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<東京怪談ノベル(シングル)>


■ 未知の明日だから ■

 こんなことが有っていいのだろうかと、あやこは途方に暮れた。
 自分の置かれた状況が理解出来なかった。
 ここは自分の部屋で、自分は確かに藤田あやこであるはずなのに、目が覚めたら部屋は空っぽ。
 床に、壁に、窓。
 それが全てで、自分を眠らせていたはずのベッドすら残されてはいなかった。
 おまけに着ていたパジャマも、もはやその用途を果たしていない。
 何故なら背中に生えた翼が布地を裂いていたからだ。
「何なの、コレ!」
 幸いにも破損は背中の方だけで済んでいたため、これ以上の肌を晒すことはせずに済みそうだったが、あやこは混乱した頭で必死に昨夜の記憶を手繰り寄せた。
 自分はどこにいただろう。
 誰と何をしていただろう。
「ぁ…夢……」
 そういえば夢を見たと思い出す。
 エルフの王女との精神交換、――交わした契約。
「まさかそれで私の財産も全部持ってかれたってこと!?」
 思い当たった理由に顔色を失う。
 ただの夢だったはずなのに、こんな事になるなんて。
「…と、とりあえず……そうだ、SHIZUKUに連絡…」
 彼女なら、この奇想天外な状況にも冷静に対応してくれる、そう思ったら今すぐに彼女の声が聞きたくなった。
 どうにかして連絡が取れないだろうかと空っぽの部屋を見渡すと、隅の方にたった一つ転がっていた物。
「携帯…!」
 これだけが残されていたのは、エルフのせめてもの優しさか、それとも人間界でしか使えないものは必要なかったのか。
 何はともあれ、これで連絡が取れると安堵したあやこは急いでSHIZUKUの番号を呼び出した。

 ***

 しばらくして鳴らされたチャイム。
 SHIZUKUの来訪を今か今かと待っていたあやこはすぐに立ち上がって扉を開けた。
 そこに立っていた愛らしい少女の姿に思わず涙が毀れそうになる。
「SHIZUKU―! 服とか一切合財持ってかれたのよ〜!」
 姿を現すなり泣き崩れる彼女に、呼び出されたSHIZUKUは目を瞬かせる。
「えっ、うわっ、本当にあやこちゃんなの?」
「私よ〜!」
 疑われて必死に自分だと訴えるあやこだったが、背中の翼といい、この部屋といい、もしかして外見も変わってしまったのかと不安になる。
「私に見えない? 鏡とかも全部なくなってて自分じゃ確認のしようがないの」
「あ、そっか」
 言われて気付き、SHIZUKUは自分の鞄からコンパクトミラーを取り出した。
 そこに映った自分の姿に唖然となる。
 造作はほとんど変わっていないのだが、長い髪の奥に見え隠れする耳は通常の倍の長さに伸びていた。
「…私、本当にエルフになっちゃったのね…」
 気落ちした声音で呟くあやこに、SHIZUKUはそっと微笑んで持って来た袋を差し出す。
「すごい電話だったから、最初イタ電かと思ったよ。これあやこちゃんの着替え」
「ありがとう…」
「まずは着替えて、それから病院に行こう。何か解決策が見つかるかも」
「うん…」
 SHIZUKUに促されて、あやこは着替えるべくのろのろと部屋の中へ戻っていった。

 ***

 着替えるとは言ったが、その作業は大変なものだった。
 何せあやこの背には天使のような大きな翼があるのだ。どうにかして衣服の中に仕舞おうとしている内、コツを掴めば折り畳むことも可能らしいと気付いたが、それが判ったからといって楽になるわけではない。
 SHIZUKUが持ってきてくれたのは以前彼女との撮影に使用した水着で、これと、比較的ゆとりのある体操着とショーツに何とか押し込み、ジャージを羽織る。
 最初はどうして水着…と不思議に思ったのだが、その後の病院で検査を受けることになった際、下着だけになるよう言われ、更に金具のついているものは外しなさいと指示されて、SHIZUKUの判断に心から感謝することになった。
 羽根を隠し、耳を髪の奥に隠せば外を出歩くのに不自由はなかったが、長い検査の結果、医者から言い渡されたのは残酷な言葉。
「貴方は藤田あやこさんではありません」という、自分を否定されるものだった。
 ひどい、と彼女は泣いた。
 自分には自分の記憶がある、ここにいるのは間違いなく藤田あやこだと訴えても、検査によって導き出されたデータは人間のそれではないのだと、医師の態度は変わらない。
「とにかく、貴方には今後いろいろな手続きが必要になります。まずは法務局に行って、そちらで詳しい話しを聞いて下さい」
 突き放すような淡々とした態度に、あやこの気持ちは沈みこむ一方だったが、SHIZUKUの励ましもあり、何とか自らを奮い立たせて法務局に向かった。
 もしかすると、そちらに行けば解決策が見つかるかもと新たな期待を持ったのだ。
 ――けれど、そうして訪れた法務局で彼女は言葉を失う。
 目の前に広がるのは、自分と同じく長い耳をした人々が長い列を作る光景だった。
「最近多いんですよねぇ」
 ようやく自分の番が回ってきたあやこが「これはどういうこと?」と尋ねれば、法務局の担当者は困ったように顔を顰めた。
「流行の奇病と言うんでしょうか…、まぁ法律的には貴方も密入国者扱いになるんですが送還出来るわけでもありませんし」
 医師の診断書を眺めながら、局員は軽く息を吐く。
「特例で帰化が認められますから、ここで新しい戸籍を作成してください。この書類に必要事項を記入してあちらの窓口に提出を。――あぁ、名前は自由に決めて結構ですからね」
 新しい戸籍。
 名前を自由に。
 そう言われても彼女には同じ名前しか思いつかない。
 それ以外の自分など何処にもいないのだ。
 付き添ってくれているSHIZUKUに見守られ、その眼差しに微苦笑を返しながら、手渡された書類に名前を書く。
“藤田あやこ”
 この名前しか自分にはないから。
「あやこちゃん」
 不意に呼ばれる。
 …その名前を、呼んでくれる友達がいる。
「うん」
 そうして笑顔を交わせば、沈んだ心も軽くなる気がした。

 ***

 新しい戸籍を作成するためと言われて最初の書類を提出した後、更に今後の生活に関して必要な手続きだと、やれ住民票だ、やれ免許だと次々に場所を変え品を変え、同じことばかり書類に記入させられたあやこは、最後に「国から補助金が出ますからこちらの書類にも記入を」と指示されて、それまでに蓄積されて来た苛立ちが爆発し「施しなんかいらない!」と突っ撥ね一悶着を起こした。
 だが。
「あれー、あやこちゃんが契約したエルフって王女様だったんだよね? 王女様がいつまでもジャージなんてダサくない?」
 そうSHIZUKUに耳打ちされてハッとした。
 確かにそうだ。
 ましてや家具から衣類に至るまで携帯電話以外の私財は全て持っていかれてしまったことを考えれば、一時のプライドのために貴重な収入源を絶つわけにはいかない。
 そうこうして最後の補助金の手続きまで終えて法務局を出た頃には、すっかり陽も傾き始め、街に吹く風にも冷たさが混じる。
 あやこはSHIZUKUと二人で遅い昼食を取ってからブティックへ足を運んだ。
 食材や生活雑貨など揃えなければならない物は山ほどあるが、まずは服を購入しなければ、いつまでもジャージのままである。
 お気に入りの店内で好みのデザインを選んでいる途中、不意にSHIZUKUが何かを頭の上に乗せて来た。
 何事かと手に取ってみると、それは硝子製の、ティアラを象った髪留めだった。
「SHIZUKU、これ…」
「だって、あやこちゃん王女様なんだよ? あんまり大っぴらには出来ないけど、気持ち戴冠式みたいなね」
 そう言って笑んでくれる、SHIZUKUの気持ちが嬉しい。
「もう…私、まだジャージなんだけど」
「だってあやこちゃん選ぶの遅いんだもん」
 照れ隠しに言い返せば、SHIZUKUもそんな相手の気持ちを察し皮肉で返す。
 こういう遣り取りは昨日までと何ら変わりない。
「そっか、王女さまね…、じゃあこれからどんなお姫様になろうかな」
 自分は自分。
 新しい戸籍を作ると言われても“藤田あやこ”しか選べなかったけれど、この身体が今までと違うと言うなら、それも受け止めて明日からの生活を大切にしていきたい。
 まだ欠片も見えない明日。
 だからこそ自分の選び方次第だと思う。
「SHIZUKU、今日はありがとう」
「どーいたしまして」
 そうして笑い合える未来を、選び取りたいと思うから――……。



 ―了―