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<東京怪談・PCゲームノベル>


月残るねざめの空の / little night


 買い替えたばかりの新しい下駄は、鼻緒が指に馴染むまではいくぶんか痛みをもたらす事もする。しかし、下駄の底がからころと音を立てながら土を踏むのは、痛みも確かにあるのだが、それを補うだけの楽しさが伴う。
 からころと下駄を鳴らしながら鳥居をくぐり、夜店が並ぶ賑やかな風景をのんびりと確かめながら歩いていた七重だが、ふと目についたいくつかの屋台でぽつぽつと買い物を済ませ、気がついたときにはあんず飴と狐を模したお面を携えていた。
 狐の面はアニメのキャラクターの面ばかりが並ぶその中でただひとつ異彩を放っていたもので、目にした瞬間、自分でも不思議なほどにそれに惹かれ、一も二もなく即決で購入した。
 あんず飴はじゃんけんをした結果ふたつばかり貰える事になり、ひとつを口に放り込んだものの、もうひとつをどう持ったものか思案して、結果、面を頭にちょこんとのせる事で落ち着いた。
 
 彼岸を過ぎ、季節は夏と秋とが入れ替わる頃合を迎えた。日中は未だいくぶん暑さが感じられるような陽気でも、落日の後には一変、肌寒く感じられるような風が吹く。
 その夏を送るための夏祭りが始まって、七重はその喧騒の中にいる。
 新しく仕立てた浴衣は藍染の縞柄。――知己である女性から勧められるままに袖を通してみたそれは、なんとはなしに大人びたデザインであったように思えたのだが、しかし、袖を通してみると自分でも驚く程にはしっくりと馴染んでいるように思えた。
 母親に手を引かれた子供がヨーヨー釣りをしている。うまく釣れたのだろう、色鮮やかなヨーヨーがふたつばかり子供の指先でぽうんぽうんと揺れていた。
 ふと、七重の足がヨーヨー釣りの屋台前で立ち止まったのは、先ほど目にした子供と母親の笑顔の、咲き誇る明るさに惹かれたからだっただろうか。
 母子が境内にあふれる雑踏の向こうに消えていったのを見送って、七重は少しだけ迷った素振りをした後におずおずと金を払い、狙うヨーヨーの品定めを始めた。
 水の上、静かな流れの中に泳ぐ色とりどりの風船に目を落とし、七重はふと暗紅色の双眸を細く眇める。
 しばしの間所在なく移ろわせていた片手を膝の上に乗せて、たまたま目についたものに指を向ける。
 さほどに離れていない場所で太鼓の音が鳴り出した。

 何ら変哲のない、青に様々な色柄の入ったヨーヨーをひとつ指先にぶら提げて、七重は再び当て所もなく境内の喧騒の中を歩き出す。
 夏を送るための盆踊りが始まったらしく、人混みはぼちぼち神社のすぐ隣にある公園広場に移動していた。
 あんず飴の残りを口に放りやって、下駄がからころと敷石を踏む音に耳を寄せる。
 花火の爆ぜる音、子供たちのはしゃぐ声、露天商たちの客寄せの声、太鼓の音。それに織り交ざり、風が木々を震わせる声。そのすべてに耳を傾けつつ、反面、それらすべてから逃れるようにして少しだけ歩む足を速める。
 神木である椎の木を横目に、拝殿の横をすり抜け人の気配の絶えたひっそりと静まっている闇の中に身をねじこんで、そうしてようやく人心地ついて息を落とす。
 あんず飴の甘さと下駄の音、それに今は草のしたでちろちろと唄う虫の声と風の音ばかりが耳に触れていた。今しがたまで傍にあった喧騒は、今はもう向こう側にある、遠いものであるように感じられる。
 ――そう思えてようやく安堵を得られるだなんて
 自嘲めいた笑みで頬を歪め、七重は頭にひっかけてあった狐面をするすると下げて被った。
 
 風が木々を揺らしながら流れていく。
 七重はまるで誘われてでもいるかのように、闇の中下駄を鳴らして歩み続ける。
 太鼓の音はみるみる遠のいていき、程なく、気がつけば七重は万全たる夜の薄闇の中――大路の上に立っていた。
「……あ」
 面をつけた顔を持ち上げて辺りを見渡し、次いで、きちんと検めようとその面を外し頭の上にのせ直す。
 その瞬間に、近い場所で鈴の音が数度ばかり鳴ったような気がして、七重は弾かれたようにきびすを返し、小走りに歩を進めた。

「立藤さん!」
 果たして薄闇の中に見出した後姿を目にした刹那、考えるよりも先にその名を呼んで、七重はそのまま転げるように花魁の傍らに寄った。
「坊」
 迎えた立藤はといえば、いくぶん驚いたような顔をして、けれどすぐにふわりと笑い首をかしげた。
「お久し振りでありんすねえ」
「ご、……ご無沙汰してます」
 弾かれたように駆け出した自分の衝動に気恥ずかしさを覚えたせいか、それとも小走りにではあったが久し振りに身体を動かしたからだろうか。頬がぼんやりと紅潮し、かすかな熱を持ったのを自覚する。
 消え入りそうな声で応え、俯いた七重に目を細め、立藤は夜風にさらりと袖を流した。
「坊が着てるその浴衣、おろしたてでありんしょう」 
 ふ、と。白く細い腕が伸びて七重の浴衣の襟元に触れる。駆けた拍子に少しばかりズレた七重の襟首をきちんと正したのだ。
「はい。……あの、でも、」
「?」
「以前にも浴衣でこちらにお邪魔したことが」
「ありんしたねえ」
 にこりと笑う立藤を上目に覗き、七重は思い切って口を開けた。
「今回の浴衣の色柄が、以前のものよりもいくらか大人びたものに思えるんですが」
「ようお似合いでありんすえ」
 立藤は七重の言の先を読んだかのようにそう言ってうなずく。
「背ぇも大きゅうおなりになりんした? ついこの間までは、わっちのこの辺りであったかと思いんしたけど」
 言いながら自分の肩ほどの位置で手を動かす立藤に、七重はやはり俯いたままでうなずいた。
 大人びた色柄の浴衣に『着せられている』のではないかと思っていた気持ちが、立藤の言葉でいくらか楽になる。
 と、俯き彷徨わせていた視線が、立藤の腕にさがっているビニール袋を見つけて止まった。
「……立藤さん、それは」
 どう見ても花魁姿の出で立ちにビニール袋は似つかわしくない。
「先刻、妖からいただいたんでありんすえ」
 その妖怪は茶屋の主から大量にもらったものだと言っていたらしい。
 立藤が袋から取り出したそれは艶やかなさくらんぼで、「長椅子に座って食べんしょう」そう言いながら、立藤は先導して七重の腕を引いた。

 立藤に手を引かれて辿り着いたその場所は、大路を外れいくらか歩いた先に広がっていた一面のススキ野の前だった。
 月があれば、それは見事な風景を描きもしただろう。銀色の穂を垂れるその野辺を、夜風ばかりが静かに薙いでいく。その音に耳を寄せて目をしばたかせた七重を手招き、立藤は竹で編まれた長椅子を指して微笑んだ。
「月見の日には妖どもが酒盛りをする場所なんすえ」
 さくらんぼを七重の手に乗せながら、立藤はそう言って自分もひとつを口にする。
「でも、四つ辻には月は無いと伺いました」
「四つ辻に出る月は忌まれるものでありんすからねえ」
「それでも月見を?」
「気持ちの問題ですわいなあ」
 小さく笑う。七重もまた小さくうなずき、目を細ませた。
「坊は祭りの帰りでありんすか」
「あ、はい。近所の神社で夏祭りがあって」
 頭にのせた狐面に手を伸べる。
「可愛らしいお狐になりんすねえ」
 頬を緩めた立藤を横目に見つめ、七重は再び頬に熱を帯びる。
「あの」
「はい」
「今日はなにかお手伝いできるようなことなんかはありませんか」
「わっちの手伝いでありんすか」
「ええ。捜し物とか、お遣いなんかでも」
「そうでありんすねえ……」
 白く細い首がしゃなりと傾ぐ。簪の鈴が涼しげな音色を響かせた。
「わっちとここでさくらんぼを食べてくれなんし」
 言って、立藤はまた七重の手にさくらんぼを渡す。
「坊が急ぎでなければの話でありんすがね」
 促すように、俯きがちな七重の顔を覗きこむ立藤に、七重は静かに首を縦に振った。

 すすき野に、立藤の唄う長唄がひっそりと広がっていく。
 立藤は七重に現世での話を求めた。七重は何ら変哲のない日常の話をする。――最近読んだばかりの本、聴いた音楽、会った知己たちについて。
 学校には、元々滅多に出席を果たしていなかったが、それも最近は特に不登校がちになっていた。原因は身体の不調。夏の酷暑は身体に悪い。――特にここしばらくの不調は顕著なものでもあったが。
 立藤は七重が語る話のひとつひとつに相槌をうち、笑い、言を返した。
 そうして、ふと、七重はひとつのことを思い当たって言葉をとめる。

 記憶に残っていない、言わば朧な存在である母親。
 名前ばかりの父親、広い家の中にひとりきり置かれたままの自分、
 呼んでも応えのない夜、

 手と手を繋ぎあたたかな笑顔を交わす見知らぬ母子

 慌てて顔を伏せてさくらんぼのひとつを口に放る。
「坊?」
 立藤が七重の変化に気付いて首をかしげた。

 自分は、もしかしたら――
 横目にちらりと立藤の顔を盗み見て、七重はふいに鼻の奥がつんとするのを覚えた。
「……四つ辻は」
「坊?」
「四つ辻はあの世と現世とを結ぶ境だと伺いました」
「そのようでありんすねえ」
 立藤はうなずき、のんびりと微笑む。
 七重はふと息をのんで、
「……なら、死んでからもまたここを通ることは出来るのでしょうか」
 思い切ったように続けて目を閉じた。
 隣で立藤が息をのんだのが分かる。せめても誤魔化すように、七重はさくらんぼを口に放った。
「……坊」
 風が吹いてススキを薙ぐ。その音に隠すように、七重は静かに息を吐いた。
「僕が命を失くしても、もしもこうやって立藤さんが送ってくれるのなら」
「坊」
 ふいに抱きすくめられたのに驚いて、七重は思わず目を開ける。
 すぐ目の前に、立藤がまとっている着物があった。焚かれた香の匂いがする。
「もしも坊がそう望んでくれるのならば、わっちは坊を橋の向こうへは渡しませんえ」
「立藤さん」
「わっちは愛しい御方に一目逢いたいがため、江戸の町に火ぃをつけんした。その大罪のゆえ、永劫彼岸へは渡れやしません」
 言って、立藤は七重を抱きすくめていた腕をゆるゆると解き七重の顔に目を向けた。
「これまで、ずうっと、わっちはたくさんの亡者を送ってきんした。ずうっと独り、そうであるのがわっちの贖罪なのだと思っていんした」
「……」
 七重は、今度はまっすぐに立藤の顔を見据えた。
 真珠のような落涙が頬を伝い、綺麗な着物の袖にはたはたと落ちる。
「望んでくれなんし、坊。……哀しいことを言うのは、」
「立藤さん……」
 それきり、立藤は言の先を続けようとはしなかった。ただはらはらと落涙し、七重の顔に指を這わせているばかり。

「立藤さん、唄を教えてください」
 立藤の手をとり、七重は語調を明るくするようにつとめながら言った。
「三味線も教えてください、……それに今度は立藤さんのいろいろな話を聞きたいですし」
「坊」
 立藤の手をとり、七重は促すようにして笑う。
 安易な約束をしてもいいものかどうかは分からない。でも、
 でも、せめて、今は
「僕も、出来るだけ長く、立藤さんと一緒にいますから」
 
 夜風がススキ野を薙いでいく。
 ――虚ろな約束の、せめて、代わりにはならなくとも、せめて今は


  
 
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    登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  
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【2557 / 尾神・七重 / 男性 / 14歳 / 中学生】



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          ライター通信          
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このたびはお届けが大幅に遅れてしまいましたこと、初めに深くお詫びいたします。

三年と九ヶ月前、初めてノベルのご依頼をくださったのは、七重様でいらっしゃいました。初めての発注文を承ったときの嬉しさは、以来、一度たりとも忘れたことはありません。
そうしてこのたび、七重様のノベルで、わたしのライター活動に幕をひかせていただくことになりました。
様々な感謝の言葉は多々ありますが、まずは、本当にありがとうございました。
七重様にはまだ続くべき未来があるものと信じています。
飾る言葉が見つかりません。
本当に、本当にありがとうございました。
またどこかででもお会いできればと思います。
お元気で。


MR