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<東京怪談ウェブゲーム 界鏡現象〜異界〜>


アクアリウム D.P.



1.
「今度水族館に行こうと思ってるんだが、どうだ?」
 珍しい増沢からの提案だったが、書籍絡み以外の外出嫌いの灰原は聞く耳など持たず、黒川だけが愉快そうに笑みを浮かべて尋ね返した。
「キミが水族館なんて珍しいじゃないか」
「今日新聞受けに招待チケットが入ってたんだ。タダなら大抵の場所は行くさ」
「……ほう?」
 その言葉に、黒川は微かに眉を顰めたがすぐにそれを消し、詳しい話を聞きだした。
 増沢がスケッチから帰ったのは日もだいぶ前に暮れた頃。無地の淡い水色の封筒にそのチケットは入っていたのだという。
 封筒とは対照的に深い青色のチケットに書かれていたのは有効期限と場所、そして水族館の名前だけ。
 水族館の名前は『アクアリウム D.P.』
「ディーピー……妙な略だね」
 流石に気になったらしい灰原がそう尋ねても、増沢は「さぁ」としか答えない。知らないのだから答えようがないということらしい。
「それで、キミは行くんだね?」
「なんだ? 行っちゃ問題でもあるか?」
「いや、キミなら問題はないだろう。で、そのチケットだが、僕たちを誘ったということはまだ枚数があるということだね?」
 黒川の質問に増沢は首を縦に動かした。このふたりに声をかけたというのは余程他に誘うあてがなかったのだろう。
「では、そのチケットは僕が預かろう。誰か興味を示す当てが見つかるとも限らないからね」
「そうか。じゃあ頼む」
 あっさりと残りのチケットを黒川に手渡し律儀に勘定を置くと増沢は雨が降る店の外へと出て行き、それを見送った黒川はそのチケットを愉快そうに眺めているだけなので、自然灰原が今度は質問役に回る羽目になった。
「水族館ということは本当なんだろう?」
「そのようだね。彼もまた妙なものに引っかかったものだ」
「なんなんだい、それは」
「だから、水族館さ。さて、誰かこういう場所に行きそうな者はいたかな」
 楽しげにそう呟いた黒川の様子も含め、どうせ普通ではない場所なのだろうという見当だけはついていた灰原は、最後にひとつだけ尋ねることにした。
「ディーピーというのは、何の略だい?」
 その言葉に、黒川は心底意地の悪い笑みを浮かべてひとつの単語を口にした。
「Drowned Person」
 その単語の意味を即座に理解して灰原が顔を顰める前に、黒川は席を立つと「さて」と出かける準備をした。
「手頃な相手がいないか探してくるよ」
 そう言って、店を出た黒川だったが、相手は程なくして見つかった。
 正確には、その人物が突然胸に飛び込んできた、のだが。


2.
 わっと胸に飛び込んできた相手に、黒川にしては珍しく僅かに驚いた顔を見せたのは、その行動にではない。
 ドレス姿の相手の髪が、飛び込んできた衝撃と共にずるりと落ちたからである。
 見事なスキンヘッドとなった相手が誰か、彼にしては珍しくそのときになってようやく黒川は気付いた。
「キミは、以前黒猫亭で会ったことがあったね?」
「覚えていてくれたんですか。嬉しいです」
 そう言ってにっこりと笑ったあやこであるが、その姿は以前黒猫亭を訪れたときとは随分と変わっていた。
 少なくともスキンヘッドではなかったし、スカート姿は以前もだったがこのようなパーティドレスを着てはいなかった。
「私、いま歌手をしてるんですよ」
 そう言ったあやこの言葉は嘘ではないが真実でもない。自称『歌手』、その実は無宿無職という状態でネットカフェに寝泊りしバイトをしている状態だったのである。
 もっとも、あやこに言わせれば「路上歌手なんだから立派な歌手でしょう」となるのだろうけれど。
「歌手にしては随分と奇抜な髪型だね」
「これは髪に塗料が付いたからなんですよぅ」
 塗料が付いたからといってわざわざスキンヘッドにしなければいけないほど被ったのだろうかということを黒川もわざわざ聞きはしないのだが、さてこの女性をどう扱うべきかとは珍しく逡巡することになった。
 と、そこで先程のことを思い出す。
「キミ、確か増沢と以前飲んでいたね?」
「ああ、柳之介…さんね。はい、そうですよ」
「彼が今度水族館へ行くんだがね、よければキミもどうだい? なかなか面白そうなところのようだが」
 そうして、黒川は『アクアリウム D.P』という水族館の話、及びその水族館の展示物についてあやこに説明をし始め、聞いていくうちにあやこの目に好奇心の色がありありと浮かぶ。
 水族館の名前についている『D.P.』とは水死人という意味であり、それにまつわるものが集められている。しかもそこに招待されたのはあやこが以前黒猫亭で関わったことがある怪奇絵描きの増沢となれば、あやこの答えは決まっている。
「行きます、行きます! でもこのドレスは商売道具だからちょっと着替えてからでも良いですか?」
「急がないから大丈夫だよ。着替えてから黒猫亭に行けば良いさ。彼には僕から伝えておく」
 それだけ言うと、黒川はあやこから離れ店に戻っていき、あやこのほうも着替えのためネットカフェに戻ることにした。

 数時間後、あやこの姿は黒猫亭の前にあった。
 その姿は先程のドレスから一転、ジャージに変わってはいたが。
「まるで遠足だわ」
 自分の姿含めそんなことを呟いたあやこの前で扉が開き、以前実験台として巻き込み、結果あやこのほうが大変な目に逢う羽目になった増沢の姿が現れた。
「この前は奢ってもらって悪かったな」
 あやこの姿を見た途端、増沢はそう言ったが口調に機嫌の悪そうなものは含まれていない。どうやら先日のことは自分が何をしたのかを含めてあまり覚えていないらしい。
「今日は水族館に一緒に行くことになりました。よろしくお願いします」
「誰と一緒でも俺は構わないけどな……」
 言いながら、増沢はしばらくあやこを見てから口を開いた。
「他に服はなかったのか?」
 服にあまり気を使っていないような増沢にそう言われたことは些かあやこには心外だったが、それを口にする前にじっと増沢の目があやこの頭部に向けられていることが気にかかった。
「なぁ、お前さんその髪……」
「髪が何か? それよりも早く水族館に行きましょう」
 話を打ち切るようにあやこがそう言うと、増沢のほうもあっさりと同意した。
「柳之介さんって、水族館に行くようにあんまり見えないんですけど」
「誘われてタダなら大抵のところには行く」
「好奇心が意外とあるんですね」
「いや、絵になりそうなものが見たいだけだ」
 この男絵を描くことしか頭にないのかしら、などと心中では思ってみても顔には出さずあやこと増沢は目的地へと向かっていった。
「見えたぞ。あれらしいな」
 そう言って増沢が指差した建物を見たとき、あやこは「え?」と聞き返した。
「水族館? あんな小さい建物が?」
 あやこの目に映ったのは小さなコンクリ製の一軒家で、とても水族館などという大層なものがあるようには規模には見えない。
 こんな狭いところにある水族館では、金魚程度の大きさの水槽が積み重なっているだけではないのか等と不満に思っている間も増沢はすたすたと建物に向かって歩いていく。
「ちょっと、もう少し同行者のことを考えて……」
 言いながら、あやこも建物に向かって歩く羽目になり、錆の浮いた扉を増沢が開けると同時に目に入った光景に釘付けになった。
 壁といわず天井といわず、視界に入る全てが青で染められた部屋だった。淡く光るライトまで青みを帯びている。
「ようこそ、アクアリウム D.P.へ」
 部屋を眺めているあやこに対してそんな声が聞こえ、振り返った先には青い服を身に纏った女性が微笑んでいた。


3.
「あなたは?」
 目の前に現れた女性にそうあやこが尋ねると、女性はにこりと微笑んでから口を開く。
「私は当水族館の案内兼管理に携わっているものです。この度はようこそ当水族館へ」
「じゃあ、このチケットはあんたが寄越したのか?」
 増沢の言葉に案内嬢は小さく首を振った。
「私は案内と管理が仕事です。招待をするのは彼ら、この水族館の住人たちです」
「住人?」
 今度はあやこがそう尋ねる。
「水族館で暮らしている彼らです」
 では、どうぞこちらへと案内嬢がひとつの扉を開くと、その先には地下へと続く階段があった。
「水族館は地下にあるんですか?」
「はい」
「さて、さっさと案内してくれないか」
 どうもあまり待つということが得意ではないらしい増沢が急かすようにそう言うと、案内嬢は微笑んだままあやこたちを地下へと誘った。
 コンクリの階段を降りきると、先程よりもますます青みが増したような広大な空間がふたりを出迎えた。
 その空間にはそこかしこに巨大な水槽が設置され、中に何かが泳ぎたゆたっている影が見える。
 ゆっくりとそのうちのひとつの水槽に近付くと、数人の水死者たちが自由に泳ぎながらあやこたちに向かって手を振ってきた。
「随分寛いでるようですね」
「ここは彼らの保養所としての役割も大きいのです。死後、此処へ来ることを望んだ方たちだけがこの水族館へやってきます」
「こんな広い場所で、しかもこんな水槽の維持をしようと思ったらかなり大変なんじゃないですか?」
 つい手を振り返しながらあやこがそう尋ねると、横に立っていた案内嬢が笑顔のまま口を開く。
「大変というのが維持費のことでしたら問題はありません」
「それはどうしてです?」
 あやこの言葉に、受付嬢はにこりと笑った。
「実は、彼らからは良いエキスが出るんです。お酒としても重宝されています」
「お酒って……この人たちが浸かってる水でぇ?」
 さながら水死者エキス酒とでも呼べば良いのだろうかと考えながら、その味があやこにはあまり浮かんでは来ないが不思議と嫌悪感も沸かなかった。
 これがただの死人が漬けられている水槽なら気味が悪かったかもしれないが、いま目の前にある水槽にいる彼らがのんびりと泳いでいたり笑顔でこちらに手を振ってきたりしているためか、そういうものもありなのかしらなどという考えが浮かんだからでもある。
「水槽にいる人たちによって味も大きく変わります。興味があるようでしたらそのことも付け加えながらご案内いたしますが?」
 案内嬢の提案に対してあやこは勿論と言わんばかりに「お願いします」と返事をした。
 他人の不幸は蜜の味ならぬ酒の味だったかなどと思いながらあやこたちはいろいろな水槽を見て回った。
「こちらは借金を苦に入水した方々の水槽です。癖があり一度嵌まると抜けられない味だとか。失恋が原因の方は胸が焼けるような味が。成り上がりの方が退屈した挙句の自殺というこちらは意外に喉越し爽やかという評判をいただきます」
 歌うような言葉と共に次々と紹介されていく水槽の中では、自分たちから出てきたエキスにすでに酔っているような水死者も見えた。
「黒猫亭にも、実は出荷しているんですよ」
「え!?」
 思わぬ単語についあやこはそう叫んだ、とその弾みでまたもカツラずるりと外れ、スキンヘッドが現れる。
『わぁ、坊主だ、坊主が来た』
『もうしばらく此処にいたいから、退治するのは勘弁してくれぇ』
 あやこのその頭に、ふざけたように水槽の向こうから笑い声が飛ぶ。
 どうやら、だいぶ酔っている水死者もいるようだ。
「随分と、楽しそうな連中ばっかりがいるものね」
「楽しくない方々は此処には留まりません」
 カツラを直しながらあやこがそう言うと、つられてクスクス笑っていた案内嬢がそう答えた。
 そういえば柳之介は何処? とあやこが思い出して周囲を見れば、ひとり気侭にスケッチをしている姿が見えた。あちらはあちらで放っておいたほうが良さそうだ。
「あなたたちは此処にいて幸福なの?」
 水槽に向かってそう尋ねると笑顔でうんうんと水死者たちは頷いた。
『行けるところがあるのは良いよ』
『住めば都。でも生きてるほうがやっぱり良いよ』
『どうせ来るなら急ぐ必要はないからねぇ』
 明るい声と和やかなやり取りをかわしながら、あやこは他の水槽も見て回った。
「これにて案内は終了させていただきます」
 やや広いスペースまで来たとき、案内嬢がそう言ってからにこりと笑う。
「よろしければ彼らのお酒、飲まれますか?」
「勿論!」
 そう答えると同時に、水死者鑑賞から彼らとともに飲み会の場へと準備が行われ始めた。


4.
 酒宴の場なら人が多いに越したことはないということで、ひとりスケッチをしていた増沢も呼びつけ、ふたりと案内嬢、そして近くの水槽からこちらを見ている水死者にまでグラスが渡り、全員で乾杯という流れになった。
 もっとも、水死者たちは空のグラスを持っているだけで中身は水槽から自然入ってくるという具合だが、それを気にするものは誰もいない。
「この借金苦のお酒、確かに癖になりそう」
 一気に飲み干してあやこはそう言いながら、別の酒にも口を付ける。
 増沢は酒を飲みながらもスケッチを相変わらずしている。
「あっちのほうはまだスケッチしてないんだけどな」
「そんなの後からでもできるでしょ。いまは飲むほうが大事よ!」
 スケッチしていない場所が気になるらしい増沢に対してあやこがそう言いきれば、それもそうかと飲むほうへと専念しだす。
「これで飲みすぎて帰り際川にどぼんなんてことになったら私たちも此処の仲間入りかしら」
「それを望まれればそうなりますよ」
 望むかと言われれば、いくら楽しそうでももうしばらく水槽の中に入るのは遠慮したいというのが本音だ。此処に来る前にいろいろとやりたいことはまだある。
「黒猫亭で今度このお酒注文しようかしら」
「良いんじゃないか。黒川に言えば適当に見繕ってくれるだろう」
「黒川?」
「店にだいたいいる黒尽くめの奴だ」
 ああ、あの男のことかとあやこも顔と名前がようやく一致した男について納得しながら別の酒を案内嬢に注いでもらっている間、増沢も手酌で適当に飲んでいる。
 それを眺めている水死者たちも楽しそうにそれを眺め、ゆったりとその身体を泳がせている。
「まだ飲まれますか?」
「飲みます、飲みます。ねぇ、ところでお姉さんは独身?」
 遠慮せずにあやこは呑み続け、徐々に案内嬢に絡みだし、挙句の果ては「お嫁になってよ」と言い出した辺りでようやく増沢が制止に入った。
「おい、お前さんだいぶ酔ってるな」
「そう言う柳之介はまだ素面ね」
「俺はこの程度なら潰れない。そろそろ帰るぞ、お前さんを此処に置いておいたら何をするかわからん」
 この前は潰れたじゃないというあやこの心の声は生憎と相手には届かず、完全に潰れては困るとばかりに増沢と案内嬢の手によって水族館から連れ出されてしまった。
「よろしければ、またお越しになってください」
「勿論、喜んで。お酒もまた飲ませていただきます」
 そんなことを言いながらあやこは水族館を後にした。
「俺は適当な場所でいま見たものを簡単に描いておきたいんだが、お前さんはどうする?」
「私はもうちょっと飲み足りないから飲みなおし」
「まだ飲むのか」
 呆れたようにそう言いはしたものの止める気はないらしい増沢は「じゃあな」とあっさりと酔っているあやこを置いて何処かへ行ってしまった。
 ひとり残されたあやこは水族館に戻ろうかとも思ったが、飲むだけならもっと良い場所があったことを思い出しそちらに向かうことにした。
 その目的地が、いま飲んでいた酒が飲むことのできるとあやこが唯一知っている店だというのは、言うまでもない。





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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)       ■
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7061 / 藤田・あやこ / 24歳 / 女性 / ホームレス
NPC / 黒川夢人
NPC / 灰原純
NPC / 増沢柳之介

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■         ライター通信                    ■
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藤田・あやこ様

2度目のご依頼ありがとうございます。
水族館が実はエキス酒を製造しておりそれで生計を立てているという設定、そして書かれていた水死者たちの口振りが陽気なものばかりだったので、水族館ではありますが賑やかな雰囲気が出せたらと思いましたが如何でしたでしょうか。
お気に召していただければ幸いです。
またご縁がありましたときはよろしくお願いいたします。

蒼井敬 拝