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<東京怪談ノベル(シングル)>


戦姫の夢
 風は鋭く頬を滑り、『嬢翔綺龍』軍の兵が一騎、また一騎と樹海へ消えていく。味方の死を背に、私は竜を駆り空を駆ける。
 古の支配者、侵略者恐竜族の空飛ぶ魚。こちらの魔術が効かぬ奇怪な生き物を撃ち落すには、接近して原動力を蓄積した鱗を破壊するしかない。胴の砲台付近には、魔術を弾く結界が薄い。その隙間を縫いながら、再度剣を振り下ろした。刀身から伝わる硬い感触と痺れに耐える。欠片と共に身をたたく、害を及ぼす力の流れを浴びながら、私はひたすらに敵陣へ突っ込んだ。
 自分で立てた誓いを破らないためにも、ここで負けるわけにはいかないのだ。



 冗談じゃない。危うく水晶玉を叩き落としそうになる。はるか昔の世界を映し出す水晶玉は、そ知らぬ顔で映像を流す。
 耳の長い、背中に純白の翼を持った少女がいる。毎日鏡で見ていた姿が、知らない場所を歩いている。私ではあるが、私ではない。あやこという少女の魂が、私の肉体に入っているのだ。彼女は戦いに赴く私の願いを聞いて、肉体を交換してくれた。彼女がいなければ、私は男の体で戦わなくてはならなかった。無理な願いを聞いてくれたことは、今も感謝している。
 それでも、許せないことはある。私は再度彼女の足下へ目をやった。翼の先端が、ざらついた石道の上を撫でている。毎日香油と櫛で手入れしていた純白の翼。そんなぞんざいな扱いをしていれば、羽が痛んで飛べなくなってしまう。
 と、彼女はおもむろに、道端に積み上げられた箱の一つにもぐりこんだ。何ということだろう。私は王女、気高き血を引く者。それなのに、宿無しの娼婦のような生活をしているなんて。
 憤りと情けなさでこれ以上見ていられず、私は部屋を飛び出した。いつものように階段を飛び降りようと、背中に意識を巡らせて床を蹴る。全身を強い衝撃が襲ったのは、一呼吸後のことだった。身を起こしてようやく、翼が無いことを思い出す。
 仕方のないことだが、やはり不便だ。飛ぶことすらできない。転げ落ちた長い階段を見上げる。紅の絨毯を引いた柔らかな段差が、灯かりに照らされている。昔はここを、きらびやかなドレスに包まれて歩いたものだった。知らず、唇を噛み締める。こんな戦さえ起こらなければ、今でも詩歌を愛で、美しい音楽を楽しみ、華やかな宴に浸ることができたのに。古の時代の者肉体を借りることなく、連日の戦で仲間を失うこともなかったのに。
 過去への懐古を振り切るために、足を武器庫に向ける。いつも使っている大剣を手に取り、そのまま竜のいる小屋へ入った。気配に反応して首をもたげる愛騎を撫で、手綱を取り飛び立った。耳の傍でうなる風が、私のものでない黒い髪を巻き上げていく。敵の将軍が乗る巨大な魚はいない。雑魚とも呼ぶべき小さな魚がいるだけだ。気づかれぬように速度を上げる。手綱を繰り、竜の背中を強く踏んで剣を握る。
 何も考えるな。迷っていては死ぬ。昔を懐かしんでも、何もならない。自分にそう言い聞かせながら、最初の鱗を断ち割った。墜落する魚の傍をすり抜け、次の一騎を目指す。耳障りな音波が飛び交う。警戒音だ。だが、止まるわけにはいかない。砲台の間にある結界の隙間を飛び抜け、動力炉である鱗を叩き壊した。結界を突き破り次の目標へと向かう。
 水晶玉の映像には、私の体で男を引っ掛ける彼女がいた。無心で動いていた私の脳裏に、唐突にそれが蘇る。男を口説き、怨霊に対して銃を滅茶苦茶にぶっ放す、私に比べれば平穏な毎日。私はこんなに必死になって戦っているというのに。どうして私ばかりこんな目に会わなければならないの――!
 刹那、竜が悲痛な叫びをあげた。翼を持つ恐竜族の兵士が出撃していたのだ。鋭い牙で竜の翼に食いついている。気がつかなかった。まずい。追随する兵を数体かろうじて斬り倒したとき、体勢が崩れた。私には翼が無い。騎乗した竜の翼がやられれば、落ちるしかない。悲鳴すら上がらなかった。私は竜と共に、成す術もなく空に投げ出された。幸いにも兵士たちは追ってこなかった。
 強い水の衝撃に一瞬息を詰まらせるも、意識は保っていられた。か弱い人間の体、翼があれば多少は緩和できたかもしれないのに。痛みに軋む体を起こし、周囲の様子を探った。沼に落下したらしい。生き物の気配は感じられなかった。竜も無事だったが、翼が折れている。不安気に鳴く竜を撫でてやり、立ち上がる。とにかく今は戻らなければ。
 突如、気配が湧いた。傍らに刺さった剣を引き抜き構える。地を這う蟲共、ここは蟲の巣だったのか。躊躇している暇はない。腕に絡まる服を引きちぎった。肉体に密着する薄い衣一枚になる。
 身を低くかがめ、跳躍した。蟲の硬い装甲の間に、体重を乗せて刃を突き立てる。引き抜き、振るう腕の反動を生かして背後の一体の首を斬り落とした。蟲の脚を避けながら、急所に剣を叩きつける。
 狭い箱の中で翼を抱き眠る、彼女の姿が脳裏をよぎる。寂しそうに体を縮めて眠る彼女。辛いのは、私だけではない。思い浮かべながら、胸中で彼女に語りかける。
 今の貴女は孤独かもしれない。でも今はどうか、それに耐えて私の体を護っていてほしい。私はくじけるわけにはいかない。護るべき者がいるのだから。だから貴女も、貴女のために今の幸せを護っていてほしい。
 剣の柄を何度も握りなおし、乱れる呼吸を整え、私は渾身の力で最後の蟲を斬り倒した。もう迷わない。必ず生きて戻る。次に会うときは、お互いがお互いに幸せになれているように、そのときまで精一杯頑張るから。



 歓声と拍手が、強制的に意識を覚醒させる。あやこは寝ぼけ眼を擦り、集まっている人々を眺めた。老若男女様々な顔ぶれ、足下に散らばるのはどうやらおひねりらしい。おひねり、つまり、お金。明日のご飯。慌ててそれをかき集めるあやこに、見知らぬ中年男性が声をかけてくる。
「よぅ姉ちゃん、すげぇなぁ! コスプレもばっちりで、いやーすげぇ一人劇だったなぁ! もっとすげぇアクションはなかったのかい?」
 何のことやら理解できず、あやこは愛想笑いを浮かべて首を振る。いつの間にか手にしている棒もよく分からない。野次馬の話を聞いていると、どうも自分はこれを振り回して派手な路上ライブ、いや路上一人劇をやっていたのだという。時刻は昼寝の時間と一致する。
「夢遊病にしたんじゃないでしょうね、あの王女様……」
 手にした棒を睨んでも、棒切れが返事をするわけがない。あやこは一つ息をつき、先ほどの夢を思い出す。
 あの王女様は、自分の体を使って今も戦っているのだろうか。毎日のように戦に出向き、辛い思いをしているのだろうか。
「お互い大変よね……でもまぁ、今を乗り越えれば明るい未来が待ってるから、頑張らなくちゃね」
 蒼い空は紅を溶かし込み、境界をぼかして丁度よく交じり合っていた。
「王女様ぁ、勝手に人の体で死なないでねぇ! 私も頑張るから! 約束なんだからね!」
 張り上げた声は、果たしてはるか未来で戦う王女に届いただろうか。音の残滓に耳を傾けるあやこの目に、確かに剣を持ち竜を駆る姫君の姿が見えた気がした。