|
■ 潮騒の詩 ■
「あ…」
風に乗って届いた潮の匂いにヒコボシは目を輝かせ、軽やかな足取りを更に弾ませた。
「オリヒメ、海だよ!」
「ま、待ってヒコボシ」
こちらも足取りは軽やかだが、表情に少なからず戸惑いを滲ませたオリヒメが後を追う。
住宅街に近い土地らしく人の気配は多く感じられるが、時間のせいだろうか、道行く人影は見当たらず、二人は何に気を取られることもなく木々の間を通り抜けて、道路へ。
しだいに匂いだけでなく寄せては返す波の音も届くようになり、それに気が急いた姉弟は目の前に現れたコンクリートの壁を迷わずに飛び越えた。
「! わぁっ…!」
着地点は砂浜。
眼前に広がるは果て無き大海。
「見て! オリヒメ見て! 海! 宙から見た地球の青!」
興奮した口調で言いながら袖を引っ張る姉に、ヒコボシも「う、うん」と返す声に驚きと感動を重ねる。
「すっごいね! 宙から見ても大っきくて綺麗だったけど地上から見る海はスゴイ!」
「うん…、昼間の海はもっと綺麗なのかな…本当に青いんでしょう…?」
「見たいねー!」
笑顔で言い合う二人は、砂浜に幾つもの足跡をつけながら、小躍りするように何度も飛び跳ねた。
今までは宙から見るしかなかった海がこんなにも近くにある。
それだけで二人の喜びは最高潮に達していた。
――だが、そこに水を差すように飛び込んできた人の声。
何事かと目をやると、いつの間にか一隻のヨットが浜に乗り上げていた。
「なに、あれ」
「……船?」
ヒコボシとオリヒメは顔を見合わせ、意を決してそこに近付いた。
***
「sea and sky, there are …あぁ違う」
あやこは浜に乗せたヨットの艇体後部に寝転がりながら長い髪を掻き乱す。
「やっぱり日本人は日本語じゃなきゃ! 空に海、満ちる輝き…」
ぶつぶつと言いながらも、吹いて来る潮風の心地良さに彼女の口元は綻び、そこから奏でられるメロディは人気のない砂浜に柔らかく響いていく。
「うーん…なんか違うのよねぇ…」
そうしている内に呟かれた言葉は、夜空にかざした紙面に消える。
書かれているのは五線譜に無数の音符と、何度も書き直された歌詞。
あやこは路上歌手としての新曲を、ここで製作中なのだ。
諸事情からエルフの王女と肉体交換の契約を交わしてしまった彼女が、人間からエルフへ、現代医療において難病患者として扱われる身の上となってしまったのはつい先日の話。
当初はそれで塞ぎ込むこともあったのだが、吹っ切ってしまえば何という事は無い。
いろいろな人に励まされ、自分は自分なのだと落ち着いて周りを見てみれば、普通の人間だった時には決して感じられなかったものがたくさんある事を知った。
空に海、この世界に溢れる輝きも、その一つ。
この身体にも慣れて来たあやこは、今の自分だからこそ感じられるものを人々に伝えていこうと考えるようになり、いつしか路上で歌うようになった。
今夜、ここに来たのは温暖化防止運動に向けての新曲を作るため。
人気のない砂浜で地球の鼓動を聴きながら歌えば、これという言葉が見つかりそうな気がしたのである。
「…でも、そうは巧くいかないか…」
小さく息を吐いて腕を下ろすと、楽譜も視界から消え、一面に星空が広がる。
――綺麗だった。
人工の夜景を喜ぶ人間達が哀しく見えるほど星の瞬きは美しい、それも人間のままでは気付かなかった。
「あぁ…どんな言葉ならこれが伝えられるのかしら…」
ぽつりと呟いた、その時だった。
視界に現れた大きな星。
「えっ」
何が現れたのかと慌てて体を起こしたあやこは、船の外を見遣って目を丸くする。
立っていたのは二人の、…少年少女だろうか?
頭の左右対称になる位置に大きな星飾りをつけ、平安時代の水干に似た彩り鮮やかな衣装に身を包んだ子供達。
「…えっと…何かのキャンペーン中? 撮影真っ只中の子役とか?」
少なからず混乱して問いかけたあやこに、強い口調で言い返してきたのはより長い髪を一つに結わえた子供の方。
「私はヒコボシっ、こっちは弟のオリヒメ! 双子の星の導き手だけど!」
「ホシノミチビキテ?」
「ほ・し! あの星の! 導き手!」
夜空を指差して更に語調を強めて言ってくる少女に、あやこは目を瞠る。
「え…っ、ということは人間じゃないの?」
「当たり前じゃん! 私達は宇宙から落っこちて来たんだから!」
「それ威張るところじゃないよヒコボシ…」
オリヒメが思わず呟く、だがそれに被って上がるあやこの叫びは、嬉しいのと切ないのが綯い交ぜになっていて。
「落っこちちゃったなんて大変じゃない…! 住む場所や食べる物とかは大丈夫なの? ここは人間以外には住み難い土地だし…こんな小さいのに苦労するなんて…」
「ちょっとちょっと! 勝手に同情しないでくれる!? 一月後にはちゃんと帰れるんだけど!」
「ヒ、ヒコボシ…」
「そうなの? 良かったぁ」
再びあやこと少年の声が重なり、双子は彼女の心の底から安堵する様子にそれぞれの思いを顔に浮かべた。
「な、なんか調子の狂う女ね…」
「…でも悪い人じゃなさそうだね…」
双子は顔を見合わせると、あやこが乗っているヨットにもう一歩だけ近付いた。
「あなた、ここで何をしているの?」
「え? あぁ、ここで詩を書いていたの」
「ウタ?」
「そう。私は路上で歌ったりしていているんだけど、なかなか良いと思う詩が書けなくて」
「ふぅん」
「ね。ところで一月後に帰るって、どうやって?」
「天の川の流れに乗るの。そのチャンスが一月後ってこと」
「うわぁっ、じゃあ二人とも宇宙まで飛べるの?」
「当たり前よ!」
強気に断言する少女に、あやこの目は輝く。
「すごいすごいっ。私には翼があるけれど、そこまでは飛べないもの」
「えっ」
聞き返すと同時、バサッ…と彼女の背後に広げられたのは、双子の小さな身体であれば容易に包み込めそうなほど大きく優雅な色彩の翼。
「ぁっ、あ、あなた何者!?」
ヒコボシが驚きの声を上げ、オリヒメは絶句し目を丸くする。
双子の様子にあやこは慌てて謝った。
「ごめんなさい、驚かせたよねっ。人間以外の人に会えたの久し振りで…っ…私、名前は藤田あやこと言うんだけれど、エルフなの」
「エルフ?」
苦笑交じりに返せば双子は興味を引かれたのかヨットに手を置いてきた。
子供らしい好奇心の旺盛さにあやこも心くすぐられ、二人にヨットで海に出ようかと提案すると、元気な声が返る。
真夜中のクルージングなんて、それこそ人外でなければ楽しめないイベントではないか。
***
あやこはエルフの能力を使い、潮風の精霊にヨットを沖へ運んでくれるよう頼んだ。
宇宙からの可愛いゲストを歓迎すべく、海鳥にも手を合わせ、皆の翼で波間に飛沫を上げてもらう。
「うわぁっ!」
「綺麗…」
闇の中の海は、青くもなければ、時に呑み込まれそうだと怖がる者もいる。
だが水の惑星と呼ばれる地球の、決して途切れることのない波の音を大地の鼓動だと思えば、これほど優しい場所があるだろうか。
底の見えぬ昏い内を宇宙に見たて、月明かりに反射する飛沫を潮風の精霊の力で浮遊させれば、まるで星に手が届くよう。
天の川から落ちて以来、地上で様々な経験をして来た双子は楽しんでもいたが、いまこうして目の前に広がる宙に帰ったような光景に感嘆の声を上げた。
「すごいすごいっ、あやこすごいよ!」
自ら海に飛び込み、その大きな翼で飛沫を上げていたあやこは、双子のはしゃぎように笑顔を溢す。
潮風の精霊、手伝ってくれた海鳥達に礼を言いヨットに戻った。
「ごめんね、私にはこれが精一杯」
「なに言ってんの? すごく素敵じゃん!」
「うん…ありがとう、あやこさん」
「せっかくだもん、歌ってよ!」
「えっ」
「僕も聞きたいです…」
二人にお願いされればイヤとは言えない。
「う…ん、じゃあ一緒に歌わない?」
「あたし達、地球の歌なんて知らないよ」
「大丈夫、簡単な歌。タイトルは「七夕」っていうの」
そうして幼い双子は、あやこに教えてもらいながら七夕の歌詞を覚える。
彼女の口元から奏でられるメロディに合わせて、歌う。
わずか八小節の童謡は、だが双子に時を忘れるほどの楽しさを感じさせてくれるのだった。
空がうっすらと白み始める。
もう間もなく東の水平線から陽が上る。
「…ヒコボシ」
「ね、オリヒメ!」
双子は顔を見合わせ、笑顔で頷きあった。
「あやこ、これはあたし達からのお礼よ!」
「え…」
「今夜は本当に楽しかったです…、ありがとうございました…」
「またきっとどっかで会おうね!」
「え? どうしたの急に」
「お別れの時間」
言い、二人は手を取って足元を蹴る。
浮かぶ身体、輝く笑顔。
「あやこ、ありがとう!」
「わ…っ…」
双子が舞う。
長い袖を、髪を、色づいた風のように空になびかせ、描かれた軌跡は光りを帯びる。――広がる。
水面に広がる波紋のように、いま空に広がるのは星の軌跡。
果てへ、果てへ。
遥か彼方、群星の海。
「空と海、……満ちる輝き…」
あやこは呟く。
考えていた歌の詩。
足りなかったのはこれだ。
輝きの星。
命の海。
両手いっぱいの瞬く輝きを、永久に守っていくために。
「…っ…、ありがとう…!」
あやこは手を振った。
星の向こうに消えた双子に向かって、いつまでも手を振り続けた。
綺麗な海を約束する。
だから。
――だから。
「来年も、きっと一緒に歌おうね……!」
それが彼女の、夏の日、星達との出逢い――。
―了―
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━…・・
登┃場┃人┃物┃一┃覧┃
━┛━┛━┛━┛━┛━┛
【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】
・7061 / 藤田あやこ / 女性 / 24歳 / ホームレス /
ラ┃イ┃タ┃ー┃通┃信┃
━┛━┛━┛━┛━┛━┛
こんにちは月原みなみです。今回は七夕イベント「星の彼方」で当方のオープニングにご参加下さりありがとうございます。
自然を愛されるあやこさんの優しい気持ち、書いている私まで癒されるような気がしました。双子もその優しさに触れるだけで機嫌を直してしまうなど、一部プレイングを反映出来なかったことをお詫び致します。
今回の物語がお気に召していただける仕上がりになっていれば幸いです。
リテイク等ありましたら気兼ねなくお出し下さい。
また何れかでお逢い出来ることを願っています。
|
|
|