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<東京怪談・PCゲームノベル>


とまるべき宿をば月にあくがれて /  真夏の夜の夢



 
 体温をも上回る酷暑が続く街中にほとほと嫌気がさし、夕暮れ、ようやくどうにか暑気が勢いを弱め始めたのを見計らって家を出た啓斗は、やはり何ら前触れも兆候すらもなく、四つ辻へと足を踏み入れたのだった。
 四つ辻にも四季の移ろいは在るのだという。が、さすがに半ば気狂いじみた熱気とは縁の薄い土地であるらしい。
 踏み入れた途端、夕暮れて薄闇に包まれた世界の、ひっそりとした風が吹きぬけていった。
 路の端に点在する棟のひとつで、入道が水を撒いている。空気がひやりと心地良いものに感じられるのは、そうやって打ち水をしているせいなのかもしれない。
 しかし、太陽なんていうものが存在していないであろうこの世界では、打ち水をすることはさほどに大きな意味を成さないようにも思えるのだが。

「そんなこともありません」
 疑問を口にした啓斗に対し、四つ辻の主である侘助が穏やかな声音で返し、笑った。
「そうすることが果たして意味を得るのかどうかはさておき。要は、そのようにしたいからそうする。心持ちの問題、……そういうことですよ」
「ふぅん」
 返された言葉に曖昧なうなずきを見せ、啓斗はまっすぐに四つ辻の薄闇に目を向けた。


 ◇


 四つ辻に踏み入ってすぐに、啓斗は侘助の後姿を見つけた。
 啓斗が歩き進めてきた大路とは別の、けれども大路ではなく、ぼうやりとした見えない小路らしい場所から姿を現した侘助の手には、白い花が数本ばかり抱えこまれていた。
 追いかけるでもなし、啓斗はしばらくただ侘助の背を見ながら大路を歩き進んでいた。が、やがて足を止めた侘助が静かに啓斗を振り向いて、いつもと変わらぬ安穏とした微笑を満面に浮かべたのだった。
「こんばんは、啓斗クン。――今日も暑かったですね」
 そう声をかけられて、啓斗はわずかに首をかしげながらもうなずく。
「そうですね、今日も暑かった。……四つ辻も暑かったんですか」
「いや、ここは暑いなんていっても、せいぜいたかがしれてる感じでしてね。現世に比べれば、というか比べるまでもない程度で」
「東京の酷暑は異常だからな」
「そうですね。俺も時々は現世に出入りしてんですが、あれにはもう辟易としてしまうばっかりですから」
 そうだね。小さくうなずきながら、啓斗は侘助が手にしている花に目を向けた。
 四つ辻の薄闇の中、淡くぼうやりと光る白い花。
 花に興味を向けた啓斗の視線に気がついたのか、侘助は抱えていたそれをふと持ち上げて、花弁のひとつに指を這わせながら目を伏せた。
「これは月見草ですよ」
「……へえ、これが」
「名前ぐらいは耳にされたことがあるかもしれませんね」
「月見草ってのは黄色い花だと思ってた」
「黄色くなるのは夕方に花開いたやつですよ」
 微笑んだ侘助にちらりと一瞥を向けて、啓斗はやはり流すように「ふぅん」と小さなうなずきだけを返す。
 侘助は啓斗が花にはさほどに興味を寄せてはいないのだと知って、しかし話題を振るでもなく空気を改めようとするでもなしに、そのまましばしの間を黙したままで歩み続けた。
「ああ、そういえば」
 そのしばしの間を置いた後、思い出したように目をしばたかせながら啓斗が口を開けるまで、夜に包まれたその静寂は言葉もなくひっそりと続いていたのだった。
「四つ辻には月も太陽も存在していないと認識しているんですが、草花は太陽無しに成長できるものなんでしょうか」
 訊ねたそれは純粋な疑問だった。
 啓斗は侘助の応えを待ってその横顔に目を向け、それから再び月見草の白々とした花に視線を落とす。
 侘助は小さく笑いながら眼を細め、「ああ」とうなずいてから応えを述べた。
「ここは現世の理を外れた場所ですからね」
「理を外れた場所である割に、季節の流れや諸々細かな部分に相違が生じていないようにも思えるのだけど」
 間を置かずに返した啓斗の言は、にこにこと微笑みながら流れるように言葉を編み続けていた侘助を、思いがけずに制することとなった。
 侘助がわずかに沈黙したのに首をかしげ、啓斗はふと侘助の顔に目を向ける。
「四つ辻って結局どういう場所なんですか」
 言葉が返されるのを待たず、啓斗は続けてそう訊ねかけた。
「現世とあの世の間にある境界のような場所ですよ」
 今度はすぐに返された。が、啓斗は小さくかぶりを振り、さらに言葉を続ける。
「いや、そうじゃなくて。……四つ辻の主は侘助さんだと聞いたんですが、それっていうのは、例えば四つ辻を創りだしたのが侘助さんだとかいう意味なんだろうかと思って」
「……ああ」
 なるほどとうなずき、侘助は細めていた眼を再び前方へと向けた。
 薄闇しかない、足下すらもろくにおぼつかないような視界。夜目に馴染み、ようやく辺りの景色が薄らぼうやりと確認できるようになる。
「……俺が創ったわけじゃあありません」
 言った侘助の顔に目を向けながら、啓斗は少しばかり片眉を跳ね上げた。
「あまり人に明かせるような話でもないんだったら、あまり深くは訊かないようにするけど」
「そうですね」
 返し、侘助はふいに歩みを止めて顔をあらぬ方に向けた。その表情が、闇に隔てられて判然としない。
「特に秘密にしているだとか、話したくないというわけでもないんですけれどもね」
 声は常に比べいくぶん低く感じられた。
「では訊いても支障はないと」
 再び訊ねた啓斗の言に、侘助はゆるゆると振り向き、言を述べる。
 その顔に、いつものあの安穏とした笑みはかけらほども浮かんではいなかった。


 ◇


「それで、何を聞きたいんで?」
 そう言って微笑んだ侘助の面は、心なしか、常に比べ随分と酷薄めいたものに見えた。
 歩き進めていたふたりの眼前、さほど遠くない場所に見え始めた茶屋には向かわずに、侘助は再び路を逸れた場所にひっそりと現れた小路の中へと足を向けた。
 啓斗もまたそれを黙したままそれに従い、獣道を歩んでいるかのような心地を覚えながら、ひと一人歩き進むのが精一杯といった具合の小路をひたひたと歩む。
「別に。……ただ、侘助さんは嘘吐きだなと思ったから」
 臆すこともせず、けれども侘助の顔を見ることもせずに、すらりと落とした。
「おや」
 対する侘助は啓斗の言に面を変えるでもなし、ただ笑みの形をした面を顔に張り付かせたような表情で、ただまっすぐに進む方向を見つめている。
「おかしいな、俺は一度でも嘘なんて吐いたことはありませんが」
「でも本当のことも話してないよね」
 侘助から数歩分を離れた場所を歩きながら、啓斗は再び静かに告げた。と、侘助の歩みが不意に止まり、
「俺はここに用があって来たんですが、少し長くここにいることになります。今ならまだ啓斗クンひとりで引き返せますが、どうしますか? 茶屋に戻ってますか?」
 ゆるゆると目を細めながら告げた。
 啓斗はしばし辺りの景色を見渡し、そこがどのような場所であるのかを検めながら「……いや」と小さくかぶりを振る。
「侘助がいいと言うなら、俺ももう少しだけここにいたい」
「そうですか? 俺は一向に構いませんが、つまらない場所じゃないかなとは思いますがねえ」
 啓斗の応えに小さく笑うと、侘助は手にしていた月見草を足下に置いた。
 そこには土饅頭があり、その上には卒塔婆の替わりだろうか、細い板のようなものが立てられている。――見たまま、それは誰かの墓地なのだろう。
 侘助はその、真新しくも見える土饅頭の端に、白々とほの光る月見草の花を供えている。
「誰かが亡くなったんだな。……土が新しい。最近か」
 落とし、啓斗もまた侘助に倣って膝を折った。侘助は横目に啓斗を見やって頬を歪めた。
「いいえ、啓斗クン。これはもう随分と古い――そうですね、現世で言うならば江戸の末期……黒船が現れた頃に掘られた穴ですよ」
「……? なら、もうとっくに」
 返しかけて言葉を噤む。
 土饅頭の下には死体が埋まっている。いずれ棺が土の重量に耐え切れずに潰れれば、饅頭も必然潰れて土地も均されるようになっているはずだ。もしも仮に侘助の言が本当ならば、――眼前のそれはもうとうの昔に均され、墓碑なくしてはそこが墓地であることすら判別し難くなるはずなのではないのだろうか。
 しかし目の前のそれはあたかもつい先ほど、あるいは数日内に掘られたばかりのもののようにも見える。いずれにせよ盛り土が新しいものであることには違いない。
 鼻をかすめる湿った土の匂いに目を眇め、啓斗は墓地に落としていた眼をゆるりと持ち上げて侘助を見る。
 侘助もまた、啓斗の顔を見ていた。常とは違う、薄く貼り付けられた、酷薄な笑みが薄闇の中でひそやかに歪む。
「俺が嘘吐きだと言いましたね」
 微笑みながら、侘助は盛られた土を一握り分掻いた。
「ああ」
 まっすぐに侘助の目を捉え、啓斗もまたうなずく。
「俺はね、啓斗クン。これまで一度たりとも嘘を口にしたことはないんですよ。キミにも、四つ辻の連中にも、他の誰に向けてもね」
「嘘だ」
「本当です」
 間を置かずに応え、「ただ」と言い足しながら、侘助は掻いた土を花の上に撒いていく。
「嘘も事実も、突き通せばそれこそが唯一無二の本当になる。……こうして笑ってさえいれば、皆、それが俺の心の顕れなんだろうと勝手に括るんですよ」
「……そうかもな」
「そういうことです」
 うなずく啓斗に頬を緩め、侘助は再び土を掻いた。そうしてそれを花に撒き、まるで花を土の下に埋めようとでもしているかのように、それを数度繰り返す。
「この下にいるのは」
「俺の母親ですよ」
 啓斗の問いに、侘助は不意に折っていた膝をすっくと伸ばして立ち上がった。
「俺の母親がこの下で眠っているんです」
「侘助の母親」
「ええ。――土地神でしてね。とは言っても、座敷童をもう少しだけ力を強くさせてみたといっただけの、せいぜい妖怪に毛の生えたようなもんなんですが」
「……」
「気ままにあちらこちらと移ろい歩いて、たまたま根をおろした土地に小さな恵みをもたらす。恵みとはいっても田畑の実りですとか、まあ、そんなぐらいでね」
「侘助」
「それをね、俺の父親……人間が、捕らえて押さえ込んでしまったんですよ。もう他の土地に行かないよう、自分たちの土地にだけその恵みを独占するために」
 くつくつと低く笑う。啓斗はなぜか目を外すことも出来ず、ただまっすぐに侘助の顔を見つめた。
「それで……」
 その後、どうなったのか。訊ねようと口を開きかけたが、けれどもそれは問い掛けてもいいものなのかどうかが分からずに、啓斗は再び口を噤む。
 それを悟ったのか、侘助はゆらりと首をかしげて啓斗を見た。
「この場所はね、啓斗クン。彼岸と現世との境界にあるんですよ」
 口許が歪み、口角が引き攣れたように持ち上がっている。 
 啓斗は目を細め、決して侘助から目を逸らさないように、ため息を落とすようにして告げた。
「もしやと思うんだが、侘助。……そこにいるのはあんたの母親か」
「ええ、そうですとも」
「呼び戻そうとしているのか」
「むろん」
「なぜ」
「なぜ?」
「死した者はもう二度と戻らない。……あんたなら充分に理解できているんじゃないのか」
「もちろんですよ、啓斗クン」
 大仰に両手を広げて闇を抱え込むような姿勢を見せ、侘助の笑みは一層に歪む。
「言ったでしょう? 何もかも、突き通せばいずれ真実になるんですよ。なんでしたらお見せしましょうか、啓斗クン。この下で、彼女はゆっくりと戻ってきているんです」
「遠慮するよ」
 言って、啓斗はふと目を逸らしてきびすを返した。
「……先に茶屋に戻ってる」
「おや、そうですか? わかりました、俺もすぐに戻ります」
 侘助が応えたのを背で受け止めて、啓斗は心持ち足早にその場を去った。そうして見慣れた大路に踏み出て大きな息をひとつ落とし、――振り向こうとして、それを思い留めて茶屋に向かう。


 ◇


 茶屋の中はいつもと変わらぬ明るい喧騒に包まれていて、啓斗はどこかで深い安堵の息を吐いた。
 水を撒いていた入道がほろ酔い加減に盃をあけている。河童が啓斗に挨拶を述べ、一つ目が席をずれて座るようにと手招きした。
 と、店の奥から顔を覗かせた侘助が、いつも通りの安穏とした笑みを浮かべて啓斗に片手を持ち上げる。
「啓斗クン、いらしてたんですね」
「……はい」
「現世は暑かったでしょう。いま茶でもお出ししましょう」
 言って穏やかに笑う侘助に、啓斗は訝しく思いながらもうなずいた。
「飯もね、今日はいい野菜が採れたんで、こいつでちょっとしゃぶしゃぶでもお出ししましょうか」
 啓斗がうなずくよりも早く茶屋の奥に引っ込んだ侘助に、啓斗はしばし目をしばたかせる。


 夢であったのか、あるいは

 
 思いつつ、ふと視線を横に移した啓斗の目に、茶屋の隅に活けられた白い花が揺れているのが映りこんだ。



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    登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  
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【0554 / 守崎・啓斗 / 男性 / 17歳 / 高校生(忍)】




Thank you very much for the order.
Moreover, a report feels sorry very behind time.
pleased if you can enjoy yourself.

MR