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<東京怪談ノベル(シングル)>


Why not?

 コツ、コツ、コツ……。
 廊下に硬質的な足音が響く。
 セキュリティの高いエレベーター、自分を案内している隙を見せない男。
 その後ろを杖をついて歩いている矢鏡 慶一郎(やきょう・けいいちろう)は、今から向かう先のことを考え心で軽く息をついた。いつも陸上自衛隊の制服を着崩したりしている慶一郎も、今日はきちんとしたスーツ姿だ。手に提げているのは有名菓子店の菓子折と、オアシスのついた小さな花束。
 ここは篁(たかむら)コーポレーションの本社ビル。
 慶一郎は、ここの若き社長である篁 雅輝(たかむら・まさき)に面会するためにやってきていた。彼が持つ個人組織『Nightingale』と、慶一郎は何度か一緒に仕事をしたことがある。だが、こうして直に合うのは初めてだ。
 アポイントメントは前もって取ってある。
 普段から多忙だと言うことだったので、時間を取ってもらうため、筋道を通して約束をした。
「では、当日本社ロビーに秘書を行かせますから、彼について社長室へいらっして下さい。大事な話でしょうから」
 電話で応対した声は、柔らかく耳障りの言い声だった。
 だがロビーで秘書に会ってから、慶一郎は社長室までのセキュリティの高さに驚いた。
 まず、ロビーから直で社長室までは行けない。裏口に回り、カードキーを使って社長室のフロアのあるところまでエレベーターで行く。しかも乗るときだけではなく、降りるときにもカードキーが必要らしい。
「……Nightingaleの皆さんも、このカードキーを?」
 Nightingale、サヨナキドリ。
 死を告げるとも言われる鳥の名前を持つ組織。だが秘書は、慶一郎の質問に小さく首を横に振った。
「いえ、このカードキーを持っているのは、自分以外は片手で数えられるほどしかいません」
「『人を見たら泥棒と思え』とは言いますが、徹底してますな」
「これでも足りないぐらいです。社長が招くぶんには問題はありません」
 ここは、城か。
 とするのなら、さしずめ目の前の秘書が騎士団長で、これから自分は王に謁見するということか。
 そうしているうちに、目の前に重厚な扉が見えてきた。最後にもう一度カードキーを通し、生体認証を受ける。まるで結界のようなセキュリティぶりだ。
「社長、お客様がお見えになりました」
 ドアを開けた向こうには、広い部屋が広がっていた。
 座り心地の良さそうな椅子と大きな机。その上にはパソコンや連鶴などが整然と置かれている。
 部屋の脇にはしつらえの良さそうな応接セット。だがここに来るまでが堅苦しかったのに反して、部屋の中は落ち着いて話が出来そうな雰囲気だった。
「ご足労かけました。初めまして、篁コーポレーション社長の篁 雅輝です」
 椅子から立ち上がった雅輝は、微笑みを浮かべながら慶一郎に名刺を差し出す。さらっとした黒髪に眼鏡、そしてしっかりとしたスーツが似合っている。
 慶一郎はそれを受け取り、自分もきっちりと挨拶をした。
「お初にお目にかかります。防衛省情報本部(DHI)情報官、矢鏡 慶一郎一等陸尉です。先日はご協力ありがとうございました」
 先日……というのは、少し前に首都高で起こる不可解な死亡事故の原因であった化け物を排除するために、慶一郎とNightingale所属の少女が組んで仕事をしたことだ。慶一郎が銃撃戦をし、運転を任せたのだが、なかなかのものだった。
「彼女に経験を積ませたかったので丁度良かったです。足手纏いにはなりませんでしたか?」
「いえ、一緒だったおかげで手柄を立てられましたよ。ささやかですが、これを彼女にお渡し願いますか……」
 持って来たオアシスつきの花束を渡すと、雅輝はにこっと笑ってそれを秘書に渡す。
「さて、立ち話も何ですのでそちらへどうぞ。今、紅茶を入れますから」

 まさか、雅輝が直接紅茶を入れるとは思ってもみなかった。
 白いカップに注がれた紅茶からは、蘭にも似たスモーキーな香りが漂っている。
「どうぞ。僕が入れたものなので、味は保証しませんが」
「いえ、お構いなく。こちらは何の紅茶で?」
「中国紅茶のキーマンです」
 こうしていると、彼が個人で人外の者や異能者の集まった組織、Nightingaleを束ねているとは信じがたい。だが、それでもやはりいい知れないカリスマのようなものを、慶一郎は感じていた。
 緩急がある。
 緊張と緩和。雅輝はその使い方が上手いのだ。多分、今から自分が話をしたら、それも確信に変わるだろう。
 雅輝が慶一郎の前に座り、目を細めた。
「矢鏡さんは、何をお話しにいらっしゃったのでしょう?僕が話せることであれば、お話しいたしますが」
「今日はバイオケミカルテロと、心霊テロの複合の可能性についてお聞きしたいのですが……」
 こいつは厄介な相手だ。
 目の前で紅茶を飲んでいる雅輝は、本当にただの穏やかな青年に見えるかも知れない。だが、その後ろに抱えている闇が見え隠れするのだ。
 自分と同じように、修羅場をくぐり抜けたもの独特の闇が……。
「バイオケミカルですか。そちらの方は、僕より兄の方が詳しいでしょうが、矢鏡さんは何故それを?」
「テロにもいろいろ種類がありますが、この二つが複合すると非常に見えにくいと思うのです」
 そう言ってから紅茶を一口。
 慶一郎には懸念していることがある。少し前までは化学兵器が恐れられていたが、これからは、生物兵器が主体になるのではないだろうかと。
 近年の鳥インフルエンザ騒動や、青年層へのはしかの流行。ウイルスは半永久的にそこに留まるものではない。だが繁殖する場所がある限りは増えていく。
 恐ろしい狂犬病ウイルスを駆逐出来たという、日本のような国は稀で、世界にはまだウイルスの驚異は残っているのだ。
「可能性……とは、どのように考えていらっしゃるんですか?」
 指を組みながら、雅輝は興味深そうに慶一郎の話を聞いている。それは馬鹿にした風ではなく、何かを考えているようにも見えた。
「例えば、少量なら無害な細菌のような物が、術者の念で爆発的に増える……」
 エマージェンシーウイルスというものがある。
 それはエボラウイルスであったり、西ナイル熱であったりするのだが、それを術者の念で一斉に増やすことが出来たとしたら。
 そして、それが東京のど真ん中で起きたとしたら。
 ワクチンも対処療法もない病気にかかれば、あとは体力で生き残れるかどうかしかない。死亡率が90%を越えるウイルスだって存在している。
「確かに目に見えないウイルスと、目につきにくい心霊テロが複合されれば厄介でしょうね」
「もしくは術者の念でのみ防御できる細菌兵器……可能ですか?」
 カチャ。
 雅輝が紅茶を飲む。そしてテーブルの上に視線を這わせた。一体雅輝は何を考えているのか。視線からそれが読み取れない。
 自分の言っている事は魔術と科学の融合だ。今の時代では笑い話だろうが、兵器は発想が大事だ。現に今だって恐ろしい兵器は日々研究されている。
 しばらく沈黙していると、雅輝が先に口を開いた。
「可能とは言い切れませんが、不可能ではないでしょうね。僕はウイルスについては専門外ですが、培養と拡散を念で調節というのは興味深いです。防御に関しては、知識があれば十分可能でしょう」
「培養と、拡散ですか」
「ええ。そうですね……たとえば生物の成長を促進出来る力を持つ者がいれば、容易いでしょうね。培地はその辺に転がってますから」
「その辺?」
 すうっと笑った雅輝の口元から出た言葉に、慶一郎は思わず紅茶を吹きそうになった。
「ええ。一番の培地は人間ですよ」
「………!」
「そんな顔をしないで下さい。本当にやる訳じゃありませんし、これも兄の受け売りです。それにそんな事をしても、僕には何の得にもなりませんよ」
 くつくつと楽しそうに雅輝が笑う。どうやらすっかり、からかわれてしまったようだ。
「パスカル曰く『人間は神と悪魔の間に浮遊する』全くその通りですな。篁さんはお若いのに、何処か吹っ切れて悟っているところがあるようです」
 癖で煙草を出しかけてからしまおうとすると、雅輝はすっと灰皿を差し出した。
「可能性があるなら、それは考えておきたい。僕はそう思っています。それに……色々と気に掛かることもありますので」
 紫煙の先を目で追いかけながら、慶一郎はまた思考の淵に手を入れる。
 可能性があるなら……もしかしたら、そんな事件が起こるかも知れない。その時自分は何が出来るだろう。見えないウイルスと、姿を見せない心霊テロ。自分達が住んでいる世界は、危ういバランスで成り立っているのだろうか。
 慶一郎が持ったカップは、まだ暖かかった。煙が上る煙草を灰皿に置き、茜色の紅茶を飲み干す。
 大きく息をつき、静かに一言。
「篁さんが気に掛かっているのは、旧陸軍関係のことですか?それとも……」
「両方、です」
 慶一郎は雅輝から旧陸軍に関する調査を請け負ったことがあった。地下施設に残っている研究資料を持ち帰る……その時に、生きた屍となった兵士の群れを見た。
 そして見ると正気を失うDVDや、汚職事件に関わる政治家の人体発火事件などに見える、ある研究所の影。慶一郎空の長年の勘が、それらが糸で繋がっていると告げる。
 雅輝は大きく息をつくと、空になった慶一郎のカップに紅茶を注ぐ。
「実は、あの家とは宿敵とも言える関係です。旧陸軍の人体実験にも関わっていた、忌まわしい研究所……矢鏡さん、何も知らずに引き返すなら今のうちですよ」
 顔を上げた雅輝は、先ほどの微笑みとはうって変わった冷たい目をしていた。感情も何もこもっていない視線。それが慶一郎を見据える。
「何も知らずに、とはどういう事でしょう」
「知ってしまったら、貴方の性格だときっと抜け出せない。だから言います。今なら引き返せると」
「………」
 それは冗談でもなんでもない、ある種の決意を秘めた視線。
 『人の一生は重荷を背負うて遠き道を行くが如し』と言ったのは、確か徳川家康だったか。ならばここで重荷が増えたところで構わない。
 一服した慶一郎は、まだ長い煙草を灰皿に押しつける。
「ここまで来て知らずに……というのは性に合いませんな。それに、私も人体発火事件には関わってしまった。こうなればとことん付き合うつもりですよ」
 目を閉じ雅輝が小さく首を振る。
 しかし呆れているというわけではなく、こうなることは分かっていたというような表情。
「では、他言無用でお教えしましょう。あの研究所に手を貸している政治家が、まだいます。旧陸軍で研究していた『不死の兵士を作る』という、馬鹿げた研究に」
「不死、ですか……」
「ええ。だからこそ、その根を叩くために、クロキジとサヨナキドリは手を組んだんです。この時代に甦った過去の亡霊を、今度こそ倒すために」
 何だか薄ら寒い気持ちになった。
 不死の何がいいのだろう。
 何も変わらずに生き続ける苦痛に、皆耐えられるのだろうか。親しい者が老い、死んでいくのを見ていることしか出来ず、延々と続いていく「現在」……それに正気でいられる者が何人いるのか。
「何故、篁さんが旧陸軍を追っているのかがやっと分かりましたよ。ならば私も出来るだけのことはしましょう。友人も関わってますし」
 ポケットから煙草を出し、もう一度火を付ける。
 下手をするとこの話は政治家や、防衛省にまで関わるほど根が深いかも知れない。そう思っていると慶一郎の前に名刺大の紙が差し出される。
「これは?」
「ほとんど教えていない方の、僕の電話番号とアドレスです。研究所という深淵に関わる者だけにしか教えていません。本当に重要なことを伝えるときは、前のように封書か僕が直接話をします。それでいいですか」
 電話は安心出来ないと言うことか。だが、その慎重さは嫌いではない。それに相手は、何をやるか分からないような研究所だ。念には念を入れた方がいい。
「覚えておきましょう」
「そうして下さい」
 その後慶一郎は、その研究所が大正時代に一度焼失していることを知った。その時は表向き鳥類の研究所ということだったらしいが、それが「鳥の名を持つ者達」に繋がってるのだろう。
 そして、歴史の裏で生き延びて、今また甦ろうとしている……。
「後悔してますか?」
 雅輝が目を伏せて笑う。
「何をですかな」
「関わってしまったことですよ」
 何を今更。
 元よりそのつもりだったのだ。何故、どうして……と言われようが、自分がそうしたかったのだから仕方がない。理由など考えてもいない。
「ラスキン曰く『死すべき時を知らざる人は、生くべき時を知らず』。たとえ不死をちらつかされても、私はごめんです。私は、友人の永遠に続く長い生に煩いをなくしたいだけです。それがたまたま繋がっていただけで」
「そうですね。反省はしても後悔はしない、それが一番です」
 やっと手の先に謎の端が掴めてきた。まだ闇は深いかも知れないが、ここから光を探し出そう。全ての謎はきっと繋がっているのだから。
 もらった名刺を胸ポケットにしまうと、慶一郎は煙草を燻らせたままその行く末をじっと見つめた。
 謎を、この煙のようにあやふやのまま消すわけには、絶対いかない……。

fin

◆ライター通信◆
ありがとうございます、水月小織です。
雅輝と初めての顔合わせと、バイオケミカルテロの話から旧陸軍と研究所の話へ……と、いうことで、ここまで話させて頂きました。取りあえず明かしてもいいところはこれぐらいで、あとは調査をしていくという形になっていきます。
案外と根が深い話なのですが、これが色々なところと繋がっていく予定です。
電話番号ですが、これに関してはNightingaleであっても知りません。深淵に触れることを許可した者だけに渡される、チケットのようなものです。
リテイク、ご意見は遠慮なく言って下さい。
また機会がありましたら、よろしくお願いいたします。