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<東京怪談ノベル(シングル)>


蒼い月のある場所で

 スナック『瑞穂』
 それは桜塚 詩文(さくらづか・しふみ)がママをやっている、駅の近くのスナックビルの五階にある、小さな店だ。
 カラオケが置いてある機械の横には演歌歌手のポスター。店自体はかなり古いが、今日も常連客達で店は盛り上がっていた。
「それじゃあね、文ちゃん」
「うっふっふん。またね♪」
 笑顔と共に小さく投げキスをして、最後から二番目の客を詩文は笑顔で見送る。投げキスには護法術を乗せ、無事に家につきますようにと祈ると、詩文は軽い足取りで振り返り、最後の客が座ってる席を見た。
 カウンターの上に置かれているのは、ロック用の氷が入ったアイスペールと新しいボトルの芋焼酎ホコツ。そしてその瓶の首には、小さな詩文お手製のフエルト人形がついている。それはこの前ビリヤード勝負をしたときに、「勝ったらニューボトルでも」と言われて用意していた物だ。
 そしてそのボトルの主であるナイトホークは、ロックグラスを手に持ったまま詩文の方を見た。
「見送りお疲れ様」
「うふ、これもお仕事だもの。やっぱり気持ちよく帰ってもらわなきゃダメよねん」
 今日も詩文は笑顔を絶やさない。
 この店の中で、詩文が上機嫌でなかったことは一度もない。いつもニコニコと微笑み、落ち込んだ客の心を慰め、ガラの悪い客ですらさらっとあしらってしまう。その笑顔があるからこそ、小さな店ではあるが、皆羽を休めに来るのだろう。
「詩文さん、今日も楽しそうだな」
 そんなナイトホークの言葉を聞き、詩文は何処か遠い目をするように頬笑む。
 もう真夜中だ。今から新しい客は来ないだろう……詩文は氷とグラスを用意して、ナイトホークの隣で飲むことにした。たまにはゆっくりと、こうやって誰かと飲んで話をしたい日もある。
「今は楽しいの……でも、すぐに会えなくなるものね」
「……そうだな」
 詩文もナイトホークも、見かけ通りの年齢ではない。
 詩文は三百年以上生きているし、ナイトホークも『蒼月亭』という店をずっと営んでいて「昔からマスターは変わらない」などと言われている。お互いその事に関して核心的な話をしたわけではないが、何となく匂いのようなもので分かっている。
 カラン。
 グラスの中に氷が入れられ、ナイトホークが自分のボトルを開けて詩文のグラスに注いだ。
「詩文さんに一杯ごちそう。この前のビリヤードのお礼」
「あら、ありがと。いただいちゃうわねん」
 二人の間に、ゆったりとした沈黙が流れた。無言だけど、何となく優しげな空気。外から入ってきた他の店からのカラオケが、沈黙を埋めるように響く。
 お互い長い時間を生きてきて、いったいどれほどの出会いと別れを繰り返したのだろう。
 詩文はそんな事を思いながらグラスをテーブルに置く。
「考えても仕方ない事だって分かっているんだけれど、やっぱり寂しい話よね」
 出会いがあれば別れがある。
 詩文もそれを繰り返してここまでやって来た。
 始めて愛した彼……その彼が行きたいと言っていた『春の国』を探し、自分の人狼化を制御するために神託も受けた。その血を受け入れ、色々な人と出会い、愛し、また別れる。それの繰り返しだ。
 だが詩文はその事を「悲しい」とは思わない。
 精一杯生きて、自分のことを愛してくれ、自然の摂理によって別れる事を悲しいと思ってはいけない。

 私を愛してくれてありがとう。
 大好きよ。
 生まれ変わったら、いつか何処かで会いましょうね。

 必ず来る別れの時には、詩文は必ずそう願うことにしていた。時の流れが違う自分と一緒に寄り添ってくれたたことに感謝し、魂の安寧を祈る。
 でも、胸に微かに残る「寂しさ」
 それは絶対消せるものではない。ぽっかりと空いてしまった心の空洞に風が吹くと、もうあの人はいないんだと思い、寂しくなる。
「……まあ、どうしてもそれだけは避けられないよな」
 ナイトホークはそう呟くとポケットからシガレットケースを出して、店のマッチで煙草に火を付けた。きっと、ナイトホークも詩文と同じように、出会いと別れを繰り返してきたのだろう。
 同じ思いを共有出来る相手。
 きっと百年後もお互い変わらずいるだろう。時が流れ、街の風景が変わっても、姿を変えずに会える友人。そんな存在はやはり嬉しい。
「そうねぇ。でも、人生の宿題をたくさんやる暇があると思うと、長く生きてるのもちょっとお得よねん」
 魂の循環の中で人生が魂の業を消化するための期間だとするのなら、自分達はある意味永遠の夏休みだ。その中でしっかり宿題は出され、それを少しずつ消化していく。詩文が『春の国』を探そうとしているように、ナイトホークにも、もしかしたら詩文の知らない目的があるのかも知れない。
 黙って煙草を吸っているナイトホークに詩文は悪戯っぽく微笑み、その横顔を見た。
「ねえ、ナイトホークさんの五十年後を教えて欲しいわん♪」
「はい?」
 甘えるような猫なで声と、上機嫌な笑顔。ナイトホークは苦笑しながら、煙草を灰皿に置きグラスを手に取る。
「そんな詩文さんはどういう予定?」
「私?私の五十年後はねぇ……」
 多分、ナイトホークは明確な未来というものをあまり考えていないのだろう。質問に質問で返されてしまった詩文は、笑顔のままグラスの中の氷を回し、こう続ける。
「そうねぇ、うーん……たぶんシルクロードを旅してるかも?」
「そりゃまた遠くだな」
「探したいものがあるから、ちょっと日本から遠くまで行こうと思ってるの」
 詩文には漠然とした未来予想図があった。
 今の彼氏が死んだら、とりあえず日本を離れる予定だ。今は彼氏が可愛くて仕方ないし、放っておけない。
 でも詩文には探したいものがある。
 だからその時が来たらシルクロードへ渡り、そこを通って徒歩で故郷へ行って時間を掛けて捜し物をするつもりだ。故郷と言ってもスウェーデンとノルウェーの国境ぐらい、ということしか分からない。もうずっと昔に故郷はなくなってしまったし、あの頃は正確な地図などなかったのだから仕方ない。
 氷が溶けてまろやかに味が変わったグラスを詩文が口にすると、ナイトホークも同じようにグラスを口にし、少し遠くを見るように口元だけで頬笑む。
「俺は……多分五十年後も変わらずに東京で店やってるんじゃないかな。今の場所とは違うだろうけど、どっかで『蒼月亭』って店出して、コーヒー入れて酒飲んでるよ」
 ああ、そうだったっけ。
 「昔からマスターは変わらない」その言葉通りに、ナイトホークは東京の何処かで店をやり続けるのだろう。きっと六十年、七十年、百年経ってもずっと。
 何だかそれが嬉しくなり、詩文は目を細めナイトホークの顔を横から覗き込んだ。灰皿に視線をやろうとしていたナイトホークと目が合い、その瞬間詩文の顔に満面の笑みが浮かぶ。
「その時は一人かしらん」
「誰かと一緒になる予定は今のところないかな」
 にまっ。
 小悪魔のような悪戯っぽい微笑み。
「じゃあ、百年くらい経ったら日本に帰ってくるから、その時は彼女になってあげてもいいわよん♪」
「………!」
 確かに、東京に自分はいるだろう。
 だが彼女なってあげてもいいと言われ、あからさまにナイトホークは動揺する。これが自分の店のカウンターの中ならさらっとあしらえるのだろうが、長いこと生きてる癖にナイトホークはこう言うストレートな言葉に弱い。
「あのさ……」
 詩文はにこっと笑うと、ナイトホークの唇に自分の人差し指を当てた。それは『それ以上は言っちゃダメよ』というサイン。
 百年先の話を今断られても困る。詩文は別にからかうつもりで言ったわけではない。本当に彼女になっても良いと思っているから言ったのだ。
 それに、断るのならその時になってからでもできる。
『女に恥をかかせちゃだめよん♪』
「………」
 口を詩文の指で塞がれ、困り果てるナイトホーク。
 こんなことをされて、粋に切り返せるほど人間が器用に出来ていない。ここで気の利いた言葉の一つも吐ければいいのだろうが、生憎そこまで悟りきれてもいないわけで。
 あまり困らせたらかわいそうねん。
 詩文はまだ人差し指を当てたまま、悪戯っぽく頬笑んだ。いつも笑顔の詩文だが、その時々によって微笑み方が随分違う。
「っていうか……そうねぇ、百年経って私が日本に戻ってきた時に、まだ蒼月亭をやってたらね」
 そう言って唇に当てていた指を離すと、ナイトホークは溜息混じりに苦笑し、灰皿の上で灰になってしまった煙草をもみ消す。
「それは多分やってると思う」
「それは確信かしらん?」
 もうそこに薄くしか残っていないナイトホークのグラスに、詩文はそっとお酌をする。こういうときはたくさん注がず、すぐ飲みきれるぐらいが丁度いい。
「いや……俺今んとこ東京から離れる気もないし、店やるぐらいしか能ないし」
 にこ。
 その言葉に詩文は確信する。
 出会いと別れは、これからもずっと繰り返していくだろう。その度に一抹の寂しさと、微かな胸の痛みを残しながら。
 そしてこれからもずっと探し続けるのだろう。自分が『春の国』にたどり着けるまで。
 その旅は永遠に続くかも知れない。
 『春の国』なんてものはどこにもないのかも知れない。
 でも、東京に帰ってきたらナイトホークが待っていてくれる。
 三百年前の昔から月が天に変わらずあるように、東京にある蒼い月のある場所で。
 空に浮かぶ月が欠けたりするように、店の場所などは変わってしまうかも知れないけれど、どんな形でも月が月であることが変わりはしないように、『蒼月亭』という名の店には、ナイトホークと言う名のマスターがいつも変わらず待っていてくれる。
「その時は、ウェイトレスとして使ってねん♪」
 ウインクしながら当てていた指を自分の唇に当てながら言うと、シガレットケースから新しい煙草を出したナイトホークは、何かを考えるように肩をすくめる。
「使うのは歓迎だけど、いつの間にか詩文さんに店乗っ取られてそうだな」
「うっふふーん」
 その時はどんな店をやっているだろう。
 今のようにカフェとバーを時間で変えているのか、それともどちらか一方にしてしまっているのか。そして東京のどの場所で店を構えているのか。
 一分後のことも分からないのに、百年後なんてまるで予想が付かない。
 だけどこれだけは分かる。
 百年経っても、自分は東京のどこかで店をやっている。
 過ぎていく別れに寂しさを感じ、新しい出会いに心を揺さぶられ、そして懐かしい友人との再会に目を細め。そうしながらここで、東京で生きている。
 細い筒の先から立ち上る紫煙を目で少し追い、二人はどちらともなしにこう言いだした。
「乾杯しようか」
「乾杯しましょ」
 カチン。
 ロックグラスが軽い音を立て、二人は優しい沈黙の中グラスを傾けた。

「また来てねん、待ってるから」
 夜は更け、テナントに入っているビルもほとんど明かりを落とした頃、詩文は最後の客を送り出した。
 いつものように投げキスとともに護法術を乗せようとすると、不意にナイトホークが何かを思い出したように振り返る。
「あっ、聞こうと思ってたこと今思い出した」
「何かしらん」
「今日俺の新しいボトルについてた人形、前に置いてた人形と違ってたけど、あれ何?」
「ああ、それのことねん。あれはね……」
 ボトルキープの時には、詩文は必ず横に創作人形を置く。だが、ボトルの首に持ち主を模したフエルト人形がついて、初めて常連として認めたということになる。ナイトホークのボトルについているのは、もちろん黒ずくめに浅黒い肌のナイトホーク人形だ。
 それを言うとナイトホークは肩をすくめて笑う。
「常連か……じゃあ、もっと顔見せに来ないとな」
「そうよん。待ってるからまた来てね」
「そうするよ。俺も詩文さんが来るの待ってるからさ」
「ありがと。気をつけて帰ってねん♪」
 軽く手を上げ、ナイトホークは蒼い月のある場所へと帰っていく。
 その姿を見送りながら、詩文は百年後の自分に心を馳せ笑顔で大きく手を振った。

fin

◆ライター通信◆
ありがとうございます、水月小織です。
スナック瑞穂にお邪魔して、「五十年後のこと」や「百年後のこと」に思いを馳せつつ、ずっと変わらずにいられる安心感のような物を書かせていただきました。
以前書かせていただいた『春の国』に関する話とも絡めています。詩文さんはまだ春の国を探すのでしょうが、ナイトホークはずっと東京で生き続けるのでしょう。
詩文さんがウェイトレスに来たら、あっという間にマスターの地位が怪しくなりそうです。
リテイク、ご意見は遠慮なく言って下さい。
また機会がありましたら、よろしくお願いいたします。