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<PCシチュエーションノベル(グループ3)>


蜃気楼を呼ぶ

「最近様子がおかしいが、どうした?」
 六月も後半となってくると今までの奇妙な蒸し暑さから次第にうだるような暑さが見え隠れし始める。
 制服に汗を濡らし、人肌を透かせたこの季節を浮かれた男子生徒達は好む体質にあるようだ。女子生徒の夏服に透けた淡い好色に吸い込まれるように、最近の下校時は人が少ない。
「んー、べつにぃ?」
 誰も居ない。正確には二人しか居ない教室の窓側で涼むのは気持ちが良い。
 愛らしい女子生徒の背中を追うのも一興ではあったがこの暑い中、彼女らとの下校に付き合う気は無い。
 女の子が嫌いなのか、そう出た質問に違うと心の中で微笑した柔らかい茶色の髪は、開け放った窓から入る微かな風に揺られながら密かに後で佇む少年の気配を伺っていた。
「てかさ、常盤って俺の事嫌いじゃなかったっけ? なんか、気にしてるってか…意外に優しい?」
 教室内は日陰になっていて幾分か涼しい、その中で二人。茶髪に黒髪、けれど互いに黒い視線が交差する。ふわり、と風が吹いた後の柔らかな心地よさにその瞳を細めた少年――夏軌・玲陽(なつき・れいや)は窓の端に腕を預け交差する視線の先に居る真面目な視線を見据える。
「いや、何でも」
「そか? てっきり嫌われてると思ってたケド?」
 黒い瞳は冷たい視線に見られがちだ。それが玲陽の場合明るい性格と茶色に染めた光のような色が手伝って冷たいよりは愛着のある視線と取られるだろう。
「そう見えるような行動でもしていたか?」
 眼鏡越しに見える瞳は黒。玲陽と同じだ。が、言葉少なく返すその一つ一つは着実に、弓を射る者のように何かを捉えて放さない。そんな気がする。常盤・譲(ときわ・ゆずる)はそうして自分の中の何かを掴もうとしている。
 そうなると自分は狩人の弓に怯えた獣なのだろうか。
「うーん。 なんかこう、冷たい感じとか? 今まであんま喋ってなかったじゃん」
 一歩一歩追い詰められる、この感覚が気持ち悪い。
 校舎の中は少しだけ冷房が効いていて、玲陽の身体も譲の身体も日陰のそれで冷え、自分に至っては少しの日差しを目指す葉のように窓の外を眺めている。

 譲がこちらに向かってくる足音を聞きながらただ静かに。下校を知らせるチャイムが鳴り、家に帰る生徒達に暖かな挨拶を返して物思いにふける。全くもって自分らしくない行為だと思えばそうだった。
 女子生徒に声をかけ、一緒に帰ろうと笑っていた数年前とは違う。どんどんと一人だけが置いていかれる感覚、この先には譲と同じ一人の黒い髪、瞳を持った青年が居るのだから。どう転んでいいのか分からない。
 足音が近くにある。瞳を閉じても感じるその雰囲気と窓からの風に緊張感を感じた。硬質な足音は意外と真剣で、自分を外側からよく知る人物の確実な一歩に聞こえるのだ。

 この黒とは違う別の黒。爽やかな風を纏う治貴・圭登(はるき・けいと)は自分が好きだ。以前そう言葉にされた事が玲陽の心を乱している。答えるわけではなく、逃げられるわけでもなく、ただ蜃気楼のように夏の校庭に見えるそれを譲は知っているのだろうか。
「口をきいていなかっただけだろう。 別に悪いとかそういう意味で取られては困るな」
 足音が止んだ。薄く瞳を開けると目の前には譲の涼しげな瞳が自分を捕らえていて、口元が思うように動かない。
「んじゃ、…どういう意味?」
「ああ、今まで気づかなかったが最近の夏軌を見ていたらお前が表面だけの奴じゃないと気付いた」
 眼鏡越しの瞳というのはどうしてこう冷たいのだろう。見つめられる玲陽はそう思う。
 同じクラスに居る眼鏡の生徒が皆全て同じなのかと問われれば否であったが、譲のそれは違う。視線という視線が氷に近いそれは時折玲陽の背中を撫でていくのだ。
「なんだそりゃ? んじゃ何、俺の事いっつも見てたワケ?」
 意識上の中で譲という人間が居るのだから改めて自分は彼の事をよく見ていた事が今更になって分かった。いや、単に見られていた事を察知していたのだろうか、クラスメイトの中に混じる自分と遠くから視線を投げかける人物の存在を。
「夏軌はどう思うんだ? 俺がお前を見ていたか、見ていなかったか」
 分かるだろう、と譲の視線は首と共に僅かに捻られた。問いを問いで返す、その先で玲陽が逃げられない事を知った上での静かな矢が、射られる。
「ちょっ、何ソレ? え、それじゃ一歩間違えればストーカーじゃんね?」
「そうかもしれないな」
「は?」
 距離が近すぎると、最初に思ったのはそれだ。
 当初教室に残された二人の距離は身も心もまだ友人より近い、ただその近い距離が何処にあるのか分からない、そんな距離だった筈だというのにいつの間にか狩人は玲陽の近くに寄っていて窓の反対側。至近距離に腕を付かれて初めてその分からない距離が恋愛のそれである事に気付く。
「ちょい待ち! 常盤が俺みたいなヤツ見てたってのがまずあり得ないっしょ!?」
 思わず窓から手を放してしまった。
 浮いた身体を支え、そのまま壁に押し付けられ空気が揺れる。自分の香りと、譲の柔らかな香水の香り。それは今まで見られているだけの自分には分からなかった、初めての彼の香りである。
「気付いたから近づいた。 気に入ったから、こうしている。 違うか?」
 ムスクの香りは自分よりも数段大人の譲を玲陽に抱かせ、困惑させた。
 見ていただけでは友人でもあり得る、けれど友人がこうして顔を近づけ身体を壁に押しやる、そんな行動に出るだろうか。
(なんか俺、最近おかしくね?)
 それは譲も自分に向けた言葉だと、玲陽は思う。男性の香りを漂わせ始めた同級生はいつの間にか自分の恋愛の恋敵となり、同時に恋愛対象にもなった。
 譲の場合はどうだろう、圭登と同じ黒を持つ氷のような雰囲気を纏う少年は。
「ナニ、やっぱそーゆー意味でって事?」
 違うだろう。そう、聞きたかった。ただ、それで否定されたとしても自分の不安定な心は変わらない。
 この冷たい視線にそれほどまでに見つめられていた事と、圭登の言動。何故自分が同性相手にここまで心を揺さぶられなければならないのか今までは女子生徒相手だったというのに。
(いや、皆好きだし、これはなんか違うよーな気もするんだよね…)
 好きだ、そういう言葉は何度も呟いた気がする。女子生徒にも、男子生徒にも。ただ他愛も無く好きという感情を込めない言葉だけの調べを。
「そういう意味で…。 さぁ、当ててみろ?」
 自分の心境を整理している場合では無いと思う。忍び寄る譲の身体は玲陽の身体をゆっくりと壁へ押し付け、とうとうその柔らかな髪を硬い壁へと押し当てるまでに至ったのだから。
(あ、けっこー暑いな)
 壁が夏の日差しに焼かれ静かな熱を持っている事を始めて知る。教室の中涼んでいたというのにこの暑さは何なのだろう。まるで今の譲のような秘めた暑さが怖い。
「分かるワケ、ねーじゃん?」
 譲が自分を気に入る理由が分からない。そもそもの所、彼が自分を見ていた理由すら分からないのに。ただじわじわと責めさいなむような瞳が玲陽の身体を心ごと追い込んでいく。
「つか、俺なんかしたっけ? 常盤の気に入るよーな事とか? それとも…」
 嫌がらせか。と言いかけて唇をずいと近づけられた。
 触れられてはいない距離に身体がすくむ。唇が触れるのがそんなに怖い事だっただろうか、いつも面白半分で突き出し嫌がられる反応を見た行為はこんなにも。

「お前達、何をしているんだ?」

 扉は開け放たれたまま、そこに立っている人物。いつも爽やかな雰囲気を纏う黒い瞳に翳りを見せ、背の高い清々しい漆黒の髪を持った圭登を目にして。
「何もしないないが?」
 譲の対応が早かったのは幸いだった。玲陽は近づいてくる彼に酷く怯えを見せ何より、今声をかけ怒りすら見せる圭登が見せた行動を。『好きだ』と言われたあの時を思い出していたのだから。
「ああ、治貴? 別に? 何もしてねーけど?」
 今自分の声は上ずっていないか、しっかり発声できているか、馬鹿馬鹿しく思いつつも玲陽はそれだけが一番気がかりであった。勿論、この体勢も圭登なら好ましく思わないに違いない。彼の機嫌を取るつもりは無かったがこれから起こる何かがあるとすれば危険であるというのは事実であろう。

  玲陽は近い譲の瞳を見る。
 今は圭登に気を削がれ、そちらを見る視線は自分に向けられるそれより随分と冷酷で追い詰められたあの時、彼は意外にも暖かな視線で自分を見ていた事に改めて気付かされる。同時に同じ黒でも扉側でただこちらを見つめる瞳はいつもの風のような爽やかさは無い。
 見据えるような黒曜石の瞳が玲陽への想いと共に谷底へと落ちていく、最近の圭登は雰囲気こそ変わらぬものの、何かの拍子でそんな風に自分を見つめるようになっていた。

 流れる沈黙、体勢は譲と寄り添ったままに玲陽は辺りを見回した。いや、実際は瞳だけを動かし譲と圭登二人の観察をしていたと言った方が正しいだろう。あまり良い雰囲気ではない、このまま行く位ならば、自らの口元を開きかけた時。
「おい、お前達何やってるんだ?」
「あ、ホントだ。 れーいや、一緒にかえろー!」
 胸を撫で下ろす、というのはこういう事だろうか。最近の玲陽はクラスメイトや担任に助けられる事もしばしばだ。とはいえ、彼らに助けたという意思も何も無いのだろうが兎も角。自分が精神的に危機だと思った時に圭登の後から数人の生徒が波のように押しかけ譲はその足音と共に身を引く。
「なんだ、常盤もいるんじゃん。 てか、玲陽また何かしたのかよー」
 圭登の冷たい視線の中、一人の生徒が制服の襟を直す譲を尻目に玲陽へと近寄ってくる。
(あ、いや。 したってか…されそうに…ま、いっか)
 されそうになったと言うのは流石に洒落にならない。確かに、洒落にする能力を持ち合わせていないのかと言えば否だが、相手は天才とも言われる程の頭脳とクールさを持ち合わせた譲だ。この状況の下らない口は動かしたとしても意味が無いだろう。
「なんつーか、また俺が悪ふざけでからかったもんだからいつもの如く嫌われちゃったみたいでさ」
 奇跡の助けも玲陽の味方ばかりする声とは限らない。逆に自分のいつもの素行を見抜かれ、譲との間に何があったのかを紛らわす結果とはなってくれたものの、信用の無い言葉ばかりが回りを包んだ。
「夏軌またなんかしたのー? 駄目ジャン。 で、常盤くんまだ怒っちゃってるの?」
「んー? いーや」
 譲は玲陽の近くに居るが既に自分を拘束していた手は解いている。あんなにも恐怖を感じた存在が今ではただ一つの固体となっている事実が可笑しく思えて、無理に肩に手を置けば案の定。先程の狩人とは違う、他人用の視線が頬に向けられる。
「俺達、仲良しだもんねー」
 白いシャツを無理にぐいぐいと引っ張り、右へ左へと動く玲陽もまた、他人用のそれであって。
「えぇ、玲陽、なんか常盤君仲良しそうに見えないんだけど」
「そんな事ないって! な、ホラ!」
 しっかりと玲陽の鞄を取り帰宅の準備をする生徒に譲の冷たい視線が向けられる。瞬時に、まだ怒っているだろうと自分の方に向けられた瞳へ視線を合わせまいとうろつかせれば。
「…お前と仲良くなった覚えは無い」
「へっ?」
 今の疑問符は他の生徒達のものではない、玲陽自身のものだ。
 あの体勢で気に入ったと言葉にした譲の態度が分からない。とはいえ、ここで妙な言葉をかけられない事に玲陽は内心胸を撫で下ろして肩へ寄せた腕を解く。
「何ソレっ! 俺との事はアソビだったのねっ!」
 一度そうして突き放されれば後は玲陽の思うままだ。腕を自らの胸に持ってきて一言、そう叫ぶだけでクラスメイト数人の笑いが静寂に満ちていた教室に響き渡る。
「お前はいつも遊びしか知らないだろう。 俺は帰るぞ」
「そんな事言うなよー! 常盤、一緒に帰ろうぜー? な? 皆」
 いつも眉間に皺を寄せている譲と一緒の帰宅だ。数人の生徒達は一度首を斜めにしたものの、玲陽の雰囲気に押され次々と自分の鞄を手にし始めた。
「治貴も帰ろうぜ? なんか常盤も玲陽もとりあえず仲直りしたみたいだし」
 一人、佇んでいた圭登はその言葉で覚醒したように数回、瞬きをすると戸惑いの声色と共に持っていた鞄を背中に上げ直す。
「ん、治貴もくんの? いーけど、俺達の仲邪魔しないでねっ」
 圭登が来る。それだけで玲陽の心は騒ぎ出した。
 好きだ。とたった一言の波が押し寄せるように玲陽を押しやる中、出る言葉は同じように自分を波立たせた譲に対するそれで。
「邪魔も何も、俺はお前が邪魔だがな」
「えーっ、ひっどぉーい!」
 口にして、譲が自分を嫌いなままの姿勢で居てくれる事が唯一の幸いであった。圭登の視線は生徒達に合わせながらも時折鋭く、眼鏡越しの彼は気付いていないのか、はたまた逆であるのか今まで通りの涼しい顔で玲陽を冷たく突き放す。
「黙れ」
 ため息混じりに告げられるその背中を茶化しながら玲陽は譲の背中を追う。
 後から生徒達の軽い笑い声と、静かな冷たい視線を感じながら。近づいてまた茶化してやろうと耳元に口を持っていけば、譲の整った顔が口元だけを上げている事に気付く。しまった、そう思う事は許されずに。
「続きは今度だな」
 待って、仲良くして。そんな言葉が口の中に入ってしまうほどに。譲が紡ぐ言葉は低く、丁度玲陽にしか聞こえないような小声で心臓を突き刺してくる。
「は、はは…やだな」
 追った背中に弾かれるようにして立ち止まれば、やれまた言い争っただの、相変わらず仲が良くないだのと言う生徒達に背中を押され、玲陽は圭登と並びながら下校の道を辿った。

 夕日が暮れるのは冬よりも随分と遅くなってしまった。暑い日差しがまだ照り始めると玲陽の背中には少しだけ汗が流れる。
 他の生徒達も同様、元気の良い汗を流し家に帰ればその汗をシャワーで流すのだろう。
(なんか、俺らしくないっつーか。 なんだかな)
 玲陽の冷たい水とは違うそれを、次の日には太陽のように輝かせて。


END