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<東京怪談ノベル(シングル)>


ウィンケンティウスの聖布

 梅雨入り宣言が出されたのに、今年は空梅雨なのか、暑い日が続いていた。
 そんな中シュラインは、日差しに目を細めながら街中を歩いている。今日はある人と待ち合わせと打ち合わせを兼ね、たまには趣向を変えて中国茶でも飲まないかと誘っていたのだ。
 手に提げている紙袋の中には、前々から渡すと約束していた苺酒と紅茶酒に、おまけのマンゴー酢……どれもシュラインの自作で、マンゴー酢は最近作ったばかりの自信作だ。
 そして自分が肩から提げているバッグの中には、ケースに入れた葡萄柄の布。
「もう待ってるかしら」
 目当ての場所は駅からさほど遠くないところにある。こぢんまりとした佇まいだが、本格的なお茶と素朴なお茶菓子が楽しめる、静かな店だ。
 少しきしむ木枠のドアを開けると、奥の方の席で松田 麗虎(まつだ・れいこ)が顔を上げた。
「こんちは、お久しぶりっす」
「あら、やっぱり麗虎ちゃんの方が早かったのね」
「あ、今原稿の合間で暇なんで」
 人懐っこく笑いながら、煙草を灰皿に置く麗虎。この店を選んだのは佇まいや雰囲気がいいだけでなく、店主がおおらかなので喫煙に対して口うるさくないからだ。ヘビースモーカーの麗虎と一緒であれば、この点を押さえなければゆっくり話がしにくい。
 最近の話などの他愛ない挨拶をして、シュラインは中国紅茶のラプサンスーチョンと、鶏蛋巻(エッグロールクッキー)を注文した後、持っていた紙袋の中から渡す物を取り出しながら、輝くような笑顔で麗虎を見た。
「やっと会えたわね、一万円借りてる人」
 悪戯っぽく笑うシュラインに、麗虎は一瞬あっけに取られてような顔をした後、何かに気付いたように頭を抱える。
「げっ、シュラインさんにもその話行ってるのか……」
「ふふ。お金がらみじゃなくて、本当は純粋に遊びに行きたい弟さんのいる人ー」
 麗虎には、血の繋がらない弟がいる。
 シュラインもその事は知っていて、彼とも面識がある。小柄だが食べっぷりのいい元気な高校生だ。
 その彼にシュラインは、麗虎が一万円を借りたまま返してくれないというメールをもらっていたのだ。銀行に行っておろすのが面倒だとか理由を付けているようだが、本当は顔を見に行ったりしたいだけと言うのは、しっかりばれているのだが。
「うわーっ、マジで恥ずかしい。一万円は返したけど、それがばれてるのが恥ずかしい」
 あまりいじめると可愛そうか。苺酒などが入った紙袋をテーブルの上に置くと、シュラインは頭を抱えている麗虎をぽんぽんと撫でる。
「はい、これ約束の物ね。あんまり弟さん心配させちゃダメよ」
「自重します。あ、苺酒とかどうも……これ、飲んでみたかったんだ」
「ここだけの話でね」
「ラジャー。個人で楽しむわ」
 さて、麗虎と待ち合わせをしていたのは、これが本題ではない。苺酒などを渡す約束もしていたが、今日は打ち合わせと称して麗虎から樹海探索の話を聞く気だったのだ。
 元々廃墟写真などを撮ったりしていた麗虎は、最近樹海にも足を伸ばしているらしい。そこで出会った話などを次のネタにしようと思い、メールで約束を取り付けていた。多分背筋が寒くなる話なのだろうと思ってはいるのだが、それでもライターの性か、かなりワクワクドキドキしている。
 お茶とお菓子が来たので早速メモを取り出すと、麗虎は煙草を消してお茶をすする。
「さて、何の話しようか……色々あるんだけど」
「そうね、やっぱり死体見つけちゃった話とか」
「直球っすね」
 そう言いながらも、麗虎はカメラバッグの中から色々と写真を撮りだした。それは樹海の木々の風景だけでなく、陶器で出来た観音像や地蔵、そして木にぶら下がったロープの写真など様々だ。
 そのロープの写真を自分の方に引き寄せながら、シュラインは思わず引きつった笑いを見せる。
「なかなか本格的ね。私に見せてない写真もあるんでしょ?」
「そりゃ、ねぇ。でも、こういうロープが下がってると、大抵辺りに骨とかが落ちてる。時々、あんまり見たくない状態の死体も落ちてる」
 やはりなかなか一筋縄ではいかない探索行らしい。
 遺体を見つけるとその場で探索は中断になり、警察に連絡して事情聴取や、場合によっては任意で搬出を手伝ったりという話に、シュラインは軽く身を乗り出しつつメモを取る。
「やっぱり大変なのね」
「毎回見つける訳じゃないけど、何故か集まってるゾーンみたいのがあってね。立て続けに四体見つけた時は、流石にぞっとした」
 樹海も二時間ほど歩くと、原始の風景が広がっている程の静寂の森だそうだが、流石にそこまで行って死ぬという元気は自殺者にはないらしい。他にも樹海の中には遊歩道などがあり、そこから道に迷って事故に遭ってしまうという話なども聞き、温かいお茶を飲んでいるはずなのに、何故かひやりと背筋が寒い。
「遊歩道があるなんて知らなかったわ」
 イメージとして樹海というと、その名の通り森しか広がっていないイメージがあったのだが、よくよく考えたら富士山の麓なのだ。登山道や遊歩道があってもおかしくない。麗虎は新しい煙草に火を付けると、溜息混じりのように煙を吐く。
「ちゃんとした道もあるんだけど、夕暮れが近づくと辺りが見えなくなるからな。だから絶対コンパスとGPSは欠かせないし、一人では絶対行かない。何かあったときにミイラ取りがミイラになるのは分かってるから」
 その慎重さは、体当たり取材をするフリーライターにとって大事だ。一人であればスクープも独り占めだが、生きて帰れなければ意味がない。そのさじ加減が分かっているからこそ、シュラインは安心して麗虎に話が聞けるのかも知れない。
「麗虎ちゃんのそういうところが、安心してお仕事頼める部分なのかもね」
 そう言うと、麗虎はふっと苦笑する。
「そいつはどうだろ。基本的に臆病なんだと思うよ……短く持ってコツコツ当てたいって言うか」
「でも、それは大事よ。すごいスクープを一人で追いかけて、誰にも気付かれずに死んじゃったりするより絶対いいもの。これからも廃墟とか樹海とか行くんでしょ?」
「うん、ライフワークみたいなもんだからね。それに、いつか撮り貯めた写真とかで本出したいって思ってるから」
 そうなったときは是非一冊手に入れたいものだ。
 他にも樹海でコンパスが効かない噂が嘘だという事や、携帯電話のアンテナは立つが、向こうの会話が聞こえるのにこちらの会話が伝わらないなどの話を聞いた後、シュラインは話が途切れたところで、バッグからケースを取り出した。
 中に入っているのは、葡萄柄の一枚の布だ。埃除けとして果実酒にかけていたのだが、布から蔓が出て果実酒を飲んでいたのを、シュラインが引き取ったのだ。
 それから毎日決まった量だけお酒を飲ませていたのだが、いつの間にか花が咲き、ブドウの実にも艶が出てきている。もしかしたらアトラス経由で何か分からないかと思い、麗虎に見せようと思って持ってきたのだ。
「ねえ、麗虎ちゃん。話は変わるんだけど、この布について何か知ってる事ないかしら?見覚えとか、噂とか……」
 シュラインから唐突に話を切り出され、麗虎は布に灰を落とさないよう煙草の火を消してから、軽くそれを広げた。
「んー、見た事ないなぁ。特にそんな話も聞いた事ないし」
「ふーん……じゃあ、そっち関連ではないのね」
 ぺち。
 頷きながら、シュラインは麗虎の額を軽く叩く。
「なんすか?」
「ん、何となく」
 やはりそう上手くいかないか。
 麗虎自体は気付いていないが、彼の中には『異界の花守』の人格が宿っている。ここで花守に変わってもらえれば、何か分かるのではないかと思ったのだが、流石にそこまで上手くはいかないようだ。葡萄の花が今あるから、出てくれれば何か聞けそうかなと思ったのだが、よくよく考えれば通常の葡萄園も花の時期だ。
 少し溜息をついて、シュラインは茶壷にお湯を入れる。
「じゃあ、どこかでお酒を飲む葡萄の話耳にした事ない?」
「これ、酒飲むんすか?」
 少し広げた、一見ただの刺繍の布を二人で眺める。
 最初発見したときよりも実の艶が良くなり、花が咲いた一枚の布。それはただ静かに二人の間に広がっている。
 もしかしたら、無意識でも花守の感覚はあるだろうか。シュラインはそう思い、何気なく麗虎に質問を投げかける。
「危険な感じとかするかしら?」
「………」
 返事がない。
 ふと覗き込むと麗虎は目を閉じていて、何だか眠っているようだ。しばらくそれを見ていると、そっと片目が開けられる。
「……久しぶり、と言うべきか?」
「花守さん?」
「俺の方が専門だから、そっと変わったよ。こういうとき人格が別れていると苦労するな」
 どうやら、シュラインが呼んでいる声に誘われて出てきたようだ。何だか嬉しそうに目を細める麗虎を見て、思わず軽くお辞儀をしたりする。
「ごめんなさい、お呼び出ししちゃったみたいて」
「いや、いい。後で戻ったときに『居眠りしてたから放っておいた』とでも言ってくれればな。さて、布を改めさせてもらおうか」
 布を手に取り、麗虎は自分の膝の上に広げる。そして指で房や花の部分を確かめるように撫でる。
「何か分かるかしら」
 すると麗虎は葡萄を指さし、突然こんな事を言った。
「聖ウィンケンティウスの話を知っているか?」
「スペイン語ね。英語だとヴィンセントだけど、ごめんなさい。キリスト教徒じゃないからそこまで詳しくは……」
 聖……と最初についているということは、キリスト教の聖人なのだろう。それは分かっていても、一人一人の伝説を知っているほど詳しくはない。麗虎はお茶を一口飲み、ゆっくりと話し始める。
「スペインで最初の殉教者だ。数々の拷問を受け、たくさん流した血が尊いというところから、葡萄栽培者の守護聖人と言われている」
「それが、何か関係あるのかしら」
 酒を飲む布と、葡萄栽培者の守護聖人。
 その間に繋がる糸を、シュラインは一生懸命探し出そうとする。繋がっているのは「葡萄」というキーワード。そうやって考えていると、麗虎はそっと布を撫でた。すると中に咲いていた花が、少しだけ揺れたように見える。
「葡萄を大事に育てた者には、ちゃんと見返りが来る。この布は、ウィンケンティウスの加護を強く受けた葡萄だ。信仰心の強い誰かの元にあった物が、流れ流れてたどり着いたんだな」
 見返り……冗談で葡萄酒を飲ませてくれればいいなどと言っていたが、嘘から出た誠とはこの事か。
「この布、どうしたらいいのかしら」
 このままお酒を飲ませ続ければいいのか、それとも何処か教会などに持って行くべきか。
 だが、引き取ってからずっと果実酒などを飲ませ続けて愛着が湧いて来ているので、出来れば自分の手元に置いておきたい。
 じっと黙ってシュラインが言葉を待っていると、麗虎がクスクスと笑う。
「心配しなくても、それはもうシュラインの物だ」
 そんな顔をしていただろうか。指摘されると何だか恥ずかしくなり、思わず頬に手を当てる。
「今の時期に酒を好むが、その代わり秋には聖ウィンケンティウスの加護を受けた、芳醇な葡萄酒が代わりに戻ってくる。その後は普通の布として使っても構わないが、そうなるとただの美しい葡萄柄の布として残るだけだ」
「じゃあ、布として使わないままなら、また来年には……」
 シュラインが何を言おうとしているのか、麗虎は気付いたようだ。
 布としても綺麗だし、これでスカートなどを作ってもいいだろうが、やはり愛着がある。自分が作った果実酒を美味しそうに飲み、その度に艶を増すこれを普通の布として使ってしまうには惜しい。
 春にはこちらから果実酒をお裾分けして、秋には葡萄酒を分けてもらう。そんな何気ない付き合いがあってもいいだろう。
「そうだな。その時は来年またご相伴というわけだ。タペストリーにするぐらいなら、これだけ育っていればそう簡単に枯れる事はなかろうよ」
「それが分かって良かったわ。ありがとう」
 麗虎から布を受け取り大事そうに畳むと、それを見ていた目が嬉しそうに細まる。
「気にするな、こういうのは俺の領分だ。シュラインにも、聖ウィンケンティウスの加護がありますように」
 そっと目を閉じた麗虎に、シュラインは黙って頷く。
 この布は大事にしよう。時々お酒を飲ませてあげて、洗濯して日の下に干して。ワイン用の葡萄は肥料や水を極力与えないようにするというが、これはたっぷりと自分の愛情を与えたちょっとお酒好きの葡萄。
 目を閉じてしばらくたったのを確認すると、シュラインはちょんと麗虎の額を突いた。
「麗虎ちゃん、大丈夫?」
 ぱちっ。と音がしそうな勢いで、麗虎が目を開けた。そして驚いたようにシュラインの顔を見る。
「あ、すんません、もしかして寝てた?」
「何か疲れてるみたいだから、そっとしておいたんだけど……」
「うわー、疲れてんのかな。あ、そう言えば布は?」
 くすっと笑い、畳んだ布を手に持って。
「こっでも調べてみるわ。突然こんな話してごめんなさい」
「いや、こっちこそ、話聞いてる途中に寝てたとかあり得ない。編集長の前じゃなくて良かった……多分死ねる」
 本当はずっと話をしていたのだけれど、それは内緒の話で。
 麗虎に渡した苺酒にそっと蔓を伸ばそうとする布を、シュラインはいたずらっ子を注意するようにぽんと叩いて苦笑した。

fin

◆ライター通信◆
いつもありがとうございます、水月小織です。
前のシチュノベや、交流メールから繋がる「酒を飲む葡萄柄の布の話」という事で、こんな話を書かせていただきました。葡萄酒というとバッカスなどが有名ですが、調べていたら葡萄栽培者の聖人が出てきましたので、その加護を受けた布という事にしました。
貰ったぶんのお酒が葡萄酒になって返ってくるという感じです。怪異の一つではありますが、そんな付き合い方があってもいいかなと思ってます。
リテイク、ご意見は遠慮なく言って下さい。
またよろしくお願いいたします。