーヒー用の粉ミルクも美味しいとは言い難い。そして冷蔵庫の中にあるポーションミルクは来客専用だ。
 となると、自販機のコーヒーが飲みたくなる。最近はミルクたっぷりで本格的な味わいのものも多いので、こうやって買いに来る事が多い。
「しかし不思議なのは、どこの駐屯地の自販機もコーラとコーヒーだけはやたら充実してることですな。体を使う仕事柄なんですかね」
 いつものミルク入りコーヒーを買ってポケットに入れ、また上の階へ。
 左足が義足の慶一郎は、階段の上り下りの足音が独特だ。
 杖をつく音、義足が階段を上る音。用途に応じて義足は変えたりしているのだが、一人真夜中に階段を上ったり廊下を歩いたりすると、それが何だか気になる。
「違和感がないように、歩き方も訓練し直すか……」
 そう思いながらドアを開ける。
 すると自分のデスクに、今まではなかった物が置いてあるのに気が付いた。
「……パンダ?」
 椅子の上に、パンダのぬいぐるみが座っている。
 何故こんな物がここにあるのか。そう思いながら気配を消して観察していると、それはもそもそごそごそと、小さく動いている。
「テロか?」
 ぬいぐるみや花に爆弾を仕掛けるテロは良くある。警衛から何も連絡は入っていないので、門を越えて不法侵入してきた馬鹿はいないようだが、自分達が普段戦っているのは心霊テロや妖魔達などだ。誰にも気付かれずに入り込み、爆弾を仕掛けていったとしても不思議じゃない。
「………」
 そっと気付かれないようにドアを出て、自分が持っている装備を確認する。
 今日日ペットボトルの中に入っている液体も、安心出来ないぐらいだ。コードをつまむためのプライヤーに、切断用のワイヤーカッターを取り出し、腰のベルトに引っかける。確か隣の部屋には、負傷時用のコールドスプレーがあったはずだ。気休めにしかならないだろうが、ないよりはあった方がいいだろう。
「まさかここで、こんなスリルに巻き込まれると思ってもいませんでしたがね」
 心の中でそう呟くと、慶一郎はそっとその物体に近づいた。とにかく動かさないように慎重に事を運ばねばならない。自衛隊の敷地の中でテロが起こったとなれば、国の安全だけではなく面子も揺らぐ。
 すると、パンダはひょこっと振り返り慶一郎をじっと見つめた。
「もふ♪」
「………」
「笹食べるもふ?」
「……謹んで遠慮させていただきます」
 パンダが喋った。
 しかも自分と会話をしている。
 軽く目眩を覚えそうになりながらも、慶一郎はパンダと一定の距離を取り、話を続ける事にした。
 怪奇現象には慣れている。
 妖魔狩りだってした事があるし、潜入もお手の物だ。だが、こう可愛らしくシュールな現象は初めてなので、妙な抵抗感がある。
「あの、一つ伺ってもよろしいでしょうか?」
「何だもふ」
 パンダはどこからか取り出した笹を食べている。
「私は矢鏡 慶一郎という者ですが、貴方はどちら様でしょう?」
 するとパンダは笹をしまい、ぴょこんとデスクの上に乗って頭を下げた。と言っても頭が大きいので、お辞儀というよりは頭突きに見えなくもなかったが。
「ボクは『笹食えぱんだ』もふ。笹食えぱんだ王国の王子さまなんだもふ。慶ちゃんはこんな遅くになにしてるもふ?」
 それはこっちの台詞だ。
 それ以前に、まさかパンダに「慶ちゃん」と呼ばれるとは思ってもいなかった。
 ひとまず敵意はなさそうなので、慶一郎はそっと椅子に戻り机の上に缶コーヒーを置く。
 これも一種の怪奇現象と思えば、いつもと変わりがないだろう。ただ、高校生の息子もいる男が、パンダのぬいぐるみと普通に話をしているのも大変な光景ではあるのだが。
「私は今まで仕事をしていたんです。ようやく一段落付いたので、コーヒーでも飲もうと思っていたところだったんですが、笹食えぱんださんはここに何をしに来たんです?」
 機密情報を盗んだりする気なら、始末しなければならない。ここには対妖魔相手の戦闘マニュアルや、レポートなどがある。それを持ち出されれば、相手に手の内が知れる。
 そんな慶一郎の軽い緊張感など全く気にした様子もなく、笹食えぱんだはくりっと首をかしげた。
「実はボク、この辺に美味しそうな笹があったから取ってたもふけど、迷子になっちゃったもふよ。それで困ってたら、ここに灯りがついてたから窓から入ってきたもふ」
「はあ……」
 確かに駐屯地などには笹がある事も多い。まあどう考えても、これはある意味「ナマモノ」の類だろう。背中のファスナーに書類も入っていないようだし、第一よく見ると指もないのに、キーボードを押してパスワードを入れられるとも思えない。
「仕方ないですね。まあ、こんな所で良ければゆっくり……」
 そう言いながら頭を撫でる。
 触り心地はマシュマロのように柔らかく弾力があり、なかなか気持ちいい。だが……。
「………!」
 ぽろり。
 まさにそんな感じで耳が取れた。それに慶一郎がビクッと手を止めると、笹食えぱんだは自分で拾って耳のある位置にぎゅぎゅっとつける。
「耳はよく取れるもふよ。だから心配しないでいいもふ」
 ある意味大変心臓に悪い。
 自分で耳をつけているパンダを。慶一郎は抱き上げた。
 大きさに比べれば、少し重たい感じがする。だが、何かが潜んでいるわけでもなさそうだ。首には可愛くリボンが結ばれていて、背中には謎のファスナー。
「このファスナーには何が入っているんですか?」
「いやん、慶ちゃんってばエッチもふ♪」
「勘弁していただけませんか?」
 ぬいぐるみ相手に何をしろと。
 それでも爆弾が入っているようではなさそうだ。笹食えぱんだを信頼していないわけではなく、このあたりは経験によるものなので仕方がない。流石に今の言葉には、脱力しそうになったが。
「笹食べるもふ?」
「笹は好物ではありませんので、私はコーヒーを飲みますよ」
「好き嫌いは良くないもふよ」
「………」
 好き嫌いとか以前に、それは人間の食べ物ではない。黙って缶コーヒーを開けると、笹食えぱんだは笹をもふもふと食べながら、机の上で足をぱたぱたさせた。
「慶ちゃん、ボクお家に帰りたいもふよ」
「笹食えぱんだ王国の行き方は知りませんが」
 少なくとも都内にそんな国はないだろうな、と慶一郎は思う。だが笹食えぱんだは首をふるふると横に振る。
「笹食えぱんだ王国じゃないもふ。今は東京のお店にいるんだもふ。可愛い絵本や、服や小物が売っているお店もふ。慶ちゃんは知ってるもふか?」
 東京のお店で、絵本や服等が売っているというだけで何軒あるのか。それを一軒ずつあたって「このパンダはこのお店のですか?」と、聞き込みをしている所を想像するとかなり切ない。息子には絶対見せられない姿だ。
「送って差し上げてもいいですが、もう少し店名とかがわかるといいんですが」
「あ、可愛い女の子が店員もふよ」
「店の名前と言いましたが」
「……もふ?」
 笹をくわえてにこっと笑い、首をかしげる笹食えぱんだ。
 これが必殺のポーズなのだろう。確かに可愛らしいし、女子高生だったらキャーキャー叫びたいところだ。
「朝になったら分かるでしょうかね」
 夜と朝では道の見え方が違うし、それで迷ったのかも知れない。慶一郎が缶コーヒーを飲んでいると、笹食えぱんだは笹を食べながら慶一郎を見上げる。
「ここはお茶も出ないもふか?」
「お茶でいいんですか?」
「お茶がいいもふ。出来れば熊笹茶がいいもふよ」
「ちょっと待っていて下さい。熊笹茶はありませんが」
 そう言って立ち上がろうとしたときだった。
「じゃすとあ、もふめんともふっ!」
 いきなり笹食えぱんだが手をバタバタさせて、それを止める。
 何が気に触ったのか分からないが、どうも怒っているらしい。とは言っても熊笹茶など用意していないしどうしたものか。慶一郎がその場で固まっていると、笹食えぱんだは自分にぴしっと手を向けた。多分指を指しているつもりなのだろう。
「違うもふ!慶ちゃんはここに何しに来てるもふか?」
「仕事ですが……」
「慶ちゃんの仕事はなにもふか?」
「それを一言で言おうとすると大変難しいですね」
 たとえ親しい間柄でも、自分の仕事を言うわけにはいかない。まして相手は謎のパンダだ。慶一郎は少し考えて、表向きの仕事である総務部の名前を出す。
「そーむぶもふか?じゃあ、慶ちゃんはお茶汲みが仕事じゃないもふね。こーゆーときは『私はお茶汲みに来ているわけじゃありません!』というのが正しいもふよ」
 それは、何の作法だ。
 唖然としている慶一郎をよそに、笹食えぱんだはまた笹を食べ始めこう言い始める。
「ちょっとそこの君、お茶を入れてきて欲しいもふ」
「……私はお茶汲みに仕事に来ているわけではありませんが」
「もふ♪」
 どうやら満足したようだ。
 軽く頭痛を覚えつつ、慶一郎は煙草に火を付ける。
 これが夢だったらいいのだが、どうも現実らしい。これをミッションとするのなら『朝まで過ごせ』なのだろうが、いっそ妖魔と戦っていた方が楽なような気がするので末期だ。
 そんな話をしているうちに、25:00を過ぎてしまっている。当直がてらの書類作成なので、明日は6:00の起床だ。今から仮眠を取らないとかなりきつい。
「笹食えぱんださん、私はそろそろ仮眠室で休みたいのですが、どうしますか?今から帰るのは辛いでしょう」
「そうもふね。今日は慶ちゃんの所に泊まって行くもふよ。優しくして欲しいもふ」
「……何もしませんよ」
 煙草を吸い、コーヒーを飲み干し、灯りを消して仮眠室へ。
 笹食えぱんだを抱えていこうか悩んだのだが、慶一郎のデスクに勝手に座っていたように、自分で移動は出来るらしい。
「ベッドは一つしか使えませんけど、いいですか?」
 起床時のベッドメイクなど色々面倒なので、出来れば一つだけを使いたい。それ以前にぬいぐるみに一つベッドを与える気もない。すると笹食えぱんだは背中のファスナーを開き、くるりと裏返しになる。
「お構いなくていいもふ。ボクはこうやって寝るもふから、慶ちゃんも早く寝るもふよ。おやすみなさいもふー」
「おやすみなさい」
 何だかシュールな一日だった。
 慶一郎はベッドを作ると、そのままそこに倒れ込んだ。灯りを消すと静寂の中、笹食えぱんだの寝息?が聞こえる。
「もふふふふ」
 真夜中の寝笑いはちょっと勘弁して欲しい。
 だが疲れもあったのか、目を閉じると眠りの波はすぐに訪れた。

「………」
 朝6:00の起床ラッパで目が覚めたとき、既に笹食えぱんだは部屋にいなかった。その代わりに一枚笹の葉が置かれ、何か文字のようなものが書かれている。
『明るくなったからお家に帰るもふ。泊めてくれてありがとうもふ。このお礼に、いつか慶ちゃんを笹食えぱんだ王国に案内するもふよ』
 ……そのお礼は、ちょっといらない。
 今日は梅雨の合間の晴れ空だ。初夏の朝日が目に眩しい。
「さて、今日も仕事しますかね」
 慶一郎は笹を拾い上げると、窓を開けて朝の冷たい空気を吸い込んだ。

fin

◆ライター通信◆
いつもありがとうございます、水月小織です。 
真夜中に書類を仕上げて一息ついたところに、笹食えぱんだがあらわれて……ということで、シュールでおかしな話を書かせていただきました。二人?の妙な温度差とか、掛け合いを楽しんでいただければ幸いです。
自衛隊の内情をやたら書いているのは、身内に自衛官がいるからだったりします。警衛にも見つからず入ってきたという事は、猫とかと思われたのでしょう。
リテイク、ご意見は遠慮なく言って下さい。
またよろしくお願いいたします。