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<東京怪談ノベル(シングル)>


【ハーメルンの魔法使い-II】


 家族連れに押し流されながら、あたしはようやく席に腰を下ろした。
 子どものはしゃぐ声とかスピーカーから流れる賑やかな音楽に圧倒されながら、きょろきょろと辺りを見渡す。
 目の前にはステージ。客席の最前列だ。人に流されていただけなのに、いい席にたどり着けたようだった。
 鞄から何日か前に貰ったチラシを取り出す。
 カラフルなサーカスの広告に、印刷する時には間に合わなかったためか、モノクロコピーの紙がホチキスで止められていた。

 そこには、かすれた文字で"世にも珍しい人魚のダンス、お見せ致します”と書かれている。

 あたしが休日に、家族連れに混じって一人きりでサーカスを見に来たのは、これが原因だ。
 仲間が気になった。
 ――というのは言い訳かもしれない。
 どうしても、来なければいけない気がした。仲間に呼ばれたのかもしれないし、そうであるならあたしの言葉は嘘にならない、と思う。
 辺りが拍手に包まれて、あたしは、ハッと顔を上げた。
 司会役と思われるシルクハットの人が、舞台の上で煌びやかな光を浴びてお辞儀をするところだった。
 あたしも急いで拍手をする。何故か、以前にこんなことがあった気がした。

 ドラムの音と共に明かりが消され、シンバルが高らかに声を上げれば、ステージが再び眩しい光に満たされた。
 空中ブランコの曲芸が始まる。
 まるで水中で泳ぐような軽い動きで、空を跳ね回るそれに、あたしは目的を忘れて息を飲んだ。
 耳の奥で、ちゃぷん、と水の音がする。ステージの裏から聞こえる、水の呼び声。
 仲間だ、と認識して、空中ブランコのショーの終わりを告げるファンファーレに拍手も忘れてステージを見入った。
 ガラガラとキャスターを付けられた大きな箱が、何人ものピエロに引かれてステージの中央に運ばれてくる。スパンコールに飾り付けられた布をかけられた箱。

「さて、次はこの公演限定の人魚のダンスです!」

 溢れる歓声に拍手もせず、ステージに身を乗り出しそうになる自分を抑える。
 幾ら仲間だからって、見たこともない相手をここまで気にするあたしは、まるで何時ものあたしじゃない。
 あれはこのサーカスのチラシを受け取ってからだ。あたしはまるで失くしてしまった何かを探しているよう。

「お客様の中から、アシスタントを選ばせて貰います。さぁ、お嬢さん」

 司会をするシルクハットの男の人が指差したのはあたしだった。
 スポットライトの一つがあたしに向けられ、あたしはびっくりして縮こまる。

「大丈夫ですよ。何も取って食いやしませんから」

 司会の声に辺りはドッと笑い声に包まれ、あたしは恥ずかしくて、仕方なくステージに足を踏み入れる。
 ああ、まただ。とあたしは首を傾げた。
 今日このサーカスのテントに入ってから、奇妙な既視感を感じている。いわゆる、デジャビュという感覚。
 一日の間に何度も体験すると、どちらが夢でどちらが現実だったのだろうかと、ほんの少し悩みかける。
 ほんの、少しだけど。

「実はうちのサーカスの目玉だった百獣の王がですね、病気でお休みをいただきまして」

 あたしの手を馴れ馴れしくとったシルクハットの司会は、そんなことを話し始める。
 シルクハットの下は白塗りの顔。目元はよく見えないけれど、口は笑顔をたたえている。
 じわ、とほんの少し、心にあった現実を疑う気持ちが広がった。あたしは、彼を知っていなかった?

「ので、今日のアシスタントさんにはこちらを着ていただこうと思いまして」

 彼がパチン、と指を鳴らすと、ステージの袖からピエロが一人ひょこひょこと歩み寄ってくる。
 ピエロの差し出した腕の中には、オレンジ色の毛皮。よくみると、ライオンを模した着ぐるみらしい。

「すいませんねぇ。長く使ってるんでオンボロなのですよ」

 オレンジ色の毛皮は、確かにところどころ年季が入ってほつれている。けれど、妙に生々しいのだ。
 着ぐるみを受け取れば、出てきた時と逆回しにするように、後ろ向きに帰っていくピエロ。お客さんたちはみんなその動きに笑っている。

「さぁ、お嬢さん」

 ポン、と背中を押されて、あたしはつられるように着ぐるみに袖を通した。
 一瞬、箱の方から制止する声が聞こえた気がして、動きを止める。

「着てはダメっ!」

 その声はそう聞こえた。まるで水中で聞く仲間の言葉のように、直接頭に響く声。じっとりと、背中に嫌な汗が流れる。
 けれど――困ったあたしは、シルクハットの男の方を見てしまった。白い手が、さぁ、ともう一度あたしの背を押す。
 その手に逆らえなくて、あたしは着ぐるみを身に纏った。
 汗がひたりと背中のブラウスに張り付く。いや、これはあたしの着てきたブラウスじゃなくて、着ぐるみに張り付いている。
 一瞬怖くなって胸元を開けようとするけど、まるで元からあたしの体型に合わせたかのようにぴったりとしていて、隙間があくことはない。

「お嬢さんが、新しいうちのライオンさんです」

 何時の間にか目の前に来ていたシルクハットの男が、ぼそりとあたしだけに聞こえる声で呟いた。
 あたしは何故だかぞっとした。
 彼の口元は変わらず笑っている。
 白い手があたしの着ぐるみのフードを手を取り、あたしの頭にすっぽりと被せた。

 ひたり、
 ペタ、ぺた、ぺた――。

 それは確かにあたしの身体中から聞こえた。
 張り付く音。
 毛皮が、あたしと一緒になろうとしている音だと、あたしには分った。
 悲鳴を上げて、脱ごうとするけれど、丸まった着ぐるみの手ではどうしようもできない。ああ、だったらあたしはどうやってこれを着たというの?

「おや、お嬢さんはライオンの声真似がお上手のようだ」

 客席から笑い声がする。どうしてみんな笑っているの?
 ――あたしの上げた声は、獣の鳴き声になっていた。
 シルクハットの男が笑い、鞭を振り上げる。
 ああああああ、知っている。あたしは、この道化師を、知っているはずだ。
 じわりじわりと、あたしの心の隅っこにあったはずの”ほんの少し”は今や大きくシミを広がらせている。
 バチン、と鞭が唸り、あたしは駆け出す。

「さぁお待ちかね! 人魚とライオンのダンスです!」

 置かれていた箱の布は取り払われ、飾り付けられた水槽が現れる。
 その側を駆け抜け、瞬間見えた中にいた仲間は――あたしと同じ顔だった。
 きっとこれは夢。だってあたしがあたしを見れるはずないもの。
 ねぇ、だってそうでしょう?
 誰か、あたしにそうだといって!
 あたしは鞭に命じられるまま、火の輪を潜り、台の上で高らかに吼え、それから水槽の周りをぐるぐる回るだけのダンスを踊った。

 水槽できらきらとした水を纏って踊る――あたしは、獣の姿になったあたしをかわいそうなものを見る目で見ていた。
 あたしは結局、逃げられないのね、とそんな悲しげな呟きが聞こえた、気がした。