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消えた探偵・前編
１．
「……お兄さん？」
扉を開けながら声をかけた零は、返事がないことを確認すると小さく息を吐いた。
「まだ帰っていないのかしら……」
先日、草間が出かけていった姿は零も確認している。
きっかけは１本の電話だった。
その電話を受け取り、零には聞こえないように潜められた声で二言三言話していたかと思ったところ、草間が「わかった」とだけ言って電話を切った。
草間はここしばらくある事件を調べていた。おそらくそのことに関する内容だったのだろう。
事件では確か人死にも出ていたはずだが、詳しい事件の内容を草間は零には語ろうとしなかった。
何か問題でもあったんですか？ と聞こうとした零にその間も与えず、草間は出かける準備を手早く終えていた。
「出かけてくる。数日連絡が取れないかもしれないが……って、おいおいそんな心配そうな顔するなよ」
最後の言葉は零を労わるような『兄』らしい口調だったが、草間にしては珍しく厳しい顔つきを終始していたことを零は覚えている。
そして、それ以来草間からは何の連絡もなく、行方もわからない。
携帯に何度も連絡を試みたが通じない。
最初はあの兄なら大丈夫だと思っていた零だが、ここまで長く連絡も取れなくなっては流石に不安になってきた。
「お兄さん、いったい何処に……」
そう呟きながら、零は普段ならそこに座っている者が不在の椅子を心配そうに見つめたとき、その声はした。
「なんだ、あいつは留守か？」
伊葉の姿が、そこにはあった。
２．
零に勧められるまま事務所に入り、主の不在を改めて確認した後、伊葉は零に状況の説明を求めた。
草間がこの数日音信不通であること、なにやら厄介な事件に関わっているようだが詳細は零には聞かされていないこと。
話を聞き終えて、伊葉はしばらく考えるようなポーズを取ってから口を開いた。
「そうだな、奴がいないとなるとこの探偵所も寂しいからな」
そしてこんな探偵所に持ち込まれてくるような怪しい事件を解決する探偵というのもこの街には必要だ。
「よし、いっちょ協力しようか」
「あ、ありがとうございます」
気風良くそう請負の言葉を放った伊葉に、零は心底嬉しそうに頭を下げた。
が、その後に取った伊葉の行動に零は困惑した顔を見せたのも無理はない。
「あの……勇輔さん、その格好は？」
「ま、奴の代理っちゅうことでと思ってな」
何か準備をしてくると一旦出て行って戻ってきた伊葉の姿は先程までのものと変わっており、黒スーツに黒のソフト帽、おまけに黒のサングラスといういでたちは、ひと昔前に流行った探偵ドラマの主人公にそっくりのものだったのだが、生憎と零はそのドラマを知らないらしく怪訝な顔で伊葉を見ている。
「あれ、零ちゃんはこのドラマ知らないか？」
「ドラマなのですか？」
零の反応についそう聞いた伊葉は逆にそう尋ね返されてしまう始末だったが、それは置いておいて本題について改めて伊葉は聞くことにした。
「手がかりは、本当に何もないのか？」
念の為そう聞いても、零は暗い顔で頷くことしかできないようだった。
このまま此処にいても良い解決策は浮かびそうにもない。
「草間の奴がいなくなったときには零ちゃんしかその場にいなかった。その零ちゃんから手がかりが掴めないのなら、別を当たるしかないな」
思いついたことを確認するような伊葉の口振りに、零は先程とは違う意味で訝しそうな顔をして伊葉の顔を見つめてくる。
「別と言っても、あそこには私とお兄さんしかいませんでしたよ？」
「だから、現場にいなくても状況を知ることができる相手に聞くんだよ」
「それは、犯人に直接……ということですか？」
それができるのなら苦労はしないのだが、伊葉はあっさりと違う答えを提示した。
「当事者でなくこの状況を知ることができる相手。それを読み取ることができる人間……占い師に視てもらうっていうのも手のひとつとして良いんじゃないか？」
３．
「お久し振りです。その節はお世話になりました……けれど、今日のお姿はどうされたんです？」
深々と頭を下げ礼儀正しく再会の挨拶はしたものの、それが限界だったらしく興信所へと呼び出された女性は耐え切れずにくすくすと笑ってしまっていた。
その顔には以前伊葉がこの事務所で出会った頃の影はない。
自分の死を予言し、その悩みを解決するために草間興信所へ訪れた占い師である彼女の事件の解決に、伊葉はひと役買っていた。
そのときの縁で知っている限り、彼女の力が本物であることも伊葉は知っていたし、使い方や彼女自身が受け取り方を間違えなければ良い方向へ導けるものだということも知っていた。
いまのように目に見える形で手がかりがないときにはうってつけの相手かもしれない。
「それで、私に御用とはいったいどうされたんですか？」
笑っていたのはしばらくの間で、それが過ぎた後彼女は真面目な面持ちになると伊葉にそう尋ねた。
「どうやら、良くないことが起きているようですが」
「それは貴方の占いで知ったのかな？」
伊葉の言葉に、彼女は小さく首を振った。
「探偵さんがおられない探偵事務所に私のような者が呼ばれれば、誰でも不審に思いますわ」
「その通り。その探偵がいま何処にいるのか、それを貴方に占ってもらいたい」
その言葉に、しばらく考えた後、彼女は首を縦に動かし普段使っているタロットカードをテーブルに並べ始めたが、すぐに考え込むような顔になって伊葉の顔を見た。
「場所までは特定することは難しいですが、よろしいですか？」
「だが、生きているかどうかはわかるでしょう？」
最低限の情報が得られれば彼女を呼んだ甲斐はあるというのが伊葉の考えであり、また超能力のような成果を占いに期待するほど浅慮でもない。
彼女も伊葉の言葉にその意を汲み取ったのか、「私の元を訪れてくれる人が伊葉さんのような方ばかりでしたら良いのですけど」と小さく笑ってからすぐに顔を引き締める。
行われたのは以前も見た、典型的なタロット占いだ。
数枚のカードを並べ、順序に従ってそれらを捲っていく。
「………」
「何か、わかったのかな」
「いえ……何も出ないのが不思議なんです」
困惑したような彼女の言葉に、伊葉は微かに眉を寄せた。
「何も出ない？」
「はい。草間さんの状況が、カードに現れないんです。まるで、この世界から切り離されているように」
その言葉に、伊葉の顔に険しい色が一瞬浮かんだが、すぐにそれに気付いた彼女が言葉を付け加えた。
「ですが、視える形としての『死』は訪れていません。もし、草間さんがすでに亡くなっているのでしたら、それがカードに現れるはずです」
「ということは、草間はおそらく生きてはいる。だが、『此処』以外にいるということになるのかな？」
「そう解釈するのが一番近いかもしれません」
お役に立てずと頭を下げた占い師に伊葉は軽く手を振って気にしないようにと伝えた。草間がまだ生きているということがわかっただけでも収穫だ。
後は、何が起きているのか、何処にいるのかがわかれば動けるのだが、肝心のそれが掴めないままでは動きが取れない。
「進展はなしか？」
このままだと当分自分が草間の代理をすることになるのだろうか等ということまで考えていた伊葉を遮るように、まだカードを捲っていた彼女が口を開いた。
「進展は、あるようです」
「ほう。それはどういう？」
伊葉の問いに、彼女は一枚のカードを更に捲くってから口を開く。それはまさに『占い師』としての口調だった。
「本来なら歓迎せざる……というところですが、伊葉さんにとっては良いことが起きます。招かれざる客がもうすぐこの興信所にやって来ます」
４．
「さて、何がやって来てくれるかな」
巻き込まれては危険ということで占い師の彼女は興信所から遠ざけてから伊葉はそう独りごちた。
招かれざる訪問者、すなわち事件に関わる者が占いによればもうじきこの興信所を訪れるらしいので、椅子に座って悠然と歓迎しても構わなかったのだが相手に逃げられては元も子もないということで扉からは死角になる位置で時刻もわからない相手を待つことになっている。
伊葉の江戸っ子気質からするとこういう「こすっからい」真似は少々気に食わないのだが、そうも言っていられない。
常に真正面から向き合うだけが能ではないことも政治家としての伊葉はよく理解している。
「あんまり待たせられるのも敵わねぇんだけどな」
奴さん、さっさと来やがらねぇものかと独り言ならではの素の言葉を呟いてから数十分ほど更に待たされた後、ようやくコツコツとこちらへ近づいてくる足音が聞こえてきた。
慎重深く、ドアノブを掴む気配が事務所の中にも伝わってくる。
ここで逃げられては敵わないと、じっと相手の気配を窺うが、中に人がいることを警戒している様子はあまりない。
扉に鍵はかかっていない。ゆっくりと、そのノブが回され、扉を開こうとしたまさにそのとき伊葉は思い切り内側からその扉を開いた。
「うわぁっ！」
予想外の不意打ちに、訪問者はそんな間の抜けた声を出して転がるように事務所の中へと入ってくる。その襟首を伊葉は無遠慮に掴む。
「な、なんだっ！？」
「なんだは俺の言葉だ。この事務所に何の用……」
と、そこまで言って訪問者の顔を睨みつけた伊葉の言葉が固まった。
「……草間ぁ？」
そこにあったのは行方不明のはずである草間当人の顔だった。
戻ってきたのかと思った伊葉だが、すぐにその顔が険しくなる。
「お前、誰だ？」
顔は確かに草間のものだが、伊葉が知っている『草間』とは違うモノだとすぐに感じ取った。
「おい、お前の顔は俺の知り合いによく似てるんだが、中身が違うようだ。その顔はいったいどうした？」
「なにを言ってるんだ？ 俺は紛れもなく草間武ひ……」
『草間』の言い分は伊葉が放った蹴りにあっさり遮られた。
「俺の知ってる草間はこんなのを簡単に食らうような奴じゃないんだがな」
突然の伊葉からの蹴りにまったく対応できなかった『草間』はその場に蹲っていたが、そんな様子には一切気にせず伊葉はそう言葉を放った。
「もう一度聞くぞ？ その顔は何処で手に入れた？ まさか、奴から剥ぎ取ったんじゃ──」
「ち、違う、違う！ 俺はただ、もらっただけだ！」
これ以上何かをされてはたまらないというふうに『草間』は慌てて伊葉にそう言った。
「もらったというのはお前が草間から奪ったってことか？」
「お、俺が自分でやったんじゃない！ 俺はただ顔をくれるって言うから……！」
「ちゃんと説明をしろ」
問答無用の伊葉の口調に、『草間』は必死に自分が知っていることを話し始めた。
「そいつは、顔をくれるんだ。何処からかつれてきた人間の顔を取って、俺たちに分けてくれるんだ。俺はただ顔が欲しくて……」
顔をくれるという表現に剣呑なものを感じ、ますます伊葉の顔は険しくなる。
「そいつは何処にいる」
拳を警戒しながら『草間』は一枚の地図を取り出した。
「それを辿ればそいつのいるところに着ける。な、なぁ、もう良いだろう？」
「いや、お前にはもうひとつ用がある。その顔を返しておいてもらわにゃ、奴を助けられないかもしれんしな」
その言葉に自分がどういう目に逢うか相手が理解する前に、伊葉は手加減なしに草間の顔をした相手を叩きのめした。
なんとも耳障りの悪い悲鳴を上げて気絶した相手を眺めていると、徐々にその姿が変化していく。
草間の顔が溶けるように消えていき、同時に人の姿でさえなくなっていった。
「……どうやら、その顔をもらってる奴らは人間じゃないらしいな」
そのことを確認すると伊葉は地図を眺めてから、ふんと鼻を鳴らした。
「さて、草間の奴を助けに行くか」
草間の顔を持っていたモノと良い、それに顔を与えているという相手、そして先程まで此処にいた占い師が言った「切り取られたような」という言葉を合わせるとどうやら相手は人間でもなければ『此処』とも少々違う場所に行かなければいけないようだが、今更この東京でその程度のことに怯んでいられない。
顔も戻ってると良いんだがなと心の中で呟いた後、伊葉の姿は興信所から出て行った。
了…？（後編へ）
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■ 登場人物（この物語に登場した人物の一覧） ■
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6589 / 伊葉・勇輔 / 男性 / 36歳 / 東京都知事・ＩＯ２最高戦力通称≪白トラ≫
NPC / 草間・武彦
NPC / 草間・零
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■ ライター通信 ■
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伊葉・勇輔様
この度は、当依頼にご参加いただき誠にありがとうございます。
以前登場しました占い師に助力をということで、前回のものを使用していただけたこと嬉しく思います。
事件についての概要はこちらで創らせていただけましたが、お気に召していただければ幸いです。
後半もよろしければお付き合いください。
蒼井敬 拝
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