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<東京怪談ノベル(シングル)>


運命の選択

「晴れの日ばかりじゃないけれど〜」
 ベランダの方から聞こえてくる雨音。東京でも朝の独特な静けさは変わらない。
 台所に立っている立花 香里亜(たちばな・かりあ)は、鼻歌を歌いながらみそ汁を作っていた。今日は一日休みだが、雨が降っているので特に予定は立てていない。梅雨独特の湿気に、香里亜は時々手でパタパタと自分を扇ぐ。
「やっぱり東京は暑いかな」
 鍋の中にはタマネギやジャガイモなどの野菜が入っている。あとは味噌を溶いてから豆腐とワカメ、長ネギで完成だ。それにだし巻き卵と大根おろし、もらった梅干しと漬け物でいいだろうか。
「あっ、小皿出すの忘れてた」
 味見用の小皿を取り出そうと、香里亜が振り返ったときだった。
「おはようございますぅ」
 聞き慣れた声。
 食器棚の横には、緑のふわっとした髪にパタパタと動く小さな羽……地球の運命を守るために働いているファム・ファムがちょこんと立っていた。ファムはいつでも神出鬼没なので、香里亜ももう慣れている。
「おはようございます、ファムちゃん。あ、おみそ汁の味見してもらえますか?」
「ほえ?」
「いつもファムちゃんからお願いされてるので、たまには私からもお願いしようかなって」
 香里亜は小皿に少しだけみそ汁を注ぎ、熱くないように冷ましてからファムにそっと差し出してみた。
 ファム自体は食事を必要とはしない、ある意味人間を越えた未知なる存在だ。そしてファム達が担当する星の品を取得する事は、厳しく禁じられている事も知っていたのだが、香里亜にはファムに味見をさせてみたい理由があった。
「未来から来たファムちゃんは、ご飯食べてたんですよね……」
 先日、遠い未来から香里亜の所にやって来たファム。それは現在のファムには内緒だが、いつか今のファムとも食事をしてみたい。そんな野望が密かにある。
 そしてその小皿を前に、ファムも葛藤していた。
「これは交流、交流なのですぅ……」
 前に泊まりに来たときもコロッケを食べさせてもらったが、禁止されていることをやってしまってもいいのだろうか。でも、ここで断るとお願いを断ってしまうことになるわけで……。
 しばし悩んだ後、そっとファムは小皿を手に取った。そしてそーっと啜る。
「どうです?」
「あ、美味しいですぅ。香里亜さんはお料理上手なのですぅ」
「よかったー。じゃあ朝ご飯を食べながら、ファムちゃんのお話聞きますね」
「はいなのですぅ」
 みそ汁の美味しさと、香里亜が喜んでくれたのが嬉しくて、ファムはケロッと悩みなど忘れていた。

「実は今日も、香里亜さんにお願いがあって来たのですぅ」
 朝食を取りながら聞いていた言葉に、香里亜は内心「来た」と思っていた。

『香里亜さんには「私」が不審がらない理由で、困難な方を選んで欲しいんです』

 これからファムが提示する二つの手段で、結果は同じだからと楽な方を選んでしまうと、未来で異常が起きてしまうので、困難な方を選んで欲しいという未来のファムからのお願い。
 大根おろしに醤油をかけながら、香里亜はいつものように笑ってみせる。
「どんなお願いですか?」
 笑いが不自然になっていないだろうか。それを誤魔化すようにお椀を口に持って行くと、ファムは一冊の本をパラパラとめくり、こくっと一つ頷いてから今回のお願いについて説明し始めた。
「今回はですね、ちょっと遠くまで亜空間移動して、緑を増やしてもらうだけなのですぅ。それでですね、とても簡単なのと、すごーく大変で面倒な重労働が必要な二つの方法があるのですが、どちらも全く同じ結果なのですぅ。一応規則なのでお話しましたが、香里亜さんには楽な方を……」
「ちょっと待ったー」
 箸を置いた右手を前に出しながら、香里亜は言葉を遮った。突然そう言われ、ファムはきょとんとしている。
「楽な方じゃなくて、困難な方で行きましょう」
 何故そんな事を言うのだろう。
 ファムはくりっと小首をかしげ、銀色の大きな瞳で香里亜をじっと見た。その見透かされそうな銀色が揺れる。
「困難な方は、本当に困難で大変で危険も伴いますぅ。簡単な方は、山の麓に種を植えるだけですよ?」
 具体的にどう困難なのか分からないのが何だか怖い。だがここで簡単な方を取ると、遠い未来で困ってしまうことになるわけで。
 もう一度お椀を取りみそ汁を啜った香里亜は、あの日からずっと考えていた「困難な方をやりたい理由」を話し始める。
「えーとですね。日本には『急がば回れ』という言葉があるんですよ。急いでいるときこそ、簡単な方にまっすぐ行かないで、回り道をした方がいいって。だから、少しぐらい困難でも、回り道しましょう」
 ……ちょっと苦しいか。
 でも「肉体労働好きなんです」というのも変だし、唐突すぎて違和感がある。結局そんな理由しか考えつかなかった自分が、少し恨めしい。ファムはちょこんと座布団の上に正座して、こくこくと興味深そうに頷いていた。
「急がば回れですか。行き先は同じでも、回り道をする事に意義があるんですね?」
「ええ、まあ……」
「分かりました。香里亜さんがそう言うなら、困難コースで頑張りましょう。大変ですけれど、あたしもたくさんお手伝いしますね」

「わー……」
 ファムの亜空間移動で到着した場所は、見るだけでも『困難』だというのがひしひしと伝わってくる場所だった。
 風景は日本ではない。多分欧米の方だろう……針葉樹と、遠くに雪を残した尖った山が見える。時差があるのか、太陽の位置は高い。そして雨上がりなのか、周りに生えている草花はしっとりと露に濡れていて、足下はかなりぬかるんでいる。
「ここから自分で登らなければなりません。今ならまだ変えられますよ?」
「いえ、頑張って登ります」
 それを予想して汚れてもいいようなジャージで来たし、背負っているリュックにはタオルやTシャツ、スポーツドリンクなどが入っている。登山になるとは思っていなかったが、変えるわけにはいかない。
「香里亜さん、ふぁいとなのですぅ」
「おー!」
 滑る足下などにに気をつけながら一時間ほど登っていくと、山の中腹に少し開けた岩だらけの場所があった。そこだけが広場のようにぽつんとしているが、何故か木が一本も生えていない。
「到着なのですぅ。ひとまずお疲れ様でした」
「お疲れました」
 だがここからが本番だ。ファムは岩を運ぶ猫車や、太い木の棒、つるはしやスコップなどを取り出し、汗を拭きながらスポーツドリンクを飲んでいる香里亜に、またパラパラと本をめくって説明をし始めた。
「これから香里亜さんには、この辺の岩を避けてもらった後、ここに木を植えてもらいますぅ。今回は『ない場所に緑を増やす』事が目的ですので」
 それはかなりの重労働だ。というより、自分の力で終わるのだろうか。
 するとファムは、ふわっと香里亜の目の高さまで浮かぶ。
「お一人ですと重労働ですので、今回も香里亜さんの能力を一時的にあげさせてもらいますね。三十秒ほどですよー」
 チュッ。ファムの唇が香里亜の唇に触れる。
 一時的に能力を上昇させる「天使のキス」香里亜も何度かやってもらっているのだが、それにまだ慣れない。ファムにとってこれは「お手伝い」の一種であり、人間が思うところのキスとは全く違うと分かっているのに、やっぱり恥ずかしくて仕方がない。
 体に力がみなぎるのが分かる。香里亜はまず近くにある運べそうな岩から、少し離れたところへ移動させることにした。
「これぐらいなら平気かな?」
 両手で抱えるような大きさの岩を手に取ると、思ったより軽く持ち上げられた。これなら放り投げたりも出来そうだが、それはまずいような気がするので、丁寧に一カ所へと移していく。
 しかし……。
「うっ、エネルギーが切れてきました。ファムちゃん、お願いしますー」
 ファムの能力上昇の効果は一時的な物なので、しばらく作業していると、段々元の力に戻っていくのも分かってしまう。元々筋力はない方なので、そうなると全く作業がはかどらない。
 香里亜がSOSを出して森の方へと隠れるたびに、ファムはすいーと近づいて、またキスをする。
「今回は長丁場なので、何度か必要かも知れませんが、遠慮なく言って欲しいのですぅ。でも、隠れなくても誰もいませんよ」
「い、いや、気分の問題というか何というか……また力上げてもらったので、頑張って今日中に終わらせましょう」
 これも運命と未来を守るためだ。そう思うと、何だか少し張り切って出来るような気がする。岩を退け続けていくと、やがて土のある場所が少しだけ見えてきた。
「ファムちゃん、木ってどれぐらいの大きさなんですか?」
「これぐらいですぅ」
 亜空間からするっと出てきたのは、香里亜と同じぐらいの高さの白樺の若木だった。北海道に住んでいた香里亜には、結構なじみ深い。
「じゃあ、もう少し地面を出したり、根っこが広がったりしてもいいように岩を退けた方がいいですね」
 まだまだ先は長そうだ。最初は高かった太陽が、少しずつ傾いていく。運んでいる岩は一カ所に固まりすぎないように、他の石の上に置いたりしながら少しずつ土が見える部分を増やしていく。
 そうやって香里亜が重労働していると、どこからともなく子供達の声がした。まだ声は遠いが、森に身を隠していた方がいいかも知れない。こんな所で日本人が岩を動かしているなんて変だ。
「そういえば、登ってくるときに村が見えたから、そこから来たのかな?」
 そんな事を思いながら森に入っていくと、ファムが後ろからそーっとついてきた。
「どうしました?」
「いえ、誰かに見つかったら困るかなって……少し休憩もしたいですし」
 一度防犯カメラの映像に映ってしまったことがあったので慎重だ。夜だったのと、カメラが不鮮明なので香里亜だとばれはしなかったが、それでもやっぱり念には念を入れた方がいい。
「ふーっ、汗まみれです。スポーツドリンク多めに持ってきて良かったかも」
 木に寄りかかって座り汗を拭く。東京は雨だったが、ここはいい天気だ。空を見ると雲が足早に流れていく。
 鳥の声に、風の音。そして子供達の声。
「のどかですねー」
「そうですね。あともう少しですよ」
 ファムがそう言った瞬間、香里亜の耳が聞き慣れない音を捉えた。
 木がきしんで、折れるような音。それが子供達の声がする方から聞こえてきて……。
 少し離れた場所に、子供の影が見えた。そしてその後ろにある木が、ゆっくりと倒れかかろうとしている。
 瞬間、香里亜は反射的に飛び出していた。能力を上げてもらっている今なら、倒れた木を支えられる。そうしないと大変なことになる。
「………!」
 自分達に迫ってくる木に、子供達が固まった。しゃがんで頭を抱えている子もいる。それが触れるかどうかスレスレの所で、香里亜は木を受け止めた。
「大丈夫ですか……って、あれ?気絶しちゃってる?」
 でも鍛えていて良かった。そうじゃなければ走っても間に合わなかったかも知れないし、受け止めることも出来なかっただろう。少しほっとしながら、倒れている子供達を起こさないように香里亜はそーっと木を動かした。後ろから追いついたファムは、その様子に首をかしげている。
「あれ?こんな事象は予定に無いはずですぅ……」
 運命という名の予定調和では、香里亜が子供を助けるという予定はなかったはずだ。本を出してパラパラとページをめくるが、かといってこれが未来に影響を与えるわけではないらしい。
「さ、続きをちゃっちゃとやりましょうか。頑張りますよ」
「はいなのですぅ」
 運命が変わらないならそれでいい。
 張り切って元の場所に戻っていく香里亜の後を、ファムはまたふわっと浮かびながらついていった。

「ご苦労様でしたぁ。お疲れの様ですし、お礼は次の機会に。今日はゆっくりお休み下さい」
 東京ではまだ雨が降っていた。湿度の高い熱気が体にまとわりつく。
 あの後、誰にも見つかることはなく作業は無事終了した。全てが終わり、一本の白樺の若木を植えた頃には、遠くの山から夕日が見えたぐらいだ。
 くたくたな香里亜は、ぺたりと床に座ってファムを見上げる。
「頑張りました。お風呂入ったら今日は休みますね」
「はい。今日香里亜さんが猛烈に頑張ってくれたおかげで、運命を改善出来ました。またよろしくなのですぅ」
 ふわっと飛び去るファムを見送ると、香里亜はぱたっと床に転がる。
「既に今から筋肉痛です。どこのキャンプに参加したとか言われそう……」
 腕や足、背筋などに鈍く痛みが走る。
「でも、未来のファムちゃんも安心ですよね」
 目を閉じて、転がったまま少し笑って息をつく。動けないと言うほどではないが、明日は多分大変そうだ。
 それもまた、運命を守った証ならいいのかも知れない……。

fin

◆ライター通信◆
いつもありがとうございます、水月小織です。
前回からの繋がりで「簡単な方と大変な方」のお願いの、大変な方を頑張るお話を書かせて頂きました。頑張って考えた結果「急がば回れ」とか、また歳に合わないことを言っています。何度もパワーアップしてもらっては、岩を運んだり穴を掘ったりしたのでしょう。
子供が遊びに来られる場所でしたので、予定外の事象は倒木にしてみました。
リテイク、ご意見は遠慮なく言って下さい。
またよろしくお願いいたします。