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消えていく文字
1.
「ちょっと、三下!」
突然の怒鳴り声に三下はその場で飛び上がり転ぶように呼びつけた麗香のもとへと駆け寄った。
「な、何かありましたか?」
「何かじゃないわよ、なにこの原稿は!」
そんな怒るほどのミスをしただろうかとおそるおそる三下は原稿を覗き込んだ。
途端、「えぇっ!?」と驚いた声を上げた。
原稿の文字が、数箇所空欄になっている。しかも、普通ならば文章を書いているときに意図してでなければできないようなところに空白がある。
「どういうことか、説明してもらおうかしら?」
麗香の低い声に三下の悪質な嫌がらせとでも考えられたのだとしたらそれはとんだ濡れ衣だ。
そもそも麗香相手に三下がそんなことをする度胸はない。
「あれっ?」
「ちょっと、何これ……」
慌てて弁明しようとしていた三下と睨みつけている麗香の耳に、そんな声が聞こえてきた。
見れば、何人かのものがパソコンから印刷した紙を見て驚いた顔をしている。
「どうしたの?」
「それが……原稿から文字が消えていってるんです。虫にそこだけ食べられたみたいに」
同じようにそう言ってきた者の話を聞きながら、麗香はあることに気付いた。
虫食い原稿の現象は、三下のデスクを中心に広がっているようだ。
「三下……」
「は、はいっ!」
「あんた、最近何処に取材でも何でもいいけど行ったか思い出せるわよね?」
にっこりと笑う麗香の顔に、だが三下は血の気が引いていくのを感じていた。
「早急に、この原因を突き止めて、原稿がこれ以上駄目になるのを防ぎなさい。それまでは此処に戻ってこないように!」
弁解の余地もなく三下は編集部を叩き出される羽目となったが、原因と言われても怪奇スポットやそういう噂が流れるような場所にはそれこそ数限りなく麗香の命により取材に行っているのだ。
しかしその中でこのような状況になるような原因となりそうなものがあっただろうか。
はぁぁ、と辛気臭い溜め息をつきながら公園の片隅で背中を丸めてベンチに座っている姿はなんとも情けない。
その情けなさに同情して、というわけではないだろうが俯いていた三下の頭の上から、声が降ってきた。
「三下殿、どうしたんです?」
名前を呼ばれ顔を上げてみれば、たまたま通りかかったらしい翠の姿がそこにはあった。
2.
「成程、原稿の文字が抜け落ちてしまう怪異ですか」
翠は三下とは知り合い程度の付き合いしかないが、ベンチに座っていた姿があまりに情けなく、無視することも躊躇われたので面倒とは思いながら三下から事情を聞きだした後そう呟いた。
「麗香さんは絶対に僕が何かしでかしたからそんなことが起きたんだと思い込んでますし。でも、僕にはその原因がよくわからなくて……それに、わかったところで僕だけでは解決できないですし」
とことん情けないことを湿っぽく愚痴る三下の話は半分以上聞き流しながら、翠は原因となりそうな可能性を考えていた。
「原稿の文字が虫食いのように抜け落ちていたのですね?」
「え? あ、はい。でも実際に穴が開いてたわけじゃなくて、所々の部分が空白になってたんです」
それを確認したところで、翠にはひとつの可能性が頭を過ぎる。
『本の虫』といい、本の中に棲み価値のある文字を好物としている存在だった。
これならばいま三下が言っている状況には当て嵌まりそうだが、現象が似ているからと言って『本の虫』の所為だと断定するだけの確証がまだない。
「三下殿、本にまつわるところで最近何処かへ行かれましたか?」
怪異の起こり方を考えれば、少なくとも原因を作ったのが三下であるという麗香の読みは正しいだろうと翠も思う。
だが、問われた三下のほうはといえば、うーんと真面目に考え込んでいるように見えはするが心当たりが浮かばないといった風だ。
「最近行かれた取材先で、何か封印のようなものを開いてしまったとか」
「そ、そんなもの開きませんよぉ」
確かに故意に封印を破るような真似をするような男ではないが、そうとは知らずうっかり破ってしまったということなら三下ならやりかねない。
「本当に心当たりはないのですか?」
やや強い口調で尋ねてみても、三下は首を横に振っているばかりで有益な情報が出てきそうにない。
ここで下手な嘘をついた場合、後で事情が判明したとき麗香からどれ程の雷が落とされるかなど知らない三下ではないのだから、何処か知らないうちに封じられているような場所にでも行ったのだろうか。
三下の反応を見ながら、翠はそう考えさりげなく三下を『視』てみることにした。
と、程なくして薄っすらとだが鳥居のようなものが視えてきた。
ひどく寂れた神社だが、雑誌のネタとして使えるほどの特徴があるようなものには見えない。だが、これが視えたということは、三下はこの神社に行ったということになる。
じろりと翠は三下を見た。途端、条件反射のように三下が首を縮こませた。
「三下殿、取材ではない目的で神社に最近行かれましたね?」
「え? あ、そういえば……いや、でも、それは……」
「是非とも何処へ何のために行かれたのかお教え願いませんかね?」
何か言い訳をしようとしていた三下の言葉は封じ込め、問いを重ねると三下は慌てて事情を説明した。
「べ、別の取材の帰りにたまたま見かけて、なんとなくお参りしただけです。封印を破いたとかそんな畏れ多いことはしてませんよ?」
ここで嘘を吐いて自分の首を締めなければならない理由が三下にあるとも思えない。ならば、封印はすでに何者かによって解かれた後で、三下はたまたま憑く相手を探していたところに出くわしてしまったということなのだろうか。
つくづくついてない男だと思いながらも、顔にはそれを出さずに翠は三下に更に尋ねた。
「その神社はいったい何のご利益が?」
「あの、えぇと、それは……」
「三下殿?」
また口篭ろうとする三下の言葉を封じ込めて問答無用といった口調で名前を呼ぶと、ようやく三下は観念したように口を開いた。
「文章上達とかなんとか……取材帰りだったんですけど、麗香さんに文章から面白味が伝わらないと叱られたばかりだったのでおもしろい記事が書けるようにならないかなと思って」
その言葉により翠はようやく原因に確信が持てた。
3.
「ふむ、これは見事に食われていますね」
自分が原因だと完全に判明したため嫌がる三下を無理矢理引きずりながらアトラス編集部を訪れた翠は、麗香に簡単に挨拶を済ませてから件の原稿用紙のいくつかに目を通した。
どうやら三下が追い出されてからも怪異は続いていたらしく、翠の目の前に置かれている原稿の数は随分と増えていた。
「間違いない、『本の虫』ですね」
文字が抜け落ちている箇所を視ながら翠はそう断言する。長く封印されていたためもあって虫たちの食欲は留まるところを知らないようだ。
「三下……あんたまた余計なもの連れてきてくれたわね」
険しい顔で三下を睨みつけている麗香に翠は「まぁまぁ」と宥めるように声をかけた。
「こういうものは原因さえわかれば対処方法はあるものですから、あまりお怒りにならずに」
言いながら、翠は懐から一枚の符を取り出した。
それに、やはり何処から取り出したのか硯と筆を取り出し、あまりの達筆さで麗香以外の者には何と書かれているのかもわからない字を流れるように書き出していく。
「それは何?」
感心したように見ていた麗香がそう尋ねると、翠はあっさりと答える。
「何、餌ですよ。齢一千年を超えた陰陽師が書いた文字となれば、虫共をおびき寄せるには申し分ない」
そう言って、翠はその符を三下のデスクに無造作に置いた。
後は、しばらく様子を見ていれば良いだけだ。
「あ……!」
じっと固唾を呑んで符がどうなるか見守っていた中、誰かがそんな声を出した。
符から、文字が消えていっている。同時にじわじわと何かが浸食しているような黒いものを見たと言うものが後から何人か現れたが、彼らが本当に見えていたのかは疑わしい。
その間も、文字はひとつ、またひとつと消えていき、最後の文字がなくなったとき翠はその符を手に取った。
「さ、触って大丈夫なんですか?」
見えてはいないようだが『虫』というイメージにあまり良い印象を持っていないらしい三下がそう聞いても、翠はこともなげに頷いただけだった。
「もともとこの符は結界符なのですよ。だからこの文字を食うために符に近付いたら最後動けなくなってしまいます。おそらくはもう大丈夫でしょう」
その言葉に、三下はほっと息を吐こうとしたが、その前に背後から感じる怪異とは違う冷気を感じた気がして慌てて振り返る。
「れ、麗華さん……?」
「三下……あんたこの始末わかってんでしょうね。なくなった原稿の締め切りは延びないのよ! さっさと書き直し!」
「はっ、はい!」
「それと!」
逃げるようにデスクにつこうとしていた三下を厳しい声で呼び止め、麗香は言葉を続けた。
「原稿作るのに神頼みする馬鹿が何処に居るの! そんなものは自分の力で培うから意味があるのよ。そんな怠慢な態度だから没が増えるのよ、肝に銘じなさい!」
「はいぃぃ!」
元気な、というよりも悲鳴のような三下の返事に翠は笑いそうになるのを堪えなければならなかった。
後はこの符をしかるべき場所へ納めるなりしなければと考えていた翠に、いままでの剣幕などなかったかのように麗香が声をかけてきた。
「ねぇ、ちょっとその『本の虫』について取材させてもらいたいんだけれど、良いかしら?」
流石、転んでただで起きるなどするはずもない辣腕女編集長殿は違うものだと感心しながら、翠はその申し出を快く受けた。
了
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■ 登場人物(この物語に登場した人物の一覧) ■
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6118 / 陸玖・翠 / 23歳 / 女性 / 面倒くさがり屋の陰陽師
NPC / 碇・麗香
NPC / 三下・忠雄
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■ ライター通信 ■
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陸玖・翠様
いつもありがとうございます。
この度は、当依頼にご参加いただき誠にありがとうございます。
原因が『本の虫』であり、三下氏が何処かでうっかり封印を破いた、もしくは覚えがない場合は『視』るということでしたので、双方を混ぜてこのような形にさせていただきましたが如何でしたでしょうか。
お気に召していただければ幸いです。
またご縁がありましたときはよろしくお願いいたします。
蒼井敬 拝
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