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<東京怪談・PCゲームノベル>


某月某日 明日は晴れると良い

チェンジ ザ ボディ!

「……こんにちは」
 ノックの後、興信所にユリが顔を出す。
 いつもどおり、小太郎の顔を見に来たのだが、そこには小太郎は居らず、代わりに冥月がいた。
「おぅ、ユリ。どうした」
「……冥月さんこそどうしたんですか」
 冥月が興信所にいること自体には余り不思議な点は無いが、疑問が残るのはこの部屋の状況。
 テーブルの端から端まで、奇怪なモノが並んでいるではないか。
「……妙な行商人に売りつけられたんですか?」
「違う。こないだ洞窟探検した時の戦利品を整理していた所だ」
「……洞窟探検?」
 雫の提案で行われた、どこぞの神社所有の洞窟へ探検しに行った時の事だ。
 その奥には色々と不思議なものが放置されており、持ち帰り放題と言ったものの……。
「……それって結局、盗みですよね?」
「細かい事は気にするな。……まぁだが、ちょっと反省する所もあるな」
「……やっぱり悪い事はよくないです」
「いや、盗りすぎてしまって、どれがどんなモノだか把握しきれないんだ。面白そうだと思って欲を張りすぎた」
 テーブルの上に広がる不思議道具たちは大小合わせてかなりの数だ。確かにこれを全て把握するのは骨が折れるかもしれない。
 説明書は一つとしてついてないのだ。中身を知るにはどうにか試さないといけないのだが……。
「……試したんですか?」
「半分ぐらいはな。だが、あまり面白いものは無かったな。いきなり獣耳が生えたり、喋り方がおかしくなったり……意味がわからん」
「……冥月さん自身が試したんですか!?」
「いや、小僧を使ったりもしたが」
「……今すぐ撤収してください」
 ユリに睨みつけられても、とりあえず冥月に止めるつもりは無い。
「全部試してみない事には、またやるハメになるぞ。日を置いたって変わらん」
「……全部返して来れば良いじゃないですか」
「またあの馬鹿でかいサンショウウオやら、意味のわからんトラップがあるところに行けと? バカいうな」
「……だったらちゃんとした鑑定士とかに頼んだ方が……」
「それじゃ面白くな……いや、金がかかるだろう。その金はお前が払ってくれるのか?」
「……っう、そういわれると……」
 貧乏少女としては、なんとも反論できない。
 口篭ったユリを見て、冥月はまた鑑定を始めることにした。

「ユリにはどれがどんなモノかわかるか?」
「……いえ、そんな鑑定眼は持ち合わせてませんが……」
 言いながらもユリは手近にあった葛篭のような箱を手に取り、ジロリと睨みつける。
 だが、やはりそれがどんなものなのか、全くわからなかった。
「……因みに、これはどんな物なんですか?」
「まだ試してないが……ってコラ! 不用意に開けるな!!」
 と、冥月が注意するのも聞かず、ユリはその箱の蓋を開ける。
 すると中から桃色の煙が、一瞬にして部屋を埋める勢いで噴出したではないか!
「……こ、これってどういうことですか!?」
「知るか! ああもぅ、窓。窓開けろ。換気するぞ」
 この桃色の煙の中ではすぐ目の前すら見えない。
 すぐに換気しないと、興信所の主にも怒られるかもしれない。それは大した脅威ではないが面倒ではある。
 ……と思って窓に駆け寄ろうとしたのだが、その煙はすぐに晴れた。

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「……ふぅ、なんとも無かったみたいですね」
 と、冥月の声。
「意外にすぐ晴れたな。毒ガスでもなかったみたいだ」
 と、ユリの声。
 二人で違和感を感じたのは同時。自分の声が自分の体の中から聞こえない、代わりに他人の声が自分の身体の中から聞こえる、と言うのはこれほどまでに不思議な感じなのだろうか。
「……あ、アレ? どうしたんですか、これ!? 視線が高い! 肩が重い! でも体が軽い!?」
「身体が入れ替わったって……またか」
 そう、二人の身体が入れ替わっていたのだ。
 冥月の体の中にはユリの精神が入っており、ユリの体の中には冥月の精神が入っている。
「……また!? またってなんですか!?」
「お前には関係ない。とにかく、まずは元に戻らないとな。……確か影の中に元に戻すクスリがあったはずだが……」
「ぅおら、師匠!!」
 と、そこに小太郎が興信所に殴りこんでくる。
「いきなり妙な道具ぶつけられたかと思ったら、ずっと向こうの駅前までぶっ飛ばされたぞ、こら!」
 小さな大冒険を繰り広げてきたらしく、小太郎は肩で息をしている。
 多分、妙な道具と言うのは、今もテーブルに置いてある妙ちくりんなアイテムの一つだろう。
「……冥月さん! ホントに小太郎くんに試したんですか!?」
「そう言っただろうが」
 そんなつまらない嘘をつくほど冥月も暇ではない。
「……小太郎くん、大丈夫ですか? どこかに飛ばされた以外に、妙な道具で何かされませんでしたか……って小っさ!」
 冥月の体で小太郎に近寄ってみれば、視線のやたら下に小太郎の頭が位置する。
 いつもの調子であれば、どれだけ背伸びしてもこんな位置関係にはなるまい。
「おぅおぅ、人のコンプレックスを堂々と抉ってくれるな、外道師匠」
「……し、師匠!?」
「とぼけるな。そこに落ちてる妙な宝の山で記憶が吹っ飛んだとか言うなよ」
 そこでユリは再び気付く。そう言えば、今の所外見は冥月だったのだ。
 冥月もまた気付く。これは面白い事になったぞ、と。
「……あーあー、よし。こんなものか」
 小さく発声練習をし、俄かに眼に涙を浮かべて小太郎に抱きつく。
「……小太郎くん!!」
「うぉ、どうしたユリ!?」「……な、何してるんですか!?」
「……冥月さんが……冥月さんがいじめるの」
「なんだと!?」
 ユリ(冥月)から涙ながらに訴えられ、小太郎は冥月(ユリ)を睨みつけた。余談だがそれに小さく傷付く冥月(ユリ)。
「何されたんだ!? もしかして、また胸を揉っ……揉っ……」
「……なんで知ってるんですか、そんな事!!」
「……そうなの。っう……この身体、汚されちゃった……」
「この外道師匠がっ!!」
「……ご、誤解です! 冥月さんもそんな芝居しないで下さい!」
「……冥月さんこそ、なんですか、その喋り方」
 二人とも相手の事を冥月冥月と呼び合っているが、第三者の小太郎からしてみれば、どう考えても冥月(ユリ)の方が冥月なのだが。
「なんだ、師匠。俺を惑わすための策略か」
「……冥月さん、信用ないですね」
 この点に関して、冥月が信用されてない事は最早承知だが、冥月の身体になって体感してみるとまた違った感慨がある、とユリがしみじみ頷く。
「今度は何を企んでるんだよ?」
「……企むも何も、どう説明して良いやら……。あのですね、今、私と冥月さんの身体が入れ替わっていてですね……」
「……そんなのありえないですよ」
 冥月(ユリ)が必死に説明し始めようとするのを、ユリ(冥月)が出鼻をくじく。
 こんな面白い状況を易々と手放すわけにも行くまい。
「……いくらなんでも身体が入れ替わるなんて、無いですよね、小太郎くん?」
「え、あ、おぅ」
「……信じるんですか、その人のいう事」
 冥月(ユリ)に睨みつけられ、小太郎がたじろぐ。
 なんだか知らないが、本当のユリに睨みつけられたような気がしたのだ。
「なんなんだ、このプレッシャー……。いつもの師匠と違うぞ……?」
 ヤバイ、感づき始めたか! どうにかして引き伸ばさねば。
「……小太郎くん、私の言う事を信じてくれないんですか」
「え、あ、あの……」
「……やっぱり、冥月さんの方が信用されてるんですね……」
「い、いや、そうじゃなくてだな」
 小太郎が目に見えて動揺を始める。これでさっき感じた違和感も記憶から吹っ飛んだだろう。
「……じゃあ私の事を信用してくれますか?」
「そ、そりゃあ……」
「……小太郎くん! その人は嘘を言ってます!!」
 小太郎がユリ(冥月)の言葉を信用しかけた所に、冥月(ユリ)が噛み付いてきた。
 やはり易々と思い通りにさせてはくれないか。まずは冥月(ユリ)を遠ざける所から始めた方がいいかも知れない。
「……冥月さん、いい加減にしないと怒りますよ!」
「……あら、冥月さん。そんな所に影の穴が開いてますよ?」
 ユリ(冥月)に言われてそちらを見れば、確かに床に影の穴が。
 どうやら能力発動の引き金は冥月の精神の方に因っている様で、この穴はユリ(冥月)が開いたものだ。
「……ど、どういうつもりですか?」
「……確か何かを取りに行くって言ってましたよね。クスリ、とか?」
 ユリ(冥月)の言いたい事は、冥月(ユリ)に何となく伝わった。
 この状況をどうにかしたいなら、さっさとクスリを取って来る事だ、と。
「……上等です。すぐにクスリを見つけて来ますから、小太郎くん、待っててくださいね」
「な、なんだ、師匠。何か取ってくるのか」
「……そうらしいですよ。それまでゆっくり、二人きりで過ごしましょうか、小太郎くん」
 ユリ(冥月)は小太郎に擦り寄り、流し目で冥月(ユリ)を見やる。
「……こ、小太郎くん! 惑わされちゃダメですからね! その人は私に見えて中身は別ですから!」
「何言ってるんだよ、師匠」
「……良いから、冥月さんは早く行って下さい」
「……っく! すぐ帰ってきますから!!」
 口惜しそうに喉を鳴らした後、冥月(ユリ)は影の中に入っていった。今何を言っても信じられないと思ったのだろう。
 ここで穴を閉じてしまえば、おそらく冥月(ユリ)は当分の間、影から出てこないだろうが、そこまでやってしまうと少し可哀想か。
 とりあえず穴は開けたままにしておく事にした。
「……さて、邪魔者もいなくなった事だし……」
「は? 何か言ったか、ユリ?」
「……ううん、何も」
 心の奥で邪悪な笑みを浮かべ、ユリ(冥月)は小太郎に良いスマイルを見せるのだった。

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 中学生二人で座るには広いぐらいのソファに二人で座っていたのだが、何故か端っこに座る小太郎とユリ(冥月)。
 最初は真ん中に座っていたはずなのだが、ユリ(冥月)が小太郎に近付くので、何となく追いやられてしまったのだ。
「……どうして逃げるのかなぁ?」
「ど、どうしてって言われても……」
「……私と近付きたくない? 私と触れるの、イヤ?」
「そ、そんな事無いけど……」
 返答を聞き、『よかった』と呟いたユリ(冥月)は、小太郎の手を取って握る。
「ゆ、ゆゆ、ユリ!?」
「……だったら良いよね、手を握っても」
「え、あ、あの……」
 指を絡めて、強くもなく弱くもない微妙な力加減で手を握る。
 相手の意思を問うように。握り返してくれないのか、と尋ねるように。
 そんな微妙な力加減に耐えられなくなった小太郎は、突然ソファから立ち上がる。
「そ、そういや、お客が来てるのにお茶も出してなかったな! 今から淹れるから、そこで待ってろ、な?」
「……そんなの、別に良いのに」
「そういうわけには行くか!」
 小太郎はユリ(冥月)を振り切って台所へと入っていった。
 ユリ(冥月)もクスリと笑ってそれに続いた。

 台所でセコセコと働く小太郎。と言っても簡単に出来るティーパックでお茶を淹れているのだが、頭がテンパっているのでいつもどおり動けないのだ。
「おぉう、ユリ、座って待ってろって!」
 台所に入ってきていたユリ(冥月)に気がつき、小太郎は彼女の背中を押して台所から追い出す。
「……なに? 私が居たら何か不都合があるの?」
「べ、別にそういうわけじゃねぇけど……お客様に心配されるような事じゃない」
「……お客様……ね」
 ユリ(冥月)は節目がちに呟く。
「……私は小太郎くんにとって、ただのお客様でしかないのか……」
「た、ただのって事は無いだろ。ユリは大事なお客さんで、大事な友達だろ」
「……お客さん……友達……」
 ユリ(冥月)は、小太郎から距離を取って背を向ける。自分で自分の腕を抱き、寂しそうに俯く。
「……私たちってまだそんな関係なのかな?」
「ど、どういう意味だよ」
「……小太郎くんは、私の事をどう思ってるのか、って事」
 クルリと振り返り、小太郎を見るユリ(冥月)。その目にふざけた気持ちなど見せない。
 真摯に見えるような瞳を見せられ、小太郎は口篭る。
 返答に困っているらしい小太郎を見て、ユリ(冥月)は小太郎の手を取り、強く握る。
「……ハッキリ答えて。私の事、どう思ってるの?」
「俺は……ユリの事……」
「……ちょっと待ったッ!!」
 と、そんな良いタイミングで冥月(ユリ)が帰ってきた。
「……っち、わかりやすい所に置いてしまったか」
「……冥月さん! 何やってるんですか! すぐに小太郎くんから離れてください!!」
 二人が手を握っているのを見て、冥月(ユリ)がユリ(冥月)に掴みかかる。
 だが、その瞬間に冥月(ユリ)はユリ(冥月)に背負い投げられてしまった。
「うぉ!? ユリが師匠を投げた!?」
 その様子に驚いたのは小太郎。未だに体術ならユリよりも勝っていると思っていた彼は、ユリが師匠を投げ飛ばした事にこの上ないショックを受けたようだ。
 そんな動揺した小太郎を無視して、ユリ(冥月)は冥月(ユリ)の耳に口を寄せる。
「私の身体からと言って、私に勝てると思うなよ?」
「……くぅ、ま、負けませんよ」
 冥月(ユリ)は、強か打った尻をさすりながらも立ち上がり、手に持っている小瓶をユリ(冥月)に突き出す。
「……これの使い方、教えてもらいます!」
「……アロマテラピーの要領で、二人が同時にその匂いを嗅げば解呪されるはずですよ。冥月さん」
「何だ師匠。口調がおかしいのは、何か呪いか」
「……口調がおかしいって言うか、中身が違うんですよ!」
「ぬ、そんな必死に言われると……」
 やはり冥月(ユリ)がいると小太郎が真相にぶち当たりそうになる。
 冥月(ユリ)がクスリを見つけてきた事でお開きにしても良いと思ったが、もう少し遊んでやろう。
「……冥月さん、ちょっと」
「……冥月さんは貴女でしょ!」
 と反論しつつも、冥月(ユリ)はユリ(冥月)に呼ばれて顔を寄せる。
「これから少し鬼ごっこをしよう」
「……何ふざけてるんですか。早く元の身体に戻りましょうよ」
「お前が私を捕まえられたらそうしよう。だが、そうでなければ小太郎は二度とお前に口も聞かないようにしてやる」
「……ッ!?」
 声にならない声で冥月(ユリ)が驚きを表す。
 小太郎が、ユリと、二度と口を聞かない。それは彼女にとってとても辛い事だろう。絶対に避けたいはずだ。
「……そ、そんな事出来るわけ……」
「出来ないと思うか? 簡単だぞ、人の信頼を失わせるなんてな」
「……う、嘘ですよね? 冗談、ですよね?」
「そう信じたいなら必死で追いかける事だな。小僧から信用されなくなるのに、そう時間はかからんぞ?」
 悪魔のような笑みを浮かべるユリ(冥月)を見て、最早泣き出しそうな冥月(ユリ)。
 そんな冥月(ユリ)を残し、ユリ(冥月)は小太郎の手を引く。
「……小太郎くん、こっち来てください」
「お、どうした、ユリ」
 小太郎はユリ(冥月)に手を引かれ、影の穴に入っていく。
「……こ、小太郎くん!」
 だが、悲痛な冥月(ユリ)の声に弾かれ、そちらを振り返った。
「……し、信じてください」
 その言葉を聞いた瞬間、小太郎とユリ(冥月)は影の中に完全に埋まっていった。

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 ああは言ったものの、冥月にユリから小太郎を奪うつもりなんてサラサラ無かった。
 これは彼女のための想定訓練。『もしも小太郎が人質に取られたら』の巻なのだ。
 小太郎の場合はもう、ユリを失いかける経験は積んでいるし、今度はユリの番だ。
 ユリの場合、小太郎のように暴走して右手を壊すような失態は犯すまいが、そんな時にどう動けば良いのか、経験があるだけで違ってくる。
 冷静に事の対処に当たれるかを測り、この経験を本当の人質事件の時に役立ててもらう。
 それが狙いだ。……半分くらいは。

 もちろん、残り半分は小僧イジメである。
「おい、ユリ。なんでこんな所に連れて来たんだよ?」
 連れて来られたのは影の中にある建物の一室。
 入り口から然程離れては居らず、出来るだけユリが追跡しやすいように、手がかりも残してきたつもりだ。
 それまでの時間、タップリ楽しませてもらおう。
「……小太郎くんに聞きたいことがあるの」
「き、聞きたい事?」
 もしや、さっきの話を蒸し返すのか!? と身構える小太郎。
 言い難い事は、一度機を逸してしまうと更に言い難くなってしまうものだ。
 さっき言えなかった事で、あの返答は小太郎の心の奥深くに沈んでしまった。今からそれを掘り出そうとすると時間がかかる。
 とは言え、ユリ(冥月)はその話をしようとしたのではないのだが……。
「……小太郎くんは、胸の大きい人のほうが好きなのかな?」
「む、むね!?」
「……そう。だって、冥月さんも叶さんも私より……」
「そ、そんな事無いって! 別に俺は胸で付き合う人間を選んでるわけじゃない!」
 小太郎としては心外だった。まさかそんな風に思われていたとは!
「……じゃあ私でも良いの?」
「い、良いって何が?」
「……付き合う人間」
 小太郎が言った『付き合う』というのは、何と言うか縁がある人間という意味。
 だが、今ユリ(冥月)が言った『付き合う』はまた別の意味である。
 それに気付いた小太郎は、返答を途中で飲み込んでしまった。
「……やっぱりダメなんだ……。やっぱり小太郎くんは胸の大きい人のほうが良いんだ!」
「ち、違う違う! 何でそうなるかな!?」
「……私、もっと胸が大きくなるように頑張る。だから小太郎くんも手伝って?」
「手伝うって何をするんだよ。……あ、牛乳を買ってくるとか?」
「……ううん。もっと簡単でお金のかからない方法があるよ」
 そう言ってユリ(冥月)は小太郎に顔を近づける。
「……どうするか、わかる?」
「わ、わかんねぇよ」
「……胸を、揉んで?」
「……ッ!? ば、ばばば、バカ!! 何言ってんだ、お前! そういう事は女の子が軽々しく言っちゃいけない!」
「……軽々しくじゃないよ。小太郎くんだから言ったの。小太郎くんだからお願いできるの」
 ユリ(冥月)は小太郎の手を握り、胸の前まで持ち上げる。
「……冥月さんには触られちゃったけど、私は小太郎くんに触って欲しい。他の誰でもない、貴方に」
「ちょ、ちょっとユリ!?」
「……ダメかな?」
「ダメダメダメ! ダメだ! 絶対ダメだ!」
 小太郎はユリ(冥月)の手を振り払い、彼女から距離を取る。
 離れたところで落ち着くために深呼吸して素数を数える。2、3、5、7、11……
「……やっぱり、小太郎くんは私の事なんか嫌いなんだ?」
「……は?」
「……ちゃんと手も握ってくれない、どう思ってるのか聞いても答えてくれない、身体にも触ってくれない……やっぱり、嫌われてるんだ」
「違う違う! なんか思考がぶっ飛んでるぞ、お前!」
 涙を零しそうなユリ(冥月)に、慌てて小太郎がなだめる。
「別に俺はお前の事嫌っちゃいない!」
「……じゃあ、証明してよ」
「証明? どうやって?」
「……キスして」
 ユリ(冥月)がズイと詰め寄る。小太郎は反射的に一歩下がった。
「き、キスって……なんかもっと別の方法があるだろ」
「……キスじゃなきゃイヤ。手も握ってくれない、好きとも言ってくれない、そんな小太郎くんへの最大限の譲歩だよ」
「ンな事言ったって……」
「……これが断られるなら……私、もう諦めるよ」
 トン、と小太郎の背中が壁に触れた。目の前にはユリ(冥月)。
 万事休すな状況を悟った小太郎は、アワアワと声を出しながらほとんど思考を停止していた。
 そんな小僧の表情に、ユリ(冥月)はクスリと笑い、そのままゆっくりと唇を近づける。
 そして二人の唇が触れようとした……その寸前。
「……何してるんですか」
 その女性は来た。

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「どっと疲れた……」
 その場にへたり込んだ小太郎が、死にそうな声で呟く。
 冥月(ユリ)が二人の許に辿り着いたことで、冥月は易々とユリに身体を返し、ユリから身体を返してもらったのだ。
 そして、小太郎に事情を説明して今に至る。
「……私も疲れました」
「ともあれ、二人とも色々勉強になっただろう」
 一人ピンピンしている冥月は、かなり走り回ったらしいこの身体の疲れを感じながらも、それでも心は晴れやかだった。
 いつもより三倍増しで遊び倒したぐらいなので、気分的にはお腹いっぱいだった。
「今日体験したことは、良い経験になるはずだ」
「……一体なんのですか」
「ユリの場合は人質を取られた時のシミュレーションだな。ためになったろ?」
「……半分以上遊びだったでしょ」
「そんな事は無い」
 ユリに睨みつけられるのに、冥月は飄々として返す。
「小太郎の場合は知人に化けた何者かが接近した場合のシミュレートだったが、お前は全く見抜けてなかったな、アホめ」
「それどころじゃねぇっつの。あー、くそぅ」
「その『それどころじゃない』というのが悪いんだ。相手に違和感を感じたらすぐにそれを突き詰めるべきだったな。ペナルティ一つ」
 そう言って冥月は小僧にゲンコツを一つ食らわせるのだった。
「さて、今日はもうお開きだ。小太郎、ユリを送っていけ」
「お、おぅ」

***********************************

 そんな帰り道。
「いやぁ、今日はとてつもなく疲れた……」
 道すがらにもそんな事をため息のように呟く小太郎に、ユリは心配そうな視線を向けた。
「……大丈夫? なんならもう帰っても良いよ。私は一人で大丈夫だし」
「そんなわけに行くか。そんな事したら、何と言うか、あの外道師匠に負けたような気がしてならん」
 ユリ(冥月)と色々あった手前、ユリと一緒に居辛くなった、なんて勘違いされたら癪なのである。
「……冥月さんに何かされたの?」
「師匠にって言うか、ユリにだけどな」
「……わ、私が!?」
「師匠がユリの体に入ってたわけだろ。だったらユリにやられたも同然だ」
 そこでユリは俄かに震え始める。
 なんだろう、この恐怖。冥月に言われた言葉が蘇る。
『信用をなくすのは簡単』
 まさか……本当に!?
「……こ、小太郎くん、何されたの!?」
「い、いや、べつに取り上げていう事では……」
「……何されたの!?」
「……っう、いや……む、胸触れとか、言われた」
「……!? さ、触ったの!?」
 ユリは自分の胸を隠して小太郎からちょっと離れる。
「い、いや、断じて触ってない! これっぽちも触ってない!」
「……ほ、ホントに?」
「嘘じゃない! マジだって!!」
 小太郎が必死になって言うので、ユリは胸を撫で下ろした。こういう彼は嘘をついていない。
 ……だが一つ思いつく。
「……信用できないな。小太郎くんも男の子だし……」
「な、なに!?」
「……さっき、私の事信じてくれなかったし」
 グサリと小太郎の心に尖ったものが刺さる。
 確かに、冥月の中に入っていたユリの言葉はどうしても信じられなかった。それは覆しがたい事実。
「それは悪かったって! マジ反省してる!」
「……だったら、今度からは、ちゃんと私を信じて。私も小太郎くんを信じるから」
「お、おぅ。わかった。約束するぜ」
 笑いあった二人は小指を絡めた。


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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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【2778 / 黒・冥月 (ヘイ・ミンユェ) / 女性 / 20歳 / 元暗殺者・現アルバイト探偵&用心棒】

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■         ライター通信          ■
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 黒・冥月様、毎度ありがとうございます! 『やり遂げた感、いっぱい』ピコかめです。
 異常に楽しく書けましたよ。その分なんとなーく文字数が多い気がしないでもないですが。

 何という事でしょう、冥月さんの身体の方がほとんど出てこない!?
 いや、でも精神の方が大活躍してるし、大丈夫だよね。
 その活躍した分、ユリの信用を失っている気がしないでもないですけどね。
 ともかく、また気が向いたらよろしくお願いします!