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<東京怪談ウェブゲーム アンティークショップ・レン>
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『 天河石 』
●あまのがわ
「ああ、丁度いいところに来てくれたね」
眉根に寄せていた皺を解き、レンが安堵するように微笑した。嫌な予感というものは、こういう時にこそ感じるものなのだろう。レンは雑然とした机に軽く腰掛けながら言う。
「ある夫婦に宝石の浄化を頼んでいたんだよ」
キセルに火を灯し、なにかを思い出す仕草で苦笑し、けれど、また再び眉間の皺が蘇る。
「しかし、まぁ、なんだ。ちょっと厄介に巻き込まれちまってね」
吐き出した紫煙にため息が混じる。
レン、曰く。
宝石の穢れの浄化を生業とする夫婦がいる。夫はれっきとした人間だが、妻が水の妖精で、森の中の湖の底、湧き出る清水によってその浄化を行う。夫が仕事を請け負い、妻が浄化するという役割分担で、種族の壁などなんのその、周囲が羨ましく思うくらい仲睦まじく過ごしていた。だが、しかし。
「犬も食わないって、あれだ」
重い、重いため息を吐いて笑う。
水の精霊ウンディーネは、愛した男に罵倒されると心を失って水に還ってしまう。浮気されると愛する男を殺して水に還らねばならない。だから、ちょっと敏感になってたんだろう。取るに足らないことで口論になってしまい、妻がストライキを起こした。つまり、浄化した石を返さないと言い出した。
「ま、不毛なことだってのはお互い分かってるし、ちょっと旦那の言付けでも伝えてやりゃあ、仲直りすると思うんだけどね」
犬も食わないってくらいだから、あたしは勘弁願うってワケだよ。
臆することなく言って、さらに言外で、だからアンタが行ってくれ、とレンは笑む。
「澄んだ湖の底は様々な石が沈んで、それが煌く様はまるで天の川のように綺麗だそうだ。まぁ、そういう季節でもあるし、夕涼みでも兼ねて行ってくるといい。ついでに言うと、回収する石は天河石というんだよ。まったく、風流だねぇ」
他人事のように呟いて、レンはキセルの灰を落とした。
●みずのたわむれ
森の深緑は、初夏の太陽の下にあっても青く涼しげで、落とされる影はステンドグラスのような優しい陰影を土に施す。高い木立の間を縫うように続く細い道には、黒い髪を清風にゆるくなびかせて歩く女性が一人。
「困りましたね。私みたいな若い女が行くと火に油ですよ」
どこか楽しげに言い、それから、しばらくの逡巡。終えて、両手をぽんっと鳴らして、もう一言。
「一芝居打ちましょう」
妙案が浮かんだように微笑んで、続く道の先にある湖へ急いだ。
青く澄んだ水が伝える音の波紋に、彼女は来訪者を知った。
石の浄化に専念していた意識を水面近くへ向け、気配を探る。定期的に響く泡の音。…人?疑問符を浮かべながらも、少しの期待が胸を掠めて、それが浮かんだこと自体に嫌悪する素振りを自分自身へのパフォーマンスとしてする。けれど、かえって少し情けない気持ちになって、音のした方向へ浮上した。
そして、そこで出逢った人物に、彼女は驚いた。
水中マスクを被った女性が、湖の中を漂いながら、にこりと微笑みかけてきていた。
「はじめまして、藤田あやこと申します。今日はこの石を浄化する機械の無料モニターのご案内に来ました」
マスクと、水中とで隔てられた声はくぐもって水の精霊である女性へと届けられる。突然の闖入者に彼女は言葉を失って呆然と彼女を眺めた。あやこは唖然としている今こそ、とばかりに訪問販売員顔負けの弾丸トークで、いかにこの商品が良いか、どれだけお得か、彼女にとってどれだけ得るものの多いことか話し続ける。
「はぁ…」
状況を把握しきれず、曖昧な返事を返したウンディーネ。
「少しはお休みになる期間も必要かとお見受けしますが?」
「それはそうでしょうけど」
「なら、決まりです。なんて言っても無料ですから」
「はぁ…」
二度目のため息にも似た相槌を、あやこは承諾の言葉と受け取って、笑む。少し強引かも知れないけれど、まずは、このウンディーネの女性を休ませてあげたい。
小脇にかかえていた、見たこともないような、形容しがたい機器をウンディーネへ押し付けて、
「では、少々お待ち下さい」
言って、水面へと浮上する。不思議そうに見やるウンディーネを後にし、湖のほとりへと戻り、そこに置いた一人暮らしの家具一式(しかもご丁寧に紐で一括りに結んで運び易くしている)を担ぐと、水中へ足を踏み入れた。
重みで、一気に水底へ辿り着けば、唖然や呆然よりも更に驚いた顔で、信じられない顔でウンディーネがこちらを見やっていた。内包した空気を泡として水面へ放出する家具を背に、あやこが言う。
「魚心有れば水心と言います。機械の様子みがてら、ご一緒に生活しましょう」
ため息も何も出せず、絶句したウンディーネは、水中なのに立ち尽くした。
●みみできくふうけい
人間が水中で生活しようなど土台無理な話で、洗濯も料理も当然出来ないし、せいぜい出来るとしたら掃除くらいだが、人の感覚で言う掃除は水底において当てはまるものではない。小さな円卓が浮力で浮かび上がるのを、重りで繋ぎとめ、気分を出すために湯飲みや急須を並べるも、茶葉はふわりと水中に広がってしまう。
あまりの惨状に思わずウンディーネが躊躇いがちに声をかけた。
「あの……」
その時だった。あやこの装着する水中マスクから大量の泡が吹き出した。がぼがぼがぼがぼ。何かを言っているあやこの声も気泡となって一緒に水面へ消えていくが、この場合、何を言っているか分からなくても、どうすればいいのかくらいは検討がつく。
きっと、水中マスクが壊れたのね。
理解して、ウンディーネは彼女を脇に抱えると、すぐに水面へと浮上した。
「藤田さん? 藤田さん?」
湖のほとりへ、あやこを引き揚げたウンディーネは彼女の頬を軽く叩くも反応がない。けれど、心配し始めた矢先、あやこは上体を起こして目を覚ました。そして、ぱっちりと開いた瞳を向けて、突如、
「ママ!」
「え?」
抱きつかれ、硬直する。
「ねぇ、ママ。パパは? パパと一緒にご飯作る!」
何がどうなって、こういう言葉が出てくるのか理解できず、くらくらと眩暈のする頭を抑える。屈託なく向けられるあやこの視線が痛い。
「……酸素不足で記憶喪失でもしたのかしら…」
確か、人間の脳というものはそういう風にできたいたように思わないでもない。妖精として育った自分にはあまり縁のない話だから、詳しくは知らないけれど。でも、そうだとして、一体どうすればいいのかしら。
苦悩してガンガンと頭痛のし始めた頭をかかえ、ねぇ、パパはー?パパはどこー?と訊ねられる声に重いため息が零れた。
「あ、パパ!」
言葉に、驚いて顔を上げると、そこには苦笑を浮かべた彼が立っていた。
「あなた…」
「やぁ…。なんだか、声が聞こえたものだから…、この人は一体だ…わっ!?」
訊ねる声は、あやこが抱きついたことで遮られた。
「ねぇ、パパ、お料理作って。可愛いドレス縫って」
「いや、ええと、きみは…」
「ねぇ、パパー」
「あの…?」
あまりにも話が噛みあわずに狼狽する夫を見て、妻が思わず苦笑を零す。いきなり正体不明のいい年の女性に抱きつかれてパパやら何やら言われたら、怒って怒鳴ったりする人もいるだろうけれど、この人は決してそうしない。そう、しないのだ。
「あなた、全部苦手ですものね」
笑みを零すウンディーネに、その通りさ。と苦笑して言う。
「まったく、僕は駄目な男だよ。君がいなけりゃ何一つ出来ない」
自嘲する響きで言って、それから、真摯な声で紡ぐ。
「この間はすまなかった。…君の助けが必要なんだ」
真剣な瞳で言う。ウンディーネは思い出す。再確認する。なぜこの人を好きになったか。答えは簡単だ。この人だから好きになったんだ。だから、許せないはずもない。
「私も悪かったわ。私にも貴方が必要よ」
微笑は仲直りの印になって、二人の間で交わされた。
「いやぁ、死ぬかと思いました。私のおかげで大団円ですね」
突如、旦那に抱きついたままだったあやこがその手を離して言うと、二人はちょっと目を丸くして、先ほどの奇行が演技だったことを知った。
あやこは二人の間に流れる穏やかで優しい空気に安堵するような笑みを浮かべると、その笑みに少しだけ哀を浮かべて、小さくぽそりと零す。
「私の両親は他界したんです」
今までの彼女からは想像できないような脆い笑みに、そっと夫が手を伸ばす。くしゃりと頭を撫でれば、あやこは幼さと嬉しさを孕んだ笑みを返した。
●ほしまつり
夕陽が残光を湖の上に伸び、それから、ゆっくりと森の木々の奥へと消えていく。藍色の空が広がり、ほっそりとした白い月がのぼる。湖の青はゆっくりとその透明さを増し、宵に染まった空に一番星が浮かぶのとほとんど同じ瞬間に、呼応するかのように湖の底に沈めた宝石が煌く。二番星、二つ目の煌き、三番星、三つ目の煌き。比例するように天空と湖に輝きが増えていく。
空と地上と、二つの天の川を眺めて、細いこよりの先に火を灯す。それは赤い星となってぱちぱちと弾ける。線香花火を灯し、あやこと夫婦は家族のように並んで、湖に足を浸し、ただゆっくりと流れる時間を共有した。
この日の思い出に、と渡されたのは海硝子のように角が取れて丸くなった天河石の欠片だった。ひとつの記憶の欠片の、その証ようのように優しい色を灯して、掌にある。
fin.
□■■■■【登場人物(この物語に登場した人物の一覧)】■■■■□
【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】
【7061 / 藤田・あやこ (ふじた・あやこ) / 女性 / 24歳 / 女子大生】
□■■■■【ライター通信】■■■■□
この度はご参加、誠にありがとうございました。
NPCの口調や行動は、そのキャラクターの性格に沿って少々変更させて頂きました。ご了承下さい。
それでは、少しでも楽しんで読んで頂けたら幸いです。
2007.07.06 蒼鳩 誠
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