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<東京怪談・PCゲームノベル>


→ 莫迦と白猫

 朝方、バー『暁闇』店舗裏手。
 ゴミ出しの為、真咲御言は裏口から表に出ている。
 表に出たところ、偶然視線が向いた位置――ちょっとした植え込みの中でくるりと丸くなっていたのは、真っ白な毛並みの猫一匹。
 裏口から出てくる御言の姿に気付くと、何処か不思議そうに見上げてくる。
 見上げてくるその眼の色は、金。
 ちょうど、御言の持つ瞳色と同じような朱みを帯びた金色。
 どうしたと少し笑いかけてから、御言はゴミ集積場までそのままゴミ出しに行く。
 白猫はその後から付いて来た。

 ゴミ出しが終わって『暁闇』裏手まで戻って来ると、御言に付いて来ていた白猫はまた、役目は終わったとばかりにまた元居た植え込みに潜り込んで、くるりと丸くなっている。
 腹が減ったとか、特に構ってくれと言う風では無い。
 それをさりげなく確認してから、御言は裏口から店舗内に戻っている。

 再び『暁闇』店舗裏口から御言の姿が現れた。今度は裏口の扉に鍵を掛けている上、薄く色の付いた眼鏡を掛けファイルバッグを小脇に抱えている――何処かへ出かけると見たか、丸くなっていた白猫はまた路面に飛び降り御言の後に付いて行く。御言が立ち止まり白猫を振り向くと、白猫もまた立ち止まって、みゃー。
 御言は立ち止まったそこで、苦笑しながら屈み込み、白猫の喉を少し撫でてやる。白猫はごろごろと満足そうに喉を鳴らしている。…とは言え出掛けにずっとこうしている訳にも行かないので、その内止める。
 白猫もそれで文句を言うでもない。
 ぽんと白猫の頭に手を置いてから、御言は立ち上がり再び行こうとしていた方向に歩き出す。
 白猫もやっぱり付いて来た。そして、後ろに付いてくるだけでは無く跳ねるようにして少し足を早め、御言と並ぶような形になって――何処まで行く気か一緒に歩き始めた。
 今度はどちらも立ち止まらない。



 草間興信所。
 毎度の如く綾和泉汐耶が草間武彦に貸し出した蔵書の回収に訪れた時には、興信所の主とその義理の妹の他に先客が一名居た。
 鬼・凋叶棕である。
 テーブルの上には人数分の煎茶入り湯呑み、それとお茶請けのつもりか、煎餅幾つかと何故かサラミソーセージのスライスが置いてある。
 …煎餅はともかくサラミソーセージは微妙に御茶請けにそぐわない気もするが、そこに居る面子はあまり気にしていない。
 曰く、煎餅は御中元で頂いた中から出したもので、サラミソーセージは凋叶棕が持参した手土産だとか。
 汐耶の来訪を受け、零が新たにお茶を煎れる為台所に湯呑みを取りに行っている。
 武彦も汐耶に借りていた蔵書を取りに席を立っていた。
 一人残った凋叶棕は来い来いと汐耶を呼び、ソファの空いているところ――零の座っていた位置の隣になる――を勧めてくる。
 汐耶も素直にそこに腰を落ち着けた。
「…何だか凄くお久しぶりな気がしますね」
「ん。そうだな。…『白銀の姫』事件の時ちょっと顔合わせて以来になるしなぁ」
 のんびり湯呑みの中身を啜りながら、凋叶棕。
「近頃あんまり綾和泉のお嬢さんと会う機会がねぇからな…よし折角会ったところだ、気になってる事訊いとこう」
「?」
 この人が気になってる事って何だろう、と思わず頭に疑問符浮かべる汐耶。
 と、そのタイミングで零が台所から戻ってくる。
 ポットから急須に湯を入れ暫し、持参した湯呑みに茶を煎れて汐耶にどうぞと手渡している。
 有難うと受け取り、取り敢えず自分の前に置く。
 それから改めて――気になってる事って何ですか、と凋叶棕に問い返す。
 答えはすぐに返って来た。
「御言との事どうなってんのかなって」
 がくり。
「…そこですか」
「いやあいつ見る限り言動は前から全然変わってねぇからさ。…でもあんたの事意識してない訳無いんだが。にしては付き合ってんのかって訊くと違うってはっきり言いやがるし、でもお嬢さんとあいつが二人で一緒に居るの見てるとどう考えても出来てるよーに見えるんだよな」
「…。…はぁっ?」
 汐耶の声が思わず裏返る。
 …どう考えても出来てるよーに見える、って何だ。
 凋叶棕の言いように汐耶ははっきり動揺してしまうが、今度はそこで――武彦が汐耶に借りていた本を持参して戻ってくる。
 戻ってくるなりその場に流れる何だか妙な空気に気付き、武彦は問うように零を見た。
 零は素直に見たまま聞いたままの経過を武彦に伝える――伝えようとしたが、内容を事前に察した汐耶が慌てて零を止めている。
「?」
 何事かときょとんとする零。
 その様子を見て、逆に武彦は納得。何事も無かったように来客用ソファの元居た位置に座り、テーブル上に汐耶から借りていた本を置いている。
「…。他ならない綾和泉がそこまで動揺してるとなると何となく察しは付くが…言わない方が良いんだろうな」
「…。せめて零ちゃんも居るところでは勘弁して下さい」
「…いや、零も知ってるぞ」
「はい。きっと綾和泉さんにとって大切な事なのでしょうから、ノインさんの時のお返し何か出来ないかなって思ってたりするんですが…」
「…。…ひょっとして私の居ないところで『この事』よく話題になってたりしますか」
「…。…取り敢えず、お前と真咲の両方を知る大抵の奴は気になってるみたいだぞ」
 あっさり武彦。
 そう来られてしまえば何だか身も蓋も無い。
 むしろ開き直った方が良いような。
「…。…そういう事なら、折角ですから私も凋叶棕さんに訊いてみたかった事があるんですけれど」
「?」
「春梅紅さんの事です」
「お、そう来たか。春な、お嬢さんにとっちゃあいつは確かに気になるかもしんねぇな。御言とはかなり親密そうに思えるだろうし…っつってもありゃどっちかっつぅと御言の姉貴とか母親みたいなもんかもな」
「…そうなるんですか?」
「うーん。言い切るのも何か違う気はするんだけどな。でも間違っても恋愛感情たァ違うな。執着してる事に間違いはねぇけど同時に放置してもいるしな…実際、春は御言が誰と付き合おうと全然気にしてる風は無かったし。むしろ祝福してるよーな時もあったな。相手の女と仲良くなってた事も少なくねぇ。…そういう場合の女って手前の男の周りに居る女に関しては色々警戒もするし鋭いもんだろ。なのに平気で仲良くなってるような感じだったしなぁ」
「はぁ」
「それから、御言の方は多分俺と春と…両方同じような対象としてしか見てねぇよ。こっちが勝手に色々世話焼いてやってるだけでな。取り敢えず、御言の方もそれを良しとしてくれてるようだ、ってだけの」
「恩人、ってところなんでしょうか」
「…。あいつが恩に思ってるとすりゃ、それが一番しっくり来るかな。つまりそんな関係って事だ」
「…教えて下さって有難う御座います」
「で、お嬢さんはどうする?」
「?」
「何なら色々お膳立てするぞ? 武彦も零も恐らく否やはない」
「…。…け、結構です!」



 画廊『clef』。
 真咲御言が来訪したのは義兄である真咲誠名が営んでいるその店舗。一緒に来た白猫の事もあまり気にされていない――人間同様、普通のお客さんと言う扱いで放っておかれている。受付に座っていた更科麻姫もそれで当然と言った風。御言に対し誠名さんは奥の事務所ですと伝えるだけで白猫の存在に特に言及無し。…どうも経営者の方針か猫には寛容であるらしい。
 なので白猫は結局御言に付いて回って画廊内を歩いている。関係者以外立入禁止の事務所まで赴いて、御言はそこで足を止める。御言の来訪に、挨拶がてら、よっ、とばかりに片手を挙げてくる誠名。
 御言が来訪した理由。それは誠名からのちょっとした頼まれものがあったから――それがファイルバッグの中身でもあるのだが。…ちなみに画廊屋内改装デザイン案らしきラフ画数枚である。
 手渡された後、ぱらぱら見つつ誠名は唸っている。
「…やぁっぱ確り俺好みのツボ突いてくれるよねお前って♪」
「…専門業者に頼んで下さいこういう事は」
「んー? それでも業者さんに説明し難い事ってあるじゃん。自分でも気が付いてない事もあったりするし。その辺お前って結構行き届いててくれるから凄え参考になるんだよね。…手前含め『家族』の事ならまずお前に聞いてみるのが一番だからな♪ 多分誰の事についてもお前が一番確り見てた」
「…誠名さん」
「んー?」
「そんな――…」
「そんな人間が『家族』をあっさり捨てますか? ってか。…舐めんな。手前は『家族』を捨てられる男じゃないし嫌だからなんてそんな青臭い理由だけで逃げ出すような男でもない。…脱けた理由、嘘じゃないにしてもそれだけが全てじゃないだろ」
「…」
「想像は付いてる。お前がIO2に三行半を突き付けた一番の理由もな」
「いい加減な事を言い触らさないで下さいね」
 俺はただの裏切り者なんですから。
「言わねぇよここ以外では。言える訳ないだろ言ったらお前の思惑が全部パァだ。…いやそれどころか…今この場所でも誰かが同じ事を考えないとも限らない。俺や草間さんトコに絡んでる以上、お前は『ここ』でも絶対に誰かの邪魔になってる。…お前の『力』はIO2でも何処が限界か読めてなかった。だがそこを抑えてるお前の精神に干渉できるってんなら近場にも紫藤の旦那っつぅ御人が居る――『難しいにしろ、出来なかぁない』んだ。違うか?」
「…誠名さん」
「俺たち『家族』を――『ハイエナの子供たち』を快く思ってない奴って上の方に結構居たよな」
「誠名さん」
「あの頃なぁんか一部上層部からの風当たり強くなってたしな。どうせお前自身が体の良い『爆弾』扱いにされてたってトコなんだろ。お前は事前にその情報を何処からか仕入れた。お前は自分も『家族』も死なずに済む方法を考えた。その結果死んだ事にして脱ける事しか思い付かなかった。だから今そうやってただの裏切り者だって言ってるんだろ。恩を着せないように、自分が助けたと言わないように。置いてった奴の気持ちも結局無視出来ねぇからよ…全部手前自身のエゴだとしかお前は言わない」
 IO2なら紫藤の旦那並に強力な催眠能力者は戦力として居て当然だ。
 精神的な制御を奪えさえすれば、ただ力を暴走させる事など簡単だろ。…文字通り、『爆弾』にする事も。
「…お前が一番気にしてるのって結局そこだろ。だから綾和泉のねーさんに、この期に及んでまだ言ってねぇ」
「そういう訳じゃないんですが」
「ほー。じゃあなんで言わない」
「どうも切っ掛けが無くてですね」
「切っ掛け作れねぇのはその辺わだかまっててじゃないのー?」
「…。…否定出来ない自分が情けないです」
「やっと白状しやがったな。…お前だとやっぱりそこまで気にしちまうか」
「今はもう、気にする事自体汐耶さんに悪いとは思ってるんですが…それでもやっぱり駄目で。気にしていないつもりでも頭の何処かで気にしてるんですよ。…俺の存在自体が一番の毒になりかねないと」
「…俺はむしろ相手がねーさんだからこそ、その辺気にしなくていいんじゃないかって気がしてるんだがね」
「実は俺もそう思ってはいるんですけどね」
「でも駄目か」
「ええ。…そろそろ年を取れるようになりたいとは思ってるんですけれど」
「…御言」
「七年前から俺の時間は止まってるようなもんですからね。いい加減、針を進めたいとは思っていますよ」



 …夕方。
 蔵書回収に行った草間興信所で何だかんだと余計な世話を焼かれた(…)後、綾和泉汐耶は新刊書店に古書店と足の向くまま気の向くままあちらこちらと梯子して。
 そろそろ普段の調子に戻れたかなと言うところで、帰路に着こうとまた足の向きを変えている。
 と、ちょうどそんな折。
 車道を挟んだ向こう側の歩道で、自分と同じ方向に歩いて来ている人物の一人がふと視界に入った。
 濃灰色の長袖シャツに黒いパンツ、薄く色の付いたサングラス。
 ファイルバッグを小脇に抱えたその足許で、連れだとばかりに白猫が一緒に付いて歩いている。
 歩いている少し先に、交差点――横断歩道。立ち止まる。横断歩道を渡るつもり、こちらに来るつもりのよう――こちらを向く。
 …気付かれた。
 青になる。
 その人は――真咲御言は、横断歩道を渡ってこちらの歩道に来る。白猫も当然のように付いて来ている。リードで繋がれている訳でもないのに完璧に連れと言った様子のその猫の存在故か、やや人目を引いている。
 御言は汐耶の姿を見付けるなり、苦笑。
「誠名さん、まさか仕組んでたりしないでしょうね」
「…?」
「いえ。こちらの話です。…ちょうど誠名さんに汐耶さんの事で色々言われて来たところだったので」
「…そうなんですか。何だか奇遇ですね」
 結局汐耶も苦笑。
 ただ、こちらも同様、草間興信所で色々言われて来たのだとは言わない。…言えない。
 …何だか本日求めた書店巡りの意味――精神安定剤?――が一瞬で掻き消えたようなそうでもないような。
 と、内心動揺していると、汐耶はじーっと自分を見上げる白猫の視線に気付く。
 御言の足許で止まって待っている白猫の視線。
 汐耶は少し上体を折り、その視線を真っ直ぐ見返してみる。
「…ところでこの子は?」
 ああ、と御言もまた白猫を見た。
「連れです」
「…連れって…『暁闇』店舗では飼えませんよね?」
 食品衛生法上。
「ええ。こいつは朝に『暁闇』の裏手に居まして、それからずっと俺に付いて来てるだけなんですよ。俺の知る限り『暁闇』近所にテリトリー持ってる奴の中にこいつは――金眼の白猫は居なかったと思うんで…これからどうするつもりなのか少し気になってるんですが」
「…迷い猫でしょうか」
「その可能性もあると思うので一応触れ回ってみようとは思ってるんですが。まぁ、ただの野良だとしても――野良でやってくつもりだとしても、生きていけそうな奴に思えますがね」
「放っとくんですか?」
「こいつの方で飼われたいようなら、何処かにペット可の部屋でも探そうと思ってますが…」
 何だかそんな感じじゃないんですよね。
 ぽつりと言いながら、御言は白猫に視線を落とす。
 白猫はそれを受け、なーぉ、と答えるように鳴いてみせた。
「…朝からこんな感じなので」
「…何だか真咲さんと似てませんか?」
 瞳の色といい態度といい。
「そう思います?」
「はい」
「…。あ、っと。取り敢えずここで突っ立って話してるのは場所柄人の通行の邪魔になりそうなので、何処か落ち着けるところに移動しませんか? こいつが居るので何処かのお店、とは行きませんが…公園辺りにでも」



 公園。
 木陰のベンチで汐耶が座っている。時間帯からして暑さのピークは過ぎたとは言え、まだまだ暑い。少し離れた位置の自販機の方から御言が歩いてくる――手に持っているのはよく冷えた缶コーヒー二つ。どうぞと汐耶に片方が渡される。御言はその隣、少し離れた位置に腰を落ち着けた。白猫は自販機の買物にまで御言にくっ付いて回っており、彼がベンチに座ったと見るなり、その足許、木陰の中ベンチの下――影が幾らか濃いところ――恐らく幾らかでも涼しいのだろう位置――をさくさく掘って、掘ったそこにべたりとへたりこんでいる。
 どうやら、暑くとも御言に付いて回りたかったらしい。…ここぞとばかりに休んでいる。
 その様子を見、御言はまた苦笑している。暫くそうしてなと白猫に声を掛けつつ、自分用に買って来たのだろう缶コーヒーまで未開栓のまま白猫のへたっているすぐ側、くっつけるように土の上地面に置いてしまった。
 白猫の方でも殆ど無意識でひんやり冷たい缶コーヒーにぺたりとくっついている。…まるで氷枕か氷嚢か。
「…真咲さん、凄く懐かれてますね」
「…こいつとは今日の朝に初めて遇ったんですけどね?」
「全然そんな風に見えませんよ? むしろ長年飼われているような」
「気心知れてる感じがするのかもしれません。…少なくとも俺はそうです」
 ひょっとすると、こいつの方でもそう思っているのかもしれませんね。
 俺の事を。
 似た者同士だと。
 汐耶さんが仰ったように。
「…真咲さん御自身もそう思われたんですか」
「まぁ、そうです。…『暁闇』の裏手にいきなり居たって時点で俺が『ここ』に来た時と同じですし、見た目も――と言うか瞳の色がちょっとびっくりするくらい近い気がするんですよね」
 ただ金色ってだけじゃなく、朱みを帯びた――炉の中の金属みたいな色。
「…俺も、七年前…こいつみたいに『暁闇』の裏手に居たんですよね。ただこいつと違うのは――俺はこいつみたいに自分の意志でちゃんと動いては無くて、無気力状態で転がってた、ってところなんですが」
「…」
「あの」
「…はい」
「これからちょっと鬱陶しい話をしますので、お嫌でしたら途中で止めてやって下さい」
「…はい?」
「…七年前、俺がIO2を脱けてここに来た時の事なんですけどね」
 本当に、情けない状態だったんですよ。
 死んだ振りして逃げて来て。
 その事自体に後悔はしてないつもりでも、それでもずっと頭の何処かで気にしてて。
 先の事が何も考えられませんでした。これからどうするつもりなのか、どうしたら良いのか。
 まともに物事の判断が出来るような頭の状態じゃなくて。
 …気が付いたら辿り着いていたのが、『暁闇』の店の裏手でした。
 そこで、今日俺がこの白猫に遇ったみたいに紫藤に見付けられて――拾われて。それから、ただ流されるまま過ごして、今に至ります。
 汐耶さんに逢ってからもまた、少しは変わった――変われたのだと思うんです。
 けれどそれでも、まだ、踏ん切りが付いていない。…この場所に留まりたいと思っていても、自分がこれからもここに留まると確信出来ていない。以前汐耶さんに御迷惑を掛けてしまった『あの時』の事もありますし、これからも留まり続けるつもりではあるんですが、どうもまだ根っこの部分で覚悟が足りてないようで。
「…まだ、何かがあったら居なくなるつもりなんですか」
「…いえ。頭ではもう考えてません。ですが…今に至ってもまともな住まいを作ってないのも事実なんですよ」
「って、『暁闇』の更衣室と言うか控え室と言うか…真咲さんはあの一室に管理人として住んでらっしゃるってお話ですよね?」
「そうです。ですがそれは…はっきり言って『建前』なんですよ」
「…」
「…あの部屋を見て、どう思いました?」
「…それは」
「人が寝起きしている場所だと思いましたか?」
「…。…思えませんでした」
 そうでもなければ、以前の幼児化及び猫化事件(?)の時も――幾らほとほと困り果てており更には誠名が同席していたとは言え――あんなにあっさり入っていけなかったと思う。
 生活感など何処にもない部屋だった。
 まるで自分と言う存在の痕跡すら残すまいとしているような――予め、居なくなる準備がしてあるような。
 あの時は動転して殆ど自分の事だけで頭が一杯だったのだが、よくよく冷静に思い返してみれば、そんな不安さえ覚えてしまうような室内の光景でもあり。
「真咲さん」
「はい」
「…さっき、この白猫さんが…白猫さんの方で飼われたいようならペット可の部屋を探すつもり、って言いませんでしたか?」
「言いました」
「じゃあもう、今仰った『踏ん切り』はついてるようなものじゃないんですか?」
「考えて口に出す程度なら、って事です」
「実行は難しいって事ですか?」
「いえ。簡単なんだとは思いますよ。行動だけで考えるなら。でも、どうも駄目なんですよ。まだ――本当の意味で時間が動かせていないから、なんだと思います」
「?」
「…汐耶さん、俺って少し童顔でしょう」
「…はい? って…どう答えろと?」
「反応に困るような事を言ってすみません。…ただですね。これでもIO2に居た頃はまだ、結構年相応の容姿だったんですよ」
 ただ、今は――その頃から、殆ど年を取ったように見えないだけで。
 なので多分、俺の中では――『暁闇』に辿り着いた七年前のあの時から、殆ど時間が進んでいないんです。
 どうしても自分だけでは、先に進められないみたいで。
 貴女の存在で――貴女とお会いして初めて、『先に進める事』を考えられるようになったんです。
 ですから。
「これからの俺の時間を、貴女に動かして欲しいんです」
「…。…それって、能力の問題で『封じられた時間を解除してくれ』、って事じゃないですよね」
 一応、訊く。
 まず違うとわかっていても、その意味に察しが付いても、汐耶は思わずそんな確認をしてしまう。
 …照れ隠しと言うか素直に反応出来ないと言うか何と言うか。
 そんな汐耶の科白に、御言は苦笑しているようだった。
「…要約すると、俺と一緒に居てはくれませんか、と言う事なんですが」
「…迂遠過ぎます」
「承知してます」
「ずるいです」
「それも承知してます」
「…真咲さん」
「貴女の事が好きなんですよ。汐耶さん」
 だから貴女に、俺の時間を動かして欲しい。

 …さらりと。
 何かのついでのように告げてくる。
 聞く方にしてみれば、とても大切な、一言を。

「………………真咲さん、やっぱり、ずるいです」



 結局その時に汐耶からの返事は返らず――それから、数日後。
 夕方。
 バー『暁闇』の裏手。真咲御言が中から扉を開けたそこ――今度は待ち兼ねたとばかりに金眼の白猫がちょこんと座っている。
 仕方無さそうに小さく息を吐いてから、御言はその場で屈み込んでいる。白猫の目の前にそっと置かれたのは、ミルクの入った皿。…仕方無さそうな貌をして現れた割には、御言は元々白猫用のミルクを用意していたらしい。
 遠慮無く当然のように、皿が置かれるなり白猫はミルクをぺろぺろと舐めている。
 御言はそれを微笑ましげに見守っている。
 …人が、来た。
 繁華街の裏道になるそこで、人影が一つ現れる。
 通勤途中と思しきスーツ姿に鞄を持った、綾和泉汐耶。
 汐耶は何か怒っているような貌をしている。
 何も、話し掛けて来ない。
 御言はゆっくり立ち上がり、そんな汐耶の顔を見、微笑んだ。
「こんにちは。今、お帰りですか」
 と。
 御言が汐耶に挨拶した直後。
 挨拶が返るより先に、汐耶から御言に向かって――きらりと光る小さな物が投げ付けられた。
 御言はちょっと驚いたような貌をし、それでもその投げ付けられた『何か』を片手で簡単に受け止める。
 いったい何なのかと手を開いてみると、それはどうやら何処かの鍵一つ。
 形からして、何処ぞのマンションの物と思しき。
 となれば、これは。
「…汐耶さん」
「…『言う』の、遅いです」
「…すみません」
「謝らないで下さい」
「はい」
「それ以外に言う事は無いんですか」
「そうですね。…今すぐは無理ですが、その内、俺の部屋の鍵もお渡しします」
「莫迦」
「…はい」
 何の反論もしないで、御言は大切そうに渡された鍵を握り直す。
 怒ったような貌を作っていた汐耶は、小さく息を吐きつつ破顔した。
 どちらからとも無く。
 笑い合う。

 …飲み掛けのミルク皿から顔を上げ、金眼の白猫は何だか不思議そうに二人を見上げている。

【了】



×××××××××××××××××××××××××××
    登場人物(この物語に登場した人物の一覧)
×××××××××××××××××××××××××××

 ■整理番号/PC名
 性別/年齢/職業

■PC
 ■1449/綾和泉・汐耶(あやいずみ・せきや)
 女/23歳/都立図書館司書

■指定NPC
 ■真咲・御言

■登場NPC
 □草間・武彦
 ■鬼・凋叶棕
 □草間・零

 ■真咲・誠名
 ■更科・麻姫

 ■鬼・春梅紅(名前のみ)
 ■紫藤・暁(名前のみ)
 ■ノイン(名前のみ・未登録)

×××××××××××××××××××××××××××
       ライター通信…改めNPCより
×××××××××××××××××××××××××××

 …ここで御言一人に任せてしまうとPL様に砂糖吐かせてしまいそうな危惧を憶えたので座談会な方向で。

(まず、何故か一同から盛大な拍手)
(一頻り拍手が盛り上がってから、停止)

凋叶棕:「よっし、よくやったっ!」
誠名:「…て言うか、やっとかよ、ってところが大きいのではと思うのは気のせいか」
御言:「それより何故ここで盛大な拍手を浴びせられるのかが凄く疑問なんですが」
零:「だって折角綾和泉さんが真咲さん…御言さんに告白してもらって、想いが通じ合った訳なんですから! やっぱりおめでたいでしょう! 外野の私たちでは何もできないんですからせめて拍手でお祝いしないとって…!」
御言:「…。それは有難う御座います。…ってそんなおおごとな話でもないんですけどねぇ(苦笑)」
零:「何言ってらっしゃるんですかっ!(ずいと御言の前に乗り出し)」
御言:「!?(目の前に零に乗り出されて思わずびっくり) …零さん?」
零:「充分おおごとな話です! そんな風に言ったら綾和泉さんが可哀想です!」
御言:「ああ…。考えなしでした。すみません(謝)。…今の発言は単なる照れ隠しだと思って下さい」
零:「…だったら一応許容範囲です。おわかり頂ければいいんです(元に戻り)」
凋叶棕:「…そういやいつの間にか『女の子』になったよなぁ、零(しみじみ)」
武彦:「…ノインの一件、尾を引いてるなこりゃ(ぼそり)」
零:「何か言いましたか兄さん?」
武彦:「いや何も。(と、ここで改まり御言を見)…ま、これで少しは周囲も落ち着くだろうと思うんだが」
御言:「…出来ればその発言に素直に相槌を打ちたいんですが、何だか今日は零さんの手前…不用意な発言をしてしまうのが怖い気がしてるので保留させて下さい(笑)」
誠名:「つーか『単なる照れ隠しだと思って下さい』ってさらりと言えるってどうなんだ」
御言:「それは言葉通りの意味ですけど(さらり)」
誠名:「…。だからそんな風に言える時点でお前の何処に照れとやらがあるのかがわからない」
麻姫:「きっと誠名さんには窺い知れないところにあるんですよ。はい」
誠名:「…。麻姫。別に俺の義弟だからって庇わなくても良いんだぞ」
麻姫:「ですがここでその件を言及してしまっては、何だか零さんに悪い気がしませんか…出来れば聞き流しておいた方が平和に済みそうな気がします」
武彦:「庇った事は否定しないんだな…」
凋叶棕:「ま、そりゃそれとして。…今回の発注は漸く、と言う感じの事柄を頂いたんだったが…いざ書くとなるとライターはどんな方向に持っていくべきか結構困ったと言うか迷ったらしい。…実は御言が約七歳若く見える&まともに住まい作ろうとしてねぇってのはまだ本気で開き直ってないって伏線だったらしいんだが…良く考えるとこの流れだと…何だかこのまま単身お嬢さんの家に転がり込んでも不思議じゃなさそうな気がするよな」
御言:「…あのですね。さすがにいきなりそこまで図々しくはなれませんが。それに事務的な面で言うならここで片付けなければならない事も結構多いですし」
誠名:「その辺片付け終われば構わないとか言うんだろ」
御言:「…そこは俺より汐耶さんの方の都合でしょう。同居の方もいらっしゃる事ですし」
誠名:「…やっぱそこまでチェック済みなんだな」
御言:「ま、今度こそ――何処か別に住む為の部屋を探すつもりではいますよ。…必要無いようでしたら探しませんが。一応、今の生活でも不自由無いですし」
武彦:「…。だからそこで鬼と言われる訳なんだな…」
凋叶棕:「…呼んだか?」
武彦:「呼んでない」
麻姫:「それはお約束のボケと言う奴ですね」
零:「…鬼…? …何だか事情がよくわかりません。どういう事なんでしょう、更科さん」
麻姫:「それはですね、真咲さんの弟さんがですね…――」
武彦:「待て待て待てそこで止めてくれ。零に懇切丁寧に説明されると言うその状況自体が怖い。と言う訳で強制的にライターからの伝言に移る。『猫を使ってる事と言いムードもへったくれもない事と言い、もう少し何とかしろと言われそうな流れの気もしますが…対価分はお気に召して頂ければ幸いです、機会がありましたらまた宜しくお願い致します』、だそうだ。
 …急だがこの辺りで失礼する」
零:「何で止めるんですか兄さん」
武彦:「…お前にはまだ早い」
誠名:「何だかどっかのテレビコマーシャルのよーな…。つか、やっぱり兄と言うより父なんだな、草間の旦那…」

 …と言う訳で無理矢理幕。