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<PCシチュエーションノベル(ツイン)>


水の記憶




「なあ、シュライン」
 重たげに頭を抱えた草間武彦に名を呼ばれ、シュラインは忙しく電卓を叩いていた指を止めて目を上げた。
 武彦は事務所に置いてある接客用のソファに腰を沈め、小さく唸りながらテーブルに広げられた数枚の写真を見据えている。
 今さっき事務所を後にした客が依頼してよこしたのは、例によって怪奇現象に類別されるものだった。
 旅行で訪れた観光名所のひとつであった滝の前で撮った数枚の写真。けれど、その写真には本来写るべきではないものがはっきりと映し出されていたのだという。
 仲睦まじく寄り添い笑う老夫婦の後ろ、おそらくは投身を防ぐためのものなのだろうが、白い鉄柵がある。その向こうは切り立った崖となっているが、そこに髪の長い女がひとり映されているのだ。
 武彦が深々とため息を落とす理由は、まさにこの写真にある。
「なにかしら、武彦さん」
 わざとらしい口調で応え、オフィス用の椅子を立ち武彦の隣に腰を落とす。
「この事務所、いっぺんお祓いでもしてもらうべきなのかもしれん」
 ため息ついでにそうぼやく武彦に、シュラインは肩を竦めて笑った。
「今さら」
「……だよな」
「第一、もしもお祓いを受けるっていうなら、対象は事務所じゃなくてあなた本人だと思うわ」
「……」
 笑うシュラインに、がっくりとうなだれて肩を落とす武彦。武彦は再びずぶずぶとソファに沈み、ぼんやりと天井を仰ぎ、口をつぐんだ。
「お茶でも淹れてくるわね」
 言って、シュラインは静かにきびすを返す。
 ちらりと目にした数枚の写真の全てに写る女の姿。それはシンプルな夏用のワンピースを身につけた、長い黒髪の、驚くほどに肌の色の白い女だ。横向きで映っているためか、面持ちや年代までは窺えない。
 しかし、依頼人が曰く、この女は当初背中向きで映っていたのだという。つまりはカメラに対し後ろを向いていたということになる。
 もしもそれが本当なら、では写真の女は写真の中で少しづつ動いているということになる。
 しかし、持ち込まれたのは一枚だけではなく数枚に及んでいる。そのいずれにも女は映りこんでいるのだ。それも、よく見れば遠近に差があるようにも思える。
 首をかしげ、シュラインは給湯室へと足を向けた。
 きっと、なんだかんだと言いつつも、今回の件も請け負わざるを得ないのだ。いや、依頼主は写真を置いて事務所を後にしていった。依頼料は前金で、しかも小切手で受け取っていたはずだ。それならば、今回の案件はもう既に草間興信所が責務をもって請けたものと把握していいだろう。
「今回は誰に声をかけるのかしら」
 茶を用意しつつ、ひとりごちる。
 草間武彦という人物は、確かに当人の気持ちとはうらはらに、怪奇現象の類にばかり縁をもつ。たぶん、浮気調査や失踪者の捜索など、通常の探偵がやっているような業務をこそ望んでいるのだろうが、それももうこの先なかなか臨めないだろう。
 けれど、その分、心強い人脈にも縁強い。毎回必ず誰かしらが依頼を請け負い、そうしてきちんと消化してきてくれるのだ。むろん、調査員のひとりとしてシュライン自身も出来うる限りに動くようにもしている。武彦は「万が一おまえが危ない目に遭ったらどうすんだ」などと良い顔をしないが、武彦の力になりたいと願うがゆえの行動だ。
 茶をトレイに載せてテーブルに戻ると、当の探偵はソファに沈んだまますっかり寝入っていた。

 時計の針がかちかちと動く音がする。
 日の落ちた後の街並みがガラスの向こうに広がっていた。
 外は、けれどまだまだ暑いのだろう。夜になっても蝉が鳴き、今日もまた寝苦しくなってしまうのだろうか。 
 思いながらシュラインもまたソファに腰を据える。
 茶を飲みながら何気なしにテーブルの上に目を落とす。
「……!」
 驚き、シュラインは思わずソファを立って武彦を呼んだ。が、武彦は夢の中より戻ってきそうにはない。
 シュラインは再びソファに戻り、テーブルの上に広げてあった数枚の写真の内、一枚だけを手に取った。

 さきほどまで、女は確かに横向きだった。俯きがちで、それもあって面立ちなど判別できようはずもなかったはずだ。
「これは、でも」
 呟き、眉をしかめる。

 写真の中の女は、今やその顔も表情もくっきりと判別できるまでになっていた。身体もこちらを向いており、その手がガラスかなにかに縋るような形を作りこちらに向けて伸ばされている。
 
 水気を含みじっとりと濡れた黒髪は見るからに重たげで、今にも水が滴って落ちそうだ。
 肌は恐ろしいほどに白く、生気はまるで窺えない。
 濡れて垂れ下がった髪の下にある顔は髪に覆われていて、確認するには困難を強いられるようだ。しかし、おそらくは二十代前半――あるいは十代後半かもしれない。いずれにせよ、まだ若年であるのは間違いないだろう。
 それが、シュラインの見ている前で、まるで壊れた映画フィルムのようにカクカクと、ひとつひとつ大雑把にコマ送りされているかのように動き始めたのだ。
 女の唇が何事かを告げている。
『 ・ ・ 』
 それは三文字からなる言葉であるようだ。
 シュラインは女が何かを告げようとしているのだと知って、その唇の動きを食い入るように見据える。
 何しろ、唇の動きから言葉を拾い上げるにしても、それはとても難解だ。コマ送りされているかのように動くその微妙な変化が、拾い上げるための作業を難解なものにしているのだ。
「い・い・え……?」
 女の唇を読み、シュラインはわずかに眉根をしかめる。――違う。たぶん、そうではない。
 女は写真という平面世界の中で、何かを懸命に伝えようとしている。上手く伝わらないのが口惜しいのか、顔が徐々にこちらに寄って来ているようにさえ見えた。
 シュラインが手にしている写真だけではない。テーブルに置かれた写真のすべてで、女はじりじりと唇を動かしている。
 シュラインは小さく息を落として呼気を整え、再度女に向き直った。
「聴くわ。――続けて」

  ・い・ 
 い・ ・て
 き・い・
 き・い・て

「きいて」
 シュラインが落とした、その時。
 女の表情が――窺えぬはずだったその面持ちが、なぜかじわりと見えたような気がした。
 それと同時、
 パチン 何かに額を弾かれたような感触を覚え、
 次のときには、シュラインの意識は深い水の底へと落ち込んでいたのだ。


 ◇


 あなたのためを思ってしたことなのよ

 上品ないでたちの母がやわらかな笑みを浮かべる。
 あなたが言わないから、代わりに私が言っておいてあげたのよ。そう言ってころころと無邪気に笑う。
 母の奥、ソファに腰掛けた父がむっつりとした面を持ち上げて私を見ている。
 あんな男がおまえにふさわしいはずがないだろう。おまえにはわたし達がちゃんとふさわしい相手を見つけてやる。
 静かな、抑揚のない声。けれど視線だけは真っ直ぐ、怒気をこめて私を見ている。
 何を言っているのだろうか、このひとたちは。
 このひとたちは、私の知らぬ間に、私が愛した男性に決別を告げてきたのだという。金を積み、そうしたら彼はあっさりと首を縦に振ったのだと。
 あなたはいつもろくでもない男にばかり引っかかって。だから私達がこうしてあなたのために動いてあげているのよ。
 香り高い珈琲を高価なカップに注ぎ淹れながら、母はさらにころころと笑う。

 そう。
 このひとたちは、いつもいつもこうして私から何もかもを奪う。
 友人も、恋人も、結婚を誓った相手ですら。このひとたちの耳に触れれば、その翌日にはすべてが消えている。
 
 なら、私を箱にでも詰めておけばいいじゃない
 私は思い余ってそう叫んだ。
 そうまでして私を箱入りにしたいのならば、いっそ文字通りそうしてしまえばいいじゃないかと。
 すると、かれらの目がその色を刹那の内に変えた。
 母は困ったように笑いながらも父の顔を窺い、父は母の視線が意図するものを把握してか、逡巡の後に強くうなずいたのだ。

 ああ、
 ああ、このひとたちは心底おかしい。狂っている。
 そう思ったときには、私はうす暗い場所に閉じ込められていた。
 そこが敷地内の離れである小さな蔵なのだと知ったのは、次第に目が周囲に馴染んでいったことと、高い位置につけられていた風抜けのための小さな小窓を見つけたからだ。
 私は真実、箱の中に閉じ込められたのだ。
 
 勤め先には退職の手続きを済ませておいたから
 食事を運んできた母が笑った。
 あなたにはふさわしくないお仕事だったんだもの。お父さんがもっといいお仕事を見つけてくれるって言ってたわよ。
 そう言って無邪気に笑う。

 このひとたちは
        このひとたちは、私からなにもかもを簒奪したのだ


 ある夜、何の前触れもなく、蔵の戸が開かれた。
 太陽を浴びず、ろくに風呂にも入れず、食事を摂る気力さえ削がれた私は、半ば倒れ臥したままうっそりと目を向けた。そうして、悲鳴をあげたくなるほどに歓喜した。
 蔵を開けてくれたのは父でも母でもなく、あのひとたちが金を渡し縁を切ったと笑った、私の婚約者だったのだ。
 這うように彼に寄り、歓喜の涙にむせぶ私を、彼は優しく抱きしめてくれた。そうして軽々と抱き上げて、そのまま家からの逃避をはかろうとしてくれたのだ。
 が、その次の瞬間、彼は私を抱き上げたままの姿勢で崩れ落ちた。
 初めは理解出来ずにいたが、けれども彼の後ろに父母の姿を見たときに、私は瞬時にして悟ってしまった。
 彼は、父母が手にしている鈍器で頭を割られたのだ。
 悲鳴をあげることも、泣き喚くことも出来なかった。逃げることも、それだけの気力もなかった。
 
 気付けば、私は父の運転する車の後ろにいた。
 この子は最初から出来損ないだった。父が抑揚のない声で告げる。助手席の母がそれに賛同して手を叩いた。
 お腹の子は上手く育てましょう。
 無邪気に笑うその声に、私は内心小さく笑った。
 
 このひとたちは本当に狂っている。



 ◇



「シュライン!」
 大きく肩を揺すられ、シュラインはふと目を開けた。
 すぐ目の前に武彦の顔がある。
 心配そうに自分の顔を覗き込んでいる武彦に微笑みかけて、シュラインは「大丈夫よ」と返した。
「武彦さん、今何時ぐらいかしら」
「――? 九時前だが」
「そう、……一時間も経ってないのね」
「どうかしたのか?」
 問われ、シュラインは静かに笑う。
「依頼人のところに行きたいの。――付き合ってくれる?」


 ◇


 写真を持ち込んだ依頼人は、それから数日の後に地元の警察に出頭を命じられたらしい。
 容疑は十四年ほど前の殺人容疑。老夫婦は十四年前、当時はまだ一人娘であった長女の失踪届を提出していた。が、このたびその遺体が発見されたのだ。
 次いで、依頼人の自宅内にある開かずの蔵の最奥からミイラ化した男の遺体が見つかった。検死の結果、死因は頭部を殴打されたことによるものであるらしい。

「あの夫婦は、かつて自分達が殺めた娘が沈んでいる場所を旅行と称して訪れていたんだな」
 言って、武彦は苦悩まじりに深いため息を落とす。
「こんなこともあったわよねって、懐かしむみたいな気持ちで行ったみたいよ」
 シュラインが返す。
「時効の直前だったみたいね。……皮肉なものだわ」

 あの女は、たぶん、自分を殺めた相手を糾弾するために姿を現したのだろう。
 あるいは、恋人を殺めた相手を糾弾するためであったかもしれない。いずれにせよ、あの夫婦はこれから罪状を曝され法のもとに断罪される。それはあの女の望みであったのかどうか、それすらも定かではないのだが。

「なんにせよ、これで写真の女も往生できればいいんだがな」
 写真をひらひらと揺らしながら武彦が肩を竦める。
 シュラインは「そうね」とだけ告げて、ひらひらと揺れるその写真に目を落とした。


 カメラのレンズに張り付いているかのような、画面一杯にしがみつく女の顔。指をこちらに向け、覗き見える眼光には昏い狂気が滲んでいる。
 口許を確かめる術はないが、しかしおそらくは満面に歪んでいるのだろう。

「……せめて、それを願うしかないわよね」








Thank you for the order.
meet you by somewhere again.

MR   2007 08 09