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<東京怪談・PCゲームノベル>


秋ぞかはる月と空とはむかしにて / 秋霜 



 視界の全てを覆う程のものではないが、そこにあるのは確かにひっそりと満ちた夜の薄闇だ。
 その薄闇の中をうねり歩く一行が見える。その一行の中、ある者は楽しげに跳梁し、ある者は大きな車輪をぐるりぐるりと軋ませていた。
 もしもこれが東京の街中、夜中であっても人気の絶えぬ通りを行き過ぎるものであったならば、東京はあらゆる意味で上へ下への騒動となっていただろう。しかし、彼らが今跋扈しているのは現し世よりは離れた場所――妖共が息衝く怪しの土地・四つ辻なのだ。百鬼夜行があろうがなかろうが、それは日常的な風景であり、そもそもそれを目の当たりにして驚く人間などあろうはずもない。
 その一行に幾分遅れた位置をほたほたと歩いていた八重は、目的も無いままに進めていた歩みをはたりと止めて首を傾げた。
 
 八重はつい先ほどまで公園のクヌギの木の枝に座り、初秋の夜の風の心地良さについうとうとと瞼を落としかけていた。
 外灯の白々とした灯りに集まる虫たちの姿も見えなくなり、夜遅くまで花火に興じる迷惑な若者たちの姿も見えなくなってきた。都心近い場所であるのにも関わらず、夜が夜として静かな帳の中に包まれる季節が訪れつつあるのだ。
 が、その時、夢のふちに足を踏み出しかけていた八重の目の端に、ふと、一羽の蝶が映りこんだ。
 幽かに青白く発光しているようにも見えるのは、あるいは蝶が帯びている鱗粉によるものであるのかもしれない。ともかくもそれがひらひらと当て所もなく夜を漕ぎ、まるで八重を何処へか誘おうとでもしているかのように、どこか意味ありげに舞っている。
 青白い光の線を残しながら闇を舞うその姿に、眠りに陥りかけていた八重の目はすっかりと覚めてしまった。
 するすると枝を下りて蝶を追いかけている内に、知らず知らず、八重の足は四つ辻の中に踏み入っていたのだ。
 もっとも、四つ辻は八重にとり『異界』と呼ぶには正しからぬ場所でもある。そもそも八重自身が人間を逸した存在。しかも四つ辻にはこれまでにも幾度か縁を得た事もある。そうこうしている間に現れた夜行を目にし、次の時には蝶の姿を見失っていた。
 夜行は、まるで盆踊りでもしているかのように陽気に大路を闊歩していく。茶屋から出てきたところであるのか、それともこれから茶屋に赴くつもりであるのかは知れないが、その陽気さに八重の足取りもまた軽くなっていた。そうしてそのまま彼らの後ろをついていく内、八重の耳は小さく流れる水の音を聞き止めた。
「みずおと?」
 夜行が消え、再びひとり残された八重は耳に触れるその気配に目をしばたかせ、次いで、その音を確かめるために止めていた歩みを再び進める。
 水の気配は次第に色濃いものとなっていき、程なく、八重の眼前に現れたのは緩やかな山型を描いた木造の橋と、その下に流れる細い川の流れだった。
 四つ辻にはこれまでにも何度か踏み入った事があるが、しかし、川があるというのに気がついた事はあっただろうか。
 思いながら水音に向けて足を進めた。と、水の気配を含んだ風が八重の鼻先をくすぐった。
「花のにおいがするでぇすね……」
 呟いた八重の目に再び白々とした光のようなものが見えた。しかし目をこらせば、それは蝶ではなく、白い百合の花であるのが知れた。
 薄闇の中にひっそりと揺れる数輪の見事な白百合が、芳香をちらちらと放ちながら夜風に乗り広がっている。
 八重はその芳香に気を惹かれ、意識するともなく橋の傍へと寄った。
 ところどころ色が剥がれた、朱塗りの橋。その欄干によじ登り、闇色を湛えながら流れる川の水に目を向ける。
 百合の花は川に沿って点在している。いずれもが揃って真っ黒な空を仰いでいた。
 橋の向こう側は闇の中に吸い込まれており、窺い知る事は出来ないようだ。
 首をかしげ、いくぶん橋を渡りかけたその時、八重の視界を束となった百合が埋めた。吃驚し思わずへたりと座り込んだ八重に、次いで少年の声が降りかかる。
「それより先に進んじゃ駄目だよ」
 言われ、へたりと座り込んでいた八重はゆるゆると視線だけを移して声の主を検めた。
 声の主は時代錯誤なデザインの学生服に身を包んだ少年だった。学生帽を目深に被り、足には下駄を合わせている。
「なぜでぇすか?」
 どこからともなく、唐突ともいえるほどに突然に姿を現した少年に目を瞬かせながらも、八重は第一声にそう問うた。
「その先は彼岸に繋がっているから」
 何という事もなしにあっさりと少年は応える。
「ひがん」
 返し、八重は再び橋の向こうに目をやった。
 闇に沈んだその先には光明のひとつも窺えず、果たして少年の言の通りに『彼岸』があるのかどうかも知れない。
 八重はわずかに目をすがめ、ゆらりと振り向き少年の顔を仰ぎ見た。
「ところで、あなたは誰でぇすか」
 学生帽のためか、少年の顔は今ひとつ判然とし難い。あるいは四つ辻の薄闇によるせいだろうか。
 仰ぎ見る少年の腕には数輪の白百合が抱えられている。先ほど八重の視界を埋めたのはこの束だろう。
 少年がわずかに口をつぐんだのを見てとり、八重は再び欄干によじ登ってから胸を張った。
「あたしのことは八重でも大奥様でも好きなほうで呼んでくれたらいいでぇすよ」
「大奥様?」
 少年の面立ちがいくぶんかやわらぐ。
 八重は大きくうなずき、欄干から少年の腕に飛び移ってそれを慣れた調子でよじ登る。
「あなたは? なんていうお名前でぇすか」
 再び訊ねながら少年の肩に座った八重に、少年はいくぶん色素の薄い眼光をゆるゆると細めた。
「俺は則之と……」
「のりゆきくんでぇすね。ところでのりゆきくんはここで何をしてるんでぇすか?」
 純粋な疑問だった。
 見たところ、せいぜい十代の半ば。しかも妖怪の気配のない、――おそらくは一介の人間の少年。その少年がひとり、この場所で、何をしているのだろうかと。
 だが、その質問は少年にとりいくぶんか痛いものであったらしい。
 やわらいだ表情が再びかたくなり、八重に注がれていた視線がふいに離れて宙に向けられた。
「別に……何も」
「そうでぇすか」
 返されたそれに軽いうなずきを見せて、八重はそのままぱたぱたと足を泳がせる。
「ところでのりゆきくん、懐かしいお洋服を着ているのでぇすね。学生さんでぇすか」
 訊ねると、則之はすとんとうなずいて、泳がせていた視線を八重に向けなおした。
「八重さん……は、帝都をご存知ですか」
「あたしはこう見えてずうううっと長生きしているのでぇす。ていとでもあそびたおしたものでぇすよ」
「なら、今の帝都がどうなっているのかも」
「知ってまぁすよ」
 うなずいた八重に、則之は食いつくように口を開く。
「今も陛下は健在ですか!? 将軍塔はありますか!?」
「しょうぐんとう?」
「ご存知ないですか」
「見ればわかると思うでぇすが」
「これです!」
 則之が示したのは川の水面。それがふるりと揺らぎ、まるでスクリーンにでも化したかのように、程なくして鮮やかに風景を映し出した。
 
 モダンな赤レンガの東京駅、路面を走る電車、少佐たちが乗った雄飛号。
 それらは何れもが大正時代のもの。それらを見る視線はどこか熱がこもっているようにも感じられ、おそらくは則之の記憶にある風景なのだろう事が知れた。
 風景は見る間に移り変わり、万国館や朝鮮館――東京博覧会のものへと変じる。
 そうしてやがて浅草の十二階へと変じたのを目にして、八重は「なるほどでぇす」とうなずいた。 
 水面に映されたのは浅草十二階。凌雲閣という名を冠したその建物は初のエレベーターが設置されたもので、六角塔とも、あるいは提げられた広告幕から将軍塔とも言われ愛された名所だった。
「ざんねんでぇすが、今はもう無くなっているでぇすよ」
 返したとき、水面のそれが大きく揺らいで弾けた。
 隣を見れば、則之が信じられないとでも言いたげな面持ちで八重を見据えている。
「知らないんでぇすか? これは地震があったときにくずれてしまったのでぇす」
「……地震」
 呟き、則之はふと頭を抱え込んで小さく呻いた。

 水面に映されていた風景が立ち消えて、辺りには再び静かな夜ばかりが広がる。
 八重は則之の肩に座ったまま、片手をそろそろと持ち上げて則之の髪を撫でた。
「のりゆきくんは、なぜここにいるのでぇすか」
 再び問う。
 おそらくは跋扈している妖怪たちとは関わらず、茶屋に赴く事もせずに、こうしてここにひとりきり佇んでいるのであろう少年。
 永遠の夜の中、白百合だけを伴にして在り続けるのは、きっと想像よりもずっと孤独な事だろう。
 則之は頭を抱え込んだまま、八重の問いかけには応じない。
「……あの頃に戻りたいのでぇすか」
 続けて問う。
 
 先ほど見せられたあの光景は、おそらくは則之の目を介したものだっただろう。ならばそこにこめられていた熱意や懐古は、やはり則之自身のものとなる。

「……俺は」
「のりゆきくんは、どうしたくてここにいるのでぇすか」
 訊ねる。
 則之の手が止まった。
 それきり押し黙ってしまった則之に首をかしげながら、八重もまた同様に口をつぐむ。
 寂々とした薄闇に、暗色のみを浮かべているばかりの川の流れが響き渡っていた。今しがたまでは大正の賑やかな街並みを映していた水面も、今は夜の底に沈んでいる。
 川辺に咲く白百合と、則之が手にしている花とを風が揺らした。
 芳香が鼻先をくすぐったのをきっかけに、八重は再び口を開けた。
「みんな、どんなに頑張っても、過去には生きることができないのでぇすよ」
 言いながら則之の頬に触れる。
 ――生気を感じられない、ひんやりとした肌。
「のりゆきくんはいつまでここに居続けるのでぇすか」
 おそらくは滅多には誰かが訪ね来る事もない、暗い、ひっそりとした夜の底で。ただひとりきりであり続けるのは、きっと、想像よりもずっと孤独なはずだ。
「……俺はここで、母さんを待たなくてはならないんです」
 ふと、則之が言葉を編んだ。
「お母さんを?」
 訊ねた八重の視界が再び小さく揺らぎ、次の時には眼前に帝都・東京の風景が映し出された。

 洋服を合わせるのがモダンであった時世にあって、仕立ての良さげな着物をきっちりと着こなした女。女は時おり八重の――否、則之の顔に目を向けて華のような笑みを浮かべる。
 手には風呂敷包み。周りにはやはり路面電車やモダンな建物が並び、おそらく季節は晩夏といったところだろうか。
 何事かを口にしてたおやかに微笑む女を、八重は(則之は)心穏やかに見上げている。
 遠目に見えるのは十二階。それを指差して女は再び何事かを告げた。

 ――その瞬間、視界が大きく揺らぎ、次いで、周りの音という音すべてが一度に失せたような気がした。
 暗転、
 景色は再び四つ辻に変じた。

「母さんはまだこの橋を渡っていないらしい。……だから、俺はここで母さんを待つんだ」
 則之は睫毛を深く伏せながら息をのむ。
 八重はしばし目をしばかたせた後に小さく呟く。
「じしん……」

 大正の帝都を襲った未曾有の惨事により、十二階はもろくも崩れた。
 甚大な数の死者を生み出した悲劇は、たぶん、則之と母親をも呑み込んだのだろう。そうして則之は現世と彼岸との境界に立ち、逢えるとも知れない母親を待ち侘びているのだ。

「お母さんと一緒に十二階にのぼるでぇすか」
 訊ねた八重に則之は小さく目を伏せた。
 八重は心の底で息を吐き、則之の冷たい肌に手を触れて言葉を紡ぐ。
「……ずっとここにいると寒くてこごえてしまうでぇすよ」
 言って、則之の目を覗き込んだ。
 伏せていた目を持ち上げた時、則之の頬には一筋の滴が流れていた。
 八重は、それきり口を閉ざしたまま、則之の頬を撫でる。
 
 則之の涙は夜露のように白百合を濡らした。
 遠く、再び夜行の賑やかな唄が聴こえ始める。
 八重は則之の頬を撫でながら目を細め口を開けた。

「……これからもここに居続けるでぇすか」
 訊ねた八重に、則之は逡巡した後にうなずいた。
「母さんを待ちたい……です」
「そうでぇすか」
 うなずく代わりに小さく目をしばたいて、八重はひっそりと則之を離れ欄干に戻る。
「またのりゆきくんに会いに来てもいいでぇすか」
 欄干の上で則之を仰ぎ見て、八重はそれまでは浮べずにいた笑みを満面に咲かせてみた。
 則之の頬には未だ滴が残されているが、それでも、八重の笑みにつられたのか、やがてゆるゆるとうなずいた。
「……待ってます」
「約束でぇすね!」
 明るく言い置いて八重は欄干をするすると下り、則之に向けて大きく手を振った後に大路を再び駆け戻る。
 夜行の明るい唄が聴こえる。
 もう一度振り向いて目にした則之は、ほんのわずか、微笑んでいるようにも見えた。


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   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  
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【1009 / 露樹・八重 / 女性 / 910歳 / 時計屋主人兼マスコット】




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MR