コミュニティトップへ
高峰心霊学研究所トップへ 最新レポート クリエーター別で見る 商品別一覧 ゲームノベル・ゲームコミックを見る 前のページへ

<東京怪談ノベル(シングル)>


ANOTHER STORY――無限――



 夕暮れであたりが暗くなった頃、あたしは人魚さんたちが閉じ込められているというお屋敷にそっと入り込んだ。
 中の人には内緒で侵入しないといけなかったから、
(失礼します)
 と心の中でお辞儀をして。
 人の気配のない廊下を歩いて進んでいく。
 あの噂が嘘であればいいと思いながら。

「知っている?」
「人魚が七色の粘土になるっていう話でしょ?」
「そうそう。あのお屋敷のお嬢さんが凄く興味を持っているらしいね」
「家に篭りきりの彼女がやけに元気になったっていうじゃないの」
「うん、人魚狩りの指揮を執っているそうだ」

 最初に噂し始めたのは誰だったんだろう。
(子供の言うような、デタラメな内容なのに)
 荒唐無稽なこの話は人々の間を駆け巡り、気付けばあたしの仲間の人魚さんたちも多くさらわれてしまっていた。
 数日間、あたしはあちこちを探してまわった。仲間の好きな浜辺も行ったし、海の底の寝床には数え切れないくらい行った。子供の人魚が作った、ごく小さな秘密基地にも顔を出した。だけどどこにもいなかった。
 ――そのときに耳にしたのがお屋敷の話だ。
(もうここしか考えられない)
 元気になったお嬢さんには悪いけど、仲間のみなさんをひどい目にあわせる訳にはいかない。あたしたちは人魚であって、粘土なんかじゃないんだから。
(だけど)
 もしかして、という一つの不安。
 あたしたちが、粘土になったら?
(まさか!)
 即座に否定するものの、この予感は渦を巻いてあたしを呼ぶのだった。
 今思えば、第六感がこれから起こることを知らせていたのかもしれない。

「……みなも?」
 薄暗い部屋に入った途端、声がした。
 仲間だ!
(無事だったんだ!)
「みなもも粘土になりにきたの?」
「え……」
「気持ち良いの。凄く気持ち良いのよ」
 突然の言葉に、頭をなぐりつけられたような気がした。
(無事……じゃない……?)
 眼が慣れるにつれ見えてきたのは、瓶に入った虹色の――。
(嘘。だって、人魚が、粘土になんか――)
「なるのよ」
 気付けば後ろに一人の少女が立っていた。
「人魚は粘土になるの。……あなたもね」
 口に白い布をあてがわれた。あたしは暴れたけど、いつの間にか複数の人間に囲まれていて――意識は遠のいていった。

 夢の中では、あたしは工場で作られるパンになっていた。
 ベルトコンベアに乗って、ガラガラゴトン、練られて、切られて、膨らんで。
 ガラガラゴトン。

 起き上がったとき、あたしは“お嬢さん”を前に、びしょ濡れで板の上に転がっていた。
「砂糖水よ」
 とお嬢さんは言った。
「人魚を柔らかくするのにはこれが一番なの」
 馬鹿馬鹿しい!
 そう言いたかったけど、緊張のあまり口が動かなかった。力を入れて動かさないようにしても、肩は震えて止まなかった。逃げようにも、手足は板に縛り付けられている――。
(怯えている?)
 同い年くらいのお嬢さんに。
「まずは右手からね」
 言葉通り、右腕を掴まれた。
(なる訳ない、なる訳ない)
 言い聞かせてきた言葉とは裏腹に、あたしの腕はあらぬ方向にぐんにゃりと曲がった。
 痛くはない。だけど腕に力が入らない――。
 お嬢さんは慣れた手つきであたしの手の甲を掴むと、腕の方へくるくると丸めていく。
 こんにゃくみたいに柔らかい、あたしの腕。
 肩はより激しく震えだす。
(骨は溶けてなくなっちゃったの?)
 あたしは、なんてどうでもいいことを考えているんだろう。こんな状況にいるのに。
 本能的な恐怖以外、あたしに残っているのは感じることだけなのかもしれない。
 肉が全てぐにゃぐにゃに柔らかくなって、互いに抱き合い、ねっとりと絡み合って一つのものになっていく――感覚。
 腕まで丸めていった後、お嬢さんはあたしの手をもぎ取った。
 目の前ではあたしの腕が――いいや、丸まった粘土が転がっている。
 今度は右足を掴まれた。お嬢さんのあたたかい手に覆われると、身体は急に柔らかくなるみたいだった。グッと押されて、くるぶしのところが凹こんだ。膝のところはつままれて盛り上がり、足首のところはちぎられて膝の上にくっつけられた。
 ――自由自在なあたしの身体。
 大きなキャンバスに絵を描く人がいるけれど、あたしはそのキャンバスにでもなった気がした。お嬢さんの思うが侭に、ちぎられ、くっつけられ、混ざり合い、抽象的な形を作っていく。
 ぼんやりしてきた意識の中で、仲間の言葉が繰り返される。
「凄く気持ち良いのよ」
 これを快楽というのだろうか?
(あたしにはわからないけど……)
 腿の部分があたしの胸に積まれ、混ざっていく。
「いつもこんなに胸が大きかったらいいのに」
 リラックスしきったあたしの言葉に、お嬢さんが吹き出すのを見た――。

「私ね、今日が十四歳の誕生日なの」
 とお嬢さんは言った。
「凄く良いバースデープレゼントね」

 こうしてあたしの粘土としての日々が始まった。

 ちぎられて日が浅いせいか、まだ手足の感覚は残っていた。だから、胸(だった部分)とごちゃまぜになっているのは腿だとわかるし、その下にうずくまってるのはお腹だとわかる。
「おはよう」
 この声と共に、あたしたちは瓶から出されるのだ。
(今日は何にされるんだろう?)
 あたしはただの粘土の塊。何にされるかもわからない。
 抱き上げられて、胸だった部分が針金にふれる。
(冷たくて硬い)
 ぎう、と抱きつく。あたしの身体の一部が、針金と針金の間にするりと入って沈んでいく。
 ……溶け合ってしまいたい。
 胸の上に足だった部分が追加され、出来上がっていくのは鳥の形だ。
 くちばしにはあたしの肘が使われた。
 ちぐはぐなあたしの身体。それでも感触は生々しくある。粘土同士くっつくのは、生あたたかくて粘り気があった。
 ベタついた虹色の中に落ちていくというのは、気持ちが良かった。そう、もう“快楽”になっていたのだ――。
 お嬢さんの指先が触れるたび、あたしたちの中では波打つ鼓動が生まれている。ドクン、ドクンと、それは踊る。何を作るのに使われるのか、どこの部分がどこにあてはまるのか、またその過程で使われる道具の感触を思い描く。
 子供の頃の記憶に眠っている粘土遊び。あれを想起すると出てくる、カラフルで安全なカッター。あの可愛いものが、あたしたちの身体をスッと切っていく。痛みのない爽やかな感触に、あたしは大きく息を吐いた。
 不思議なことに、虹色であるあたしたちは焼くことも出来た。オーブン粘土というやつだ。
 あたしの腕はちぎられ、小物入れの一部にされた。針金の一切ない作りには刺激が足りないものの、柔らかくウネウネと海を泳いでいるようである。
 あたしたちは暗くて熱い釜戸の中に入れられた。高温さえも、あたしたちからすればサウナに入れられたようなものだ。
 ……じっとりして汗をかきそうだと思うのは、あたしが人魚だったから? かく筈がないのに。
 出来上がったあたしたちは棚に並べられた。
 一方、鳥になったあたしはというと――。
 お嬢さんになでられてから、一気に針金から離された。一箇所にまとめられて――、ほらきた。
 バアン!
 あたしの胸を、足を、トンカチが上から叩きつけて来る。鳥のくちばしも、羽も、平らになるのだ。パンの生地みたいに。
 ――この瞬間が一番好き。
 だって、あたしたちは“何にでもなれる存在”だけど、同時に“何物でもない存在”でいられるという証だから。
(無限の可能性のある存在)
 それがどれだけ心地良いか、どうやったら伝えられるんだろう。

 日が経った今、もう身体の感覚は殆どなくなってきていて、他の仲間たちと溶け合ったひとつの塊としての触感だけになっていた。
 ……ほら、お嬢さんの足音が聞こえる。
 少しリズミカルで、楽しげで。
 虹色のあたしたちは心を躍らせながらそのときを待っている。
 棚の上、“あたし”からの視線を感じながら。



終。