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<PCシチュエーションノベル(ツイン)>


夏祭り




 視界に映る風景は鮮やかな緑から色濃い橙のものへと移り変わっている。時計を検めるまでもなく、時刻は明らかに落日を間近に迎えているのだろう。
 季節は盛夏、山を下り街中へと戻れば、夕刻とは云えまだまだ茹だるような暑気がそこかしこに満ち広がっている。けれども街中の喧騒を外れ数時間車を走らせて辿り着いた山中深くのそれは、上着を羽織らねばならないような肌寒く感じられるほどのものだった。
 

 特に目的も定めずに車を走らせる。そんなドライブは、決して珍しいものではなかった。
 ただ、陽の高い内から街中のカフェで待ち合わせるなどという流れは、存外に新鮮な試みだったかもしれない。
 特別に予約を入れたスイートルームでシャンパンを干しながら互いを貪り合うのは、あるいは秘密の隠れ家として使うふたりだけの部屋で過ごす一時は、やはり何にも代え難いものだ。言葉など交わさずとも、互いに触れ合うだけでそれを取って知る事が出来る。
 上質なレースのカーテンを透く緩やかな陽光も月光も、わずかに開けた窓から流れこむ風の涼やかさも、互いがそこにあるというだけでかけがえのないものへと変わる。
 だが、久し振りに外の風景を流してみようという運びとなった、そのきっかけは、おそらくはとても些細なものだっただろう。今となってはふたりともそれを記憶に置いてはいないが、そもそもそんな経緯などどうでもいい。些末な問題に過ぎない。
 ともかくも気の向くままにハンドルを動かし、そうして数時間の後に到着したそこは、都心を大きく外れた山間の麓、車の往来のまるでない、見渡す限りの田圃に囲まれた緑の中だった。
 カーナビは、何故か現在地点を指標しようとしない。故障してしまったのかもしれないが、その前兆などひとかけらほどもなかったはずだ。
 ラジオにチャンネルを合わせてみるが、それもろくに機能しない。周波の届かないような場所にいるのかもしれないが、――確かに、電線も通っていないような場所だ。
 そもそも、果たしてどう車を走らせた末にその道に出たのかも曖昧だ。まるでどこかで突然に意識が途絶え、その一瞬の間に車ごと移動させられたかのような、奇妙な状況なのだ。
 降るような蝉時雨、沸き立つ入道雲。敷かれてあるのはアスファルトだが、随分前に敷かれたきりであるように見える。端々に亀裂が奔り、申し訳程度に引かれたものであるような白線も大分薄くなっていた。
 田圃には緑豊かな稲穂が揺れており、その中に立つカカシが頻繁に確認できた。
 道脇にぽつりと置かれたバス停はデザインも古く、赤錆びて時刻など確認出来ようはずもない。
 つまりはふたりが辿り着いたその場所がどの辺りに位置しているものか、それすらも確認出来ないのだ。
「モーリス」
 アドニスの声に視線を移したモーリスの視界を、鮮やかな緑の稲穂が一面に埋め尽くす。
 アドニスは華奢な指を持ち上げて稲穂の中、カカシの数々を指差しながらモーリスを見た。
「カカシの数がやけに多いような気もするが、そんなものなんだろうか」
「うーん、どうかな」
 応え、モーリスもまた改めてそれを確認する。
 一枚の田にひとつ、あるいはふたつ。確かに多いようにも思えるが。
「この土地ならではの理由があるのかもしれないからね。鳥による害がひどい場所なのかもしれないし」
「そうなんだが……」
 モーリスの応えを受け、アドニスはふいに口をつぐんだ。
「キャロル、ひとまず町を捜そう。ここがどの辺りで、大きな公道に行くにはどう走ればいいのか、教えてもらわなくちゃならない」
 言い置いて再び車を走らせたモーリスの横、アドニスは窓の向こうに広がる盛夏の風景を眺めたままだった。
 走っても走っても車はおろか人の姿さえもろくにない、ただひたすらに真っ直ぐ続くアスファルト。むせ返るような緑の中を、それからどれほど進んだだろうか。
 道の果て、小さな集落のような場所が見えた。
 トタンを被せた木造の古い家並み、点在する民家らしいものの数は、数える限り両手の指で充分に足りるほどだ。
 タバコ屋の看板が風にさらされてばたばたと音を立てている。その横にはかたかたと音を立てて廻る理髪店のシンボルがあった。
 車を停めて降り立ってみたふたりを迎えたのは鼻をつくような臭いだった。何かが腐敗したもののような、不快を煽る空気が一帯に満ちている。
 無人の廃墟の中、数歩を当て所もなく進め、アドニスはふと肩越しにモーリスを振り向いて訊ねかけた。
「モーリス、この臭いは」
「死臭だね」
 間を置かずに応え、モーリスはつと小さく頬を歪めた。
「どうやら私たちは招かれたようだ。なるほど、ここはおそらく異界なんだろうね。そう見れば、あらゆるものに理由がつく」
「そのようだ」
 ため息がてらうなずいて、アドニスは再び数歩を進める。
 と、アドニスはふとタバコ屋の看板の奥に人のいるのを見てとり、視線だけでそれをモーリスに報せた。
 
 小さなガラスのついた窓の向こう、うっそりと俯く老女の姿が見える。
 未だ太陽はかげりを見せずにあるというのに、ガラスの向こうは湿った夜の風景を彷彿とさせるほど、暗色のひとつきりで塗り込められていた。
 老女の白々とした頭に骨と皮ばかりの身体が克明に暗色の中に浮きだっている。
 アドニスの横で足を止めたモーリスもまた老女を見とめ、愉しげに目を細ませながら肩をすくめた。
「すみません、お訊ねしたいのですが」
 長躯の膝を折り、老女の顔を覗き込むような姿勢を作って声をかける。
 老女はまるで置物か人形のように、黙したままじわりとも身じろがない。背にうっそりと広がる闇ばかりを背負い、時折隙間風に似た音を歯黒に染めた口蓋からひょうひょうと洩らしているばかりだ。
 モーリスは曲げていた膝を起こし、横目にアドニスの顔を見る。
 アドニスは不快そうに眉をしかめていたが、対するモーリスはいよいよ楽しい遊戯を見出したかのような、明るい面を見せていた。
 それからしばしの間モーリスは老女への接触を試みていたが、応えらしきものは一向に得られないままだった。
「モーリス、行こう。――やがて陽が落ちる」
 アドニスに袖を引かれ、モーリスは小さく首をすくめてからうなずいた。
「なかなかに意味のありそうな場所だし、せっかくだから情報でもと思ったんだけどね。……どうにも埒があかないようだ」
「厄介事に巻き込まれるのも面倒だ。はやくここを出よう」
「そうだね。どこかで部屋をとって休んでいくとしようか」
 視線を交わらせながら言を交わす。
 アドニスがふと視線を地へと落とし、急ぎ足でその場を立ち去ろうとした、その時。
 それまでは一向に身動きひとつしようともしなかった老女が、突然箍(たが)が緩んだようにゲタゲタと笑いだしたのだ。
 アドニスとモーリス、ふたりの視線が老女へと寄せられる。
 老女は俯いたまま、空っぽの眼光で己が膝を見据えたまま、カタカタと全身を揺すりながら笑っていた。
 欠けた歯の覗く口許から吐き出される生温い空気が言葉を形作り音を成す。
「――お婆さん?」
 訊ねかけたのはモーリスだった。
 膝を屈めようとはせずに、ゆえに彼女の顔など確かめようもない。
「キャロル」
 モーリスがアドニスの腕を引く。
「行こう」
 モーリスの眼光が穏やかな笑みを浮かべていた。
 アドニスはモーリスにうなずきを返し、それからもう一度ちらりと老女に目を向ける。 
 老女の笑い声は乱れる事もなく続いていた。


 アドニスがハンドルを握り、落日の気配を漂わせ始めた風景の中、一本道をひたすらに走る。
 遠目に広がる山の連なりは西日を背に受けて暗く翳り、視界を埋める一面の田圃もその影に侵食されていた。
「陽が沈む」
 呟くように落としたのはモーリスだった。
 モーリスの陽光色の髪が西日の煽りを受けて朱に染まる。
 アドニスは忌々しげに舌打ちをしてブレーキを踏み、苛立たしげにハンドルを叩く。その拍子にクラクションが甲高い叫びをあげた。

 どこまで走っても、道は必ず廃墟へと続くのだ。廃墟の中にはタバコ屋があり、人形のように座る老婆がいる。
 鼻をつく異臭。陽が落ちるにつれて気配を現出させ始めた得体の知れないものの息吹。
 小さな廃墟のそこかしこには、今やそういった者の気配が満ち溢れている。姿は見えない、が、不意に背を過ぎる何者かの気配は確かに存在している。

「キャロル、気付いていたか」
 モーリスが低く落とす。
「虫の鳴き声が止んでいる」
 
 夕暮れの風が田圃を薙いでいく。
 アドニスは眉をしかめながらうなずいた。
「ああ」
 返し、顔だけをモーリスに向ける。
「それだけじゃない。モーリス、後ろを見ろ。カカシが消えている」


 タバコ屋に小さな灯が点いた。
 廃墟はいつしか賑やかな町に変わり、無数の人間たちがのんびりと行き交いだしていた。
 道には提灯がぶらさがり、それはまるで祭りの始まりを予想させるものへとなっていたのだ。
 何とはなしに車を降りて町に踏み入ったふたりに、タバコ屋の老婆がのんびりとした声をかける。
「いらっしゃい」
 それを合図にしたかのように、あたり一体の人間たちのすべてが口々に歓迎の意を口にし始めた。
「いらっしゃい」「いらっしゃい」「いらっしゃい」「いらっしゃい」
 と、急に足が重くなったのを感じ、モーリスはつと歩みを止めて傍らのアドニスを見る。
 アドニスもまた同様に足を止めてモーリスを見ていた。
「ねえ、なにして遊ぼう?」
 足下から聞こえた稚い声に視線を落とす。そこにはふたりの腰下に群がる無数の子供たちがいた。
「キミたちは」
 言いかけたアドニスの言を破るように、子供たちの表情が頑是無いものから空虚なものへと変じる。
 眼孔は昏いふたつの穴、口許は爛れ落ちて煤けた骨が覗いている。それが辛うじてそれと判別出来るほどに歪み笑んでいた。
 太陽は山の向こうに沈み、辺りにあるのは祭りのそれを思わせる奇妙な高揚だ。
「新しい仲間だね。――さあ、祭りを始めよう」
 背で何者かが告げる。
 肩越しに振り向いたそこに広がっていたのは、子供と同じ姿態となった無数の人間たちの姿だった。

 長い夜の始まりだ。





Thank you very much .
Let's meet you by somewhere again.



2007 7 25
MR