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<東京怪談ウェブゲーム アトラス編集部>


魔道の遺産

■オープニング

 編集長のデスク前。
 呼び出された面子は編集長から、折り入って…の話を聞かされていた。
 …珍しい事に、取材命令と言うより、調査の依頼である。

 曰く、月刊アトラスの愛読者だったと言う御主人を亡くした未亡人からの電話が朝方にあったのだと言う。その電話によると、御主人の遺品の整理をしている最中、あまりにも恐ろしくなったので藁にも縋る思いでアトラスの編集部へと連絡を付けて来たらしい。…確かに、アトラス自体は世間的には些か際物に含まれる系統の雑誌だが、その出版社である白王社は月刊アトラス以外の出版物でも充分に社会的認知度のあるそれなりのところと言える。だからこそ彼女の方も連絡を付けてみる気になったのだろう。
 ともあれ、遺品の整理中、あまりにも恐ろしくなった、と言うその理由、内容の方だが。
 …勿論、怪奇雑誌である月刊アトラスの編集部に縋りたくなるような類の話である。
 曰く、何やら御主人の遺品の中から呪物の類と見られる物が次々出て来たとの事。それも…怪しげな文字が綴られた小箱、その中に乾涸びた何かの小動物や虫の死骸。蚯蚓がのたくったような文字が書かれた、呪符の類と見られるお札に…それぞれ別の人間の物と思われる頭髪らしき物が数本。見慣れない、彼女の夫が使っていた物とは到底思えない装飾品や日用品小物の類が幾つか。
 そして、見知らぬ人が撮影された写真が数枚。男女の別も年齢も様々。それらすべての裏に彼女の夫の筆跡で、それぞれやっぱり知らない名前が書かれている。写されている人物のものと思しき名前。また、写真の人物を調査したような、確りしたプロフィールが書かれた紙まで出てきた。
 不気味ながらも、何だろうと思い彼女はその名前の相手に、連絡を取る事を試みた。
 が。
 …連絡を取った時点で、その名前の人物の殆どが、亡くなっている事が判明した。
 それも、時期は統一性も何も無いが、すべて急死で、死因は心不全――とは言え死んだ人間の最終的な死因として心臓が止まる、と言うのは至極当然の事でもあり――即ち、本当は死因不明だったと言う共通点がある。
 その時点で未亡人の彼女は恐ろしい考えに辿り付く。
 …自らの夫が呪いを用いて、彼らを殺していたのでは無いか、と言う考えに。

 夫は優しい人だった、絶対にそんな大それた事が出来るような人じゃなかったんです、と電話口では震える声だったとの事。…ちなみに仕事は特に目立つ事の無い中小企業の会社勤めだったと言う。
 自分の考えが間違っているかどうか、本当に呪いで人を殺す事は可能なのか――そうは言っていても、本心では彼女は否定して欲しくて、編集部に電話を掛けて来たらしい。

 そこまで伝えると、編集長である碇麗香は、はぁ、と溜息を吐く。
「…そんな訳で…彼女に対して否定してあげたいのは山々なんだけど、これ…詳しく聞けば聞く程『本物』みたいなのよ。となると、うちで手に負えるような話じゃなくなってくるのよね」
 しかも、事件になってない事件な訳よ。怪奇絡みの。
 ならば――取材したとしても記事に出来ない可能性の方が俄然高くなってくる。が、だからと言ってアトラスの人間である以上そう簡単に放り出すのも気が咎める類の話。内容自体もそうだが、既に死亡しているとは言え我等が親愛なる月刊アトラス愛読者様の遺した品に絡む事、その愛読者様の奥さんからのSOS、となれば。

 …但し。
 碇麗香にしてみれば、この件でそれ以上に気になる事がある。
 それは…杞憂だと言われるかもしれないとは思う話だが。
 そしてこの杞憂と言われそうな事こそ、SOSのコールをして来た奥さんに到底言える訳もない話。

「…それからここが一番気になるんだけど、遺品の中に『楓か何かのような、五つに先が分かたれた葉の形が中に描かれた円』、が記してある物もあったらしいのよ」
 そうなると、ただの…と言うのも語弊があるけど敢えてそう言う事にするわ。そう、ただの呪術による連続殺人事件――それ以上に危険な可能性が思い付かない?
 …五つに先が分かたれた葉が中に描かれた円――それはまるで、『虚無の境界』により東京二十三区全域を覆うように敷かれたと思われる――用途不明の巨大魔法陣を連想させる紋様の。
「で、それの持ち主と思しき人物は――我らが月刊アトラスの愛読者だった、って言う訳」
 …これって、私の考え過ぎだと思う?



■事の前

 …都立図書館、要申請特別図書閲覧室。
 そこに訪れていたのはダークスーツを着込んだ三十代半ばに見える長身痩躯の男が一人。あまり本を読むようには見えない――夜の街の裏側を歩いているのが似合いそうな何処か危険な雰囲気を醸している人物。…少なくとも図書館や要申請特別図書など縁遠いとしか思えないような雰囲気の人物に見える。この場所を預る司書として、その人物の事を何も知らなかったなら…まず要注意人物と見て気に留めておくような。
 だが。
 この部屋の――延いてはこの部屋の蔵書の管理も全面的に行っている司書、綾和泉汐耶にしてみればあまりそうする必要は感じていなかったりする。それはこの彼、この場に訪れるのは少々意外だが、人物的な信用度と言う面なら汐耶にしてみれば特に問題無いからだ。…何なら汐耶自身が紹介して連れて来てもいいくらいである。
 …そう、知り合いである。
 鬼・凋叶棕。六百歳近い仙人と言う素性からして身分証明書は偽造で当然な筈だが、呆れた事に閲覧許可申請用に出された運転免許証は公安委員会が発行した本物だった。となると発行させるまでに戸籍等色々と偽造はした事になるのだろうが、少なくとも免許証自体は何処に出しても通用する本物である。一緒に提出された紹介状によると紹介者の名前は水原新一。…凋叶棕からこの名前が出るのも何だか意外だが、こちらもまた汐耶とは知り合いになる。…凋叶棕ならば紹介者が草間武彦や紫藤暁と来た方が余程自然な気がするが今回は何故か水原新一。…水原は神聖都学園で教師をしている。肩書きの社会的な信用度で紹介者を選んだか。ならわからないでもない。図書館向けの格式ばった書類の上では、探偵や酒場の主よりは教師の方が対外的に見目が良さそうだし説得力もありそうだ。
 …とまぁ、訪れたかったならば汐耶に一声掛ければひょっとすると顔パスに近かったかも知れないと言うのに、何だか筋をかっちり通した上で凋叶棕は今ここに来訪している。その時点で仕事か何かで来ているのかと思う訳で、汐耶もそんな対応を取る事にしていた。
 凋叶棕が閲覧を希望したのは蠱毒生成や使役系の呪詛が書かれている書籍。…術そのものが載っている本だけでなく、関連の本であるなら片っ端から、関連の歴史や伝説、寓話が掲載されているだけの本でも。
 そんな風に頼んで来た上で、凋叶棕はちらと汐耶の様子を窺っている。
 自分を窺うその視線に、汐耶は少し引っ掛かった。何と言うか――今の頼みに私がどう反応するかをこそ、確認しているような視線。
 汐耶は棚から本を取り出しつつ、さりげなく訊く。
「今凋叶棕さんが調べてらっしゃる事――私が何か関係する事なんですか」
「ん? いや…そういう訳じゃない」
「…。…まぁ、仙人ともあろう方がこういった術の悪用はしない、とは信用する事にしてますが」
「…おいおい。湖の野郎を知っててそう言うかね?」
「少なくとも貴方はしないかと。…しませんよね?」
「するなら人間の施設など頼らんさ。…考えてもみろ。専門分野だぞ?」
「となると逆に、専門分野でこの手の知識を熟知してらっしゃる方が何故わざわざ図書館にまで訪れて面倒な書類まで揃えて、こういった書籍を閲覧しに来る必要があったんでしょう? と疑問が生まれてしまいますが」
「あー…その辺はな。この近所で本気でヤバい系統のが一番豊富に揃ってる公共施設っつえばまずここだろ」
「…それが、何か」
「ヤバい連中から目を付けられる事も多いだろうなって事だ。…これ以上は守秘義務になるから勘弁しろ」
「やっぱりお仕事なんですね」
「まぁな」
 軽い答えを聞きながら、汐耶は棚から取り出した本を机に置く。呪詛そのものが載っている書物。関連事項が載っている、表沙汰にされない歴史の暗部を記した偽書の類。…ただ関連の伝説や寓話となると、要申請でなく普通に表に置いてある書物も何冊かある事を伝える。じゃあそれも後で借りるからリストアップしといてくれるかと凋叶棕はあっさり。頷いた汐耶は検索端末に向かいリストアップを始める――と。
 外から閲覧室の扉が開けられた。顔を出したのは汐耶の同僚になる男性。曰く汐耶に電話が掛かって来ているとの事。相手を訊くと月刊アトラス編集長の碇麗香。汐耶の仕事場には初めて電話をして来た訳でもないので――むしろ資料調達関連で色々と頼まれる事も多いので、名前を出すだけで同僚ともすぐに話は通じる馴染みになる。
 わかった、暫くここは頼むわねと汐耶は知らせてくれた同僚の男性にあっさり任せると、凋叶棕に軽く会釈してから閲覧室を出た。
 部屋に残された同僚の顔が何だか強張っていたのは――怯えて見えたのは気のせいではないかもしれない。
 …まぁ確かに、凋叶棕は一見その筋の人っぽい。

 部屋を出て外線の電話に出る。曰く、まだ仕事中の時間帯と見たので汐耶の携帯ではなくこちらに電話を掛けて来たらしい。
 折り入って頼みたい事が出来たのよ、と碇麗香は言って来た。



 …白王社、月刊アトラス編集部。
 受話器を置いた碇麗香はふぅと小さく息を吐いている。月刊アトラスの愛読者だったと言う御主人を亡くした未亡人からの電話。残されていた呪物としか思えない遺品。一緒に残されていたプロフィールの人間が殆ど死んでいる事実。御主人がそれらを使って人を殺していた可能性があるかどうか。…そうは言っても認めて欲しくない。優しいあの人がそんな事をする訳がない。本当は否定して欲しい。呪いみたいな事を専門に取り扱ってる雑誌社の人ならきっと否定してくれる――そんな藁にも縋る思いでアトラスを頼って来た依頼人。
 記事自体とは関係ない。取材になる訳でもない。…けれど月刊アトラスと言う看板を背負っている以上、そう簡単に放り出す訳にも行かない類のSOS。そしてその呪術とやらが本物臭い――更には虚無の境界の影まで見えてくるともなれば、余計に無視できない。
 麗香が今電話を掛けていた相手は綾和泉汐耶。仕事上、記事作成の資料調達の為良く世話になっている――即ちそちら方面では頼れる人材と良く知っている相手な訳で、彼女へは依頼人から電話で聞いた限りの遺品の事を伝え、仕事場の方で調べて欲しい旨頼んでみた。すると頼もしくも、伺う限りの内容でしたら蠱毒か使役系の呪詛になりますねと即答で返って来た。汐耶の勤める図書館では要紹介状扱いになる内容――要申請特別閲覧図書に含まれる内容である事。調べる事も依頼人への事情説明その他まで快く引き受けてくれた。…ただ、それらを話す汐耶の声が何かに少し引っ掛かってる風なのが気になり麗香は訊いてみたのだが、今の時点では何とも言いようがない事なので本当に関係ありそうでしたら私が今引っ掛かってるこの件もお伝えしますと返された。
 そして早々に通話は終了。
 受話器を置いて麗香が一息吐いたところで、やだねやだねぇと大袈裟に嘆く声が麗香の耳に届く。オーガニック系の生地で作られた民族系のゆったりした服や帽子にそれっぽいアクセサリを纏い、ゴツいゴーグルを額に付けている青年――自称二十歳の清水コータが編集長のデスクの脇で心底嫌そうにぼやいている。デスクの天板に組んだ両腕だけを置いてぐたりと屈み込んだまま。
 彼もまた麗香から話は聞いている。今回は取材命令ではなくてはっきり調査の依頼。何だか珍しい話だが事情を聞けば即納得。確かにここはアフターケア的な側面でそうせざるを得ない、と言ったところだろう。…と言うか偶然でも何でも居合わせて聞いてしまった以上放り出したら夢見が悪くなりそうな話だったので、だからこのもやもやをはっきりさせる為に手伝う事にした…と言うのが本音かもしれない。
 そうは言ってもこのコータ、麗香の見る限り派手に嘆いてはいるが――決して捨てている態度ではない。
「貴方も協力してくれるのよね?」
「ん。依頼人の奥さんや残ってたプロフィールの生きてる人に話を聞くとか人海戦術ぽい事なら俺にも出来るっしょ。今編集長が電話で司書のねーさんに頼んだみたいに文献当たって呪術の中身調べろとか専門ぽい事になると向きじゃないかもだけど」
「それで充分よ。…適材適所。助かるわ」
 麗香としては自分の方が身動き取れない為――ご多分に漏れず本業で手が離せない――、こう言った場合に身軽に動いてくれるような人材は本当に助かるのだ。それにこのコータの場合、軽い口調や態度の割に、仕事となるときっちり手堅い事を麗香は知っている。
 …何となく図に乗りそうなので面と向かってはここまで褒めないが。まぁ、この碇麗香女王様がごくごく素直に頼み事をしていられる時点で信用されているのだとはコータの方でも元々承知していそうな気もするが。…両方して色々と言わぬが花である。
 るるるるると呼出音が鳴る。今し方受話器を置き、切った電話――それは『雑誌編集部編集長のデスク上の電話』。よく鳴って当然だ。…だからこそ麗香が身動き取れない訳でもあるのだが。
 掛かってきたのは、外線。
 相手の番号は記憶にある――ササキビクミノ。
 麗香はコール一回の途中で通話に出た。予想通りササキビクミノ。当人の周囲半径二十メートルに致死性の障壁を持つ――致死までの時間は約一日と猶予はあるがそれでも確実な事は言い切れないので念の為なるべく他生命と同席するのは避けている――と言うちょっとした厄介を背負っている少女。その為か、直接訪れるよりこういった間接的な連絡の付け方をしてくる事が多い。
 十三と言う年の頃にしては大人びて落ち着いた声が麗香の持つ受話器から届く。
(…編集長。綾和泉さんとは連絡が付きましたか)
「ええ。貴方の方は何か掴めた?」
(だからこそ今再び連絡を取っている。…そうでなければ編集長から連絡が来るのを待っていますよ)
 クミノはそう告げ、続きを話し始める。…虚無の鏡界。通話の中からその名詞が漏れ聞こえて来て、コータもまた麗香とクミノ二人の会話にさりげなく耳を澄ました。
 麗香とクミノは既に一度連絡を取り合っている。今回の件の事――汐耶に電話を掛ける前、麗香はクミノに先に話を持ちかけていたのだから。



 少し前。…白王社、月刊アトラス編集部。
 編集長碇麗香がササキビクミノに電話を掛けている。
 …ちなみにこの時既に清水コータはこの場に居り、いつでも何処でも持参しているプリンを一人で食べていた。依頼の話も既に聞いている。編集長が心当たりに伝手を付ける為電話中なので黙ってプリンを食べながら待っている――今の電話の相手が何者かも聞いている。電話の相手にコータの事が伝えられてもいる。

(――…恐らくは。編集長の懸念を払拭、どころか眉間の皺を増やす結果にしかならないだろう事を先に断っておかなければならない)
 あの五肢葉がこの事件にどんな機能を見せていたとしても超常と悪意の貌以外をしている筈がないのだ。
 …その時点で依頼者側への対応はほぼ決定している。
 調査結果に依らず、依頼者を安心させ更に呪いからの塁が及ばぬようにする為、事件性関係性を否定するのだ。
 望む通りの結論を見せ依頼者が危険領域に近付かないように…オカルト的に言うと障りの道を絶つと言う事になる。
(依頼人の元へ赴く事やら、表立っての動きは出来得る限りは清水さんにお任せ出来れば幸いだと思う。どうしても必要な時以外は私は出向かぬ方がいいだろう。これだけの情報ではまだ先が読めない――どう動く必要が出てくるかがまだわからない。かの組織がどの程度絡んでいるかによるだろうが、万が一にも一日以上アトラスの人員や関係者と同席が必要な事態になる事は避けたいからな…。かの五肢葉が見付かった以上は様々な可能性を考えておいた方が良い。…私はそちらを調べよう。今この近くに虚無の影が差しているのか)
「お願いね。…で、実際の遺品の方はコータに受け取って来てもらう事にして。私でも何とか調べられると思うし――いえ、綾和泉さんにでも頼んでみる甲斐はあるかもしれないわ」
 調べる、と口に出した時点で麗香は心当たりの伝手を思い出す。
 …曰く付きの本や真正の魔術書が揃っている要申請特別閲覧図書の担当司書となれば。それにひょっとすると当の書籍が利用されての呪術が行われた、と言う可能性もある。…当の司書自身から、その手の目的で書籍を欲する輩が後を立たないと聞いている。…かの図書館にはそのくらい直球で役立つ書籍が揃っている。
 彼女に調べてもらえば何か出てくる可能性は高い。
 クミノも電話の向こうで同意した。…麗香の言うその司書、顔を合わせた事はある。
(…あの人か。適任だろう)
 調査の部分もそうだがそれだけではなく、彼女なら封印能力もあると聞いている。
 必要となれば封じると言う手段を用いてこの件を落着させる事も可能だろう。
 …だがそれでも、更に他の可能性を考えに入れておく必要はある。
 用心はしてし過ぎると言う事はない。
 何事か隠蔽する為に何かを破壊しなければならない事すらあるかもしれない。封印で済まないようなら私が出よう。…破壊するとすれば呪いのカスか、まだ毒が生成されていなければ術式そのものになるだろう。どんな形で顕れるかはまだわからんが――何にしろ、IO2辺りのように無関係の者を害したり被害拡大の種を増やしたりするのは避けたいところだ。
 ――…生物兵器に抗するに必要なのは地道な防疫作業であって、宇宙中に悪疫を広げてしまう地球破壊爆弾ではないのだからな。



 クミノからの再度の電話に戻る。
 綾和泉汐耶と連絡が付いた事――調査を快諾してくれた事を麗香はクミノにすぐに伝えた。クミノからの情報は虚無の境界の今現在に於けるこの近辺での活動についてを調べた結果。…クミノは元傭兵と言う素性である為に、今もまだ裏の世界にはそれなりの伝手がある。それが多少オカルトの世界に含まれる事であっても、話が全然出て来ない訳でもない――心霊テロ教団『虚無の境界』ともなれば尚更、様々な場面で露出は多くなる。…テロリズムは『結果』を目立たせてこそなのだから。
 今に始まった事でもないが、不穏な動きがある事が調査の結果出て来たのだと言う。…曰く、人の流れが慌しいらしい。虚無の境界構成員と見られる存在がこの近くに多く入り込んで動いているようだと言う。それは元々、今時の東京では虚無の境界構成員は何処にでも潜んでいる。潜んではいるが――潜む中でのその動き方が、その筋の視点から見てもどうもきな臭いのだと言う。表の世界で目立つ程ではないが、一般・超常の区別なく、裏と呼ばれる世界では少し騒がしく感じられる程度の動きはあるのだと。
 電話でそこまで伝える内、故人がアトラスの愛読者――ならばアトラス自体が狙われていて『愛読者だった』のはある意味『偵察』だった可能性さえあるのではと思い付き、クミノはその事も示唆しておく。月刊アトラス自体はあくまで単なる中堅どころの怪奇雑誌だが、帰昔線事件を皮切りにその編集部は『本物』の事柄にも深く噛んでいる事が多い。その辺りの事情は、知っている者なら知っている。
 となればここは――依頼人宅で月刊アトラスの雑誌自体の扱いがどうなっているかも確かめた方がいいかもしれない、あまり考えたくない事だがとクミノがぽつり提案。と、了解とばかりにコータが麗香の見ている前で無言で片手を挙げひらひらさせていた。…コータは受話器から漏れ聞こえたクミノの声を直接聞いている。
 編集部と言う場所柄色々外野も騒がしい中、カツカツと真っ直ぐ迷いなく近付いてくる靴音がした。コータがちらと目を上げる。目に入ったのは中性的な容貌を持ち、銀縁眼鏡を掛けたパンツスーツ姿の女性。…碇麗香のデスクに近付いてくる。
 綾和泉汐耶。
 自分の来訪に麗香が気付いたと見ると、汐耶は静かに目礼。
 碇麗香はクミノと話していた受話器から思わず耳を浮かせた。
「…もう?」
 調べたの。
「はい」
 依頼人の亡夫――梶浦祐作の名前、要申請特別閲覧図書利用者名簿の中にありました。プロフィールに残されていた名前の方は該当無し。紹介者の方にも該当する名前はありません。
 梶浦祐作の紹介者名は眞鍋壮一郎。…この眞鍋氏に紹介されている利用者は、梶浦氏に限らず多く、私の方でも良く見かける名前です。そして彼の紹介した利用者で問題を起こした利用者は、現時点では一人も居ません。
「梶浦氏の閲覧した本ですが、先程電話で伺った内容と重なります。蠱毒生成や使役系の呪詛が書かれている本になりますので。…ただ、術式そのものが載っている本だけでなく、関連の歴史や伝説、寓話が掲載されているだけの本まで閲覧してますね。…ちなみに伝説や寓話の載っている本については要申請特別閲覧図書ではなく表に置いてある『普通の本』も何冊か含まれます」
 汐耶がそこまで言ったところで、ん? とコータが小首を傾げた。
「それって何か変じゃない?」
(…だな)
 同意するクミノ。…麗香の持つ受話器の向こうのクミノにも汐耶のその声は聞こえている。
 コータもまた、そのクミノの声が聞こえていたように頷く。
「うん。そりゃ確かに遺品の呪術とジャンルが重なる本かもしれないけどさ。…何か実際に使って誰か呪う為に借りたっつーより、その呪術について手当たり次第に調べてるっつー方が納得行くようなラインナップの気が」
 汐耶は頷いた。
「そうなの。それと、ついさっき『これらと全く同じ本』の閲覧希望者が来てたんですよ」
 希望が全く同じなのですぐに気が付きました。…それは特定の一冊だけや同系統の術式そのものに関する図書閲覧希望で他の利用者と重なるなら幾らでもありますが、今回のような、関連であるなら手当たり次第――それも閲覧ジャンルの希望以上の、本自体の選択は全面的にこちらに任せて来るような場合でここまで閲覧希望が重なってくるのは――要申請特別閲覧図書絡みではさすがに初めてだったので。
 要申請特別閲覧図書の場合、特定の図書を目的に閲覧希望申請される事が普通ですから。
「…さっき電話した時に引っ掛かってたのはそこなのね」
「はい。…それも知り合いだったので余計に何事かと思いまして。どうやらお仕事の関係で調べていたらしいんですが、恐らくあれは本の内容を閲覧したかったと言うより、そんな閲覧希望を出したら私がどう反応するかをこそ知りたかったように思えるんですよ」
 …『要申請特別閲覧図書を全面的に管理している私』の反応を。
「って、んじゃそのねーさんの知り合いってのは…前に同じ本の閲覧希望した人が――つまり梶浦の旦那さんがそこに来てたかどうかをねーさんの反応で確認する為だけにわざわざ顔出したっぽい…って事?」
「恐らくは。まぁ確かに、納得の行く理由が無ければ幾ら知り合いとは言え利用者名簿を部外者に見せる訳にも内容を教える訳にも行きませんからね。だから自分で全く同じ本の閲覧希望を出した上で、私の反応を見てその辺を見定めたかったのかもしれません。随分遠回りな話ですが…きっと私に直接頼む筋じゃないと思ったんでしょうね。だからそんな迂遠な手段を取って来た。…そして実際、それだけで目的が叶ってる――こちらの反応が読まれている可能性が高い相手でもあるんです」
 幾らこちらでポーカーフェイスを保っても。
 彼は――鬼・凋叶棕は何と言っても仙人ですから。
 …そもそも、本から直接閲覧者履歴が読み取れる可能性すらもありますし。
「…凋叶棕って草間のとこにちょくちょく来る奴よね、確か」
 押し掛けの下請け調査員とか言って。
(…となると草間の方でも何か関係する事を調べている可能性があるのか?)
「それは無いみたい。草間さんに直接確認は取りました」
「あ、その凋叶棕って人――と言うか仙人の紹介者は何か引っ掛かったりしない訳? 訊いてもいい?」
「紹介者は水原新一」
「…。…また意外な名前が出てくるわね」
(…。…同感だ、編集長。――…綾和泉さん、そちらに確認は?)
「取ったわ。頼まれたから名前を貸しただけだそうよ。都立図書館の要申請特別閲覧図書閲覧希望申請の為の紹介って事で少し妙には思ったらしいけど。私に頼めば手っ取り早いって凋叶棕さんもわかってる筈なの水原さん知ってるから」
(…そうですか。名前を貸しただけ…あの男が貴方にそう言うようなら、まぁ信用に足るでしょう。だが…わからないのは凋叶棕氏だ。何故彼が梶浦祐作氏の閲覧した本をなぞり確認する必要があるのか――彼はどんな事情で動いているのか。依頼だとすれば何処から来た依頼なのか)
 と。
 クミノが告げたところで、汐耶が小さく息を吐いた。
 …考えたくない事が考え付いている。
「関係ないとは思いたいんですが」
「?」
「凋叶棕さん――つまりは『鬼家の仙人』に、あの魔法陣――『虚無の境界』と来ると。どうしても、もう一人気になる人物を連想してしまうんですよね…」
「…ああ、湖藍灰ね」
 汐耶が誰の事を言いたいのか気付いた麗香は思わず苦笑。
 何とも言い難い顔で汐耶は眼鏡の位置を指で押し上げ直している。…確かにこの場所でのあの姿しか見ていない以上、麗香の態度も良くわかる。だが汐耶としては…彼の事を無視できない。
 …この場でわざわざ口に出す気は無いが、何と言っても殺されかけた事まであるのだ。
「あの方、ああ見えて虚無の境界構成員ですからね」
「ここに来る時には全然そう見えないけど、やっぱりそれ本当な訳?」
「ええまあ。…私一応、別件で色々と実感させられてますので。餃子パーティに呼ばれた事とかもありますけど」
(………………色々と耳を疑いたくなる会話が聞こえたのだが気のせいか)
「あ、クミノさんはうちの外注ライター・空五倍子唯継の師匠で養父になるおちゃらけ仙人には会った事なかったわね」
(…ない。が、今の会話からするとそいつがその湖藍灰とやら言う仙人で虚無の境界構成員だとでも言う訳か? 無茶苦茶な。…空五倍子唯継の名はアトラスの記事で見た事はあるが――記事を見る限り虚無の境界寄りのライターだとは全く思えなかったぞ!? いやそもそもそんな輩を碇麗香が使うのか!?)
 クミノが電話の向こうで珍しく声を荒げてくる。
 …それもまた彼女の立場ではわからなくもない。まず湖藍灰の存在は、虚無の境界を虚無の境界として知っている者から見れば――とんでもなく変だ。畸形だ。悪い冗談だ。
 汐耶も気持ちはわかる。…ただまぁ、汐耶の場合にはとある身内の存在でその手の『使い分け』にある種の免疫――のようなものが付いている為、冷静でいられる――と言うか諦観していられるだけなのだと思う。
「空五倍子君は虚無の境界とは無関係よ。それに湖藍灰氏の方でも空五倍子君が絡むと――つまりアトラスに顔を出すような時は虚無の境界構成員の貌して来るような事ってまず無いの。だから今編集長から半信半疑な態度で改めて訊かれるくらいな訳なのね」
(…それはありなのか)
 クミノは呻く。
 少し申し訳無さそうに汐耶が続けた。
「取り敢えず、餃子パーティの時は充分平和に皆と遊んでたわ。…もう結構経ってるけどその延長で虚無が絡むようなそれっぽい被害は今に至っても無し。それから…こちらの編集部にネタ提供がてら来て駄弁っている事とかもあったらしいって聞いているけど」
 科白の途中で汐耶はちらりと麗香を見る。
 麗香はあっさり肯定した。
「そう。私やアトラスの連中はそんな姿しか見た事無いからね…奴が虚無の境界関係者らしいって話には聞いてても、正直、まるで本気に聞こえないのよ」
 だからこうやって特に気負わず簡単に話題に出せるって事でもあるんだけど。
(…)
「へー。なぁんか面白そうな人――じゃなくて仙人か。とにかくそんな連中出入りしてるんだねここ。ま、今に始まった事じゃないけどさ。…一度会ってみたいかも」
(…貴方は虚無の境界の事をあまり良く知らないようだな清水さん。一つ忠告しておく。…その湖藍灰とやらの動向を見、虚無とはこういうものなのだと思っては危険だ。その仙人については例外中の例外と思った方が身の為だろう)
「…。…何か嬢ちゃんの話すっげー実感こもってんのな。わざわざ御忠告ありがと」
「…まぁ、今ここで何だかんだ言ってても湖藍灰氏がこの件に絡んでるとは限らない訳ですが。鬼家の仙人の皆さんて独立独歩でてんでバラバラ好き勝手やってる訳ですし。…ただ、凋叶棕さんがこの呪術は『専門分野でもある』って漏らしてもいたので…ひょっとしたら、と気になってもいるんですよ」
 蠱毒にしろ使役系の術にしろ、日本の呪術にも該当する術法はあるが、更に源流を辿れば方術の――仙術の範疇になる術とも言える。まぁ前者の蠱毒となれば正道を外れた邪法に当たるが、それでも知識としては普通に持っているだろう術にもなる。専門分野と言うのはそういう事な訳で――彼らの正体が仙人であるなら確かにまず専門分野だろう。…そしてもし仙人がこの件に当の呪者として噛んでいるとするなら、術法そのものについては人間では手に負えない可能性が高い。人界に出回る書物に掲載されている知識より、彼らの方が余程詳しく豊富な知識を持っていて当然なのだろうから。
「…そんなに気になるなら空五倍子に連絡取って訊いてみる?」
「何だかそれは筋が違う事になりそうな気がしますけど…」
(…私もその試みは止めた方が良いと判断する。例え空五倍子さん自体に問題は無かろうと、直接訊いてしまっては藪を突付いて蛇を出す事になりかねない。…裏の方では騒がしいと初めに伝えた筈だ。虚無と関わらぬ弟子と言う立場であるなら――虚無側から監視されている可能性もある。我々が今回の件を受けている限り、軽々しく接触してはそれこそ危険になるかもしれない)
「どちらにしてもさ。…話聞いてるとなんかヤバそうな方向行ってそうだよね? 嬢ちゃん曰く裏の世界で虚無の境界の不穏な動きもあるみたいで、ねーさん曰くこことは別に同じ事を調査する為動いてるらしいトコもあると来た。ついでに何だか気になる仙人も居るってワケで…。そーなると梶浦の旦那がどう関わってるのかはまだわかんないけど、何にしろ依頼人な梶浦の奥さんの方、早いトコちゃんと見てやった方がよくね?」
(然り。まず第一の目的はそこだ。…依頼人への障りの道を絶つ)
 電話の向こうでクミノは断言。
 そうねと麗香は相槌。無論、その場にいる他の者にも否やはない。
 仕事中だった筈の汐耶もまた、要申請特別閲覧図書の管理の問題に関わる事だと断りを入れて、直接梶浦家に赴けるよう上へと捻じ込んであるらしい。



■依頼人宅、梶浦家

「――…うーわー、超こえー。…なんだこれ。マジでそれっぽいよね。こりゃ超こえーって。うん」
 依頼人である梶浦の奥さん――梶浦真理絵に、旦那――梶浦祐作の遺した問題の遺品を見せてもらうなりコータは引きつった顔をして騒いでいる。紙袋に入れられていたその品々。毛髪や装飾品、日用品入りのチャック付きビニール袋やら達筆過ぎて読めない漢字らしき文字が書かれた呪符やら小動物や虫の乾涸びた死骸入り小箱やら、真理絵に断った上で一つ一つ取り出して確かめてみるが――どう見てももろ呪物だ。見るからに直球でおどろおどろしく気味悪い。
「こんなん遺されちゃ奥さんじゃなくても誰かに泣きつきたくなるよね、そりゃさ。でも優しい旦那さんなら呪いなんてことしないだろ。きっと他の人から預かったとか、そんなオチだって」
 …きっと心配するよーなことないって。ね?
 真理絵を宥めるよう軽く言いつつ、コータはビニール袋を指先で抓んで自分の目の高さまで持ち上げて見る。
 新品ではなく明らかに誰かに使い込まれた装飾品や日用品。丁寧に仕分けされて仕舞われている、切られたのではなく抜かれた毛髪。…ビニール越しに触る事さえはっきり言って躊躇った。小箱の方は言うに及ばず。…但しそれでも取り敢えず、見てわかる程度の事はコータは今の時点でがっちり確かめておく。物自体もそうだが残され方――見付けた時の状況も真理絵に訊いておく。入れてあるのは初めからこの紙袋にだったのか。…その通り。物自体が置いてあった場所は何処なのか。…旦那の書斎。つまりはそれもここ――綾和泉汐耶と清水コータが訪れてすぐ通された部屋。
 コータは折角なのでついでに月刊アトラスの雑誌は無いかとさりげなく部屋を見渡した。クミノが指摘した事――月刊アトラスの愛読者だと言うのがアトラス編集部への偵察の意味を持っているかどうか。汐耶が仕事場の利用者名簿から拾い出した閲覧図書ラインナップの所感からして、旦那が呪った当人ではなさそうだが――それでも一応確認だけはしておく。雑誌の扱いはどうなっているかを見ればある程度察しは付く訳で。本棚。マガジンラック。机の上、机の脇――あった。多目的棚に整理してある分と纏めて縛ってある分、平積みにしてある分とある。…特別大切にしてある風ではないが、まぁ普通の扱いか。色々な置き方をしてある事で、愛読して年季が入っている事を感じる。…作意はあまり感じない。
 コータが雑誌アトラスを見ている事に気付いて、真理絵がその奥付を見て編集部に電話した事を告げてくる。何冊か纏めて縛ってもある事から、奥さんが片付けてる途中なんですかとコータもさりげなく訊いてみる。…違う。元々この状態ではあったらしい。ちょうど保管に困って仕分けていたところだと生前の祐作に聞いていたとか何とか。
 汐耶は残されていたプロフィールと写真の方を取り敢えず確認している。死亡確認が取れている人物は六人――坂城辰比古、佐保菖蒲、神前啓次、米沢千晴、拝島義、春野優二郎。存命確認が取れているのは――上杉聖治と江波瑠維。八人とも、名前だけは初めに碇麗香に電話をもらった時点でリスト確認の為に聞いているが――汐耶はそれぞれの共通点も、特に亡くなっている人物の共通点も調べる必要を感じている。この状況から発生する現象があるかどうか。その死自体が何かの触媒になっている可能性、何らかの術の構成要素になっている可能性。その人自体が関係するか、死亡場所が関係するか。死に方が関係するか――死因が心不全らしいと言うのは共通項であると既に聞いている。そこに意味があるか。はたまた偶然か。依頼人が危惧した通りの可能性、それ以外の可能性。…何にしろ、ここで書面とにらめっこしていても始まらないが。
 虚無の境界を示す、件の五肢葉が中に書かれた魔法陣は――プロフィールが書かれた紙に紛れてあった。同じ紙に印刷されている。一枚。プロフィールと同じ紙質、同じインク。…恐らくインクジェットのプリンタで出力したもの。
 …なら、どちらも『元』が何処かにある。その事も頭に置いておく。
「どう…なんでしょうか」
 コータに汐耶がそれぞれ遺品を見ている中、恐る恐る不安げな声が掛かる。真理絵。
 汐耶はそんな真理絵を見ると、安心させるよう頷いて見せた。
「この呪物に関しては詳しく調べてみないとまだ何とも言えませんが…祐作氏が呪いで人を殺していた、と言う可能性はまずないと思いますよ。…すみません。先にお伝えしておくべきでしたね」
「え…?」
「きっと、祐作氏はこの品々について調べていたのだと思います。実は、ここに来る前の時点で――祐作氏のお名前を伺った時点でこちらでも少し調べさせて頂きました。その結果、祐作氏自身が『この品々が何なのか』を調べていた痕跡がある事は確認出来ているんです。…これらの品々の入手経路はわかりませんが…真理絵さん、眞鍋壮一郎と仰る方を御存知ですか?」
「眞鍋? …眞鍋、眞鍋壮一郎、ですか…。すみません、特に心当たりは…その方がどうかなさったんですか? …これらの遺品と何か関係がある方なんですか!?」
「そこまではまだわかりません。ただ、祐作氏はこれらの品々を調べる為にその方と連絡を取っていた事がある、とまでは確認出来たんです。なので心当たりはないかと伺っただけで」
「そう、なんですか…本当に…。でも、あの人が殺したんじゃないなら…良かった…――」
 真理絵の声が掠れる。
 僅か俯いていた彼女の目が、安堵の為に潤んでいた。
 つぅと一筋涙が落ちる。
 そんな真理絵にコータが見せたのは、ほら言った通りだとばかりのにやりとした笑顔。

 ――…取り敢えずは、これでいい。



■暗躍、それぞれ

 問題の遺品――調べた後は処分した方が良いですよ、と進言したらあっさり全面的に託された――を引き受け、ひとまず梶浦家から辞し、月刊アトラス編集部に帰還する。
 …何だか感触からしてこれ本っ当に本物っぽい気がするんだけど、とコータ。素人でもわかる、と言うかむしろ素人だからこそびんびんに気になるのではと言う気さえする何とも形容し難い気味悪さ。呪詛としてどういう機能を果たしているかまでは知らないが、この呪物らしい品にとにかく関わりたくないような――負の念と言うか何と言うか、そんなものを感じる。…梶浦の奥さんに言った事は実は結構本音だ。こんなもん遺されたら誰かに泣きつきたくもなるって。超こえー。
 汐耶は編集部に戻って来てから遺品の中にある呪物らしき品を確かめている。…コータに任せておいた方が依頼人向けの対応としては良いと思ったから、あの場では汐耶は呪物に手を出していない。…呪物を調べるコータの態度は適度に嘘っぽく、一般向けにもわかり易い普通の反応。あのくらいの反応の方が、呪術などを信じたくない者にとっては一番安心出来る。そして汐耶は、自分のような見た目の場合で同じ事をしたら心証が逆になる事も知っている。だから具体的に出て来た複数人物の個人情報――プロフィールが書かれた紙の方を特に気にして、呪術などと言う『胡散臭い漠然としたもの』に対してはあまり深い興味を抱いていないように見せかけた。その方が依頼人への心証を考えると適しているように思えた訳で。
 汐耶は依頼人宅でコータが呪物を調べていた経緯もさりげなく確かめている――今直接呪物を見てとその時得た情報とを合わせて、遺品からわかる限りの呪詛の手順を詳しく確かめた。…麗香が初めに思った通り、まず本物ではある。となれば今現在どのような効果・影響があるかがまず重要になる。汐耶は自分の中の記憶――要申請特別閲覧図書内、該当の図書に掲載されている内容――と照らし合わせてみる。要申請図書の知識を利用して呪詛が行われた場合、図書に施してある封印の効力で――ある程度は肝心の知識がぼやけると言った影響が出てくる筈。その時点で呪詛としては成就せず、呪詛としての綻び方にもある程度見当が付く事になる訳なのだが――これはどうも、違う。当て嵌まらない。…ならば、要申請図書の知識が使われた訳ではないのか。
 コータは存命者の二人に当たってみる為プロフィールの方を確認。学校、勤め先、行動半径。写真裏書きの名前とプロフィールの名前を照らし合わせて誰が誰かを把握。ここまで調べてあるなら、コータにしてみれば人物を捕まえるのは簡単そうである。ついでに亡くなっている六名についても簡単に頭に入れておく。
 プロフィールの紙と一緒にあった紙――虚無の境界を連想させる魔法陣が印刷された一枚の紙を見る。…こちらはコータにしてみれば特に先程の呪物のような不気味さは感じない。あくまでただの意匠。マーク。そんな感触がある。…魔法陣と言う形である事、色々な事前情報から考えると呪物よりこちらを見ての方がおどろおどろしく感じて良いような気がするのだがそうでもない。…印刷されているものだからだろうか?

 クミノから電話が来た。…先程汐耶とコータが帰還してすぐに、碇麗香はプロフィールとその人物の写真に虚無の境界を連想させる魔法陣の書かれた紙をクミノの元にもFAXで送信している。
 と、クミノはまず梶浦家での首尾を訊ねてきた。自然に呪いとの関わりを遮る方向に話を持ち込めた事、完全に『障りの道を絶つ』には少し間を置いた方が説得力があるだろう事――事が落ちついたらまた訪れると依頼人に告げて来た事を伝える。
 なら良かったとクミノも息を吐く。…次の情報。クミノの方で分析してみたところ、遺品の中から出てきた五肢葉は虚無の手によるものではないと断定できるそう。但し、ならば無関係かと言えばそうでもなく、外部の者が虚無の境界を調べる中再現を試みたもののようだとまで言ってのけた。
 曰く、この魔法陣は一からコンピュータグラフィックスで描かれている事、線描の太さに曲線、線と線の間隔も神経質なまでに一定、文字列も『文字として書かれている』のではなくわざわざ細かく『文字を象って描き込まれている』事まで確認出来たのだと言う。即ち文字であっても文字としてではなく図柄として描かれている事になる訳で――文字としての意味を持たされていない文字が使われている魔法陣など本来有り得ない。となればこの魔法陣は、魔法陣としての用途を求めない者が、機械的に魔法陣の形を再現したものでしかないと言う事になる。それも、かなりの精密さを求めた上で。…その時点でただの戯れに再現したと言うのも考え難いと。
(…綾和泉さん。梶浦祐作氏が要申請特別閲覧図書閲覧申請の際に出した紹介者の名は…眞鍋壮一郎でしたね)
 あの『時計屋』の。
「ええ。…眞鍋時計店店主――例の『時計屋』さんの事よ。客人に魔術や呪術について調べたい、と相談を持ちかけられると、うちの図書館宛てに紹介状書いてるらしいわ。信用が置ける客にしか紹介してないって話だけど、言うだけの実績もある。…梶浦祐作氏に関しても他の客と同じだと確認は取ってあるわ」
(ならば――『時計屋』は何処で梶浦氏を信用したか、だな)
「梶浦の旦那が『時計屋』の旦那をどういう経緯で知ったかってのも謎だよね? 超常現象怪奇現象の類に縁無くフツーに暮らしてるならあの『時計屋』に呪術関係の話持ち込むよーな事になる訳無いし」
 その辺承知であの店に行くよーだと、結構こっちの世界にどっぷり浸かってる事になるだろ?
 あの『時計屋』は――人外や能力者の、困った時の『駆け込み寺』のような存在になる訳だから。
(…。…『時計屋』はありのままの自然と調和、理を重視する。安易に虚無に靡くような事は俄かに考え難い)
「梶浦祐作氏は『時計屋』さんに虚無の呪術者と疑われる立場には居なかった」
「『時計屋』の眼力をして、呪術を悪用する事も無いと信用が獲得出来ていた事にもなるわね」
「けれど今回梶浦氏の件で問題が起きた。って御本人が亡くなったって事ですけど…それで、後になって遺品の件がアトラスに持ち込まれる事になった。真理絵さんから話を聞いて、実際に遺品も見せてもらって――そこで呪物が本物らしい事も判明した。…虚無の境界を連想させる魔法陣まで一緒に出て来た」
(けれどこの五肢葉はかの魔法陣を再現した画像に過ぎない。虚無の者であるならもっと『魔法陣として普通に機能するものを描く』だろう。こんな形で再現しても意味は無い――それは綻びが無いよう丁寧に描く事も重要ではあるが、それ以上に――こういったものは雑にでも略式にでも何でも、しかと意味を込め己で記してこそ初めて役に立つものだ。この描き方ではその『意味』をまず紡ごうとしていない)
「プロフィールその他と呪物っぽい遺品の出所がそもそも別って事だったりすると凄く納得行く気がするけど。…ほら小箱とか呪物の方は本気で不気味な感じだけど、魔法陣とかプロフィールの方はあんまりそんな気しないしさ」
「「(それだ)」」
 女性陣の三人から同時に同意の声が上がる。
 呪物の方とプロフィールの紙の方、元々別だと考えれば説明が付く。コータがぽつりと零した指摘。一緒に残されていた事で、それらが直接関係するものであると何となく思い込んでしまった。けれど確かに、呪物と思しき日用品小物や毛髪の持ち主と、プロフィールを調べ上げられ写真を残されている人物が同一人物であるとは限らない。ただ両方が梶浦祐作の手許にあったとそれだけの事実に過ぎない。
 …仮定してみる。
 梶浦祐作当人が手掛けたのはこのプロフィールと魔法陣の再現と写真撮影。
 小箱や日用品小物等の呪物を入手したのはそれとは違う経緯…それも何事かを調べている内、有効な調査材料として後から入手したものだとしたら。その調査材料を調べる為に『時計屋』へと赴いたとなれば。…『時計屋』眞鍋壮一郎の梶浦祐作への対応も自然だろうし特別何かがあったと言う事もなさそうだ。
 それで、頼って来た客人が何らかの危険や被害に遭うようだと予測していたとしても、『時計屋』は気にしない。それは知っていれば察していれば忠告はする。…けれど絶対に、その行動を止める事はない。
(…諸々の要素からして、まず梶浦氏に関しては虚無でないと見た方が良さそうだな。そして彼が調べていた対象こそが虚無に絡むと言う事に相違あるまい。どんな絡み方になるかは不明だが)
「となると。プロフィールに載っている人たちが何者なのか、から潰して行くのが手っ取り早いわね」
「で、プロフィールん中の存命者は上杉聖治と江波瑠維、か。…ま、何とかなるでしょ。俺はこっち当たってみるわ」
(私も行こう。…いや、表向きは清水さんにお任せして、裏で密かにバックアップに当たらせてもらいたい。無駄になれば何よりだが、万が一と言う事がある。もし事が起きたならすぐに出る。…念の為だ)
「そりゃ心強い。でもそーなると一回顔合わせといた方がいいよね? 俺、嬢ちゃんの事今電話口でしかも横から口挟んでる状態でしか知らないし」
(…確かに面通しをしておかねば勘違い行き違い人違いも有り得る。それで敵と間違われては目も当てられない…では待ち合わせる事にしましょうか。上杉聖治宅の近くに頃合の公園があります。私の障壁も貴方と面識を得、人二人と話す程度の時間なら何の問題も無い)
 電話の向こうのクミノの科白に、りょーかい、とコータ。
 お願いしますと汐耶も二人に声を掛けていた。彼女はここに残って遺品の呪物の詳細と、プロフィールに記載されている内亡くなっていた六人分についての調査をするつもりらしい。
 ちなみに麗香もそれを手伝うとの事。
「あの仙人絡みって事、ありそうかしらね」
「まだ何とも言えませんが。…無い方がいいですが」
 溜息。
 そんな汐耶をまぁまぁと宥めつつ、コータは跳ねるように立ち上がり、その場で大きく伸び。
「んじゃ早速行きますか。色々不安材料はあるけど――ま、人を呪わば穴ふたつって言うよね。もし本気で誰かが誰かを呪っていたのなら、そいつも死んでるか、酷い目にあってんだろうよ」
 俺たちの不安どころの話じゃなくね。
 あっさり言ってコータは編集部から軽やかな足取りで外へと向かう。
 コータの声を聞いた上で麗香に断りを入れると、クミノもまた通話を切った。
 相変わらず賑やかなままの編集部。後には麗香と汐耶が残る。



 …人当たりの良い初老の男性。
 上杉聖治と言う人物は取り敢えず清水コータにはそう見えた。公園でササキビクミノと顔を合わせた後、コータは直接彼の店に訪れている。自然食品販売の自営業者。狙われる可能性。他のプロフィールに書かれていた人物との面識はあるかどうか。他の顔はあるのかどうか。『虚無の境界』の名を出して反応する可能性。…少々危険だがそこまで試してみた。
 自分がアトラスから来た事と虚無の名を出した時の二回、ふ、と気のせいかと思える程ごく僅かな間だけ上杉聖治の動きが止まる。
 けれど、それ以上は目立った反応無し。
 それ、何の事ですか? と、ごく自然に怪訝そうに返して来た。
 …引っ掛かる事は引っ掛かるが、ここまで鉄壁の防御を取られてしまうようでは俺の前でボロを出す事はあるまいとコータは判断。店舗を辞すと、携帯を取り出しクミノに掛ける。…取り敢えず問題無しだけど引っ掛かると報告。かなりの狸である可能性を示唆。クミノからは了解と返る。
 次。江波瑠維の方に行く。その確認を取ると、携帯の通話は切られた。



 月刊アトラス編集部。
 …綾和泉汐耶はプロフィールに残された中から、六名居た死亡者の死因以外の共通点を探している。…年齢も性別も職業も住所も死亡場所もバラバラで袋小路に陥る。強いて言うなら六名とも空白の時間を持っているらしい事は確認出来た。彼らが虚無の境界関係者である可能性を考える。…空白の時間で虚無として動いている可能性。いや、それは別に虚無に限る事でもない。何か秘密があればこのくらいの空白は空いてしまうものだろう。直結で疑える要素でもない。
 梶浦祐作に関する事柄を改めて確認する事にする――『時計屋』にも改めて話を聞く。梶浦祐作が『時計屋』を訪れた経緯、図書館への紹介に足ると判断した理由。
 ――…梶浦祐作は極力色んなところに自分の痕跡残そうとしていたようだぜ。
『時計屋』はそう言った。
 ――…うちに来た事も――要申請図書の件もその一端。だからあたしもあんたに知らせてやるよあたしが知ってる限りだけどあいつが何をしていたか。
 あいつはそれを望んでいたから。
 餞になるならそれも良いだろ。



 江波瑠維。
 少しきつめに見えるお姉さん。…と、お姉さんとは言っても清水コータにしてみると自分とそれ程歳は変わらないと思える人物。服飾関係の専門学校に通っており、雑貨屋でアルバイトをしているとの事で――何だかその辺も自分と重なる。…自分も民族系のショップでバイトをしているので。表向き。本業は便利屋。だからこそコータは今回麗香から頼まれた調査依頼にも首を突っ込んで来ている事になる訳だが。
 取り敢えず遠目で人物を確認してから、接触しようと試みる。途端、ぴろぴろと携帯が鳴り出した。…音が違う。電話が掛かって来た訳ではなくて、着信したのはメール。
 開いてみて、コータはさてどうするかと困惑。うーんとばかりに頭をぽりぽり掻いてみる。
 …メールの送信者はササキビクミノ。
 内容は――業務連絡。
 それも、次に取る行動に微妙に迷う連絡である。
 まぁ、良いや。これはあくまで念の為――大丈夫だろう。…結局そう判断し、コータは予定通りに江波瑠維に接触してみる事にする。

 話しかけると素っ気無い態度を取られた。…第一印象通り少しきつめな印象と思う。それでもまぁ、敵意を持たれているような気はしない。少なくとも今のところは。
 上杉聖治に話して試した事と同じ事を、他愛無い世間話の中に散りばめてみる。狙われそうな心当たりはあるか。プロフィールに残されていた他の人の名前に心当たりは。…『虚無の境界』の名に、心当たりは。
 雑貨の話を絡めそれら話をしている時、不意にすみませんと静かな声が掛けられた。穏和そうな保父さんめいた雰囲気の、不惑は軽く通り越しているだろう年嵩の男性。但しその格好が――喪服と見紛う黒スーツ。と言うか素直に喪服と見るべきか。ネクタイまで黒だ。何処の葬儀場に行くのかと言うような格好である。
 黒スーツのこの彼は、江波瑠維さんに清水コータさんですねとあっさりこちらの名前を確認して来た。突然名指しされ、コータは怪訝に思う。今このタイミングで見知らぬ男に呼ばれるような覚えは無い。…誰だ? アトラス側から何かあったと話は聞いていない。クミノからのメールの内容とも関係ない。
 コータは自然と、江波瑠維を黒スーツから背に庇うような形に足の位置を置き換えている。
「どちらさんすか?」
「それは、いずれ。…失礼は承知です。ただ、今の時点では易々名乗る訳には行かないんですよ。色々と面倒がありまして」
「んじゃそれは取り敢えず置いときまして。…何の用です?」
「江波瑠維さんにお話を伺いたく。今も御二人の話の中に出てらっしゃいましたよね」
 ――…『虚無の境界』の名が。
 びくりと。
 反応する空気があった。背後。コータの。先程まではここまでの反応はなかった。虚無の境界の名を出してもまだ、これ程の反応は。けれど目の前に保父さんめいた黒服の男が現れて、江波瑠維は確実に反応した。
 コータの背後でぶわりと空気が膨れ上がる――瘴気とでも言うべきか。黒い気配。動けない。ヤバいと本能的な部分で思う。まるで魔物の。怪の――…。
 …――と。
 思った途端、ざ、と急激な風が降って来た。コータは思わず振り返る。風が降って来た途端、瘴気が消えた。不穏に膨れ上がった空気が切り裂かれるように落ち着いた。振り返った目の前には江波瑠維――では無く、剣呑な気配を隠しもしない、サングラスを掛けたやくざめいた印象の黒服が居た。右手に抜かないままの白鞘を握り、左肩にぐったりと意識の無い状態である江波瑠維の身体を担いで。
 今にも舌打ちしそうな顔で、やくざめいた黒服は先程までコータが対峙していた方の、保父さんめいた黒服の顔を見ている――恐らくサングラス越しに睨み付けている。
 それでも保父さんめいた黒服の方は全く動じない。
「良く我慢してくれた」
「…何考えてんだ、手前」
「殺して済む話じゃない。殺さない方が余程役に立つ。連中もそのくらいの事察して動けと言いたいよ俺は。そもそも殺してしまってから間違いだったとなれば取り返しが付かない事になる、と言う頭が無いのが最悪だ」
「…それで俺を使うってなァまともな奴なら有り得ねぇ判断だ」
 呆れたようにやくざめいた黒服は返す。
 保父さんめいた黒服は何も答えず、ただ微笑みを返すだけ。
 あまりに唐突な事だったので、コータはまだ何が起きたのか良くわかっていない。
「…あんたら、何なんだ」
「こちらは鬼鮫。私は…そうですね。グリーンアイズと名乗っておきましょう。御覧の通り」
 隙無く静かに笑むと、保父さんめいた黒服――名乗った通り緑の双眸を持つその男は、失礼とだけ残し、踵を返して何事も無かったように去って行く。
 …やくざめいた黒服――鬼鮫は、江波瑠維を担いだまま、いつの間にか姿を消していた。
 漸く我に返ったコータは慌てて携帯を取り出し、先程のメールの送り主へと折り返し電話を掛ける。呼出音は鳴るが肝心の相手が出ない。るるるるる、るるるるる、るるるるる。
 程無く留守電に切り換わる。
 焦りが生まれた。

 ――…こっちでこんな事起きてるようだと。あんな連絡入れて来た嬢ちゃんの方こそ、大丈夫か?



『一人目に動きあり。こちらで確認を先にする。二人目への接触は暫し待たれたし』

 一人目とは上杉聖治、二人目とは江波瑠維。
 ササキビクミノが清水コータに送った業務連絡メールの内容は以上。即ちコータと別れた直後の上杉聖治の動きが気になり、クミノはコータにメールで断りを入れた上でそちらを追う事を選んだ訳なのだが――正解だった。
 上杉聖治は何処ぞに電話を掛けてから店を離れている。電話内容の盗聴は叶わなかったが、取り敢えず配達で出た等の様子では無い。そうするに当たり、店も閉めていた。
 何も荷物を持っている様子は無い。それでいて、確実な目的があるように何処かへ向かっている。さりげないごくごく自然な歩き方。今ここだけを見て彼の行動を不自然だと思う者は居るまい。私でも今の上杉聖治の姿を見ただけなら何も引っ掛からない。ただ、コータと接触した直後に何処ぞへ電話、店を閉めてまで何処ぞへ出向いていると言う経過があればこそ引っ掛かる。
 私と言う尾行がついている事に気付いているか。
 …そこまでの能力はなさそうだ。
 と。
 クミノにとっては聞き慣れた乾いた音が唐突に響いた。小さな音。タイヤがパンクでもしたような破裂音。
 一般人では俄かにそう気付けないだろうが、銃撃。
 それでもまぁこの国の表側に於いては充分事件になる。この昼日中に大胆な。
 クミノは目を細め銃撃の源を即座に探す。銃撃の標的は上杉聖治。それはすぐにわかった。銃撃を境に、ごく自然に普通に歩いていた上杉聖治のその態度が明らかに戦場のものに変貌していたからだ。ならば私以外にも彼を尾行していた者が居るのか――否、待ち伏せか。電話の相手の可能性。そちらから情報が流れた可能性。ともあれこうなったならば上杉聖治が只者ではないと言う事だけはまず確実に言える。
 確保して話を聞く段階だ。
 銃撃の源。感情の無い乾いた目をした年嵩の女。クミノが視認したそこで、その女はクミノの存在に気付いて路地に引っ込んだ。クミノは自分の手に武器を召喚しつつ――年嵩の女が持つ武器の威力に比例するものとして召喚出来たのは小口径のピストルだ――後を追う。女はまだ上杉聖治を諦めていない――まだ狙っている動きだ。
 路地を抜ける。パン、と再び銃撃音が聞こえる。距離を測りクミノは召喚したピストルの銃口を女に向けた。殆ど反射の領域で女の持つ銃へと照準を合わせ引き金を絞る――引き絞ろうとするが。
 ピストルごとその手がいきなり掴まれたのが先だった。見た事の無い男。場違いなくらいの美形だがその風体は何処にでも居そうなラフなもの。ほんの一瞬前まで気配など無かった。なのにそこに居た。障気により障壁半径内と同範囲に持てる視聴点にもそんな男は居なかった筈なのに。なのに、今にも銃を撃とうとしていたクミノのその手を掴み上げると言う行動を取ってのけていた。
 これでは、撃てない。
 クミノは反射的に障気を用い男の手を外そうとするが、男は気にも止めず――殆ど効果を受けず、そのままピストルを取り上げる。取り上げられるなりそのピストルは掻き消えるが、男は全然動じない。
 それどころかその男は人差し指を唇の前に立て、クミノに向けて、しー。
 ただ、黙ってて、とばかりのジェスチャーをして見せた。…それ以上何かしようとしては来ない。
 怪しい事極まりないが、どうやら敵意は、ないらしい。

 女の姿が移動する。障気による視聴点で姿はまだ辿れる。上杉聖治の姿もまだ確認可能。狙っているのは変わらない。
 ――…私を制止したこの男は、何者だ。



『時計屋』の話が続く。

 …梶浦祐作は面白い男だったよ。
 奴はちょっとしたソーシャルネットワークサービスの会員でね。それだけならまぁ今時珍しくもないだろうが、取り扱ってる内容が少し特殊だった。
 アトラスやゴーストネットを通して、怪奇現象の実在を突き止めちまってる連中のサークルだったんだ。
 つってもね、アトラスやゴーストネットに直接連絡を取っちゃいない。誌面を記事を介して、自分たちで調べて実在を確かめた。…単なる妄想ならよかったよ。でも連中が見付けた怪奇現象は本当に本物だった。素人なのにそこまで出来ちまったんだ。
 …そして素人だからこそ、裡にこもった。
 それっぽい専門家も虚実織り交ぜて――って言うか表に出て来る時はまず実より虚の方を多めに露出させてるモンだから、基本的に信用できなかったんだろうね。アトラスやゴーストネットに対してさえ、何処まで本気なのかがわからなかった。誰を信用していいのかがわからなかった。…オープンな世界ではこんな事はきっと誰にも信用される訳がないだろうってまともに考える頭もあるから、わかってる自分たちで何とかしなければ、とか要らん使命感持っちゃってる事になる訳だ。
 まぁ、結果としてそのSNSさ、ある種の秘密結社化してたらしいんだよ。
 彼らは――慎重過ぎた、って事なのかもしれないね。
 アトラスやゴーストネットに直接当たる事をして、本当のトコを知ってさえいれば、もっと頭の良い動き方が幾らでも出来ただろうからさ。

 そんな連中が、たまたま組織的な不穏な動きを突き止めた。
 …それもその不穏な連中が、月刊アトラス編集部を狙っているらしい、と言う話を。



 ササキビクミノは自分を制止した男を見上げる。
 …やはり、敵意はない。それどころか、何を考えているのかわからないような印象がある。
「何故止める」
「悪いようにはしないから手を出さないで」
 男はあっさりとそう言って来る。悪いようにはしない。…何故こいつが私にそんな事を言える? 私にとって悪いようにはしないとどんな要素で判断が出来る? この男は何を知るのか。目的は何だ。
 思考を巡らせる。この男からもこの件に関わりのある何らかの情報が引き出せる可能性。クミノは言葉を紡ぐ事を考えた――が。
 また別の声が飛んできたのが先だった。
「大嘘吐きが何を言う。梶浦祐作を殺したのはお前みたいなもんだろ、湖藍灰」
 また、同じ。
 先程のこの男と同じ、障気の視聴点――半径二十メートルに及ぶ私の監視を掻い潜り、唐突に転移して出でもしたように現れた。ダークスーツを来た長身の男。闇の世界に馴染む雰囲気。
 …このラフな風体の男と、同類か?
 思うが、新たに届いた別の声が紡いだ科白の内容は――少なくとも、友好的ではない。
 そして出て来た梶浦祐作の名。自分の思考に確信が持てた。
 ラフな風体の男の方は、肩を竦めてダークスーツの男に反論する。
「あれはタイミングが悪かっただけだよ。…そもそも凋叶棕の方こそ筋違いじゃない。あれで初めてそっちが気付いたようなもんなんだから」
 友好的では無いと言えど、反論と言えど口調は気安い。
 そしてその、呼ばれた名。
 クミノは二人が互いを呼んでいた名から、自分を制止した男の正体を確認する。
「…貴様が湖藍灰なのか」
「ん、ああ、アトラスで聞いた?」
「ああ。…梶浦祐作を殺したのは貴様なのか」
「ちょっと違う」
「?」
「梶浦さんには呪具を渡してちょっと頼み事しておいただけだよ。で、直接彼に手を下したのはIO2の跳ねっ返り。でも俺が梶浦さんに呪具渡した事自体が原因っつっちゃ原因だから、まぁ凋の言う事に間違いも無い」
「………………なに?」
「ん?」
「…梶浦祐作は虚無だったか」
「違うよ。虚無はあっちの上杉さんの方」
 …。
 …今し方、クミノは上杉聖治を狙っている年嵩の女の方を撃とうとした。
 湖藍灰はそれを止めた。
 湖藍灰は梶浦祐作に呪具――即ち件の蠱毒らしい呪物そのものの事だろう――を渡して頼み事とやらをしている。
 アトラスで自分の事を聞いたかとあっさり確認してくる――クミノがアトラス絡みの人間だと察している。
 それでいて、悪いようにはしないからとクミノに言う。
 湖藍灰は虚無の境界構成員だと綾和泉汐耶が言っていた。編集長も実感はないがと前置いた上でだが、話は聞いていると同意した。
「………………貴様の行動の意図がわからん」
「俺は自分のしたいようにしてるだけだよ」



『時計屋』の話はまだ続く。

 その『不穏な動きをしている連中』が示威の為に使っているのが、先が五つに分かたれた葉が内側に描かれた魔法陣だった。
 …つまりそのサークルは虚無の境界と言う名を知らないままに、彼らが不穏な組織である事、そして彼らの企みの一つを突き止めてしまった事になる訳だ。

 ――…即ち、虚無の境界が月刊アトラス編集部を狙っているって事を。

 そんな話を見付けてしまった以上、SNSのサークルメンバーも浮き足立つ。黙ってられる訳がない。
 でもそれでも、月刊アトラス編集部に直接進言する事までは躊躇いがあった。
 まず進言したとして、一笑に付される可能性を考えた。そしてそんな事にでもなれば、何度同じ事を進言しても、本当に事が起こるまで本気で取られる訳がない。そして本当に事が起こってしまえば、もう遅い。
 だから、サークルメンバーの彼らはまた自分たちだけで調査を進めた。
 それで――彼らは計画に関係すると思しき虚無の境界関係者の個人情報まで、本当に探り出しちまった。
 八人も。
 勿論それで全てかどうかはわからない。けれど調べれば調べる程、八人全員が関係者らしい事については確信が増した。更には――何人か、死亡している事までわかった。心不全。即ち病死。それぞれを見る限り不審な点はないとされている――が。
 虚無関係者であると言う共通点を知っていれば、充分過ぎるくらい、不審な点がある事になる。
 それも、彼らが死亡した日に奇妙な共通点があるとなりゃ余計だ。あくまで噂、下手すりゃ都市伝説レベルの話でだが――黒いサングラスに黒服の連中が、彼らが死亡した近所で目撃されているらしい。…こっちはまずIO2を連想させるわな。
 虚無の関係者とそいつらが接触しているかどうかまではさすがに探り出す事は出来なかったらしいんだが、そいつらに何らかの手段で殺されてる可能性までサークルの連中は考えた。
 余計にヤバいと思う訳だ。
 でもならばこそ、余計に放り出せなくなっちまったらしいんだな。

 そんな頃だ。
 サークルの一員である梶浦祐作に、一人の男が接触して来たらしい。
 そいつは梶浦祐作にとある呪具を預けて、うちの――『時計屋』の存在も知らせてきた。
 自分がその『不穏な組織』内部の人間じゃないかって、薄々匂わせながらね。
 内部告発みたいな感じに、それとなく匂わせて。

 そこから梶浦祐作は色々調査し、考えた。
 預った呪具のヤバさは素人でも皮膚感覚ですぐにわかる訳だよ。
 その上に、自分たちで調べた事もある。
 …『時計屋』に頼る事を考えるまで、然程時間は掛からなかった。

 ただそれでも梶浦祐作側にしてみれば、その『時計屋』が何処まで信用出来るかなんて、わからない。
 このSNSサークルのメンバーさ。猜疑心と慎重さ、周到さなら人一倍だ。
 当然の如く、『時計屋』を頼りに来るまでに、梶浦祐作の方でも出来る限りの根回しはしていたんだ。



 あっさりと言う湖藍灰の科白にクミノは耳を疑う。
 自分のしたいようにしているだけ。…そうは言っても、これでは――虚無の邪魔をしている事にしかならなくはないか。…虚無の境界構成員が、虚無の邪魔をするのか?
 そんな疑問が顔に出ていたのか、湖藍灰はどうしよっかとでも言いたげにダークスーツの男――凋叶棕をちらと見る。…クミノはこちらの名も綾和泉汐耶から聞いている。都立図書館の要申請図書閲覧に、梶浦祐作が訪れたかどうかをこそ確認に来たらしいと思しき――仙人。
「凋叶棕さ、説明任せていい?」
「はぁ?」
「いや、だって凋叶棕も何だかんだで関わってるし。俺今回出来る限り表に出たくないのね」
「…俺はもっと表に出たくないんだが。そもそもここまで出向いている事自体不本意だ」
「ならなんで来てんの」
「俺の情報であの女がどう動くか。最後まで見届けないと安心できない」
「あの女――今の?」
 上杉聖治を狙っていた年嵩の女。
 クミノの問いに凋叶棕は頷く。
「ああ。昔の知り合いでな。湖は止めたが俺としては殺してやってくれても全然気にしないんだが。いやいっそ殺してもらった方がさっぱりする」
「…だってあそこで俊江さんがやられちゃったら上杉さんまず止まらないし」
「………………私はあくまであの女の銃を落とそうとしただけなんだが」
「どっちでも同じだよ。…俊江さん、敵には容赦しないから銃落とされたらその時点で上杉さんより先にまずお嬢さんとドンパチ始まってたから。そうなったら結局上杉さんは見逃されちゃう訳で」
「湖藍灰。貴方は上杉聖治を止めるのが狙いなのか」
「彼が止まらないといずれ梶浦さんどころじゃなくアトラスに塁が及ぶよ」
「何?」
「はい」
 と、会話を遮るよう脈絡無く湖藍灰が差し出したのは折り畳まれたメモ。
 何事かと思いつつ、クミノは素直に受け取ってしまう。
「…何ですか」
「例の呪具の秘術部分要訣書いといた。わかりそうな人に渡して」
「…あれを作ったのは貴方か」
「そう。そのメモの部分がわかればどうとでも扱える筈だから。多分人界に出回ってる知識だけじゃそこが引っ掛かる」
「何故」
 こんな物を託す。
「見当は付いてるでしょ。…『アトラスで俺の事を聞いたなら』」
 さらりと言い、湖藍灰は意味ありげに笑う。
 それ即ち、虚無の境界よりもアトラスを選んだと言う事か。…いや、弟子を、か。
 思ったところで、上杉聖治と年嵩の女が自分の半径二十メートル範囲からちょうど外れた事にクミノは気付く。
 湖藍灰と凋叶棕両方を見た。
「…上杉聖治、止められますね」
「俊江さんならやるでしょう」
「まぁ、邪魔が入らなきゃ逃がす事もないだろ」
 と。
 …その返答を貰ったところで、今度はクミノの半径二十メートル内にコータが入るのに気が付いた。
 障気で改めてコータの様子を確認する。どうやらクミノの事を慌てて探し回っていたらしく、息が荒い。…心配させてしまったらしい。携帯を取り出して見ればコータの番号の着信履歴が幾つも残っている。…向こうでも何かあったのかもしれない。
 気付いたそこで、クミノはすぐに折り返し電話を掛けた。

 何はともあれ、自分は無事だと伝える為に。



■最終報告

 月刊アトラス編集部。
 ――…綾和泉汐耶が『時計屋』との電話を終わらせた後。清水コータとササキビクミノも連れ立って戻って来て――と言うかクミノの方は今が今日アトラスに顔を出すの初になるが――からの事。
 色々と面倒な話になっている事が判明した。それは事前にある程度厄介そうな情報が齎されてはいたが、それらが全部本当に関係ありそうだとなればまた話は違ってくる。
 初めは依頼人である梶浦真理絵が、依頼人の亡夫である梶浦祐作の遺品の中にあった呪物やそれに纏わると思しき物品に関して不安になって泣きついてきたと言うだけの話だった。遺品の中から虚無の境界の印が出て来た。呪物が本物らしくもあった。…それらは確かに不安材料ではあった。
 けれどそれで何か障りがあるとしても、それはあくまで依頼人に――と言う懸念の方向で。

 …まさか、アトラス自体が狙われていると言う方向だとは。
 白王社・月刊アトラス編集部。確かに、考えてみればここは情報発信の場所だ。テロの対象としては好都合なのかもしれない。虚無の境界のような立場なら、表舞台に打って出る事もし易い拠点になるだろう。
 そんな情報を探り出したのはアトラスやゴーストネットの記事から怪奇現象の実在を見抜いた――けれど常識を慮る理性もあるが故か、表向きに見えるオカルト系団体や専門家、アトラスやゴーストネットの関係者ですら信用し切れず裡に向き、ある種の秘密結社化していた好事家たちのSNSサークル。
 梶浦祐作はそこの会員であり、特にこの件を率先して調査していた顔役のような存在でもあったらしい。
 その為か、不審な男からの接触があったと言う。
 それがどうやら――具体的に正体を明かす事はなかったらしいが、湖藍灰。
 アトラスから見るとやや微妙な立場と言える存在。
 曰く、彼がそもそも件の呪物の作者である事は、直接遭遇したクミノの聞いた話からしてまず確からしい。…本来はそれでアトラス向けのテロを実行する筈だったのだと察される。けれどそれを彼は梶浦祐作に密かに預けたのだと『時計屋』が言っていた。心霊的な裏の世界とは殆ど関係が無いに等しい、けれど明らかにそちらを向いている人物に。困った時に頼れるべきところとして『時計屋』と言う完全中立に近い存在すら教えた上で。
 つまりは今回の件には湖藍灰ががっちり絡んでいた事も判明している。
 けれど湖藍灰は出来る限り表に出たくないとも告げ、言葉通り詳細を告げようとはしない。
 事実、梶浦祐作の元に訪れた不審な男が彼だと言う確証は、出回る情報の中には残されていないのだが。あくまで、本人の口から傍証が得られているだけ。
 クミノの所感。湖藍灰から預かってきたメモを汐耶に渡しつつ話し出す。面と向かって虚無の境界を裏切るつもりは無く、ただ今回の件だけは確実に避けたかったと言う事ではないのか。…アトラスには弟子がライターとして居るのだろう。当人もここの者とは悪くない関係を築いているようだ――となればここを標的にするのは気が進まないだろう。更に言うならそれらの行動に自分が絡んで見せたくはなかったのではとも思われる。
 それで少し離れた位置にあるSNSサークルや『時計屋』などアトラスと関係の薄いところを選んで、呪物を託したのではないか。
 …いずれ、アトラスに辿り着くように考えた上で。
 アトラスを知るなら、ここに呪物が辿り着けばまず何とか出来ると言う事はわかっているだろうから。

 コータとクミノが話を聞きに言った上杉聖治と江波瑠維はどう関わるか。
 彼ら二人に限らず、梶浦祐作が調べたプロフィールの人物――これはどうやら、虚無関係者らしいと『時計屋』から知らされた。上杉聖治については湖藍灰の口からもそうだと聞かされている。
 亡くなっている六名については、IO2の手で始末されている可能性まで『時計屋』から示唆された。
 その時点で、コータから耳にした江波瑠維の方の顛末が気になるのだとクミノ。曰く、出向いた先では諸々の事情でコータ一人だけで江波瑠維から話を聞く事になり、その時クミノは同席しても監視してもいなかったと言うのだが――話している最中、唐突に黒服が現れて話しかけて来、途端に江波瑠維の態度が激変、何かヤバいと思ったそこで――もう一人現れた黒服が江波瑠維を気絶させ鎮めたような状況だったのだそうである。そして黒服はそのまま、江波瑠維を連れ去ったのだと。
 立ち去るに当たり、黒服の名前も聞かされた。
 鬼鮫に、グリーンアイズと。
 その時点で、彼らがIO2であるとクミノは断定。寡聞にして後者の名は聞き覚えはないが鬼鮫の名はよく聞く、と。
 コータに彼らが話していた事柄を確かめてみれば、そこからしてグリーンアイズと名乗った方はIO2が無関係の人物まで殺してしまった事を苦々しく思っており、それに反抗して、江波瑠維の方を『殺さずに』連行したのではないかと察された。
 殺さない方が役に立つのだと証明する為に。
 その事からしても、彼らについてはどうも、IO2の本流とは離れた動きを取っていたようでもある。

 どうやらアトラスに持ち込まれる以前にも、今回と重なる件でIO2と虚無の暗闘はあったらしい。その結果の一端がプロフィールに残されていた六名の死亡。その時点では情報があまりに少なく、それ以外の関係各機関は手を出し兼ねていた、と言うところだったらしい。
 そこに、梶浦祐作の死と言う要素が放り込まれる。死亡理由。先走ったIO2末端の構成員の行動。虚無との接触があった為に、虚無であると判断した結果だったのだと言う。…確証もなかったと言うのに。
 これは、秘密主義を旨とするIO2にとって裏目に出る。
 何故か――それは梶浦祐作がそれまでに取っていた行動故。
 まず、そちらの世界から考える限り、梶浦祐作は『素人』である時点で目立つ。それでいて、素人とは思えない情報と調査結果を持って、かの『時計屋』に赴いている。都立図書館の要申請特別閲覧図書閲覧室で、妙な本の借り方をした利用者として名を残す。それら全て、『不審な存在』からの接触があった後の事だと明かしておきさえした。
 彼の行動自体が、探ろうとすれば目立つ形に残っている。
 それ全て、自分にもしもの事があったなら――いったい何を調べていたのか。誰かは本気で考える。アトラスだってきっと本気で取り上げてくれる。そう思ったからこそ、梶浦祐作はわざと目立つように様々な場所に痕跡を残していた。『時計屋』にもそうしているのだと話した。…『時計屋』は、引き受けた。
 裏の世界の各所に話が飛び火する――生前の梶浦祐作の派手な痕跡を元にして、漸く情報が流れてくる。
 …IO2に限らず、虚無を快く思わない裏組織が暗躍し始めた。
 連動し、虚無の動きもきな臭くなる。
 この頃、真理絵が亡夫祐作の遺品をアトラスに託す――ここに至り、漸く『目的』のアトラスに伝手が付く。…どうやら祐作は、自分に何かあったら「真理絵からアトラスへ話をするよう仕向けて」おきさえしたらしい。事ある毎に妻の真理絵に月刊アトラスの存在を強く意識させ、何か関わりそうな事が出てきたら真っ先に頭に浮かぶように。…例えば他愛無い事だがわざわざ目の前で当の雑誌を整理していたりとか。毎月なのに購読注文もせず毎月自分で買いもせず、敢えて毎月この雑誌だけは真理絵に購入する事を頼んでおいたりとか。…それらを色々と積み重ね。
 真理絵から依頼され、そして編集長が動き出す。
 編集部に集う数多の人材の内から、この依頼を受ける物が現れる。
 そうなれば、目的は叶う。
 …危機を知らせたかったと言う梶浦祐作の目的も、自分とは関わらない位置で、この企みを潰してくれと望む湖藍灰の目的も。
 今回の件はどうやら、そういう事になるらしい。

「――…こういう読者も探せばまだ居るのかも知れないわね。でもどうしてもうちは怪奇雑誌なのよ…」
「難しいところになりますね。…虚実織り交ぜての記事としての面白さや有用性――そして本物の情報の秘匿と公開のバランス。全部明かしてはパニック、かと言って明かされなかったからこそ危険に向かって突き進んでしまう事もある」
「…ひとまず、そのSNSには何としても伝手を付けておくべきね」
「ああ。そのSNSがアトラス編集部と本当の意味で通じてさえいれば、人一人の命が喪われずに済んでいたかもしれないのだからな…」
「もしもの事があっても、死人が出れば本気になるだろってそこまで考えてたっぽいなんて…いやホントになんつーか、凄いなと」
「惜しい人を亡くしたわ。…情報収集能力に調査能力、素人でそこまでやるなんて――うちの連中と遜色なさそうだもの」
 ふぅ、と麗香は嘆息。
 今回は間に合わなかった。ならば『次』があれば――その時は間に合うように。
 もしもの時には、話が通じるように。
 気遣って行きたい。
 この編集部には出来る力があるのだからと、そう思う。

 と、さて、と改まった声が上がった。
 声の主は汐耶。ぱむ、と手を叩いて皆を見渡している。
 見ると、依頼人から処分を任された紙袋の中身――呪物の方から「気持ち悪さ」が綺麗さっぱり消えていた。
 …いつの間にやら汐耶が封印能力を行使していたらしい。曰く、クミノが湖藍灰から託されたメモを見て、呪詛を理解する為の最後の鍵が当て嵌まったようなものだとの事。
 汐耶ははっきりと宣言する。
「これで、遺品の方の始末は付きました。後は――依頼人の梶浦真理絵さんの方」
 安心させてあげる為に、報告に行きたいと思います。

【了】


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    登場人物(この物語に登場した人物の一覧)
×××××××××××××××××××××××××××

 ■整理番号/PC名
 性別/年齢/職業

 ■1449/綾和泉・汐耶(あやいずみ・せきや)
 女/23歳/都立図書館司書

 ■4778/清水・コータ(しみず・-)
 男/20歳/便利屋

 ■1166/ササキビ・クミノ
 女/13歳/殺し屋じゃない、殺し屋では断じてない。

 ※表記は発注の順番になってます

×××××××××××××××××××××××××××

 …以下、登場NPC(□→公式/■→手前)

 ■梶浦・真理絵/依頼人である未亡人
 ■梶浦・祐作/依頼人の亡夫

 ■上杉・聖治/遺された写真に写っていた人(存命)
 ■江波・瑠維/〃
 ■坂城・辰比古/遺された写真に写っていた人(死亡)
 ■佐保・菖蒲/〃
 ■神前・啓次/〃
 ■米沢・千晴/〃
 ■拝島・義/〃
 ■春野・優二郎/〃
 
 □碇・麗香/オープニングより登場。

 ■グリーンアイズ(刑部・和司)/IO2捜査官(登録NPC)
 □鬼鮫(霧嶋・徳治)/IO2捜査官

 ■鬼・凋叶棕/自称探偵…?(登録NPC)
 ■鬼・湖藍灰/虚無の境界構成員…?(登録NPC)

 ■眞鍋・壮一郎(『時計屋』)/人外、能力者の『駆け込み寺』的存在(異界内頁「未登録NPC紹介」内記載)
 ■上杉聖治を狙った年嵩の女(大杉・俊江)/某殺し屋組織の一員(登録NPC)

 ■水原・新一/名前のみ登場(登録NPC)
 □草間・武彦/〃
 ■紫藤・暁/〃(登録NPC)
 ■空五倍子・唯継/〃(登録NPC)

×××××××××××××××××××××××××××
          ライター通信
×××××××××××××××××××××××××××

 清水コータ様には初めまして(と、某斡旋業の方と同PL様かとお見受けするのですが…そうでしたらいつも御世話になっております。…違ってましたらこの間違い御容赦を)
 綾和泉汐耶様、ササキビクミノ様にはいつも御世話になっております。
 皆様、今回は発注有難う御座いました。
 そして綾和泉汐耶様に清水コータ様、作成日数上乗せしている上にお渡しが遅れております…。綾和泉汐耶様には毎度のように、清水コータ様には初めましてからこんな体たらくで…大変申し訳御座いません…(謝)

 内容の話です。
 今回の話は…実は私の頭の中の状況と皆様のプレイングのちょっとした加減で、結末が…依頼人の亡夫や写真・プロフィールに残されていた人物が何者だったのかの真相がころっと変わっていたりします。よって、同タイトルのノベルでも同時参加になっている方以外のノベルの場合、話の展開が全然違う事になってたりします。

 そんな訳で今回三名様が参加下さいましたこのノベルですが…主に私の頭の中の方の理由(…)で何だか複雑怪奇な陰謀劇と化している上に妙におおごとな感じになってしまっている気がしてなりません(え)。裏の世界っぽい方々が無闇に錯綜して暗躍しております。…虚無の境界やIO2だけではなく当方で設定している連中まで、いやそもそもプロフィールに残されていた人間から依頼人の亡夫に至るまでその筋の人っぽい設定が生まれてしまい(汗)。その辺の暗躍振りが理由で、発注が三名様だったと言うのに…うっかり長い文章になってしまった気がします…。すみません。
 如何だったでしょうか。
 ちなみに今回は三名様とも共通の文章になっております。

 少なくとも対価分は満足して頂ければ幸いなのですが。
 では、また機会がありましたらその時は。

 …ああっと書き損ね。他の御二方もですが特に清水コータ様、初めましてと言う事で、PC様の性格・口調・行動・人称等で違和感やこれは有り得ない等の引っ掛かりがあるようでしたら、お気軽にリテイクお声掛け下さい。…他にも何かありましたら。

 深海残月 拝