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<東京怪談・PCゲームノベル>


秋ぞかはる月と空とはむかしにて / 清和の空に


 お台場に向かう車両内で、則之はさすがに幾分興奮したのか、窓寄りの席をキープし流れる風景に見入ったまま、灯の声もろくに耳に届いていないかのようだった。
 則之の姿は、やはり周囲の皆の目に映らないのか、それとも『気にかからない』のかは定かではないものの、いずれにせよ時代錯誤な学生服に学生帽という出で立ちの、ともすればわざとらしいほどに人目を引くであろう則之を気に留める者は誰ひとりとしていないようだった。
 
 そもそもお台場とは砲台場が訛った土地名であるという。
 江戸の頃、ペリーの来航に危機を抱いた幕府が七十五万両もの資金を投じ作り出した台場も、蓋を開けてみれば結局砲台は一度も火を噴く事なく無血の開国を迎えるはこびとなったのだ。
 
 灯が則之をお台場に誘った時、則之は台場と聞いて目を輝かせ深々と同意した。
「あ、でも、則之君が期待してるかもしれないみたいな大砲? とか、全然ないよ」
 車両に乗り込む前、灯は則之に向けて軽く手を振りながらそう述べた。
 則之は行き交う人間の数の多さに滅入る事もなく、まして大正の頃のそれとは大きく違うであろう街並みの風景に怯む事もせずに、むしろそれらを心底楽しんでいるかのようにあらゆる景色に目を移ろわせている。
 車両の、なるべく端の席に座って、則之が興味深げに外の景色に見入っているのを検め、灯は、自分が述べた注意などあまり意味のないものだったのだと、頬を緩ませる。
「ねえ、則之君。海浜公園行ってみる?」
「海浜、ですか?」
 灯の声に、則之はようやく振り向いた。窓ガラスの向こうにはお台場に大きな建物を構えたテレビ局が見えている。
「展望台もあるし、時期があえば潮干狩りなんかも出来るみたい。でも今日は準備とかしてきてないしな……」
 言いながら、灯はふと自分の持ち物や出で立ちを確かめた。
 
 東京周遊切符を活用して日比谷からどうにか新橋に辿り着き、そこからはどうにかスムーズに移動できた。
 実は今回則之を連れ出そうと思い立った際、道に迷わないようにするため、半ば無理矢理に友達を誘い出して移動手段のチェックをしたりもしていたのだが、どうやらその努力はあまり効果を発揮しなかったようだ。
 思えば日比谷でも盛大に迷い、実のところ、新橋に辿りつけたのも則之の助力があればこそだったりもした。
 散々つき合わせてしまった友人たちに感謝と謝罪の念を抱きつつ、灯は再び窓の向こうに目を向けてしまった則之の横顔を眺めた。
 四つ辻の薄闇の中ではどこか儚げなようにも見える面立ちも、四つ辻を離れ陽のしたで目にすれば明瞭で快活な――いわば一介の年頃の少年そのものといった風に見える。
「則之君、泳ぎとかは?」
「泳ぎ? 海水浴ですか」
「うん。運動とか得意?」
 灯が訊ねると則之はわずかに首をかしげて思案するような目をした。
「どちらかというとあまり得意ではないかな……。海にも、母さんがあまり陽にあたれない身体だったから、数えるぐらいしか行っていない」
「そうなんだ」
 うなずき、しばし口をつぐむ。
 則之の母親はどうなったのだろうか。
 思えば、灯は、則之がどんな経緯を経てあの橋に佇む事になったのかを知らない。生きた人間であるのか否なのかも判っていないのだ。――でも、
 こうしてすぐ近くで言葉を交わし、視線を交わして、ふいに指先が触れる時もある。果たして仮に則之がもう既に現世の理を外れた者であるならば、こうして言葉や指先を触れる事など出来ないはずなのだ。
「灯さん?」
 ふと思案に耽りかけた灯を則之が呼ぶ。
 灯は咄嗟に弾かれたように顔を持ち上げて則之を見つめた。
「海浜公園って、ここではないのですか?」
 言いながら指差した則之に、灯は「あ!」と返して飛び跳ねた。
 気がつけば、アナウンスが車両内に響いている。乗降する人影も見られ、ホームには確かに海浜公園と書かれている。
「うわ、乗り過ごしちゃうところだった! 則之君、ありがとう」
 言って小走り気味に歩みだした灯の腕を則之の手が握り締めた。
「はやく降りよう、灯さん」
 学生帽の下から覗く顔が穏やかな笑みを浮かべている。その、よく見れば幾分色素の薄い眼光がまっすぐに灯を映しているのに気がついて、灯は心持ち睫毛を伏せた。
 
 則之に手を引かれて車両を降り、それから間もなく名前通りの海浜に足を向ける。
 さすがに海水浴を楽しむには幾分か時期も早いのか、砂浜で遊ぶ恋人や家族連れの他には見受けられない。

 則之はしばらくぼんやりと海を見つめ、灯はその半歩分ほど離れた後ろで則之の背中を見ている。
 海の色はお世辞にも美しいものとは言えず、砂浜もまたしかり。すぐそこには大きな橋が架かり、『海の端までを見通す』事などまるで出来そうにない。
「則之君」
 ふと呼びかけてみた。
 則之は灯の声に振り向いて微笑み、ふいに学生帽を外して短めに切り揃えられた髪をかき撫でた。その微笑みがあまりにも優しいものであったので、灯は再び視線を泳がせ、次いで慌てて口を開ける。
「また今度お弁当作るね。……今度はどういうのがいい?」
 我ながら腕によりをかけて作った弁当は、幸いにも、則之にはとても好評をはくした。
「灯さんは料理が上手だね」
「うち、実家が料亭やってて。一応、板長さん仕込みなんだ」
「料亭? すごいな……だから上手なんだ」
「魚さばくのとかも出来るよ。お菓子作りは、その、まだあんまり自信ないんだけどね」
「菓子?」
「私、和菓子好きだから」
「ああ、美味しいよね」
 言って笑った則之に灯もまた笑みを返す。
 則之は灯の顔を見据えて小さく首をかしげ、思案気味に目を斜め下に落とした。
「そうだな、……今の帝都で流行っているものを食べてみたいな。サンドイッチとかもすごく美味かったし」
「そう? 嫌いなものとかってない?」
「たぶん、あまりないと思う」
「分かった」
 うなずき、灯は則之を横切って砂浜を歩き出す。後ろを則之が歩く気配がして、灯は頬を緩めながら海風に髪を遊ばせた。
「ところで、灯さん」
「うん」
 呼ばれて振り向くと、則之は灯の顔を一瞥した後についと片手を持ち上げて一方を指差した。
「あれは何かな」
「?」
 示された方角に目を向ける。そこには大観覧車があった。
「あれは観覧車。遊園地なんかには結構あるよ。乗ってみる?」
 訊ねた灯に則之がうなずき、灯は満面に笑みを浮かべて則之の腕を引いた。

 さすがに目印が目立つものであったためか、今回は迷う事もなくすんなりと辿り着けた。
 チケットを買って行列に並び、やがて順番が巡ってきて乗り込んだ時には、電車に乗った時と同様、則之は再び興奮状態だった。
「遊園地って行ったことある?」
「花やしきになら」
 振り向く事もなく応えた則之に、灯は思わず目をしばたかせる。
「花やしきって浅草の?」
「知ってるんですか」
 則之が振り向き、灯は大きくうなずいた。
「一度、友達と行ったことあるよ」
「花やしきはまだあるんだ!?」
 嬉しそうに笑う則之に灯も頬を緩ませる。
「ジェットコースターがすごい怖いよね」
「ジェットコースター?」
「うん、知らない?」
「花やしきには見世物があって、それを見に行った」
「見世物?」
 わずかに首をかしげる。
「今度行こうよ、花やしき。浅草とかも。美味しいカフェとかもあるし」
「そうだね」
 うなずいた則之に、灯は再び満面の笑みを浮かべた。


 お台場を後にしたふたりはその後東京タワーに移動した。
 例によって道に迷い、東京タワーの展望台にのぼった頃にはもうすっかりと陽が落ちて、眼下に広がるその景色は夜のものとなっていた。
「全然景色見えなくなっちゃったね」
 申し訳なさげに肩を落とした灯に、則之は大きくかぶりを振る。
「あちこちに電気があって、きれいですよ」
 笑った則之の顔を仰ぎ見て、灯は安堵の息を吐いた。
「今度はもう少しちゃんと案内出来るようにするね」
 言って、灯はふと口をつぐむ。

 則之は大正に生じた地震を知らない。記憶にないのだと言う。
 則之が果たしてどういった存在になるのか。――死者であるのか、それとも生者なのか。あるいは四つ辻を跋扈する妖怪の類なのかもしれない。いずれにせよ、少なくとも則之が現世にあった頃には日本は大正時代であって、文明はもちろん、諸々の事が現代とは大きく違っていたのであろう事は確かだ。
 ――もしもこのまま現世に居続けたなら、則之はどうなるのだろうか。
 ふと考えて、灯は思わず視線を移ろわせた。
 則之はしきりに夜景の美しさを感嘆している。雲のない夜であったのは幸いだった。
 先ほどまでいたお台場の辺りに見入って嬉しそうに望遠鏡を覗く則之を見つめ、灯はふと目を細ませた。
「ねえ、則之君」
 息を落とすような口調で名前を呼ぶ。
 振り向いた則之を仰ぎながら、灯はしばしの間を置いた後に訊ねかけた。
「今の東京は、どうかな?」
「――どう、って」
「則之君の頃の東京とは違いすぎているかもしれないけど。私、好きなんだ、この東京」
 続けて、ニコリと微笑む。
 則之は「ああ」とうなずき、やはり視線を斜め下に落とした。思案するときの癖なのかもしれない。
 が、それもほんのしばしの間。すぐに顔を持ち上げて笑いながら、則之は灯の問いかけに応じた。
「俺も好きだよ。確かに帝都と違いすぎて戸惑いもするけど――でも、全く別の世界だというわけでもない。名残りはあちこちにあるし、それに綺麗だし」
「綺麗?」
 満面の笑みで応えた則之の言に目をしばたかせた灯に、則之はやはり笑いながらうなずく。
「綺麗だと思うよ。……今度は花やしきに行くんだよね」
 言いながら、則之は再び顔を外界に向けて、今度は浅草方面に指を向けてはしゃいだ。

 ――たぶん、則之がこのまま現世に留まり続けるのは無理かもしれない。でも、四つ辻に行けばまたいつでも会えるし、時々はこうして現世で共に過ごす事も出来る。

「うん、絶対ね。私、またお弁当作るし」
「うん」
「私もまた四つ辻に行くから。これからはいつでも会えるよね」
 訊ねたそれは、無意識の内に口をついた確認だった。
 則之は大きくうなずき、灯の腕をとって浅草方面が見える場所へと移動する。
 腕を掴む指先がわずかに温かいような気がして、灯はほんのりと頬を染めた。 

 
 


 

  



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    登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  
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【5251 / 赤羽根・灯 / 女性 / 16歳 / 女子高生&朱雀の巫女】


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          ライター通信          
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いつもお世話になっております。
このたびもご発注いただき、まことにありがとうございました。
お届けが大変に遅れてしまいましたこと、お詫びいたします。

どうぞ、これからも四つ辻ならびに則之をよろしくご愛顧のほど、お願いいたします。

MR