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<東京怪談ノベル(シングル)>


ここではない、どこかで

 夕方の蒼月亭は、何となく空気がまったりしている。
「もう上がっていいぞ。後は夜の仕事でやるから」
 カウンターでいつものように煙草を吸いながら、ナイトホークはキッチンの方に向かって声を掛けた。
「はーい、お先に失礼します」
 するとひょこっと顔を出しながら、いそいそとエプロンを外し始める。その時だった。
「ファムちゃん?」
 突然の言葉。
 少女が見たのは、緑の髪に白い天使の羽根をつけた少女ファム・ファムだ。
 ファムは地球人の運命を守る、大事な仕事をしている。ナイトホークにその姿は見えていないが、その名前に何か引っかかる物を感じた。
「……誰だそれ?」
「い、いえ、独り言です」
「………」
 黙って煙草を吸いながらも、それがナイトホークの脳裏をカリカリとひっかくような気がする。
 何処かで聞いたことがあるような気がするのだが、それがはっきり思い出せない。
 もしかしたら、自分がなくしている記憶の片隅にでも、それは転がっているのだろうか……。

 時は1904年。
 朝鮮半島とロシアの国境の小さな村落で、ナイトホーク……その頃の名は天野 鷹一(あまの・たかかず)は、日露戦争のまっただ中にいた。
 特に歴史上名の付くような大きな戦いではない。戦争時はこのような小競り合いがどこでも行われている。戦線維持のためや、侵略のための作戦、上げればきりがないぐらいだ。
「くそっ、はぐれたか……」
 村は露西亜兵が既に散々荒らした後で、人は既にいない。味方だから安全だ……などという保証は戦時中では無意味だ。ここだってきっと向こうでは日本兵が蹂躙したことになっているだろう。
 鷹一達の部隊に下された命令は、この村落より少し後ろの防衛ラインの死守だ。ここを突破されては後々の戦いが不利になる。自分達は露西亜の侵攻を食い止めねばならない。
 だが、戦況は不利だった。
 自分達の所属している部隊は、露西亜兵に追い込まれ村落に撤退中だ。しかもその途中、鷹一は仲間の部隊とはぐれ、一人民家に潜んでいる。
「前に出すぎたな……」
 軍曹という階級ではあるが、鷹一の部隊での役目は切り込み隊長だ。最初に出来るだけ相手を殺し、自軍の兵の士気を上げる。危険極まりない役目だが、それが生きているという実感だった。
 軍に入っていなければ、取りあえず食いっぱぐれることはない。
 いつ死ぬか分からないような生活だが、本土でのたれ死ぬよりはまだマシだ。軍以外で暮らしていける自信はない。
 まだ戦っている者がいるのだろう。銃撃の音が聞こえ、それが鷹一の神経を苛立たせた。
「………」
 ギリッ。
 奥歯が鳴りそうなほど、奥歯を思い切り食いしばる。
 冗談じゃない。こんな所で死んでたまるか。
 友人との約束だって果たしていない……『どちらかが死にそうになったらお互いの手で楽にする』という約束。瀕死になって、そいつにとどめを刺されるならまだしも、露西亜兵になんか殺されたくはない。たとえ殺されるとしても、それ以上に相手を殺してから逝ってやる。
 疲労はピークに達していた。
 撤退するには、露西亜兵がこの村落から去らなくてはならない。
 だが、それはいつだ。奴らは俺の顔を見ているはずだ。悪鬼のように銃剣を振り回し、敵陣に切り込んで行ったその姿を。
 糸が切れれば、思わず笑い出しそうなぐらいの緊張。それを押さえているのは、愚かとも言えるほどの生存本能。
 その正気と狂気の狭間で、ジリジリとしていたときだった。
「こんにちはですぅ」
「………!」
 殺らなきゃ、自分が殺られる!
 鷹一は反射的に小銃の引き金を引いていた。一発、二発。
 至近距離なら外すことはない……だが、目の前に見えたのは緑色の髪をした小さな少女だった。
「しまっ……!」
 やってしまった。
 極度の緊張で、相手を確かめずに引き金を引いた。もしかしたら、この家に住んでいた子供だったかも知れないのに。
 戦争時でこんな感傷的な事を思っている自分は馬鹿かも知れないと思いつつも、子供を殺したと後悔して鷹一が駆けよると、少女はガバッと起きあがり、涙目で鷹一を見つめた。
「なっ……」
 これは一体何の冗談だ?
 もしかしたら、自分は狂ってしまったのか。撃ったはずの少女が生き返るなんて。
 呆然とそんな事を思っていると、少女は涙目のまま、じっと鷹一を睨み付けている。
「ひ、ひどいですぅ」
 そう言うと少女は弾が当たったはずの場所をさすった。するとぽろっと弾が床に落ち、こつんと軽い音を立てる。
「あたしが地球の生物なら死んで……ふぇっ、ふえぇ……」
 言葉を失っている鷹一を前に、少女はいきなり大泣きし始めた。
「ふええーん、ひどいですぅ……」
 だが次の瞬間、鷹一は自分の状況を思い出した。こんな所で大泣きされたら居場所が知れてしまう。それ以前に自軍の少女だからといえ、無事でいられるという確信はない。
「待て、泣くのをやめろ。もう一度死にたいのか?」
 いや、死にたくないのは自分だ。少女をだしにして、自分に言い聞かせているだけだ。
 それに気付き頭を抱えると、少女は突然けろりと泣きやんだ。
「いえ、あたしの姿や声は貴方しか認識できません。えーと、天野 鷹一さんでしたよね?」
「あ、ああ。そうだが……お前は?」
 何故この少女は自分の名を知っているのか。すると少女はふわっと鷹一の目線まで浮かび上がり、ぺこりと礼儀正しくお辞儀をした。その時に気付いたが、少女の背には白い羽根が生えている。まるで天使のようだ。
「申し遅れました。あたしはファム・ファムと申しますぅ。神界次元管理省霊魂運命監察室管理員見習い……簡単に言うと、地球人の運命を守る仕事をしているのですぅ」
「要するに、人間とは違うって事でいいのか?」
「そう思って頂けると話が早いのですぅ」
 にわかには信じがたいが、確かに自分が撃った弾で死ななかった。戦争自体大きな狂気の一部だ、ちょっとぐらいおかしな事があってもいいだろう。死神に会うならともかく、天使ならまだマシだ。
 鷹一は民家の壁を背にしてゆっくりと座り込む。
「で、それがどうした。俺の魂でも持ってく気か?」
「そんな事はしないのですぅ。今日は貴方にお願いがあって来たのです。戦争中は運命の狂いが多くて大変ですぅ」
「ファムとか言ったな、そのお願いとやらは何なんだ。どうせ本隊とはぐれちまって、下手すると捕虜どころかなぶり殺される寸前なんだ。天使の願いでも聞いたら、地獄に堕ちずに済むのか?」
 死ぬ前に天使の願いを聞くのも一興だ。
 するとファムは真剣な顔で、鷹一を見てゆっくりとこう言った。
「貴方へのお願いは、一分後ここに突入してくる露西亜兵を確実に殺す事です」
「なんだって?」
 一瞬、自分の耳を疑った。こんな少女が、露西亜兵を殺せとは世も末だ。ファムはそんな鷹一の気持ちなど意に介さぬように、言葉を続ける。
「本来死ぬ筈の人なのですが、助かる方に運命が狂いつつあるのですぅ。ダメですか?」
 ダメも何も、殺さなければ自分が死ぬ。
 鷹一は小銃に弾を入れ、銃剣を用意し始める。
「そいつが助かると、後々何か面倒なことがあるのか?」
「その方が死なないと四十一年後に北海道が……はっ、禁則事項でした」
 死ななければ、北方四島だけでなく北海道まで攻め込まれて奪われてしまうということは、今の時代の鷹一に伝えてはいけないことだ。思わず両手で口を塞いだファムに、鷹一が溜息をついて笑う。
「何だか良く分からねぇが、俺は死にたくないから殺す。それだけだ」
 内心ファムの言葉を信じたわけではない。時計を見て、鷹一は影に潜み息を殺す。
 その言葉が嘘だとしても、どっちにしろずっと潜んでいるわけにはいかない。部隊と合流して生き延びねばならないし、こんな所で屍を晒すのは御免だ。
「ではよろしくお願いしますねー」
「………」
 口には出さず、鷹一は無言で頷いた。ファムの言葉が本当なら、あと数十秒……何人来るのかは分からないが、それを全て殺さねばならないだろう。さっきファムを撃った銃声は向こうに聞こえているはずだ。
 五……四……三……二……。
 バタン!
 大きな音と共に入り口が開けられた。入ってきた露西亜兵は二人、そのうちの一人は少年兵……そのどちらが生き残っているとまずいのかは分からないが、こいつらを何とかしなければ撤退できない。
『聞き間違いじゃないのか?』
『いえ、確かに銃声が聞こえました。この辺りです』
 男が鷹一の潜んでいるすぐ近くに来た。その瞬間、鷹一は銃剣を思い切り振りかざす。
「たあああっ!」
 己を奮い立たせる為に声を出す。相手が自分に銃を向ける前に、鷹一は容赦なく刃で喉元を切り裂いた。生暖かいしぶきが顔にかかる。
『貴様!』
 上官を殺された少年兵が鷹一に銃を向ける。だが、その目は血まみれの鷹一に怯えていた。
「撃ってみろよ……一人殺せば、度胸がつくぜ」
 じっとその目を見て、鷹一がにいっと口元を上げた。それは人を殺すことに躊躇しない血に飢えた兵士の目。足を震わせた少年兵が引き金を引く。
「………!」
 そこから鷹一の動きは鮮やかだった。死んだ兵士を片手と小銃を利用し引き上げ、それを盾にする。そして、そのまま銃の引き金を引く。
 戦意がないのなら、見逃せばいいと言われるかも知れない。だが、ここで見逃したら少年兵は自分の部隊に戻り、ここに生き残りがいることを伝えるだろう。そうしたら、戦況はますます不利になる。
 鷹一が撃った弾が少年の腹に当たり、口から血を吐きながら立て膝をついた。痛みに顔が歪み、口元が震えている。
『い、嫌だ……!死にたくない!』
「それは、俺も同じだ」
 上官の死体を横に投げ捨て、鷹一は銃剣を構えた。言葉は分からないが、涙を溜め、命乞いをしているのだろう。だが、どんな状況であれそれは避けられない。そのまま無慈悲に銃剣を突き立てると、少し離れた場所から三人の露西亜兵が走ってくる。
「どけえぇぇっ!」
 小銃には装填数がある。それさえ避ければ後はこっちの物だ。戦闘態勢を整えられる前にこちらから仕掛けなければ。鷹一は身を低くして走り込んだ。伊達に切り込み隊長などやってはいない。
 一人に勢いのまま斬りかかり、返す刀で銃床を打ち込み骨を砕く。そして最後の一人を睨み付け、ニヤッと笑い……。
「そうだよな、俺達は戦争やってるんだ」
 そのまま鷹一は、躊躇なく引き金を引いた。

「お疲れ様でしたぁ。お見事なのですぅ」
 その惨劇を見ても、ファムは全く顔色を変えなかった。そしてにこっと笑うと西の方向を指さす。
「西行けばお仲間の方がいて、安全に逃げられますぅ。あと、『お礼』なんですけど……」
 それを聞き、鷹一は無言で背を向ける。
 取りあえずファムが言った通り、一分後に敵兵が来るというのは本当だった。ならその言葉を信じてみてもいいだろう。嘘をつかれてもそれは一興だ。
「あの、『お礼』……」
「いや、生き残っただけで充分だ。じゃあな」
 顔にかかった血を拭い、鷹一は真っ直ぐ走っていく。ファムの方を振り返ろうともしない。
「せっかちさんですねぇ」
 だが、また会うこともあるだろう。
 何せ戦争中は、運命の狂いがあちこちに溢れている。鷹一なら、それを確実に直してくれるだろう。お礼は、その時にしたらいい。
 ファムは大きな本を開き、狂いが元に戻ったのを確認するとふわっとまた空へと消えていった。

「天野軍曹!ご無事でしたか?」
「ああ……何とかな」
 あの後、ファムに言われた通り鷹一は西に進み、そこに駐留していた本隊と無事合流できた。何だか訝しげな気もするが、天使が教えたのならそれもありだろう。
 部隊では切り込み隊長の鷹一がはぐれたことで士気が下がっていたようだが、無事だったのが伝わり、次の作戦へのやる気も戻ってきたようだ。
「天野軍曹、お前なら帰ってくると思ってたよ」
 ほっとしたような表情の友人が、濡れた手ぬぐいと水筒を持ってやってきた。
「約束を破るわけにはいかないからな。『どちらかが死にそうになったらお互いの手で楽にする』ってのを、露西亜兵にやられちまったら意味がない」
 乾いた血を濡れ手ぬぐいで拭くと、鷹一は友人に向かって不敵に笑ってみせた。

 それは今ではない話。
 遙か昔、まだ日本が戦争のまっただ中にあった頃。
 そしてナイトホークが「天野 鷹一」で、肌の色も日本人特有の黄色みを帯びた色だった頃。
 それは決して思い出されない、ここではないどこかで起こっていた、昔の話……。

fin

◆ライター通信◆
いつもありがとうございます、水月小織です。
今回はナイトホークが自分の記憶をなくすずっと前の話と言うことで、こんな感じで書かせて頂きました。さりげに記憶をなくす前の本名が出てます。
旧陸軍にいたというのは、ダウンロードノベルなどでも出てますので、その頃の話も面白いと思っています。最終的に少尉までいくのですが、きっと生き残っているので上がるのでしょう。
ファムちゃんのことは「天使」と認識してますが、まあ見た目でそう思っているようです。
リテイク、ご意見は遠慮なく言って下さい。
またよろしくお願いいたします。