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<東京怪談ノベル(シングル)>


星供

 七夕の祭りというのは、本来七月七日の早朝に行うものらしい。
 流石にそこまで正式にすることはないと思うが、黒 冥月(へい・みんゆぇ)が、太蘭(たいらん)の家に来たのは、まだうっすらと朝靄の残るひんやりとした朝だった。
 夏の日は昇るのが早い。
 まだ人影も少ないのに、何だか今日は天気が良さそうだ。それでいて朝独特のひんやりとした静謐な空気が心地よい。
「流石に少し早かったか?」
 家の近くに来るまではそう思っていたが、目印の大きな蜜柑の木が見えてくると太蘭は既に作務衣姿で玄関先を箒で掃いていた。
「おはよう、冥月殿。流石に今日は早いな」
「太蘭翁こそ、いつもこんなに早いのか?」
 まだ朝の六時にもなっていないはずなのだが。それを問うと太蘭は箒を動かす手を止め、冥月を見て笑う。
「俺は大抵こんなものだ。五時には起きている……冥月殿こそ、こんなに早く来るとは思っていなかったが」
「朝露を集めるのなら早い方が良いと思ってな」
 今日の夜は、太蘭の家を会場にして七夕祭りがある。その時に短冊を書くのだが、なんでも芋の葉の露で墨を擦り、それで短冊を書くと願い事が叶うという。
 この時間にやってきたのは、太蘭に稽古をつけてもらうためでもあったが、その前に朝露集めを手伝うと約束していたからだ。
「なら、先に朝露集めをしてしまうか。今日は人数が多いから、多めに集めた方が良いだろう」
「ちょっと待ってくれ、その前に……」
 稽古で世話になるのだから、先に持って来た手みやげを渡すのが礼儀だろう。
 冥月は影の中に入れてあった夏蜜柑と伊予柑の箱、そしてクーラーボックスに入れた鮎を見せた。
 太蘭には、亡き彼の日本刀を直してもらったときから世話になっている。なので好物でも持って行こうと思い、何が好きかを聞いたら「蜜柑とかの柑橘系の果物と、今の季節なら鮎」と言ったのだ。酒とかと言われると思ったのだが、こういうのも太蘭らしい気がする。
「夏蜜柑は一人二個、鮎は参加者と、猫全匹に一匹ずつ出しても十分余る量を持って来た。皆で食ってくれ」
「すまない。家の冷蔵庫には入りきらないので、支度をするまでは冥月殿に預けておいてもいいか?」
「ああ、そのつもりだ。鮎は仕事帰りに自分で釣ったものだから、新鮮だぞ」

 家には何度も入ったことがあるのだが、庭の方まで回るのは初めてだ。蔵と鍛冶場があり、その奥の片隅に家庭菜園が作られている。支えをつけられたトマトや茄子、キュウリなども朝の光をさんさんと浴びていて、緑が濃い。
「芋はこっちだな。水差しがあるからこれに入れてくれ」
 あらかじめ縁側に出してあった盆の上に、鋏と水差しが二つ置いてあった。
 太蘭はなにげに渡してはいるが、水差しは端渓石で作られたかなり良いものだ。普段から使っているのだろう。持ち手や蓋の部分などに良い艶が出ている。冥月は思わずそれを手に取り感心した。
「流石太蘭殿。良い物を使っているな」
 普段から本物に触れ、それで生活しているという贅沢。それでいて、自然なのだからやはり感心してしまう。太蘭は葉の上に乗っている露が落ちないように、片手に鋏を持ちもう片手で芋の葉を持っている。
「そう言って頂けるとありがたい。冥月殿の影を使えば露集めも簡単であろうが、今日はこれも修行の一つとして、鋏を使ってお願いしたいのだが」
「分かった」
 影を使うことに慣れていると、自分の感覚が多少鈍る。今日の稽古でも剣術の型を見てもらうのが目的だ。太蘭に習って冥月も鋏を使い芋の葉の露を集める。
「意外と緊張するものだな」
 小さな動きが、葉の上で玉になっている露を揺らす。
「日々何事も修行だ」
 そう言いながら太蘭は笑っているが、手元に持っている葉の玉が揺れる様子もない。普段通りの動きが、既にある域を超えているということか。
「やはり私もまだまだだな」
 霊的なもの意外ならほぼ無敵を誇る冥月でも、太蘭を見るとまだ自分は未熟だと感じてしまう。おそらく影を使って不意を打ったとしても、かわされるどころか返り討ちに遭うだろう。
 そんな事を思っていると、葉の上の玉がこぼれ落ちそうになる。
「あっ……」
 慌てて体制を立て直し水差しに朝露を注ぐ。
 やはりまだ修行が足りないようだ。

「では見せて頂こうか」
 朝露を集めた後朝食を取り(太蘭が既に用意していた)、稽古着に着替えた冥月は、星座をして太蘭と向かい合っていた。家の中にある道場は板張りで、床が黒光りしている。
「お願いします」
 腰に下げているのは真剣……太蘭が昔打ち、亡き彼が使っていた愛刀「不断桜」だ。下緒で固定された鞘から、刀を抜き構えようとした瞬間……。
「やはり肩に力が入りすぎだ。刀を抜くならこう……」
 まだ抜いていないのに、指摘が入ったか。
 だが実際太蘭が自分の横に立って抜く構えをすると、如何に自分の肩に力が入っているかがよく分かる。水から引き抜くようなその静かな動きに、冥月ももう一度刀を抜く構えを直す。
「理想は抜くと思わせないぐらい、静かな動きから抜き身に入ることだ。刀を抜くときが死ぬときだという訳ではない」
 確かにその通りだ。死ぬために戦うのではなく、生きるために戦う。その為に稽古をしているのだが、やはり太蘭は厳しい。
「刀を持たない側にこそ気を残せ」
「そのまま振り下ろした後、その刀をどうする?影なら一瞬で対処できるだろうが、刀はそう行かないぞ」
 どうしても影を使っているときの感覚があるせいで、前よりも厳しく駄目出しをされる。自分ではかなり良くできたと思っている居合いの型も、太蘭からするとこうらしい。
「冥月殿なら、これぐらいは出来て当然だろうな」
 自分で稽古を頼んでおいてなんだが、かなりへこむ。結構苦労して掴んだのだが、それすら出来て当然なのか。
 しばらくそうして素振りや型の練習などを繰り返し、段々余計なことを考えなくなってきた頃、太蘭は一度稽古を止めた。
 どれぐらいやっていたのか時間の感覚が怪しいが、冥月は既に汗だくになっている。
「一人稽古ばかりやっても仕方ないから、一度手合わせするか。刀はこれを使え」
 休憩している冥月に太蘭が渡したのは、不断桜とほぼ重さやバランスの違わない無銘刀だった。無論真剣で、刃もついている。
「これで手合わせをするのか?」
 手ぬぐいで汗を拭きながらの冥月の言葉に、太蘭は涼しい顔でふっと笑う。
「真剣でやらなければ意味がないだろう。俺は刃のついていない物を使うが、本気でかかってこい」
 おそらく、刃がついていなくても太蘭の力は相当なはずだ。だが手合わせまで行けたということは、前よりは良くなったのか。汗を拭い、冥月は刀を抜いて中段の構えを取る。
「………!」
 刀と刀がぶつかる緊張感。
 型の練習よりもやはり手合わせの方が心が晴れる。思い切り切り込む刃をかわされても、刀も体も踊るようだ。
 何だか、亡き彼との稽古を思い出す。
 彼も手合わせの時は踊るようだった。軽々と刀を振るいながら、冥月に今のはどこが悪かったなどを教えてくれた。太蘭はそういうことは言わないが、それでもやっぱりこうしているのは楽しい。
 だがそれを太蘭は見逃さなかった。
「……心ここにあらずだな」
「うっ」
 手加減されているはずなのに、段々剣を捌ききれなくなる。さっきまでは自分が打ち込んでいたはずなのに、今は防戦一方で、かわしきれない足や肩に切っ先がとんできた。しかもかなり追いつめられている。
「あ、や、ちょっ、ちょっと待って……」
 焦っていたことと、彼のことを思い出していたせいで、誰にも見せたことのない素の反応が出てしまう。そんな言葉が口から出たことに、冥月は更に焦る。
「隙あり!」
 パン!と首筋に鋭い痛み。
「きゃんっ!」
 気が付くとバランスを崩し壁の側まで吹っ飛んでいた。倒れたまま天井を見つめていると、視界の中に太蘭が入り目を細める。
「真剣なら今ので死んでいたな。午前はこれぐらいにしよう、何事も長くやればいいというものではない。しばらくそこで休んでいろ」
 返事をしたいがへとへとで声も出ない。多分打ち込まれたところは痣だらけだろう。太蘭が道場から出て行く気配を感じ、冥月は仰向けになったままぜぇぜぇと胸を上下させた。額から流れる汗を拭う気力もない。
 その時だった。
「ニャー」
「うっ」
 白黒の成猫……国広(くにひろ)が、倒れている冥月の胸の上に乗ってきた。そして目を細め喉を鳴らしながら、器用に冥月の顔を舐める。確か国広は四匹の子猫の母猫だから、もしかしたら自分も子供扱いされているのかも知れない。それが何だか可笑しくて、冥月は苦笑した
「昔は動物に嫌われたのにな……」
 暗殺者をやっていた頃は、殺気や死臭に敏感ですぐ逃げた。なのに今は撫でてやる元気もない。
 冥月がじっと見つめたまま息を整えていると、国広は箱座りになって大きくあくびをした。

 午後もたっぷりしごかれ、また同じように床に倒れて猫に乗られたところを七夕の準備に来た子に見られ「お、起こすの手伝います…国広ママはちょっとどいて下さいね」と助けられたりもした。
「本当に真剣だったら何度死んでるか」
 汗を流すために借りた温泉で、腕や体に出来た痣を見る。自分では見えないが首元に打ち込まれたところも赤くなっているだろう。範囲は広くないが、確実に急所を狙った鋭い動き。なのに殺気はなく水のようで……。
「………」
 生きていく理由がまた増えたようだ。
 水のように姿を変える変幻自在の剣術。決まった型はないが、その代わりどんな状況にも対処できる動き。
 それが身に付けば、太蘭が目指す「神斬りの刀」を扱うことが出来るのだろうか……。

 心配していた天気は、どうやら大丈夫だったようだ。もし雲がかかっていたりしていたら影を最大まで展開して太蘭の家の上空だけ雲が入れない様にし、天気を強制的に晴れにする気だったのだが、きっと皆の願いが通じたのだろう。無論冥月も晴れればいいと思っていた者の一人だが。
「短冊か……」
 一枚目は皆と一緒に書いた。だがこれに書いた事は天に届くという。皆が酒を飲んだり花火に興じているうちに、冥月はそっと筆を取り短冊をもう一枚書くことにした。
『川を渡るのは、あと半世紀は待っててくれ』
 まだ当分天の川もどこにも渡るつもりはない。自分で集めた朝露で擦った墨は短冊の上を軽やかに滑る。それをそっと笹の葉につるし、冥月は皆を見ながら酒を飲んでいる太蘭の横に座り酌をした。
「一杯どうだ?」
「ああ、すまない。今日はお疲れだったな」
 稽古のことを言っているのだろう。今度は太蘭が冥月のグラスに酒を注ぐ。
「いや、久々にああやって体を動かすと、色々気付かされることがある」
 太蘭は何も言わずに、少し頬笑んで酒を飲んでいる。そう言えば、さっき素に戻ったところを見られてしまった。普段はクールなのに、彼の前で見せていた女である部分……それをあえて言わないでくれるところがありがたい。
「……神が恐れる刀は打てそうか?」
 ちびちびと酒を飲みながら冥月が聞くと、太蘭は少し空を仰いで何かを考えるような仕草をする。
「どうだろうな。昔からずっと考えていることだから、いつかそのうち打てるだろうぐらいの気持ちでいるが」
 さらりと言っているが、それはとてつもない目標だ。神を斬るという目的……それはどこにあるのだろう。そして、何故そんな刀を打とうとしているのだろう。
「太蘭翁は何故、そんな刀を?」
 そんな言葉が口から滑り落ちる。
 太蘭は黙ってグラスの中身を飲み干すと、ふぅと小さく溜息をついた。
「そうだな……斬りたい相手がいるからか。その刀でないと、きっとそいつを斬り殺すことが出来ない」
「それを私が斬ってしまってもいいのか?」
 それが何なのかは、きっとまだ教えてはくれないだろう。だが、それだけの想いがある物を、自分が手出ししてもいいものか。
「俺は刀匠だから、斬るのは使い手に委ねるほうがいい。自分で斬ろうとすると、それこそ雑念が入るのが目に見えている」
 水のように静かに剣を振るう太蘭でも、そんな事を言うのか。
 酌をしようとすると、太蘭が目を細めて冥月を見た。
「その為には、冥月殿にもっと頑張ってもらわねばな。これで根を上げたのでなければ、また稽古に来るといい」
 なかなか先は遠そうだ。
 だが、退屈はしないですむだろう。いつか
「……やはり、まだ渡れそうにはないな」
 掴みたいものも守りたいものもある。だから、川は渡れない。
 天に光る星を見つめ、冥月は静かに目を閉じた。

fin

◆ライター通信◆
いつもありがとうございます、水月小織です。
異界で行った七夕のサイドストーリーということで、話を書かせて頂きました。普段は梅を漬けたりして暮らしている太蘭ですが、刀と剣術のことになると淡々と厳しくなります。
手合い中に彼のことを思い出して、女の子らしい面を見せたりするところにときめきました。皆に見せてない面を太蘭は見てますね…。猫に乗られたりしていて、少しほのぼのです。
神斬りの刀に関しての話も、少し出させて頂きました。
リテイク、ご意見は遠慮なく言って下さい。
またよろしくお願いいたします。