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<東京怪談・PCゲームノベル>


過去の労働の記憶は甘美なり

 篁コーポレーションにある、特別更衣室。
 そこに据え付けられているドレッサーの鏡に映る自分を見ながら龍宮寺 桜乃(りゅうぐうじ・さくの)は溜息をつきながらメイクをしていた。
 ここが更衣室だと知っている者は少ない。
 何故ならここは社長室のあるフロアの一階下で、入室に制限があるからだ。カードキーがなければ部屋を開けることも出来ない。それぐらい入るのに大変な場所。
「本当に容赦ないわぁ……」
 鏡に映る自分の表情はいつもとうってかわった別人だ。ウィッグで髪型も変えているし、赤い瞳もコンタクトで色を隠している。
 よく見るとこの部屋は、更衣室というよりも舞台の衣装部屋のようだった。
 たくさんの化粧品にウィッグ、衣装……それらがきちんと整頓され、不思議な雰囲気を漂わせている。
「社長自らの命令だし、本当に大事なんだろうけど……」
 ふぅ。
 溜息が口から漏れる。社長……篁 雅輝(たかむら・まさき)は、Nightingaleに対して与える任務に遠慮がない。その命令に従うからこその個人組織であり、その忠誠があるからこそのNightingaleだ。
 だが……。
「あー、一目見ればどんなタイプでも再現できる事黙っときゃ良かったわ」
 手渡された資料を確認し、桜乃は雅輝に言われた言葉を思い出していた。

「今日は大事な商談があるから、桜には受付嬢をしてもらいたいんだけれど」
「はい?」
 急に呼び出された社長室で今日にそんな事を言われた桜乃は、最初雅輝が何を言わんとしているのかが分からなかった。ちなみに、社長室に入るのには雅輝の許可がいる。許可なしでに出入り出来る者は、Nightingaleでもほとんどいないらしい。
「えーっと、受付って普段もやってますけど、改まってと言うことは普通の受付じゃないんですね?」
 そう聞き返すと、雅輝が嬉しそうに目を細めた。
「察しがいいと助かるね。今日の商談は凄く大事な相手なんだ」
 それを皮切りに、雅輝は「受付嬢をやって欲しい」という意味を桜に説明し始める。
 曰く、今日の商談を絶対落としたくないから、桜乃の変装で相手の好みの女性を演じて、隙を作りたいと言うことだった。
「それって、いわゆるハニートラップですか?」
「そうとも言うね。誰だって自分の好みの相手に応対されて、場所まで案内されたら気が逸れる。それぐらいやらないと、若いってだけで僕は損してるからね」
 若さで損していたとしても、雅輝の管理能力とカリスマはある意味大きい。だからこそ二十七歳の若さで篁コーポレーションという大きな会社の社長の座にいて、それを支えるための人もたくさんいる。
「うーん、変装ですか」
「僕が聞きたいのは『出来るか出来ないか』だけだよ」
「いや、そりゃ出来ますけど」
 雅輝の目が何か企んでいるようにすっと細められる。こういう笑い方をするときは、もう断るはずがないと踏んでいるときだ。
「別に出来なかったら、無理してやらなくてもいいよ」
「やります」
 またこのペースに乗せられてしまった。
 別に出来なかったら……とは言ったが、本当に出来ないと雅輝は全然思っていない。
 桜乃の性格として「じゃあ別にいいよ」と引かれると「出来ます」と前に出てしまうのを分かっていて、それを上手く利用しているだけなのだ。
 絶対記憶を持っていたからと言って、性格が変わるわけではない。そう言われるというのは分かっている。そしてそこで「出来ない」と言えば、雅輝は別の誰かに頼むだろう。桜乃はそれが嫌なのだ。
 満足そうに笑って頷いた雅輝が、桜乃に資料を渡す。その表紙には「社外秘」としっかり書かれていた。
「詳しいことはそれに書いてあるから。よろしく頼むよ」

「いっつも雅輝さんのあのペースに乗せられちゃうのよね」
 とはいうものの、面倒な仕事ではあるが信頼されていることに悪い気はしない。桜乃はぱらっと白い表紙をめくる。
 今日の商談相手は三社。資料には各社に関する細かいことと、誰が決定権を持つかなどの情報が載っている。抜け目ないというか、これがあれば攻略も簡単な気はするが、より確実に成功させたいのだろう。
「最初はM商事で決定権持つのは……あーこいつか」
 決定権がない者を落としたって仕方がない。その辺りの援護射撃は桜乃にかかっているというわけだ。
「くそー、イケメンなのにもったいない」
 写真に写っているのは、そのまま俳優としてもやって行けそうなほど、美形の青年。やり手の営業だというのも桜乃は知っている。
 だが、彼には秘密がある。
 涼しげなイケメンの彼は、実は二次元オタクだ。そんな事までしっかり調べられている。
「じゃあ、彼好みの女の子に変装……っと」
 資料をドレッサーに置き、桜乃は立ち上がってウィッグなどを見繕い、慣れた手つきで変装を開始した。

「M商事様ですか?ご案内しますのでこちらへどうぞ」
「あ、ああ。ありがとう」
 受付に座っていたのは、ツーテイルでアニメ声の女の子だった。好みの所を見て、彼が好きだというアニメに出てくる女の子に、わざわざ外見を似せたのだ。
「ただいま社長をお呼びしますので、少々お待ち下さいませ」
 口調も、身につけているアクセサリーも全て変えてある。知っている人が見ても、これが桜乃だとは皆気付かないだろう。
 このままでも商談は進むが、桜乃はお茶を出すとだめ押しにこう言った。
「ご縁があることをお祈りしています」
 彼が好きなアニメのヒロインの決めぜりふ。にっこりと頬笑む桜乃に、彼は頬を少しだけ染めて「はい……」と一言呟いた。

「……ちょっとアニメ台詞はキツかったわ。色々」
 受付席でM商事ご一行を見送った後、桜乃は大急ぎで更衣室に戻ってきた。
 商談の方はかなり上手く行ったらしい。心の中で「きっつ!アニメキャラきっつ!」と思いながら演じた甲斐があるというものだ。
 だがまだ後二社残っている。桜乃はウィッグを取ると次の資料に目を通す。
「次のO工業はあの渋いおじさまね。昔気質で貞淑な大和撫子好み……じゃああれで行こうかな」
 新しいウィッグを手に取り化粧を直す。
 さっきはつけまつげまでばっちりしていたが、今度はそれを外して細いアイラインを引き、口元は凛とした感じの朱。着ていた制服も先ほどとはブラウスを変えて、清楚な印象を持たせる。香水も匂い撫子などの和風のものに変える。
 何分か後、鏡の中にいたのは長髪と清楚な態度の大和撫子そのものだった。彼は昔気質で、貞淑な大和撫子好みだという。
「髪の毛よーし、ウィッグよーし。後は話し方をちょっと変えて、こっちのペースに乗せるだけね」

「O工業のものだが……」
「いらっしゃいませ。O工業様でいらっしゃいますね。ただいまご案内いたします」
 黒髪で清楚な女性が受付から男性を案内する。背筋はしゃんと伸ばし、言葉は控えめに。案内するときもしずしずと廊下を歩く。
「ただいま社長をお呼びいたしますので、少々お待ち下さいませ」
 そして凛とした雰囲気を漂わせながらも、周りから一歩引くようにし、お茶を出すときの手つきも優雅に。
「粗茶でございます」
 茶托の上に乗せた客用湯飲みを出す。ちなみに桜乃自身がお茶っぱを量って入れると、薄すぎて味がないか、濃すぎて飲めたものじゃなくなるので、あらかじめ急須に用意されていたものだ。
 客を少しだけ待たせるのはこちらの作戦である。その間桜乃が相手をすることで、好みの女性の印象を焼き付け油断させ隙を作り、商談が上手く行けばこっちのものだ。話をまとめるのは雅輝の仕事であって、自分の仕事ではない。
「お疲れ様です。失礼致しました」
 彼とは詳しく話さなくても良いだろう。自分が注目されていたというだけで、成果はある。
 さて、残りはあと一つ。無事に終わればいいのだが……。

 最後はRゲートという、ソフト開発で急成長した会社だった。桜乃でも初耳だったので、本当に突然何かがあって成長した会社なのだろう。
「不細工だわー。歳は雅輝さんと同じぐらいなのに、顔の出来は全然違うわね」
 黒いポロシャツを着た小太りの男。その写真を見て桜乃は何かを直感した。
「こいつ、絶対逮捕されるわ」
 こういうときの桜の勘は良く当たる。これは早々に手を切った方が良いだろう……後で雅輝に知らせなければ。
「これはちやほやで喜ぶ顔ね。ミーハー女でいこ」
 そう呟くと、桜乃はまたウィッグを撮り化粧をし直した。

「ソフト開発ってすごいですね。私、そっちの会社に移っちゃおうかな」
 ウェーブのかかった髪に明るめの化粧。そして不自然なほどの褒め言葉。だが言われた本人はまんざらでもないように、笑みを浮かべ名刺を差し出した。
「これ、僕の連絡先だから、うちの会社に来たくなったらいつでもおいで」
 商談の場にまで黒いポロシャツとは。
 心の中で、社長がそんなダサイセンスの会社になんて絶対行かないと思いつつも、桜乃は一生懸命相手を持ち上げる。
「ありがとうございます。最近有名ですよね」
「そうだね。今度、サッカーチームやテレビ局を買い取るつもりなんだ。そうなったら会社ももっと大きくなるから、もしかしたらこの会社がうちの子会社になってるかも知れないね」
 ハハハ……という笑い声。
 ……なんでうちの会社があんたの下につかなきゃなんないのよ、逆でしょ逆。つか、そんな会社そもそも下につけないけど
 そう言いたいのをぐっと堪え、少しはしゃぎ気味に手を叩く桜乃。
「そうなったら私の上司ですよ。すごーい」
 本当はちっともすごいなんて思っていないが、桜乃はしばらくミーハーに色々な話題を聞きつつ、心の中で舌を出した。
 こんな演技にだまされているようじゃ、やっぱり先は見えている。

「疲れたぁ……」
 三社の対応が終わり、すっかりくたびれた桜乃は、変装したまま休憩室でごろりと畳の上に転がっていた。するとコンコンとノックの音がする。
 キィッと音を立てて戸が開くと、そこには桜乃の友人でNightingaleの同僚でもある葵(あおい)が手にパン屋の包みを持って立っていた
「あら葵ちゃん」
「お疲れ様ですわ、こちらにいると伺ってきましたの。こちら桜さんに差し入れですわ」
「差入れ?キャー葵ちゃん大好き!」
 がばっと起きあがり、早速渡された包みを開ける桜乃。葵はそんな様子に苦笑する。
「首尾はどうですの?」
「演技大変よぅ……でもやっと終わったー」
「お疲れ様ですわ」
 それだけ言うと、葵は出口の方へ振り返る。
「もう行くの?」
 もしかしたら、差し入れを持ってくるためだけに来てくれたのだろうか。それに嬉しさを感じる反面、ゆっくり話せないちょっとした寂しさもある。
 だが葵は桜を見て微笑みながらこう言った。
「これから仕事の話がありますの。遅れるわけにはいきませんもの」
 仕事の話ということは、これから雅輝に会うのだろう。桜乃はちょいちょいと葵を呼び寄せる。
「雅輝さんにに会う?なら伝言して欲しいことがあるんだけど」
「何ですの?」
「Rゲートの見積書、巧妙に嘘書いてるわ。落した書類チラッと見たの」
 普通の人間なら、それを見ただけで何が書いてあるかも分からないだろう。だが桜乃はそれが目に入れば絶対忘れない。そして何が書いてあり、どんな意味を持っているかもちゃんと分かる。
「分かりましたわ。雅輝様にお伝えしたらいいんですのね」
「うん、お願い」
「では失礼致しますわ」
 ドアがバタンと閉まり、足音が遠ざかっていく。包みの中にはシナモンロールと揚げパン、そして牛乳が入っていた。
「んー、差し入れも美味しそうだけど、戻る前に逆ナンを……」
 そう思って伸びをした瞬間だった。持っていた携帯電話が鳴る。電話は雅輝の秘書である冬夜(とうや)からだった。
「はい、桜です」
 恐る恐る出ると、冬夜は挨拶もなしにこう言った。
「報告書を作成するから、変装は元に戻して秘書室に来い。鍵は開けてある」
 直々の呼び出しだ。折角変装したままで、逆ナンしようと思っていたが、行かなければ後々恐ろしいことになる。
「りょーかい」
 折角いつもの自分と違う姿で声をかけたかったのに。
 心の中で「くそー」と思いつつ、桜はウィッグを取って自分をパタパタと扇いだ。

fin

◆登場人物(この物語に登場した人物の一覧)◆
【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】
7088/龍宮寺・桜乃/女性/18歳/Nightingale特殊諜報部/受付嬢

◆ライター通信◆
ありがとうございます、水月小織です。
容赦なく雅輝に仕事を振られ、変装して受付嬢をするとのことでこんな話を書かせていただきました。元ネタの会社はそのまま使うとアウトなので、微妙に変えてあります。
変装で他人になりきれるネタがが書けて、面白かったです。ツーテイルの桜乃さんはちょっと見てみたいですね。
リテイク、ご意見は遠慮なく言って下さい。
また機会がありましたらよろしくお願いいたします。