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時々、おしゃべりなチューリップ
■01
いつもと同じ通りを抜けて、篠原・美沙姫は花屋を目指していた。
白昼堂々起きた、強盗未遂事件。
その事件をきっかけに、美沙姫は花屋の店員鈴木エアと親交を深めていた。
今日も、来客を迎えるため、花の準備に赴いたのだ。
「……、この時期にチューリップですか」
店の前の看板の張り紙が目につく。
じんじんと、耳を澄ませばせみの音が聞こえてくる。照りつける太陽。青い空、白い雲。夏真っ盛りのこの時期に、チューリップとは……?
「ちょっと、考えてしまいますわね」
知らず、口の端が持ち上がる。
美沙姫は、困ったようにくすりと笑って、店内に向かった。
「いらっしゃいませ」
エアは、店の鉢植えに水をやっているようだった。美沙姫に気がつくと、しゃがんでいた態勢を起こし、笑顔になる。
「こんにちは、水遣りのお時間ですか?」
「あ、美沙姫さん、こんにちは。はい、午前中に済ましてしまうのがいいんです。暑くなりましたし」
言いながら、エアは鉢植えを飾り棚に置き、エプロンの裾で手を拭いた。
「もう夏ですものね、花達は暑いと、やはり?」
そう。
もう、夏なのだ。美沙姫は、言いながら、店の光景に少しだけ笑ってしまう。
見渡す店内は、チューリップ一色だった。入り口の透明なケースに、チューリップ。生花を飾る棚にもチューリップ。見ると、レジの隣の少しのスペースにも飾ってある。
それから、さわさわと、囁くような歌うような声が聞こえてきた。
「ええ、暑ければすぐに花開いてしまいますし、かと言ってクーラーの風に当たりすぎると花びらがいたんでしまうんです」
この店に通うようになって分かった事なのだが、エアには花の声が聞こえないらしい。だから、美沙姫がかすかに聞いている、チューリップ達の囁きも、きっと全く聞こえていないはずだ。
エアは、美沙姫に今日はどうしましょうかと笑顔で語りかける。その後ろで、くすくすと笑うチューリップ達。美沙姫は、この少しだけずれた店内の風景も、慣れてしまえば楽しい、と感じていた。
■02
「実は、明後日、お客様がお見えになるんです、それで屋敷に飾る花を、と思っています」
「はい、では、アレンジメントが良いでしょうか」
ともあれ、本題は済まさなければならない。美沙姫は、目的を告げ、エアの言葉に頷いた。お客様を迎えるにあたり、やはり花は必要だ。普段から屋敷には観葉植物が飾ってある。花瓶にさした花達は季節に合わせて屋敷を彩っている。それに加えて、飾る花だ。おおきく存在を主張するものではなく、けれども美しさを損なわない。上品なフラワーアレンジメントが欲しい。それに、花瓶に飾る花も、揃えたほうが良いだろう。
「そうですね、大きめのアレンジメントに、切花を少しお願いします」
「お花の感じはどうしましょう? 今の季節だったら、涼しげな色合いも良いかもしれません」
エアに誘われるように、入り口の透明なケースの前に立つ。
チューリップで溢れかえっているけれど、きちんと一区画、切花が揃えられていた。
エアの指差した花は、鮮やかなブルーの花だった。一つの茎に沢山の花がついているけれど、それが上品に揃っていて見飽きない。
「ベラドンナです、今の季節だと、向日葵にこの花をあわせると涼しげで良いですよ」
美沙姫は、解説を聞きながら、ふと首を傾げた。
その名前は知っているのだが、確か、ベラドンナとは悪魔の愛した花ではなかったか?
「あ、あ、ええと、はい、正式にはデルフィニューム・ベラドンナ、ですね」
その様子に、エアは、慌てて非を詫びた。
『くすくすくす、また、間違えた』
『あーあ、間違えたぁ』
周りからは、楽しそうな花達の声が聞こえた。
美沙姫は、微笑んで、その様子を見る。
それから、エアは、ミニ図鑑を取り出しそれぞれの項目を確認した。強い薬用成分を持ち、猛毒の植物『悪魔の愛した花』ベラドンナは、ナス科のベラドンナ属。一方、ここに飾ってあるのは、キンポウゲ科のデルフィニューム属であると言う事だ。二人でその図鑑を眺めていると、時間がどれほど有っても足りないような気がした。
「実は、デルフィニュームでも色々と種類があって、淡い色のものをそのままデルフィニューム、この鮮やかなブルーの方はベラドンナと呼んでいるんです、あの、うちの店では」
「覚えることが、まだまだあるようですね」
美沙姫が微笑むと、エアは、はいと神妙に項垂れる。
何度か屋敷の花を頼んだのだけれど、その度にエアは的確な花を選んでくれた。ただ、その花についての知識となると、まだちょっと修行中らしい。花選びはセンスの問題だけれど、花の知識は毎日の勉強にかかっている。だから、美沙姫は、エアが常にミニ図鑑を携帯して勉強していることも知っていた。
「ええと、それで、いかがでしょう、向日葵にベラドンナの組み合わせ。あとは、主役に百合を持ってきたら、良いアレンジメントができると思うんですが」
「そうですわね、では、そのようにお願いします。エアさんは、アレンジはまだ?」
美沙姫の言葉に、エアが首を横に振る。
それもいつものやり取りで、楽しさがこみ上げてきた。店員のエアは、主に接客と花選び。小さな花束やアレンジメントもこなすようだけれど、美沙姫が注文するような大きなアレンジメントはまだできないらしい。
いつ聞いても、花の知識とともに、修行中、と言う返事がかえって来る。
「まだまだ、修行中なんです」
やっぱり、今日も、この返事だ。
『くすくすくす』
『エア、いつも同じ同じ』
「そうですか、頑張って、くださいね」
美沙姫は、花達と一緒に、笑うのだった。
■03
他に、小さな注文も一通り済ませてしまう。
アレンジメントと並んで、統一感があるように、切花を選んだ。
「配達先は、いつも通りで良いでしょうか?」
「はい、お願いいたします」
エアの差し出した配達ノートを確認しながら、美沙姫は頷いた。
既になじみとなっているので、改めて住所を記入する事もないのだけれど、念のための確認だ。受け渡し方法を取り決めて、一段落する。
「配達は、木曽原が行いますので」
「はい、お待ちしております」
木曽原、と言うのが、この店の店主だ。注文したアレンジメントは、きっとかなりのボリュームになる。それは、大人の男性がやっと抱えて持ち運べるような大きさになるはずだから、小柄なエアには無理なのだ。
美沙姫は、頷きながら、もう一度向日葵を見た。いかにも夏らしいその配色は、鮮やかで涼やか。そして、夏の彩りとはかけ離れた、店内の様子があらためて目に入ってくる。
『ひまわりちゃん、おわかれだねー』
『あーあ、でも、いいなぁ、お外に出れて!』
エアが揃えた花に、チューリップ達が次々に声をかけていた。
「それでは、花を手配してきますね、少々お待ちください」
「ええ」
その花を大切に抱えて、エアが奥に消える。
店の奥のスペースには、作業部屋があり、そこで店主が花束やアレンジメントを作っているそうだ。ただ、店主は客と話すことがほとんど無いらしく、いつ来ても、姿を見る事は無い。
『あの、……、こんにちは』
その時、とても控えめに、花の声が聞こえた。
それまでは、直接美沙姫に声をかけてくる事がなかったけれど、花達も気になっていたようだ。
「はい、こんにちは」
小さく返事をすると、わっとその場が騒がしくなる。
『わぁ、わぁ、あたし達の声が聞こえるんだ!』
『聞こえるんだねっ』
『きゃあ、こんにちは、こんにちは』
声が届いたのが嬉しかったのか、チューリップ達は次々に明るい声を上げた。
「ええ、聞こえております」
『うわー、楽しいね、嬉しいね』
『うん、だって、シュウはあんまりお話してくれないもん』
『うん、だって、エアには聞こえないんだもん』
なるほど、店主の木曽原は、花の声が聞こえるけれど無口で話し相手にならない。店員のエアは、いつも明るく話すけれど花の声は聞こえないので話し相手にはならない。花達は、そんな中、いつか訪れる、自分達の声が届く客を待っているのだろうか。
自分に向かって騒ぎ立てる気持ちも分かるかなと、美沙姫は花達に微笑を反した。
■04
「お待たせしました、アレンジメントに少しお時間を頂きますので、やはり配達は午後からになります」
「ええ、それで、構いません、ところで……」
店の奥から顔を出したエアに、話を聞いてみよう。
美沙姫は、少し間をおいて、店の中をぐるりと見渡した。
「凄いですわね、チューリップさん」
量・種類・色、それは、数えるのも難しい。エアは、その言葉に、曖昧な笑みを浮かべた。
「ええ、少しばかり仕入れすぎてしまいまして」
少しばかり、とは言うけれど、とてもそんな言葉ではおさまりそうにない量だと思った。もし、このまま引き取り手がなければ、花達はどうなってしまうのだろう。それを考えると、気の毒で迷ってしまう。
「そうですか、どうしましょう……」
美沙姫は、思わずポツリと呟いた。
『あたし達、沢山でおしかけちゃったから』
『うん、皆といるのは楽しいけど、どこかに行ってみたいよね』
『そうそう、だって、切花として商品として、あたし達ここにいるんだもんね』
美沙姫の言葉に木霊するように、花達の声が少しだけ沈む。何と言うか、その境遇に、思わず感情移入してしまいそうになった。
「セール中ですので、よろしければいかがですか?」
そのやり取りは聞こえていなかったようだけれど、花屋の店員としてエアは言う。
『いかがかな?』
『いかかですか?』
『いかがでしょうか?』
そして、巻き起こる大合唱。
これでは、周囲からねだられているようで、落ち着かない。
「そうですね、では、個人的にいただくことにします」
結局、そういう事になってしまった。
「あ、ありがとうございます。この店でおしまいになるより、花達もきっと喜んでくれると思います」
微笑むエアの言葉に、苦笑いが漏れそうになる。
きっとではなくて、それこそが花達の望みだと、説明できたらどんなにエアは驚くだろうか。
「それ程たくさんとはいきませんが、切り花で数束お願いできますか?」
「はい、それでは、こちら八重咲きのアンジェリケなどいかがでしょう」
エアが持ち出したのは、淡いピンクのチューリップだった。
ひらひらと八重の花びらが繊細で可愛い。
「ええ、自室に飾るのには、丁度良いでしょう」
美沙姫は、気に入ったと伝え、じっとその花を覗きこんだ。
『こんにちは、あの、わがままを、聞いてくれてありがとう』
『ありがとう』
『よろしくね』
花達の声が、届く。
美沙姫は、それらに頷いて答えた。
■Ending
風が吹くと、腕の中のチューリップ達が、きゃっきゃと騒いだ。
「気持ち良い風ですわね」
『うん』
『ああ、店の中のクーラーとは、全然違うよ!』
配達と一緒に、と言うエアの申し出を断り、屋敷までの道をチューリップ達と歩く。
見る物全てが珍しいのか、外に出る事ができた喜びからか、花達はとても興奮していた。一つ一つの反応が、初々しくて、聞いている美沙姫も楽しくなる。
「さぁ、お屋敷まではもう少しです、暑くはありませんか?」
『ダイジョーブ、あたし達、実は長持ちするんだよ!』
『強い強い!』
強い夏の日差しの中、花達は勇ましい。
とても賑やかになりそうだ。
美沙姫は、あれやこれと騒ぐ花達を大切に抱え、屋敷へと急いだ。
<End>
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■ 登場人物(この物語に登場した人物の一覧)
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【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】
【4607 / 篠原・美沙姫 / 女性 / 22歳 / 宮小路家メイド長/『使い人』】
【NPC / 鈴木エア / 女性 / 26歳 / 花屋の店員】
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■ ライター通信
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篠原・美沙姫様
こんにちは、ライターのかぎです。
ご参加ありがとうございます。
ついつい会話が弾んで、花屋でほとんどの話が進んでいく形になりました。エアのお相手、ありがとうございました。そして、チューリップ達のお買い上げありがとうございます。少しでも楽しんでいただけたらと思います。
それでは、また機会がありましたら宜しくお願いします。
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